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2005年3月19日 (土)

「マルセル・デュシャンと20世紀美術」

会場:横浜美術館
2005年1月5日-3月21日

横浜美術館まで往復3時間。なかなか行く決心がつかず、会期ぎりぎりになってしまった。
とはいえ、デュシャンですよ、あなた。「泉」ですよ、「大ガラス」ですよ。美術史上では「モナリザ」に匹敵する事件じゃありませんか。今見ずしてなんとする--ということで、ヨイショと決意して出かける。

前にみなとみらい地区に行ったのはまだJRの駅しか無かった頃だったが、今度は真新しい地下鉄(?)の駅から行くと、周囲は雑草の生えた空地に風が吹きすさぶ……周囲の高層ビルと妙なコントラストで荒涼とした雰囲気に驚く。

会場に入るとすぐの所に「泉」が置いてあった。おお(!o!)と思って近づいてシゲシゲ見たが、要するに真白い小ギレイな便器であった--って、当たり前か。美術書や画集では「泉」はただならぬオーラを放っているように感じられるのだが、実物を見るとあっさりと肩すかしな感じ。やはり実物を見てみないと分からんもんである。普通の名作だと実物の方が当然オーラを持っているのだが、これでは全く逆である。さすが、デュシャンだ~っ!と変な意味で感心。

「大ガラス」は思ったよりスッキリな感じ。当然ながらデカイ。デカ過ぎて透明なんで(反対側に展示してある作品や人が見える)なんだか全体的な印象が捕らえ所もなく、見ていると拡散していってしまう。よって観客は周囲のそれに関連した小作品の方を見入ってしまうのかも。大体、デュシャン自身による解説も分かったような分からんような……そういう断片的な解説が余計に好奇心をあおっているのか。

「L.H.O.O.Q.」のモナリザのヒゲは年月のため?薄くなっていてなんだかハッキリ分からなかった。
「階段を降りる裸体no.2」--あまりに後世の作品に引用されているので、却ってこれが元ネタかという感動が薄い。

大トリは「与えられたとせよ」で思わずコーフンして行列する。
が!なんとこれは映像による再現作品だった。壁に木の扉がプロジェクターで投影されていて、そこに実際に開いている穴を覗くとやはり映像で灯火を持って横たわっている女が再現されている。(作品集などで見るのより若干暗めか?) ここはやはり木の扉をはじめ全て再現して欲しかった。そして覗き穴をいかがわしい気分で覗いて(^Q^)ハァハァしたかったのである。残念無念!

後の影響を受けた作品、明らかに引用している作品なども並べて展示されているが、なんだかオリジナルと漫才してボケとツッコミをやっているような作品が多い。デュシャンを見るとツッコミたくなるのであろうか。それとも、引用というもの自体が「ツッコミ」なのであろうか。
そして、つくづくみんなデュシャンが好きなんだなあ、とヒシと感じたのである。直接描かれたものよりも描かれなかったものの方が多いように思える作品ばかりだからだろうか。
遠方まで行った結果は、満足して帰る、であった。

ついでに、美術館のアートショップが夕方5時30分で終わってしまうのはあんまりだー。入場は5時30分でも、一応6時まで客はいるんだからさ。閉店になってしまってろくに見る暇が無かった。

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