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2005年6月

2005年6月30日 (木)

コミック・バトン、キターーッ!

「(ひねくれていない)おともだちサイト」に入っているしのさんより、な、なんと私の所にミュージカル・バトンならぬコミック・バトンが回って参りました。
信じられん……私の所にまで来るようでは、日本ももう終わりではないかと。少なくとも、ブログの終焉が近づきつつあるのが見えるような気が致します。(大げさ)

ともあれ答えさせて頂きます。

Q1:あなたのコミックの所持数は?
A1:大体800冊。でも二年前の引っ越し前に同じぐらいの冊数を捨てて来たのであーる。無念(T^T)

Q2:今読んでいるコミックは?
A2:シリーズもので次が出るのを待っているヤツということなら、『エロイカより愛をこめて』『クリスタル・ドラゴン』『ヒストリエ』あたり。『ガラかめ』は……もう待っていない。
これから読む予定なのは、貸してもらったばかりの森脇真末味、佐藤史生、なるしまゆり。
その他、買ったまま未読なのがウン十冊。

Q3:最後に買ったコミックは?
A3:発行されていたのを今ごろ気付いた『雷鳴の符』(あしべゆうほ)、『危険な席』(森川久美)、『空中楼閣の住人』(波津琳子)をまとめてアマゾン購入。

Q4:よく読む、または思い入れのあるコミック
いっぱいあり過ぎて書けねえぞ、ゴルァ。
定番・二十四年組から往年の「花ゆめ」「ララ」「プチフラワー」でリアルタイムで読んでいた少女マンガには思い入れ大量にあり。その他は諸星大二郎、吉田戦車など。

Q5:バトンを渡す5名
知り合いでブログやってる人間なぞ皆無に近い。どころか、ケータイもパソコンも持っていない者もいるくらいだ。
ということで、五人もいないので「トーキングヘッズ」誌(←近日発売予定よ)編集長お一人に渡したい。きっと、ギョーカイ方面の怪しげな知り合いがいっぱいいると思われるので、今後の展開に期待できそう。よろしくっ(^-^)/

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2005年6月29日 (水)

「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」

監督:ニルス・ミュラー
出演:ショーン・ペン
米国・メキシコ2004年

鬱だ……。
暗い。
もう、ダメだ。

この主人公はイタい、あまりに痛過ぎる。
見てられない。
生きる気力も消え失せる。死にそー。

気どって「負け犬」とか「負け組」とか言ってんじゃねーよ。
まさにこれこそ社会の脱落者である。
ああ、いやだ……(>_<)
勘弁してくれ~

ゴミ箱蹴飛ばしても、また散らかったゴミ拾い集めたり、「殺してやるー」とか思っても結局○○しか殺す勇気がなかったり--この男が実にミジメで小心者なのだ。
あーあ( -o-) sigh...

この映画DVD出るまで待とう、などと絶対考えずに映画館で見る事をオススメする。なぜなら、終盤のハイジャックのアクションシーンの迫力は凄いからだ!

--じゃな~い!(>O<)

この主人公を見ているのに居たたまれなくなって、途中で「もう、やめた」と停止ボタンを押してしまうのに決まっているからである。そして「スッパリサッパリ見てて何も考えずに楽しいブラッカイマー印でも借りて来よう」とレンタル屋に返しに行くのだ。
でも映画館だったら、両脇に人が座ってたりしたら簡単に出る気にはなれないだろう。

負け犬演技はまり過ぎのショーン・ペンの脇を固めるのはドン・チードル、ナオミ・ワッツ、お久し振り(^^)/のマイケル・ウィンコット。
ところで、D・チードルがオスカー・ノミネートされた『ホテル・ルワンダ』が未公開になりそうだって(?_?; なんてこった。でも、以前やはりイアン・マッケランがノミネートだった『ゴッド・アンド・モンスター』も正式公開されずに上映運動が起こったんだよねえ。これこそレンタルDVD待ちか。

主観点:6点
客観点:7点

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2005年6月27日 (月)

デュシャン先生、やりました!

