2008年5月16日 (金)

アッコルドーネ(王子ホール)速報

*開演五分前に着いたら、パンフレットが売り切れていた。なんてこったいshock
*マルコ・ビーズリーはチラシの写真みたいなコワイ顔じゃなくてよかった。どっちかというと、豆タンクみたい。
*ガッティ来た来たキタ━━━━('∀')━━━━ !!!!!な瞬間あり。おまけに歌まで歌っちゃったりして。
*アンコール5曲やったと思ってたら、入口に張り出してあったのは4曲だった。老人脳が進んじゃったかしらん。でも、舞台の床に貼ってあった進行表(専門用語があったはずだけど忘れた)には、アンコールが6曲書いてあったんだけど……(?_?)
*この後、日・月・火と3連チャン公演でしかも西宮→東京→伊丹って大丈夫かしらん。最後にはヨレヨレになってたりとか。mist

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2008年5月15日 (木)

「つぐない」:偽善、願望、あるいは妄想

080515
監督:ジョー・ライト
出演:キーラ・ナイトレイ、ジェームズ・マカヴォイ
イギリス2007年

なんだか判然としない映画だった。アカデミー賞に7部門ノミネートで、賞レースの第一集団にいた作品だし、ミステリーっぽい所もありそうなんで興味を持って見に行ったんだけど……。

冒頭の三分の一は面白かった。男が少女の間違った証言で冤罪を被る過程は大変スリリングである。
しかし、その後の戦場の場面は正直退屈してしまった。戦争の壮絶にして幻想的な美を撮りたかったんだろうけど、キレイなだけで見ていて何の感興も浮かんで来ないのだった。
その後、成長した少女の「つぐない」の話となるのだが、結末まで見るとそれはどう考えても罪を償うというよりは、単なる「願望」あるいは「自己満足」にしか見えない。
映画はそのような少女の態度を批判的に描いているのだという解釈もあるようだが、とてもそのようには思えなかった。

あと、結末について--それを言っちゃったらここに描かれていることは何一つ信じられないじゃないの(?_?)
少なくとも、フランス人の重傷の兵士のエピソードはウソだろうし、また図書室のドアは(最初のドアじゃなくて二枚目の方)主人公がちゃんと閉めているのに、少女が見た時には開いていたのはなぜdoor
スタッフの凡ミスか?それともあのお屋敷は建て付けが悪かったのか?
もしかして、全部の話がでっちあげだったとしてもおかしくはない。

というわけで、何もかも判然としないのであった。その訳の分からなさが、謎を楽しむというより腹が立ってくる調子なんである。困ったもんだsweat01

まあ、そもそも恋愛ものが苦手なのに観た私が悪かったのだろう。(~_~;)
あ、音楽も美術も衣装も役者の演技も大変見事だったですよ。それは言っておかなくちゃ。


主観点:5点
客観点:7点

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2008年5月13日 (火)

「ビルマ、パゴダの影で」:見知らぬ世界の見知らぬ土地で

080513
監督:アイリーヌ・マーティー
スイス2004年

珍しく平日の休みが取れたので、渋谷に行ってあの『靖国』に突撃を試みるも見事「玉砕」。しかし、不屈の大和魂をもってあっさりと方向転換して、同じ渋谷でやっているこちらのドキュメンタリーを見てきた。
しかし、本当のところを言えば数日前までその存在も知らなかったのである。この紹介記事を読んで初めて見ようと思い立ったのだ(^^ゞ

形式としては極めて真っ当でストレートなドキュメンタリーである。
監督は昔旅行したビルマ(ミャンマー)が忘れられず、現状を取材するため観光映画を撮影すると偽って入国。
さらにタイとの国境周辺にある難民キャンプを幾つか訪ねたり、タイ側から潜入して紛争地域を取材したり--と地道かつ危険な取材を繰り返している。

ビルマは数多くの小数民族が存在する多民族国家であり、軍事政権は一貫して彼らを強制徴用や殺害など迫害をしているとのことである。カレン族の迫害については少し前の「デイズ・ジャパン」誌に記事が載っていたと記憶しているが、さらに他にも多くの民族がいて迫害を受けているとは知らなかった。
ある民族は土地を追い払われ、難民キャンプへと流れこみ、またある民族は自らの軍を持って政府軍と戦闘を続けている。

