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2005年2月

2005年2月26日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第67回定期演奏会

内容:J・S・バッハ/ライプツィヒ時代1725年のカンタータ1
会場:東京オペラシティコンサートホール
2005年2月24日

BCJはずっと何年も聴いている。ここ数年はあまりいい席が手に入らなくなってしまったので定期会員になって一年分まとめて買っている。
今回はテノールがドイツ人の新顔の人。歌いぶりはこれまで出たソリスト達より若干ドラマチックな感じだった。
最初の曲からパンフにアルトのレチタティーヴォと書いてあるのに、バスのペーター・コーイが歌い始めたんでビックリした。てっきりパンフの誤植かと思ったが、なんとカウンターテナーのロビン・ブレイズがインフルエンザにやられてしまい、その負担を減らすためだという。従ってその後のレチタティーヴォは全てコーイ氏が歌ったが、バスが代わりに歌うというのはよくあることなのか? 同じカウンターテナーの上杉さんじゃダメなのか、などと考えたが、色々事情があるんだろう。いずれにしても、ロビン・ブレイズ目当てのファンはややガックリかも。

カンタータの歌詞の内容は死についてのものが多くて聞いてるうちに段々ウツになって来てしまった。このキリスト教徒の「死に憧れる」という感覚はどうにも理解しがたいところがある。
出来は後半のBWV125、111がよかった。特に125--インフルエンザでもアルトのアリアが圧倒的に感動的であった。

これで今年度の定期演奏会は終了。来年度分は早めに申し込んだので、もっといい席が取れたようだ。

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2005年2月25日 (金)

「スーパーサイズ・ミー」

監督・被験者(←とチラシにある):モーガン・スパーロック
米国2004年

予想よりも意外とまともなドキュメンタリーであった。(と、他の人の感想を見てもこう書いている人が多い) マイケル・ムーアのTVドキュメンタリーのような大笑いできるものを期待すると肩透かしを食うだろう。そうなのだ、こいつはマクドナルドを訴訟した二人の少女に便乗したおふざけではなくて、真面目に食生活について考えるドキュメンタリーなんである。むしろ、入門編としてよくここまで分かりやすく面白くできたとほめなければならないだろう。

中で紹介されている学校の食堂の実態には驚かされるが、『ファストフードが世界を食いつくす』(エリック・シュローサー/草思社)という本にはもっとスゴイことがでてくる。公立学校の学区が予算を削減されたために仕方なくファストフード企業と契約して資金援助を受ける。校舎の廊下やスクールバスや学校新聞に広告を出し、スポーツの試合中に拡声器で宣伝を流し、その切符にも広告を刷る。企業提供の安い教材を使い、重役が経済学の講義を行ない、企業ロゴの人文字コンテストを開催する。学区内の年間売り上げのノルマがあり、それを達成しないとカネを減らされてしまうのである!
さらに別の章では、ハンバーガーを「おいしい」と感じること自体、もはや虚構であることが暴露されている。いやはや、恐ろしい……。

もっとも日本でも程度の差はあれ似たような事はあった。とある県立高校で生徒が出す缶、ビンのゴミを地元の自治体が回収してくれないので、仕方なくゴミを引き取ってくれる某社の飲料水の自販機を校内に設置したのだ。家庭科の授業では名指しで「健康に悪いので飲んではいけません」と某社の製品について言ってるのにさ。
あと、他の人の感想では「どうせ日本では関係ない」というのが多かったが、そんなことはないだろう。ペットボトルや缶入り飲料なんて砂糖の塊としか思えないほど甘いのが多い。最近ではコンビニ食が問題になっているようだ。
--と色々考えさせるだけでもこの映画の効果はあったということか。

それにしてもスパーロック氏、実験開始前はかなりの健康体ですねえ。私なんかコレステロール値が……(トホホ)

主観点:7点
客観点:8点

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2005年2月23日 (水)

痕跡(東京国立近代美術館)