BCJのコンサートに行った時の休憩時に、同じオペラシティ内にあるアートギャラリーの隣のアートショップに行って、時間潰しにフラフラしていた。そしたら、なんと先日のM・デュシャン展で買い損ねた「泉」シール(デュシャンが例の便器に書いた署名をそのままコピーしてシールにしたもの)が売っていた。
もちろんこりゃ買い、だ! そして、家へ帰って自分んちの便器にペタリと張ったのであった。おお!これで我が家のベンキも一躍、立派な現代アートの傑作となったのであ~る。

感動です(T^T)

一瞬にしてウン億円(勝手に推測)のアート作品が我が家に生まれたのだ。これが嬉し泣きせずにいられようか。
見て下さい、デュシャン先生、私は遂にやりました \(^o^)/

これをお読みの皆さんも是非、どこかのアートショップでこのシールを見つけたら、直ちに購入し、自分の家のベンキに貼り付けよう。これこそ「一億総ベンキ傑作アート化作戦」なのである。シールを貼るだけで現代美術市場を揺るがす名作がゴロゴロ生まれてしまうのだ。実に「泉」の精神に則った運動であるといえよう。実現した暁にはデュシャン先生も墓の下でさぞお喜びでしょう。

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2005年6月26日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン第69会定期演奏会

J・S・バッハ/ライプツィヒ時代1725年のカンタータ3
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2005年6月24日

前回の演奏会はなんと日を間違えて行き損なったという大失態を犯してしまった。トホホである。(泣) 今度こそちゃんと行くぞー、と一週間も前から入念にチェック! 無事にたどり着けたのである。しかし、「間違えて前回のチケット持って来ちゃったりしてな、ナハハ」と冗談が頭の中に浮かび一人ニヤニヤしていたが、突然不安になり持って来たチケットを取り出して見ると、それは正に4月に行き損ねた回のチケットであったのだ!

ぎゃ~~~~~~~っ(>O<)

私はオペラシティの上りエスカレーター上でムンクの『叫び』の人物のように、声なき悲鳴をあげたのであった。
いや、まあ、受付行って定期会員なのを話したらちゃんと再発行してくれたから良かったけどね(会員は毎回同じ席なのだ)。これが以前みたいに毎回、チケぴで買っていたらダメだったところだ。
【教訓】行き損なったコンサートのチケットはさっさと捨てるべし!

さて、今回でしばらく続いたコラール・カンタータのシリーズは終了。最後の3曲で締めくくりである。目玉となるのはその中でも最終曲となるBWV1で、冒頭の合唱は極めて華やかな印象のもので素晴らしかった。何せホルンとオーボエ・ダ・カッチャが加わり、さらにソロ・ヴァイオリンも二人いるという編制だからだ。

しかし、独唱歌手のことを考えるとむしろ前半のBWV127の方がもっと良かったかも知れない。しばらくぶりに見たG・テュルクのテノールは流麗な甘美さが遺憾なく発揮されていたし、バスのP・コーイの歌いっぷりは堂々と安定していて素晴らしかった。
が、それよりもさらに良かったのはソプラノのC・サンプソンで、清澄で美しいうえに力強い歌声であった。まさしく理想のバッハのソプラノという感じだ。オーボエのソロとの絡みも心地よく、聴いてて思わず涙が出そうになってしまった。この曲ではリコーダーも効果的に使われていた。

楽器との絡みでいうと、BWV126のバスのアリアもなかなか面白かった。コーイの歌の背後の通奏低音には複雑で何か特別な響きがあって、メンバーが懸命に演奏している--というより、正しくは「通奏低音の底力を見るんじゃ、ゴルァ」という気迫のようなものがヒシヒシとステージ上から伝わって来るようだった、と言った方がいいだろう。(これはあくまでもトーシロの感想で、本当に「懸命」だったのかは不明)
関係ないけど、コーイ氏やせたなあ、と第一印象で思ったが、よくよく見たらヒゲをサッパリと剃っていてそう見えたもよう。

次回はC・サンプソンとロビン・ブレイズが出演という事で、必聴だろう。

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2005年6月25日 (土)

「エレニの旅」

監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:アレクサンドラ・アイディニ、ニコス・プルサニディス
ギリシャ・フランス・イタリア・ドイツ2004年

映画ファンを名乗って十ウン年、なのに恥ずかしながらアンゲロプロスの作品を見るのは初めてであります。まあ、元々B級アクション映画のファンだからね(と開き直る)。長尺の芸術映画は得意じゃないのよ。
それがなぜ見に行く気になったかというと、テレビの紹介番組や雑誌を見て川を船が渡る映像が、とても美しかったから。それと、近現代史を背景にした神話的なストーリーっぽいのも面白そうだった。