そのような自民族の武装組織に守られたキャンプの子どもたちにインタヴューしているが、そのまなざしは一様に暗い。「紛争の中でも子どもたちは元気だった」なんてことは全くない。みんな親など家族を殺されているのである。

将来のことを尋ねられると、女の子二人は「故郷に戻って教師になりたい」と答えた(子どもたちはキャンプ内の学校に行っている)が、二人の少年は「軍に入って政府軍と戦い復讐する」と語った。見ていて暗澹たる気分になってしまった。
だが、そもそも彼らにはロールモデルとなる大人の姿を目にすることが少ないのかも知れない。少女が「教師」、少年が「兵士」と答えたのは、その他に将来を投影する大人が身近にいないとも考えられる。--いや、きっとそうだと思いたい。

しかし、いずれにしろ彼らに「未来」はあるのだろうか……clock
取材は2004年よりさらに前である。現在ではどうなっているのか。ちょうどサイクロンの被害も(実際にどの程度なのかはまだよく分からないが)あるし。

--世界はこんな話ばかりだよなあ(+_+)

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2008年5月11日 (日)

「アイム・ノット・ゼア」:ディランの濃ゆい同人誌

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監督:トッド・ヘインズ
出演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー
米国2007年

ボブ・ディランを6人の役者で演じるという変わったスタイルの「伝記」映画。何せその6人の中には女性も黒人少年も含まれているのである。しかも役名もみんなバラバラだし、役柄も全部違う。どころか設定されている世界もそれぞれ異なる。
ディランの多彩な面をそれぞれが象徴していると考えた方がいいだろう。

しかも、その六つの世界が不規則的に混ざって入れ替わり出没する。それが面白いかというと、編集のせいかどうもテンポが悪い。タラタラして退屈しちゃう。
それから、ディランのファンにはきっとここはよく知られているエピソードなんだろうなあとか、何かのインタヴューのパロディらしい--と思える場面が多々あるのだが、門外漢の私にはよく分からなくて歯がゆい思いがした。

というわけで、2時間15分が本当に長~く感じられた。風邪をひいていて熱っぽかったのだが観ている間にどんどん熱が上がってくるようだった。ケイト・ブランシェットが中盤に出てきた時、「あー、まだリチャード・ギアもこれから出てくんだよなー」なんて思っちゃったですよ( -o-) sigh...

監督は自由と抑圧を歌うことについてこだわっているようだが、そのこだわりがなんだか空回りしてるようでもあった。

結局のところ、自分の全く知らないアニメとかマンガ作品についてのものすごーく熱心な分厚い同人誌を読まされているような印象だった。情熱や「濃さ」を感じても共感する術がない。
顧みてみれば同じ監督の『ベルベット・ゴールドマイン』も、実在のロックスターをモデルにしたヤヲイ本みたいな映画だった。この妄想にはとてもついて行けませんng

ケイト・ブランシェットはこれで多くの映画賞に助演女優賞でノミネートされたが(なぜに「助演」?じゃ「主演」は誰)、女の彼女が一般に流布しているディランのイメージに(外見的にも)一番近いのはなんだか皮肉のような気がした。それとも意図的かね?

キム・ゴードン姐御がほんのチョイ役で特出。


初心者点:3点
マニア点:10点

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2008年5月10日 (土)

来年の「熱狂の日」は熱狂できるかニャ?

ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭、来年は「バッハとヨーロッパ」がテーマだということで、最終日にどんな様子なものなのかと有楽町へ偵察に行った。映画の時間待ちでヒマだったもんでね。当然ホールには入れないから屋台やチケット売り場を観察。

で、ネット上では「ルネ・マルタンとBCJ鈴木(兄)が共に客席にいた」とか「BCJ出演確定」「長い曲も全曲演奏」という情報が流れているが、一方で《Programmes》の記事には「来年は古楽団体を極力排除した日本独自のプログラムでバッハを公演するようです」などとある。
ということは、海外からは古楽系はほとんど来ないんであろうか? そんなのイヤーンfoot

まあ、詳細発表待ちということですかねえ……。

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2008年5月 6日 (火)

「毛皮のマリー」:徹頭徹尾、醜悪

080506
寺山修司没後25年特別公演
演出:川村毅
会場:シアタートラム
2008年5月1日~4日

ウギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ(>O<)