サブタイトル:戦後美術における身体と思考
期間:1月12日~2月27日

これは面白い。見て損無し!保証つき!バンバン(←太鼓判を押す音) 
内容は一言で紹介するのは難しい。何事かをやった、あるいはやり続けた--という行為そのものが(物体としての作品ではなく)アートである、というような「作品」を集めた展覧会である。従って、作られたという記録はあっても作品そのものは残っていないものも多い。
行為としては瞬発性のものと反復性のものとに分かれるが、前者はハプニングやアクション・ペインティング、自動書記であり、後者は偏執的・粘着的なミニマリズムの極みみたいな感じになる。

前者で面白かったのはガラスを重ねて衝撃を与えてヒビを入れた作品。美しくて、しかも暴力的な痕跡がクッキリハッキリ示されている(しかも美しい)。絵の具瓶をカンバスに投げつけたりしたのは個人的にはあまりそそられなかった。後者は地図の上にトレーシングペーパーを重ねて5回コピーしたヤツが面白かった。それと、頭髪を「半刈り」にした男の記録--これはすごい。そのまま普段は会社員として生活していたというのだから、まさしく「生活はアートだ」を実践している!
それ以外では脚立の「影」を作品としたのもよかった。
日本の「具体美術協会」がかなりのパワーを有していたらしいのはここで見ていても実感できた。芦屋市のコレクションはどうなってしまうんだろか、思わず心配。

よくコンセプチュアル・アートなどで作品に全く説明がないと訳ワカラン状態になってしまう事が多いが、今回は全て詳しい説明が付いていてよく分かった。--が、詳し過ぎて難し過ぎて読むのに時間がかかってしまうのが難。あと「フォンタナよりも強度がある」と書いてあるが、強度がどちらの作品にあるかを決めるのは客の方だと思うのだが? それから河原温が出品拒否したのは(と書いてあったと思う)何故だ。

ともあれ、説明書きのせいもあって見るのに結構時間がかかって最後は駆け足になってしまった。二時間ぐらいかけてじっくりと見てみたかったところだ。

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2005年2月19日 (土)

「One Fine Day」(大貫妙子)

発売:東芝EMI 2005年

ター坊、キタ~~~ッ! という感じですか。
前作の「note」と大体同じ路線で、ウェスト・コースト風のサウンドが中心。全体的になごみ系である。小さな歌詞のブックレットにご本人による各曲の短いコメントあり。
「男性にだって乙女心はあります。ですよね?」という一文には思わず笑ってしまった。こういうところ、いかにも「らしい」です。

まだ聞き始めたばかりなのではっきりしたことは言えないが、前作より気に入りそうな予感だ。
ただ、私は「ensemble」のようなヒリヒリした感じも好きなので、微妙な心境ではある。
が、昨年末のコンサートは行かなかったのだが、次回は必ず行くことにしようと固く決意したのであった。

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2005年2月18日 (金)

本を捨てるということ

昨日(2月17日)の朝日新聞の投書欄に「本を捨てることができない」という趣旨の投書があった。新聞と一緒に廃品回収(?)に出された本を見て「せめてこれらの本が図書館や古本屋に流れてくれたらと願う」とある。
年齢が55歳というところから見ても、やはり本がもったいなくて捨てられない世代なのだろう。今時の若いモンが本をブックオフに売るのは全く違う理由だろうから。
本を消費財として考えてみれば、電気製品や家具に比べて寿命が長い。40年前の文庫本だって紙が黄色くなっているのを我慢すれば今でも立派に使用OKなのである。パソコンなんか5年ぐらいでオシャカですよ、あなた。

従って、それをまた誰かが再利用してくれるだろうと期待して、古本屋に持っていくのは当然の流れであるように思える。投書した人もそういう気持ちで書いたのだろう。
だがしかし--当の著者である作家側が「読み終わって売るぐらいだったら捨てて欲しい」などと語っていると知ったら、この人はどう思うだろうか?ムムム……

もっとも私は本を燃えるゴミとして捨ててしまう人間である。少し前に引っ越しした時はマンガも活字本も三分の二ぐらいゴミとして捨ててしまった。近くにブックオフの類いもないし、車も持っていないので大量に運ぶことはできない。それでバサバサ捨ててしまったのだが、後で森川久美や千之ナイフのマンガ(勢いで捨ててしまったのよ(^^;)はもはや入手不可ということで、複数の知人から「もったいな~い」と言われてしまった。
しかし、取っておいても読み返すことがないのなら、場所を塞いでいるだけなのだが……やはり複雑な気分になった。

