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2005年4月

2005年4月30日 (土)

アヤシイ新型車両

JR福知山線の脱線事故で巷は大騒ぎだが、事故原因の一つとして新型車両のせいではないかと取りざたされている。
私の使っている路線でも4月からピカピカの新型車両が導入された。--いや、導入されていたというべきであろうか。スチール性の車体でドアの上には停車駅を知らせるモニターが付いてたりしたいかにも新品な電車であった。だが、学校の新学期が始まる始業式の日の朝、学生がドッと増えた時突然駅で止まったまま動かなくなってしまったのである。原因はドアの動作不良ということで、上手く閉まらなくなってしまったらしい。結局、乗客は隣の駅で降ろされてしまった。
その日以来、その新型の車両を見かけていない。たまたま私が乗っている時間帯に走らなくなってしまっただけかも知れないが……。
恐るべし!新型車両、である。ボロボロの古い車両を選んで乗った方がいいのかも知れん。

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2005年4月25日 (月)

「ウェルカム・ホーム」(トード・ザ・ウェット・スプロケット)

Toad The Wet Sprocket/Welcome Home:Live At The Arlington Theatre
ソニー 2005年

なぜか昔懐かし(というほど古くはないが)のバンドのライヴのシリーズが廉価版で出されていて、その中の一枚。
トード・ザ・ウェット・スプロケットは大好きなバンドだった。REMの成功に伴って、フォロワーのカレッジ・バンドが当時雨後のタケノコやカビのようにたくさん出て来たが、彼らはその中の一つのような感じだった。REMの初期のサウンドに似ていて、なんとなく青臭い所があるのも共通していた。
だが、REMがレコード会社を移籍して音が何となく変化してからは、CDは出る度に買うものの熱心に聞かなくなってしまったのに対して、TTWSは独自のサウンドを獲得して強靭な表現を手にして行ったと思う。彼らのCDはほとんど入手して繰り返しよく聴いていた。--というか、今も職場のPCにかけたりして聴いているのであった。

これは1992年に出身地に帰っての凱旋コンサートのライヴ盤らしい。最初は静かだが後半段々と客席が(バンドも)盛り上がって行くのがよくわかる。スタジオ盤のような繊細な味わいは無いが、代わりに荒っぽい勢いが感じられる。
私は全て輸入盤でアルバムを入手していたので、歌詞の内容は正直よく知らなかったのだが、対訳付きで見てみると、暗くて内省的だったり陰鬱だったりするのが多くて改めて驚く。でも、当時はこういうのが多かった(ような気がする)。

当時、カレッジ・チャートを賑わしたようなあのバンドこのバンドもみんな解散してしまって、結局今はREMとU2ぐらいしか残っていないようだ。
寂しいのう( -o-) sigh...(思わず懐古モード)

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2005年4月21日 (木)

「「電車男」は誰なのか」(鈴木淳史)

副書名:“ネタ化”するコミュニケーション
中央公論新社2005年

題名だけ見ると話題の「電車男」についての謎本のような内容かと思うが、実際に読んでみると、むしろ2ちゃんねるについての考察に多くページが割かれている。
コミュニケーション・ツールとしての2ちゃんねるについての様々な指摘についてはフムフムと納得する部分も多かった(納得できない所もあるが)。板内のやり取りの中で、取り上げられる内容よりもコミュニケーションする事自体が重要という点では、まさに「メディアはメッセージである」を実現したものといえるだろう。2chはメディアの最先端の存在なのであろうか。

この本の結論は、電車男が誰かとか本当に実在するのかなどと考えるよりも、ネタはネタとして楽しもうよ、となっている。
つまり「ネタにマジレス、カコワルイ」ということであろう。
しかし、ネタであろうとあるまいと、詮索したくなるのは人の世の常ではないだろうか。……などととマタ~リと考えてみました。

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2005年4月17日 (日)

ようやく見たCSIとFBI

ビデオに撮ったまますぐに見られなかった「CSI:4 科学捜査班」と「FBI・失踪者を追え!」をようやく見た。

「CSI」はマイアミ組と交互に放映のもよう。ベガス組を久し振りに見られて嬉し涙がチョチョぎれる。
しかし、主任はますます太って来たような……? ヒゲも顔の回りに生やしているので、前シーズンの白熊のイメージから、巨大灰色熊みたいになってしまった。一方、キャサリンはますます派手に。

結末が「続く」になっていたので「ええーっ(!o!)」と驚いた。カップルによる快楽殺人事件から、次回は全く別方向に進んでしまいそうな予感。さすが、ブラッカイマー印のド派手な展開の初回という所だろうか。ともあれ、これからも楽しみだ~!