一体なぜ私はこのように叫んでいるのであろうか?
それはこの記事の中でおいおい明らかになるであろう--。

寺山修司の芝居ってどうも見た記憶がない。過去に一度ぐらい見ているんじゃないと思うのだが、どうにも思い出せん。だからこれが初めてなのかも。
とはいえこの『毛皮のマリー』、さすがにあらすじぐらいは知っている。しかもチラシの裏側にもこう書いてあるし(^O^)

花咲ける四十歳の男娼、オカマのマリーさんは、ああなつかしきストロハイム氏よろしき下男を従え、息子と称する美少年を囲い、擬古典的に装われた贅沢な一室に住まわっている。
美少年を外の世界に誘いだそうとする美少女……

ヒロイン(?)マリー役は美輪明宏が十八番にしていて、初演の1967年から数回に渡り演じているとのこと。美輪明宏ならきっと妖艶だったろうが、川村毅の方は以前『卒塔婆小町』の老女を演じてたのを観ていたので、今回も醜悪なる中年男娼に嬉々として扮するのだろうと想像していたが、まさにその通りであったkissmark

メタボが心配になりそうなたるんだ肉体に白いドレス、顔はど派手なメイク(宇野亜喜良が担当)で厚く塗りたくり、下男にわき毛スネ毛を剃らせる姿は--奇々怪々、じゃなかった毒々俗悪--とにかく面妖なのであった。
一方、部屋の舞台装置はほとんどなくコンクリむき出しみたいで極めて殺風景だ。バスタブと寝台と古めかしい蓄音機があるくらい。

さらにマリーが一旦退場すると、バラの花くわえた全裸男がいきなりゴロンと舞台中央前面に転がり出たのにはビックリ。最前列にいた観客(私が見た回では全員女性だった)の視線が一点に集中してしまったのは致し方あるまい。

さて、マリーから「息子」と呼ばれている「美少年」に扮しているのは手塚とおる。内股にしずしずと歩き、動作や喋り方はいかにも内向的で幻想の世界に生きる少年そのもの。おまけに身体の細さは川村毅の二分の一ぐらいか(←大袈裟には言っていませんよ、多分)。
で、家に帰ってネットで色々と検索していたら、手塚とおるはなんと1962年生まれと書いてあったimpact
な、なんだって~~っ(!o!)
単純計算で46歳……川村毅とほとんど変わらないじゃん。これも別の意味で「面妖」なり~。
し、信じらんねえ(@∀@) ドスン(PCのマウスを握ったまま床にパッタリ倒れる音)

だーって、半ズボン似合い過ぎ!
白タイツはいた脚は細くてキレイだし……。
サッシュまいた腰も細過ぎよーdanger

ま。参りました_(_^_)_ ペッタリ

で、それに対し彼を誘惑する「美少女」の菅野菜保之は、どー見てもガタイのよろしいオヤヂ--じゃなかったケバいオバハン。特に横じまの靴下がキョーレツです。
元々男が演じる役だそうだが、いくらなんでもこりゃあんまりだー。むくつけき「美少女」が少年の柳腰に腕を回して押し倒す所なんぞ、いかがわしさ&オソロシさの極致。正視に耐えぬとはこのことよ。
ん?誰だ?!クスクス笑っているのは。むむむ、分かったぞ、貴様らフ女子だなー。

難は中心の二人が出てない場面になると、いささか舞台への求心力を失ってしまうこと。それと、「美女の亡霊」役のおねーさまがたにはラインダンスの場面はちゃんとヒールの高い靴を履いて欲しかったわねー。(そういう問題か)
あと、マリーが拾った水夫は本来筋肉ムキムキ男という設定だと思うのだが、なぜか歌舞伎町のホストみたいな優男なのも疑問であった。これは単に川村毅の趣味か、それともわざとか?

しかも、不可解なことにバッハの受難曲が流れる中、悲劇が完遂して終幕になろうとする時、なぜかマリーと美少年は突然に地の声で嬉しそうに「フフッ」と笑うと、活人画よろしく二人でピエタのポーズを取って見せて(「天地創造」もやったというのだが私は見逃した)、続いて出演者全員で「最後の晩餐」をやって(手塚とおるがイエスの役)本当の幕となったのであった。

はて?これはいずこの悲劇も同じような繰り返しとでも言うのだろうか(?_?) それとも全ては悪ふざけに過ぎなかったのか。

いずれにしろ美しさのかけらもないその徹底した美意識--じゃなくて「醜意識」は大したモン。あまりの毒気にやられて気がつくと知らず叫んでいたのであった。
これからは川村毅は他人の作品の演出を中心にやった方がいいんじゃないの?(ご当人はイヤだろうけど)