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2005年2月17日 (木)

パソコン通信終了

ついに、ニフティのパソコン通信の終了が正式に発表された。ネットで色々と見てみると、フォーラムなんか完全に「過去の思い出」となっているような雰囲気が濃厚で、私のように今までアクティヴに書いていた人間がいるなどとは信じられないだろう。
フォーラム終了で行き場をなくす人間もいるんだよねえ……。
まあ、今となっては仕方がないことである。

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スコラ・カントールム第14回定期演奏会

内容:J.S.バッハに至る道
場所:武蔵野市民文化会館小ホール
月日:2月12日

下北沢で「クリオネ」の昼の回を見終わって、電車に飛び乗り三鷹までたどり着く。途中の京王線内でガングロねーちゃんを久し振りに見かける。こちらの地域ではまだアクティヴなのだろうか。

武蔵野市民会館は今を去ること十ウン年前、ヒリアード・アンサンブルの公演で一度来たきりのような気がする。(よく覚えていない) 外は寒かったのに中はホカホカと暖かくてたちまちに眠気が襲って来そうな感じだ。おまけに空腹だし。

スコラ・カントールムは「小人数の精緻なヴォーカル・アンサンブル」として活動のグループとのこと。演奏を聴くのは今回初めてである。客演のヴァイオリンの桐山建志やオルガンの今井奈緒子の名にひかれた部分も大きい。日頃、ホントに小人数の合唱ばかり見ているせいか総勢30人というのは舞台上でかなり大勢なように感じられた。指揮者も含めてかなり皆さん年齢が若いようである。楽器の方は7人で必要最小限な人数だろう。

プログラムは三部構成で最初がJ・S・バッハの初期のカンタータ、次がバッハ一族--と言ってもヨハン・セバスティアンの息子などではなくて、先祖の方のバッハのモテットを数曲、後半はブクステフーデ(バッハの師匠格)のオルガン曲とカンタータ、であった。
はっきり言って地味……というか、激シブイ~という印象だ。
最初のカンタータは極めてシンプルな印象。先祖バッハの前半の2曲はシュッツ(初期バロック)のモテットを思い起こさせた。後半のブクステフーデは--ここに至って集中力が途切れてボーッとなってしまった。いや、もちろん寝てはおらんぞー。ただ疲れていただけさっ。

ともあれ、この手のプログラムはなかなかやってくれないのでその点、聞けたのは貴重だった。今後も活躍に期待したいと思う。

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2005年2月16日 (水)

「クリオネ」(ティーファクトリー)

作・演出:川村毅
場所:ザ・スズナリ
期間:2月3日~13日

川村毅の芝居を観るのは久し振り。かつては第三エロチカのファンだったのだが、最近はとんとご無沙汰である。
前半は、暴力的な作品がウリの映画監督について、相棒であるシナリオライターが語る--という形で、監督自体は「不在」(もちろん舞台に登場はするが)なのが面白かった。
しかし後半、複数の人物の視点から物語が語られ出すと急に失速しだして、面白くなくなってしまった。ラストに至っては……。

一応、明るい終わり方なのだが、これを歓迎するか、それとも取って付けたようで詰まらんと思うかは、人それぞれだろう。ちなみに私は後者であった。
作中、しきりに時代性・世代について語られるが、団塊世代と団塊ジュニア世代にはさまれたいわゆる「はざまの世代」に、語るべき同時代性なぞあるのかどうか、非常にギモ~~ンである。

手塚とおるは、変な男を実に怪演!素晴らしい。ルー大柴は--声がデカかった。マネージャー役の笠木誠は往年の野坂昭如を意識しているのか? 女の描き方はホントに相変わらずで、月日が経っても変わらんものは変わらんのだなあと思った。

なお、途中で携帯電話が二度、鳴って興醒めもいいとこ。開始直前にちゃんとアナウンスがあったのに何故に鳴らす。

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今日から開始

これより始めたいと思います。

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