ところで、現在撮りためっぱなしになっている「ホミサイド」を細々と見ているのだが、たまたま昨日見た回がやはり夫婦二人による快楽(?)殺人の話だった。(もっとも「ホミサイド」の方が当然、陰鬱なトーンだが) たまたま同じ実話の事件を基にした偶然なのかも知れないが、やっぱり後世の刑事ドラマに大きな影響を与えているようだと感じた。

さて、その「ホミサイド」のベイリス刑事(の中の人)が失踪者の夫役でゲスト出演していた「FBI」(←このタイトルってCSIを意識してるのか?) だが、三回めともなると小山力也の関西弁にも慣れ、だいぶ面白くなって来た。次回にも期待。
しかし、ボスのいきなりの家庭崩壊の告白には驚き。というか、いきなりそう来たかー、という印象である。正直なトコ、あまりキャラクターの家庭ネタを引っ張るのはあまり好きではないのでやめて欲しい。

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2005年4月16日 (土)

コンサート中止で飲んだくれる

昨日は、本当は佐藤豊彦のコンサート〈オリジナルリュート「グライフ」を聴く会〉があったはずなのだが、突如演奏者急病とのことで中止になってしまった。今月一番楽しみにしていたコンサートだったのにぃ~。悲しい……。
内容がまた全く聴いたことのない作曲家ばかりで(ロイスナー、ロジー、ヴァイヒェンベルガーなど。後期バロックあたりの時代の作曲家か)興味津々だったのだが。小さな会場で聴くバロック・リュート、これ最高である。
それにしても「急病」というのが心配だ。

しかし、チケットセンターから公演中止の連絡が来たのには驚いた。これが、ロックとかポピュラーのコンサートだったら、何も知らずに会場へ行って「え゛ーっ、聞いてねえ~!」と驚いて終わりである。さすが、収容人数120人の会場のコンサートではあると変な意味で感心してしまった。

そして、代わりに友人と久し振りに飲みに行って仕事のグチなどをぶちまけ合ったのであった。ウーム、非生産的である。

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活字離れについて

Copy & Copyright Diaryより

「文字・活字文化振興法シンポジウム」についての記事について、

昔、パソコン通信をはじめたばかりの頃、同じフォーラムの人が「パソ通を始めて新聞や本を読む時間が(それどころかテレビを見ている時間も)減った。でも、字を読んでいる時間は増えたが」と書いていたのを思い出した。
メディアの種類が増えている時代なのだから、出版物--というか活字だけが「字」なのではない、ということを理解して法律を作ってもらいたいもんである。本を全く読まなかった若いモンがケータイの字を眺めていても、「字」から情報を得ている事には変わりない。そしてその子にとって「字」に接している時間は増加しているのだ。

元のシンポジウムでは高校生の不読者率(一か月の間に雑誌や教科書以外の本を読まなかった者の率)が60パーセント以上である話が出て来たようだが、これは何も最近の話ではない。今の三十歳代が高校生の時だって不読者率の割合は似たようなものであった。それを今さらの如く、学力低下問題と合わせて騒ぎたてている。いい加減にして欲しい。
それより情報リテラシーの教育の時間でも増やしてもらいたいもんだ。今の「情報」の時間で一体何をやっているのか。極めてアヤシイように感じる。

とはいえ、個人的に紙媒体の活字とパソコンのモニターの字は脳の違う部分で読んでいるような気がしているのだが、どうなのだろうか。声を出してモニターやケータイの画面を読み上げるといいのかな(;^^)


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2005年4月15日 (金)