ところでどーでもいいことだけど、亡霊のおねーさまがたのの中で一番キレイだったのは、カーテンコールで笠木誠の隣にいた人だと思いました。でも、スネ毛は剃っといて欲しかったわねboutique(余計なお世話かしらん)


さてこの芝居、青森県立美術館での寺山修司展の関連企画として10・11日にも演じられるもよう(世田谷の楽日は彼の命日だった)。県立美術館でも全裸男がゴロンと転がるのであろうか。


【関連リンク】
《UN-Blog (仮)》
手塚とおるのファンとおぼしき方の感想。「たとえ本物の18歳に美少年でも、あれほど完璧な美少年にはならなかったでしょう」というのに、激しく同感。

《ミュージアム・アクセス・とーくる のページ》より「青森県立美術館で寺山修司 」
寺山修司展の感想です。「情報の確認をするために美術館にきてるんじゃないのに」というのは、この手の回顧展の本質的なあり方の問題を突いていると思いました。

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2008年5月 4日 (日)

「番線」:読みてし止まん

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本にまつわるエトセトラ
著者:久世番子
新書館2008年

「暴れん坊本屋さん」の作者が、様々な「本」の現場を取材したエッセイ・マンガ。
その取材範囲は友人、編集の担当者など身近なご近所さんから、国会図書館、三省堂辞書編集部まで。
そのテーマは装丁、写植、連載マンガのあおり文句など専門的なこともあれば、本の貸し借りや本棚収納、思い出の教科書など個人的なこともあり。特に外部には窺い知れない国会図書館内部潜入記は興味深くて必見さっ。

いずれの話もユーモアたっぷりで笑わせてくれる。
とりわけ身近なテーマでは、私にも身に覚えのある話が……sweat02
例えば「本棚どかしたら床がひずんでた」なんて(引っ越しの時に判明)。

080504b

それからカラー口絵の番子さんの部屋--まるで自分と同じで笑ってしまった。私も今日買ってきた本(CDも)はとりあえず、袋に入れたまま部屋の隅に転がしておき(転がしたまま存在を忘れることもdash)、本棚に入りきらない本は横積み、友人に借りた本は借りた時の袋に入れて保存。
それから雑誌を読み終えてとりあえず横に置いておこうとすると、なぜか先月号が既にそのまま置いてあったりして……全く同じじゃねえ~かっω(TOT)ω

愛本家の人は必読よんheart02

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2008年5月 3日 (土)

「フィクサー」:看板に偽りあり

080503
監督:トニー・ギルロイ
出演:ジョージ・クルーニー
米国2007年

先日のアカデミー賞で7部門ノミネート。賞レースの第一集団にいた作品である。
他の人の感想を読んでみると、けなすにしろほめるにしろ共通しているのは「こんな話だとは思わなかった」だった。
確かに、私もそう思いました。(^^)/ハイッ

題名と予告から、ジョージ・クルーニー扮する弁護士が「もみ消し屋」としてバリバリ汚い仕事をするのかと思ったら、全然そんな事はなかった。よっぽどあのアヤシイ裏稼業の男集団の方が「もみ消し屋」じゃないの。どころか主人公は逆にもみ消される方だーbomb

離婚して妻子とは別居、ギャンブル癖あり、借金を抱え込み、自らの仕事に疑念を持つ男が、同僚のストレスから自滅的な行動に出た姿を見て悶々と自問自答を始める。
その間に、あーなってこーなって大変なことに。

ただ、どうなんでしょうねえ。話はつまらなくはないんだけど、敵は外部にしかいないから、結局は他人事で本質的な葛藤には至らない。サスペンスものだったら攻撃されて必死!でオッケーになるが、そういう作りじゃないからなー。
ストーリーと表現とテーマがちぐはぐな感じがした。

結局、アカデミー賞を取れたのは助演女優賞のティルダ・スウィントンだけだった。彼女の受賞に疑問を呈している人もいるようだが、もし彼女が演じてなかったらただの「知的な悪女」(定番)になってた可能性あり。
企業の中の歯車の一つとして上司や雇い主の意を汲むことに汲々として膨大なストレスを抱えながら暴走していく人物をうまく演じていたと思う。それに私は、エキセントリックなキャラクターよりも卑小な凡人を演じる方が難しいというのが持論なのだ。

