か、花粉病が……(x_x)
「世田谷に動きのあやしい挑戦者がいた」
よりトラックバック頂いたので、ここに思った事を書いてみる。
重症の花粉病の人間が鼻をグズグズいわせながら「どうして急にこんなことになってしまったんだろう。これはきっと大気汚染が関係しているのかも知れない」と考える。
そこで大気汚染について調べ始めた。過去の資料を読んで考えたことや周囲の大気を観測した結果などをまとめて発表してみる。
するとそこで「環境汚染について調べるなら土壌汚染についても取り上げなきゃダメじゃないか。そんなんじゃ土壌汚染の被害を受けている人たちの共感は得られないぞ」と言われてしまう。
言われた方は「??」状態だ。「だって、私は自分が花粉病だから大気汚染について調べているんで、とりあえずは大気だけで手一杯。優先順位だって当然こっちだし。そんなに土壌汚染が気になるなら自分で調べたらいいんじゃないの? その上でなんか共通して考えられる事があるんなら考えるんじゃダメなのか? あー、また鼻水が~」
ということになる。
フェミニズムとは基本的に「女自身が女について考えてみる」ことである。それまでは男が女について語った言説は山のようにあったが、「なんか違う」ということでとりあえずは自分は自分について考えよう、ということだ。だから、それ以外の観点や立場については「とりあえずは置いといて」となる。
従ってフェミニズムは〈万民を救う思想〉ではない。大体にして万民を救う思想なぞあり得ない。もし「万民を救う」などと謳っている奴がいたら、そいつは詐欺師かアヤシイ新興宗教の教祖と疑ってみた方がいいだろう。
女自身もそこのところを勘違いしていた人が結構いたらしくて、「フェミニズムは私を救ってくれなかった」幻滅して、代わりに新興宗教に入信した人たちもいたという。
宗教じゃないっつーの!
そのような救いをもたらさないフェミニズムの例としては、『負け犬の遠吠え』と同時期に同一テーマで出版された小倉千加子の『結婚の条件』(朝日新聞社)を読まれたい。私はこれを読んで「く、暗い。もうダメだ~」とガックリきてしまった。
なお『負け犬の遠吠え』を再読してみたが、自分たちと同様結婚し損なっている同世代の男性(オスの負け犬)についてもちゃんと言及している。四つほどのタイプを挙げて、なぜメスの負け犬とうまくいかないかを考察してある。例えば、オタク型男性については興味の対象や嗜好があまりに違い過ぎるのでうまくいかないだろうとなっている。
同世代の女性を中心のターゲットにしたライトエッセイとしては、これだけ言及してあれば充分だと思うが……。別に無視しているようには見えないが? これ以上のことを要求されても酒井順子も困るだろう。
それから〈男性社会内での男性まで考慮に入れ〉た過去の運動の成果としては、男女共同参画社会基本法があるだろう。なんでもタイトルに「男女平等」を入れるなとか横ヤリも入ったそうで大変だったろうが、女性側の評価も色々でむしろ批判の方が多かったように記憶している。今ではそんなのもあったよなーみたいな感が強いかも知れない。
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