「バッハ家の音楽会~バッハ家の書棚から」

演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:ハクジュ・ホール
2005年4月10日

ライプツィヒのバッハの家でホーム・コンサートが開かれたらどんな曲が演奏されたか、という仮定に基づいたコンサート。前半はイタリア風味な曲、後半はフランス風味でバロックダンスも加わる。
BCJといっても、演者は鈴木兄弟とフラウト・トラヴェルソの前田りり子にヴァイオリンの若松夏美という小編成。
面白かったのはやはり後半。日頃シリアスな曲として神聖化され過ぎな『無伴奏ヴァイオリン』であるがバロック・ダンス(市瀬陽子)が付くと、やっぱり舞曲なんだなーと納得。
G・レオンハルトが『無伴奏』について近年、バッハの亡妻への追悼曲であるという説についてどう思うかと聞かれた時、「だって、ダンス曲ですよ。私だったらそんなことしません」とあきれたように答えていたのを思い出してしまった。

鈴木雅明のトークによると、バッハの家はえらく狭苦しくて実際にはダンスを踊るスペースなぞなかったらしい。なんでも、彼は立ったまま作曲してたそうだ。
伝記映画『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』では、狭い教会のバルコニーで楽員と共にギュウ詰めになって指揮していたバッハの姿が描かれていたが、なんと彼は自宅でもギュウ詰めになっていたのである! このような事実を新たに知ると……うーむ、感動です。

その後クープランやリュリも演奏されたが、残念ながらこのホール、椅子の背もたれの高さと人の頭が邪魔になって舞台の床面が見えず、バロックダンスで最も肝心な足先のステップがよく見えないのだ。
音が良いから最近ここは人気があってよく使われるようだが、正直それ以外の点では客にとって優しいホールではない。座席の真ん中に通路がないので、中間の座席だと外に出づらい。座席自体の大きさも、前後の間隔も余裕がなくとにかく狭苦しい。あまり広くない面積になるべく客を詰め込もうとしたかのようだ。それに7階にあるのでエレベーターしか使えないのもあまり歓迎できない。聞きに行きたかったが、このホールでやるので止めてしまったコンサートが幾つかあったほどだ。
好きなアーティストがなるべくこの会場を使わないように祈るばかりである。

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2005年4月13日 (水)

怒濤のスパムメール来襲!

普段はニフティとは別のプロバイダから接続している。友人知人に知らせているのもそちらのメールアドレスである。
このブログを始めるまではニフティはもっぱらパソ通のためのみ使用していて、会員の種類も変更していなかった。
で、2月に変更してからは新しいnifty.comのアドレスを貰ったのだが、当然全く使用していない。来るのはニフテイのお知らせぐらいのものである。いや……「あった」だ。

4月のある日を境にしてドトーのようにスパムメールが来始めたのだ! もちろんそのほとんどが「美女紹介します」のようなアダルトサイトへ誘導するいかがわしいものである。
しかし、不思議なのは私自身はニフのメールを全く使用していなかったことだ。送信もしていないし、何かの申し込みやショッピングに利用したこともない。掲示板に書き込んだりしたのであれば分かるのだが--。旧IDの時には全くスパムは来なかったのに、これはあまりにも不可解である。
ではどうして私のアドレスが分かったのか?
も、もしかして……ニフティの内部から流れ出した??? アヤシイ。かなりのアヤシさである。

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2005年4月10日 (日)

「アビエイター」

監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット
米国・日本・ドイツ2004年

オスカーを取り損ねて余計に話題になった観もあるスコセッシの新作。
ハワード・ヒューズって紹介記事の略歴で見ると、かなりの二枚目で、金持ちのボンボンで飛行機飛ばすわ、映画好き勝手に作って女優と浮き名を流すわ、色んな技術を開発するわ、企業買収はするわ、国とケンカはするわ、とまるで時代の寵児というかスーパースターというかすごいド派手な活躍をした人ではにゃあの!