まあ、助演女優賞の他の作品をほとんど見ていないので断言は出来ないが、その資格は十分にあると言えるだろう。とにかく『アメリカン・ギャングスター』のルビー・ディーよりは出演時間が長かったのは確かよ(^O^)
それにしても、T・スウィントンを初めて見たのは今を去ること二十年以上前(?)『カラヴァッジオ』でだが、その時からあまり変わっていないのはスゴイ……お肌の張りの秘訣をぜひ( ^^)// プリーズ

その他どうでもいいこと。
*3匹の馬は、息子の読んでたファンタジー本に写真が載ってたらしい。全く気づかなかった。「なんか、つまらなそうな話。今時のお子様はこういうのが好きなのかしらん」なんて思ってたからか。
*燃えてる車に時計や財布投げ込んでもあまり意味がないと思うが(?_?) 代わりの死体でも放り込めば別だけど。
*予告でやってたけど宮崎アニメの『崖の上のポニョ』って、なんかヤバくないか? またぞろ2ちゃんあたりでアンチスレが燃え上がりそうthunder


主観点:6点
客観点:6点

【関連リンク】
《我想一個人映画美的女人blog》
写真多数あり。本国版のポスター?はバーバラ・クルーガー風でいいですな。

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2008年4月30日 (水)

「老バッハとサン・スーシ宮殿の音楽」:萌える「老有田」先生

080430
演奏:有田正広&有田千代子
会場:松明堂音楽ホール
2008年4月26日

会場へ入ると何やら薄暗い。開演直前になると、暖房は切られ(4月なのに雨で寒い日だった)照明は小さな電気スタンドと楽屋入口?の電灯と併用の○ー○クぐらいとなった。もうプログラムの字も見えない。下手すると舞台上に誰が立っているのか分からないぐらい(←大袈裟に書いてみました(^^;)。
なんでも当時の貴重なフルートを使用するので保護のために照明を使わないのだという(温度が調整できないらしい)。

その瞬間、私の頭の中にはまた脳内妄想がムクムクと……。
長いこと保管箱のフカフカの布団の上に鎮座していたトラヴェルソ様--は長いのでこれからは「トラ様」とお呼びすることにしよう--がいきなりまぶしいスポットライトの下に引き出されて「キャーッ!私の繊細なお肌が(>O<)」見る見るうちにピキーッと表面にスジスジが入っていくのであった。
なんてことはないですけどね、ハイ∈^_^∋

プログラムはフリードリヒ大王と、彼の作りたてホカホカ(当時)のサン・スーシ宮殿を訪ねたバッハを中心にしたものである。使用のトラ様は大王の師匠クヴァンツ作成のものだという。
解説に「当演奏会では(クヴァンツの)ポートレイト画で描かれている楽器を使用」と書いてあるのだが、これは同じ型というのではなくて、まさにその時クヴァンツが使っていた楽器、ということだろうか?

前半一曲めはバッハの弟子キルンベルガー、次は息子エマーヌエル・バッハのフルート・ソナタ。ここで早くも有田氏のトークは熱が入り始め、サン・スーシ宮殿を訪ねた時の話をしてくれた。実はこじんまりした宮殿で音楽の広間も松明堂と同じくらいの面積だとのこと。(最初「五十畳」と聞こえたけど「十畳ぐらいの広さ」でいいんですよね?)
次の老バッハの『良く調整されたクラヴィア曲集』(千代子夫人独奏)についても、一般に「平均率」と訳されているが、原タイトルには「平均」という言葉は使われていない、などと音階についてまでちょこっと解説してくれた。

その後は大王の宮廷で優秀な奏者として知られたベンダ、そしてクヴァンツのフルート・ソナタも演奏。
なんでも、当時の宮廷ではクヴァンツとフリードリヒ大王が一番エラくて音楽については誰も逆らえなかったとか、でも宮廷楽団にはロクな奏者が少ないとこき下ろされてたとか、エマーヌエル・バッハはクヴァンツの十分の一の俸給しかもらってなかったとか、色々と「宮廷噂の真相」話が炸裂。
さらに、有田先生はクヴァンツもフリードリヒ大王も作曲したものに大した作品がなくて探すのが大変だったというとどめのお言葉--キビシイですなあ(^=^;

