当事者であるかどうか
3月10日に教育テレビで再放送された福祉の時間の「フェミニズムから“当事者主催”へ」を見て、「当事者」っちゅうのはこういうもんなのかい、と漠然とながら納得した。ネット上を見れば既に当事者・非当事者というのは色々議論になっているもよう。(今ごろ気付くとは遅れておりますです、ハイ)
で、その中でのざわさんという方のこのような意見を読んで考えさせられた。
「男にフェミニズムについて言われたくない」というのは、過去の例を見ると「男が裁く“アグネス問題”」みたいな上から見下ろして物申す、みたいなパターンが多かったからではないかと思う。
確か斎藤美奈子の感想だったと記憶しているが、『もののけ姫』を観た時に主人公が対立する女二人の争いの間に割って入る場面に猛烈にムカーッと来た、というのも同じような観点からだろう。(私は見た時点では何も感じず、後から「そう言えばそうだなー」と思ったのであった)
一方、当然のことながら当事者ではないからこそ見えるものや言える意見もあるわけで、非当事者だからどうこうというのではなくて、結局のところは発言する側がどういうスタンスなのかということに尽きるのではないか。
--なので
「…と言う訳で、最近ここらへんの学問から離れがちなのざわでした。」
などとおっしゃらずに続けて頂きたい、と思う。
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