そういう人物の裏面は悲惨で孤独で……という所がまた面白いのだろうけど、実際にこの映画では華やかな面と同時に悲惨な面を出しちゃっているんで、見ているとあんまりスター的な感じがしない。最初から惨めな人なんだなあと思ってみてしまうので、彼の活躍を見てもワクワク感はない。
つまり、この映画のヒューズは憧れの対象とかカッコエエとか思われる部分をすっとばして、いきなりカワイソウな変人になってしまっているのだ。だから、見ている側はどうにも感情移入できないのである。

ハリウッドの描写にしても、いきなりジュード・ロウ扮するエロール・フリンはおバカだし、レッドカーペットでは細菌攻撃して来るし--。ハリウッドバビロンの腐敗たって、腐敗の表面は華やかだから面白いと思うんだが。
ただ、空中飛行場面や事故の場面は見事。感心した。

見てて詰まらないとは思わないが(冗長と思う人はいるだろうが)、あまりにも見ているうちにウツウツとした気分になって来る。ということで、精神的に落ち込んでいる状態のときにはオススメできない。
そもそもオリバー・ストーン向けの題材である。『アレキサンダー』と交換すれば良かったかも。

それにしても、企業買収に新規参入、談合、汚職--今もやってることはあんまり変わらないんだねえ。

脇役は盛り沢山で豪華。ジュード・ロウやウィレム・デフォーは瞬間芸並みの登場時間だ。事前に知らなかったが、イアン・ホルムはしょぼくれた学者役。それから、後でスタートレックTNGのデータ役ブレント・スピナーが出ていると知ったが、全く気付かなかった。飛行機の売買の場面の重役か?
悪役のアレック・ボールドウィンやアラン・アルダはもちろん、祝オスカー獲得のケイト・プランシェットはさすがに良かった。ただ、主役のディカプリオは……他の作品でオスカーを目指して頑張って下さい。

スコセッシについては、次作の『インファナル・アフェア』のリメイク、そして遠藤周作の『沈黙』に期待。特に『沈黙』はどうなるか今から楽しみだ!

主観点:5点
客観点:7点

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2005年4月 9日 (土)

今さら読んでみた「攻殻機動隊」

『攻殻機動隊』については押井守の劇場版アニメとTV版アニメは見ていた。特にTV版は気に入っている。
だが、原作のマンガは読んでなかった。同じ作者の『アップルシード』を昔読んでどうもあまり興味がわかなかったせいもある。そんなんで『攻殻』のアニメがどうのと言ってみても、原作のファンから見れば何言ってやがるという気になるだろう。ちょうど、『指輪物語』を読んでもいないのに『ロード・オブ・ザ・リング』について騒いでいる映画ファンを原作ファンが内心ムッとしているようにである。

で、先日原作の1巻を人から借りて読んでみた。結構面白かった!
……「結構」なんつって原作ファンの方々すいません。<(_ _)>
興味深かったのはまず、場面の細かい一部がチョコチョコとTV版に取り入れられていること。
それから何と言っても、二本の劇場版の基となったエピソードが極めてドライな話だった事である。これは正直ビックリ。
士郎正宗の理科系のドライさに対して、押井守は文化系のロマンチストだったんだなーと悟った次第である。いやー、ここまでロマンチックにしてしまうとは……。正直ついて行けん。

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か、花粉病が……(x_x)

「世田谷に動きのあやしい挑戦者がいた」
よりトラックバック頂いたので、ここに思った事を書いてみる。

重症の花粉病の人間が鼻をグズグズいわせながら「どうして急にこんなことになってしまったんだろう。これはきっと大気汚染が関係しているのかも知れない」と考える。
そこで大気汚染について調べ始めた。過去の資料を読んで考えたことや周囲の大気を観測した結果などをまとめて発表してみる。
するとそこで「環境汚染について調べるなら土壌汚染についても取り上げなきゃダメじゃないか。そんなんじゃ土壌汚染の被害を受けている人たちの共感は得られないぞ」と言われてしまう。
言われた方は「??」状態だ。「だって、私は自分が花粉病だから大気汚染について調べているんで、とりあえずは大気だけで手一杯。優先順位だって当然こっちだし。そんなに土壌汚染が気になるなら自分で調べたらいいんじゃないの? その上でなんか共通して考えられる事があるんなら考えるんじゃダメなのか? あー、また鼻水が~」
ということになる。