最後の二曲は大バッハ作品。大王がテーマを与えて即興演奏したという逸話が有名なリチェルカーレをチェンバロ独奏した(実際はフォルテ・ピアノだったらしいが)。
薄暗い中で光を放つ○ー○ク、望月通陽の絵が一面に描かれたチェンバロの、澄んで透徹した音。それが残響の少ないホールにダイレクトに響き、この曲のミステリアスな雰囲気を伝える。そして、鍵盤自体が発するゴソッゴソッという音--それさえも全てが美しく、魂がフラーッと吸い寄せられる心持ちであった。
まさに気分はフリードリヒ大王! ウット~リheart04となってしまったよ。

ラストはトラ様は降板、別の楽器を使用して大バッハが新しい様式で書いたというフルート・ソナタだった。
アンコールは、タンギングが下手だった大王が自戒をこめて?作曲したタンギングが頻出する曲、そして大バッハの署名があるが実はエマーヌエルの作品らしいソナタで締めとなった。

有田氏は色々と大王をくさしていたが、実は同じフルート狂として結構「フリードリヒ萌え~」のもよう。
フリードリヒ話は止まる所を知らず、クヴァンツが亡くなった時、大王は手を取ったまま号泣しそのまま一日離れなかったそうな。また、歯が悪くなって大好きだったフルートが吹けなくなってしまった時の逸話に至ってはチト泣けましたです。

今まで、大王といやあ「バッハに『音楽の捧げもの』を献呈されておきながら、開きもしないで棚に突っ込んでおいたヤツ(怒)」という認識しかなかったのであるが、かなり興味深い人物だと考えを改めた。そういう意味ではルイ14世と張り合うぐらいかも知れない。大王さま、すいませんねっm(_ _)m
家へ帰ってネットで調べてみるとなんか複雑で波乱万丈な人なのだ~--ということで、図書館で伝記を借りることにした。
ということで、様々な意味で充実した大満足なコンサートであった。

ところで、有田氏は気づけば自分は当時の老バッハと同じくらいの年齢で「老有田」と呼ばれてもいいくらい、と冗談を言っていたが、その話で突然気づいたのは、私もあと十年も経てば父親が死んだ年齢になってしまうということだった(\_\;
あと十年で、横に積んだままになっている本を読み終え、たまりまくっているCDを全て聴くことができるだろうかと考え(←考えることはそれかい!)、なんだか焦ってしまった。こりゃー、もうマジメに働いてなんかいられねーぜっpunch


帰りがけに、松明堂の向かい側に新しく出来たらしいパン屋でパンを買ってみた。おいしかった \(^o^)/ 次に来た時も買おうっと。

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2008年4月29日 (火)

本日の衝撃:エスプレッソ編

映画の時間待ちで銀座をフラフラしていたら、少し喉が渇いてしまった。あまり時間が残っていなかったのと、大量には飲みたくなかったので、某有名コーヒーチェーン・○タバでエスプレッソを頼もうと入った。
だが、メニューをどう眺めてみてもエスプレッソはない。おかしいなー、前に同じチェーンで飲んだことあるのに(?_?) そもそもコーヒー専門店にエスプレッソないっておかしくないか?と疑問に思い、店員の女の子に聞いてみると……。

「エスプレッソ? コーヒーですか?」
という返事であった。

えっ(!o!)ガーン

ムムム(~_~;)マ、マサカ

なんてこったい!ヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝアーコリャコリャ

さて、ここで問題です(^^)b 果たして○タバではエスプレッソを飲むことができるでしょうか?
正解者はもれなく ネ申 と認定いたします。どしどしご応募くだせえ。

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2008年4月27日 (日)

「ブラックサイト」:気になるのは人間よりも猫だ

080426
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:ダイアン・レイン
米国2008年

ダイアン・レインがサイバー犯罪班のFBIの捜査官に扮したサスペンスものである。
ヒロインの設定は夫に先立たれ、母親と小学生の娘と同居、娘のために夜勤を志願している。
で、途中で渋い中年の刑事(しかも独身ぽい)が登場するあたりで、これはP・コーンウェルの『検屍官』シリーズあたりのファンを想定して作っているんかなあ、と想像してしまった。

ネットの動画サイトを立ち上げ、誘拐した人を残酷な方法で公開拷問。しかもサイトへのアクセス数によってゆっくりと殺して行くという連続犯罪が勃発bomb
ここら辺の残酷描写は『ソウ』を意識しているもよう。
早速、ヒロインが解明に取り組むが、なんと犯人は早々に顔を出してしまうという展開だ。そうすると、犯人探しの謎解きはなくなって、動機と被害者たちの関連性しか物語を引っ張る要素がなくなっちゃうのであるよ。
また、犯人が家を盗撮する場面はハネケの『隠された記憶』っぽい。