フェミニズムとは基本的に「女自身が女について考えてみる」ことである。それまでは男が女について語った言説は山のようにあったが、「なんか違う」ということでとりあえずは自分は自分について考えよう、ということだ。だから、それ以外の観点や立場については「とりあえずは置いといて」となる。

従ってフェミニズムは〈万民を救う思想〉ではない。大体にして万民を救う思想なぞあり得ない。もし「万民を救う」などと謳っている奴がいたら、そいつは詐欺師かアヤシイ新興宗教の教祖と疑ってみた方がいいだろう。
女自身もそこのところを勘違いしていた人が結構いたらしくて、「フェミニズムは私を救ってくれなかった」幻滅して、代わりに新興宗教に入信した人たちもいたという。
宗教じゃないっつーの!

そのような救いをもたらさないフェミニズムの例としては、『負け犬の遠吠え』と同時期に同一テーマで出版された小倉千加子の『結婚の条件』(朝日新聞社)を読まれたい。私はこれを読んで「く、暗い。もうダメだ~」とガックリきてしまった。

なお『負け犬の遠吠え』を再読してみたが、自分たちと同様結婚し損なっている同世代の男性(オスの負け犬)についてもちゃんと言及している。四つほどのタイプを挙げて、なぜメスの負け犬とうまくいかないかを考察してある。例えば、オタク型男性については興味の対象や嗜好があまりに違い過ぎるのでうまくいかないだろうとなっている。
同世代の女性を中心のターゲットにしたライトエッセイとしては、これだけ言及してあれば充分だと思うが……。別に無視しているようには見えないが? これ以上のことを要求されても酒井順子も困るだろう。

それから〈男性社会内での男性まで考慮に入れ〉た過去の運動の成果としては、男女共同参画社会基本法があるだろう。なんでもタイトルに「男女平等」を入れるなとか横ヤリも入ったそうで大変だったろうが、女性側の評価も色々でむしろ批判の方が多かったように記憶している。今ではそんなのもあったよなーみたいな感が強いかも知れない。

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2005年4月 7日 (木)

「コントロール」

監督:ティム・ハンター
出演:レイ・リオッタ、ウィレム・デフォー
米国2004年

神をも恐れぬ凶悪な犯罪者を遂に死刑執行!と思わせといて密かに連れ出し、製薬会社の凶暴性を押さえる薬の実験台に--と、ツカミはオッケー。面白そうな予感である。
最初、暴れまくっていた男はやがて薬が効き始めると別人格に変貌。自分の罪に後悔の涙を流すのであった。

銀座シネパトスで期間限定公開となると、B級臭ふんぷんたるサスペンスものかと思ったらそうでもなかった。有名な役者も揃ってるし、アイディアもよい。……しかし、なぜか面白い!とはほめられないのである。なんとなく全体的にモタモタした感じがあって、演出か編集に問題があるんではないか、などと画面を眺めながらつい余計なことを考えてしまうのである。もうちっとハラハラさせてくれよ~。
アイディア倒れでその他が追いついていないという印象。

しかも、有名な役者が何にも出ている割には使い方が今イチ。スティーヴン・レイなんて別に彼でなくても、誰でもいいような役じゃないの。
しかし、一番のミスキャストは犯罪者役のレイ・リオッタだろう。ウィレム・デフォーと擬似父子関係になり、ミシェル・ロドリゲスと仲良くなる--というにはいくらなんでも歳が行き過ぎ。後で調べたら、なんとW・デフォーと同い年だった! 無理あり過ぎである。従って、ラストの展開もなんか納得行かなくなってしまった。
本来ならば、20代前半~半ばぐらいの狂暴そうな若い役者にやらせるのが相応しいだろう。

という訳で、印象に残ったのはレイ・リオッタのこわい顔だけであった。悪い奴の時の顔もコワイが、良い奴に変身してからも何気にコワイものがある。ジャパニーズ・ホラーもゾンビも超える恐ろしさであった。

主観点:5点
客観点:6点

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2005年4月 3日 (日)

これもバックラッシュなのか

同じく「loveless zero」 より見つけた興味深い記事。
〈「電波男」を買ってみた〉にある〈「やわらかフェミニズム」とも言うべきものに対する痛烈なカウンター〉である。

これを読んで、肝心の「やわらかフェミニズム」というのが具体的な像として、どうも分からない。『負け犬の遠吠え』は書名が上げられているが、それ以外は……?
さらに「?」と思ったのは

〈それは社会思想として完全なものなのか?
まるで完全ではない。〉

「完全な社会思想」なぞこの世に存在するのであろうか? そのようなものはかつて存在しなかったろうし、これからも誕生することはあるまい。
なぜフェミニズムが「完全」であることを求められなければならないのか? それを求める者はいかなる立場あるいは権威を持って要求するのか。

何年も前にミス・コンテストの反対運動が報じられた時、とあるテレビのコメンテーターは「ミスコンなんかより、どうして広告のヌード写真に抗議しないのか。こっちの方がよほど問題だ」と語った。
しかし、ミスコンに抗議した人たちはそれなりの考えをもって行なったのだろう。反対運動だって何もかもできるはずがない。それより、ヌード写真が気に入らないならその本人が自分で抗議すればよい。なぜ、他者に対してそれを要求し、自分の意に沿わないからと責めるのか。

とあるサイトではフェミニズムがオタクについて語っていないことを非難するような文章を見かけた。これも同じである。「気持ち悪い」と言われるような「もてない男」についても語っていないのはおかしいというのだ。
だが、なぜフェミニズムがそれについて語らなければ「いけない」のか? それを求める者はいかなる立場あるいは権威を持って要求するのか。

それについて必要ならば自分で語ればよい。(恐らく『電波男』はそのような書なのだろう) 他者を「語っていない」と非難する者が語ったのであれば、その時はもちろんきっとオタク女やもてない女についても公平に言及してくれるのであろう。

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2005年4月 2日 (土)

反抗か勘違いか?

先日知人の息子について不可解な話を聞いた。
その子は高校二年になるにあたっての選択科目で全く受験と関係ない科目を選んだというのだ。「どうも、大学に行くつもりがないんじゃないか」と親は怪しんでいる。だからと言って、他の事--例えばバンドデビュー目指して日夜音楽三昧とか、専門学校のパンフを眺めている--なんてことをやっている訳でもないそうだ。
その前には、いきなりアパートで独り暮らしをしたい、と言い出したそうな。その時は、思春期特有の反抗的なポーズかと思っていたのだが……。

しかし、「loveless zero」 経由で興味深い記事を見つけた。
「内田樹の研究室」より「階層化=大衆社会の到来」である。

〈不思議なことだが、「勉強しない」という事実から自己有能感を得る人間が増えているのである。〉

これを読んで、先ほどの知人の息子の話はこれか!と感じたのである。
芸術方面に才能を発揮したり、中卒で起業してラーメン屋で儲けてベンツを乗り回す、などという才覚のない人間は、せめて学歴でも……と考えるのが普通かと思っていたが、これでは全然逆だ。
ただ、〈社会階層の下位グループ〉のみというのはどうだろうか? 知人の家は両親共に高学歴、父親は教師、母親も教育関係の職業で低い階層ではないのだが。といっても、元ネタの『階層化日本と教育危機』を読んでいないので詳細は不明。

それにしても、この記事のトラックバックを読んでみると皆さんそれぞれ微妙に異なる部分にひっかかりを感じているようで、面白い。

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2005年4月 1日 (金)

果たして何がエイプリル・フール?

四月一日……ネット上でもジョークだらけだ。普段は真面目なニュース・サイトでも冗談の嘘ニュースを載せている。そういうエイプリル・フール用の特設サイトばかり見ていると、そうではない普通のニュースを見てもジョークに見えてしまうのは困ったもん。
例えばこのニュース--

@nifty:NEWS@nifty:玄関先で緊縛女性SOS

ニフティのトップページでこのタイトルを見た瞬間、一瞬ジョークなのかと思ってしまった。(汗)……いや、ほらなんか、いかがわしげな感じではないですか。
しかし、クリックして読んでみるとタイトルの後半に「隣人通報、強盗犯逮捕-東京(時事通信)」とあって、本当の記事だと分かったわけだ。
四月バカ目線で見ると全てのニュースがアヤシゲに見えてしまうのである。

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