彼女に対立する上司とか同僚とかは全くなし、強大な対立者が犯人しかいないというのも今イチ物足りん。
それにFBI内部の捜査の描写もかなりいい加減。だーって、会議室の巨大モニター見てワイワイやってるだけなんだもん。

あと、テンポがのろくてマタ~リしているのも欠点。『バンテージ・ポイント』並にチャカチャカ進んじゃう必要はないが、見ながら「このぐらいの話だと『クリミナル・マインド』(TVドラマ)なら一話45分で納めちゃうだろうなあ」なんて思ったのは事実である。
まあ、見ている間はそれなりに楽しめるというのと、ヒロインのD・レインが中年女の頑張りぶりを示す、というぐらいが取り柄だろうか。

動画サイトにつけられる一般ピープルのコメントが読めなかったのが残念であった。簡単な英語だけど早いからとても読めないのだ。まさに「便所の落書き」並みのことが羅列されていそう。
そうなると、劇場で見るよりDVDが出るまで待って、そこを一時停止にして解読しながら見た方がよかったかも知れない。(^^;)

あと気になったのはヒロインが飼ってた猫catがどーなったか。あのまま車に置き去り……ならまだしも、もしかして(>y<;)イヤーン

それから、インターネットでアクセス数によって公開殺人するというのは、実は既に十年も前にTVドラマの『ミレニアム』がやっている。確か第2シーズンの『ミカド』がそれだったはず。
ネット上に下着姿で椅子に縛られた女性の画像が公開されていて、口コミで「なんだなんだ」と伝わってどんどんアクセス数が増えていく。そしてカウンターがある数に達した途端、衆人環視の中で殺人が!(>O<)ギャ~~ッ--という次第。
あのエピソードは傑作でした。思えば、当時は私なんかまだパソ通をやっていた頃。時代の先を行き過ぎてたか。
今度FOXクライムで『ミレニアム』が放送開始のようなので、再見してみることにしよう。


主観点:5点
客観点:5点

なお2chの関連スレに、サイトのコメントが2ch風だったら--というのが出ていたんでコピペしておこう。爆笑です。
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硫酸捜査官
1 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:43:31.21 ID:C0lonNeLo
うはwwwwwwwヒドスwwwwww

2 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:44:37.52 ID:YA/MaTaKe
硫酸←これなんて読むんですか?

3 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:44:53.49 ID:RYoHEyhey
黙れゆとり

ダイアンの家盗撮シーン
1 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:43:31.21 ID:C0lonNeLo
なんぞこれ??

2 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:44:37.52 ID:YA/MaTaKe
幼女キタ━━━━('∀')━━━━!!

3 名無シネマ@上映中: 2018/04/10(木) 12:44:53.49 ID:RYoHEyhey
幼女はマズいだろJK・・・

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「ホビット」遂にキターッ

《allcinema》のニュースより、「『ホビットの冒険』映画化、ギレルモ・デル・トロ監督が正式決定」とのこと。

いや~、メデタイ \(^o^)/。
できれば脚本担当もデル・トロ監督でお願いします。いやもうホントに頼んますよ。pen

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2008年4月26日 (土)

生演奏と録音の間には

《♯Credo》にて「レッドプリーストの「四季」」を興味深く読ませていただいた。

彼らの公演に計3回行った人間としては(^^;--感想はこちらこちら--やはり何か言わなくちゃね。

実は私は彼らのディスクを持っていないし、今後も買うつもりはない。もし、また来日した時に新しいプログラムを持ってきたらきっとコンサートに行くだろうけど。
そして、例えディスクを買ったとしても一、二回聴いたたけで後はもう手に取ることもしない可能性は高い。
正直、音だけだと彼らのアレンジは聴くに耐えないものになってしまうような気がする。大仰でわざとらしさ満載だし。

しかしその原因はというと、やはりレッド・プリーストの演奏は極めてパフォーマンス性の強いものだから、としか思えない。
見ると聞くとでは大違い--というほどではないが、かなりの差はあっただろう。演奏会場でバカ売れだったCDは単に公演鑑賞記念のおみやげ以上の役割はなかったのではないかと思えるほど。
しかし、それは仕方ないことだ。彼ら自身も自称しているように、その公演は非常に大道芸人的なパフォーマンスが中心で音だけ聴いたんじゃ片手落ち、魅力は半減である。

だが、これは彼らがイロモノだとか言ってるわけではない。「正統的な」演奏のグループにおいても、コンサートで素晴らしい演奏を聴かせてくれたんで感動して録音を買ってみても、全く同じ曲を同じようにやっているにもかかわらず、詰まらない演奏でガッカリすることが度々あった。(あんまりそのパターンが多いんで、最近はライヴでよくてもうかつにCD買わないように注意している)
一体何が悪いのか。演奏者自身か、レコード・プロデューサーか、録音技術か?

私は所詮、録音は生気が抜けた残滓のようなもの、あるいは抜け殻のようなものだと考えるようにしている。味気のない干物のようにいくら噛んでも何も出て来ないこともあるだろう。それでもガマンするしかないのだ。
例えば、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルなんか録音でも大したもんではあるが、実際にライヴで聴いてみるとその迫力の一割ぐらいしか伝えていないことが分かる。(もっとも彼らこそ元祖イロモノだと見なす人もいますが^^;)

恐らくは、録音の過程で何かが抜け落ちてしまうのだ。それは生身の発するエナジーのようなものかも知れない。
よく芝居を生で見始めると病みつきになってしまう事があるが(知人は週に三回観てたことがある。私は週一回ぐらい)、生のステージ全体、あるいは役者の身体から発する何ものかに引きつけられてしまうからだろう。
音楽の場合にもそれはある。それもまた演奏者や役者の一つの才能なのだ。そして録音や録画はそれを記録することができない。

ただしクラシック界のことはあまり詳しくないので分からないが、ロックやポップスのジャンルではもちろん録音を前提とした音楽はある。
ライヴを最初から想定していない、純粋な録音の中だけで構築された音楽はあるし、あるいはライヴとCDは別物と割り切っているミュージシャンもいる。さらにはライヴとは録音を一音とて例外なく再現するものだとみなすバンドもいれば、録音と実際の演奏の落差があまりに激し過ぎてビール瓶を投げられる奴らもいる。

まあ、これは私の勝手な思い込みかも知れないが(^^ゞ

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2008年4月20日 (日)

本日の収穫:スズキコージ編

新宿のジュンク堂にスズキコージ60歳記念shineコーナーが作られていて、つい買ってしまった。

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←「ブラックカードホワイトカード」(架空社)
定型外のポストカード集。変な絵がいっぱいだー。ただ、もうカードって滅多に送る機会なくなってしまったなあ。

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→「スズキコージズキンの大魔法画集」(平凡社)
これまでの絵本以外の作品を集めたもの、かな?

さらにタワレコにも寄ったが、こちらは収穫全くなし(T_T)


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「6台のガンバとオルガンによるコンソート三昧」:調弦時間も6倍か

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演奏:ザ・ロイヤル・コンソート
会場:日本福音ルーテル教会
2008年4月18日

一年ぶりのロイヤル・コンソート、今回はガンバ6台とオルガン1台(今井奈緒子)というメンツだ。

プログラムは英国特有の「コンソート・セット」という「ファンタジアといくつかの舞曲を組み合わせて作曲したもの」を紹介。
一番古いのはタヴァナーからギボンズ、ローズ、マシュー・ロック、パーセルまで、時代順というわけでなく、色々と取り混ぜて演奏した。ただし、前半・後半共にオルガン・ソロで開始という趣向であった。

個人的にはやはりパーセルが良かったかなー。
以前、バロック・チェロを弾いていたのを聴いたことのある武澤秀平は高音のトレブル・ガンバを担当だったが、ロウズの2台のバスガンバとオルガンによる曲の時は、福沢宏と並んでバスを弾いた。近くにいた若い娘さんたち(彼のファンか?)はウットリして聴いていたようである。
いやー、日本でもイケメンかつ才能ある若手演奏家がどんどん登場してきて、オバハンも嬉しいぞっと(^Q^)ヘヘヘ

ただ、雨で薄ら寒い日だったので、調弦は大変だったもよう。なかなか調弦が終わらないんで、その間ついウトウトしてしまって、ハッと気づいたらまだ続けてやっていたとゆう……(^^; 別に大袈裟に言っているわけではありませぬ。

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