しかし、残念ながら期待は裏切られた。特にこの脚本はなんじゃ(?_?; 難民と拾われた少女が川岸の町に暮らし始めて……とゆったりと話が進んで行くが、終盤に至って急にスピードアップ。観客が訳のわからんうちにアレヨアレヨと十何年も歳月の経過をザーッと描いて過ぎてしまい(しかも5分ぐらいの間にだ)、何が起こったのかよく把握する前に結末を迎えてしまうのである。
そのため、ギリシャの歴史をよく知らないと?マーク連発状態になってしまう。

2時間55分という長尺はあまり気にならなかった。途中ちと眠くなった場面はあったが……。確かに映像は美しかった。水を使った場面はもちろん、バラックが積み重なったような町もよく出来ている(もっとも、あんな木造家屋は東京でも空襲で焼け残った地域にはしばらく前まで残っていたが)。
だが、その一方でこういう映像を見せたいがためにわざとらしい変な展開にしたんじゃないの、と疑いたい場面も多数あり。早い話が、ヒロインの慟哭にもかかわらず「あんな所に死体転がしとくか?フツー」などと思って白けてしまうのである。

さらに最も致命的なのは、この手の映画というのは映像と、変転する歴史と、神話的なダイナミズムが絡み合って迫力を生み出すと思うのだが、全くそんなパワーは感じられなかった。演出上の問題だと思われるが、特に人物が弱い、弱過ぎである。
運命に対して受動的な態度しか示していない--というのではなくて、例えば駆け落ちするエレニ達は決死の逃避行というより、まるでピクニックかハイキングに出かけるみたいだし、それを追いかける義父は家長としての圧倒的な威厳と権力をもって、というよりは若い娘っ子に色ボケした哀れなじーさんにしか見えない。これでは家でテレビドラマ見てても変わらないような。
ストーリー上は前近代に片足突っ込んでいるにも関わらず、実際の描写にはまるで現代の脆弱な人物像しか表わされていないのである。
従って、中心となるヒロインとアレクシスもなんだかのっぺりした印象しか残っておらず、全く魅力を感じられなかった。

例え、「巨匠」であってもダメなものはダメということであった。三部作の第一作目らしいが、続きを見ることはもうあるまい。

それから、近くの席に二、三分おきにポリ袋をガサガサさせる客が座っていて参った。隣じゃなかったからまだ良かったものの、ああいう音は距離に関係なく響くものである。しかもうるさい娯楽映画ならいいが、こういう少なからず集中力を要する作品でやられたらもう勘弁だ。大体、自分がうるさい音を発しているという事を分かっていないのだろうか? 膝に置いてて邪魔なら床にでも置けばいいじゃないかと思うのだが。
以前、コンサートで隣の席に一分おきぐらいにビニール袋に入ったチラシの束を裏返す(本当に、この行為をただ繰り返すのだ)ヤツが座って辟易したことがある。こういうのは無意識にやってるのだろうか。近くに座られたら不運の一言である。

主観点:3点(注-10点満点である)
客観点:ガサガサ音にはばまれて採点不能

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2005年6月16日 (木)

クイケン兄弟2連発

○ヴィヴァルディの夕べ
クイケン・アンサンブル(クイケン3兄弟、ロベール・コーネン、マルレーン・ティールス、寺神戸亮)
会場:王子ホール
2005年6月2日

先月は三つのコンサートのチケットを買っていながら行くことができなかった。その内の二つは仕事のためである。コンサートのチケットの売り出しは何ヶ月も前から始まるのに、どーして仕事の予定は一ヶ月前にならなければ分からないのかっ!(怒)
ということで、何が起ころうとも絶対に今月のコンサートは行こうと固く決意した次第である。

さて、三兄弟そろっての公演はなんと18年前の初来日以来だという。だとしたら、私は初めて三人揃っているのを見る訳だが、あまりそういう気はしない。単独や二人の組み合わせで何回も見ているせいだろうか。
それにしても平均年齢は高い。寺神戸亮が若いけど(40代)それ以外はいつ舞台の上で楽器を取り落としてパッタリ倒れてしまってもおかしくはない(-_-;)と緊張感にハラハラドキドキしっぱなし……というのはもちろん大げさである。ただ、R・コーネンは赤ら顔で血圧高そう~に見えたのは事実だ。
しかし、年齢層の高さでは舞台上よりむしろ舞台下の客席の方に驚いた。見回すとかなりの率で白髪頭が多い。ほとんどが中高年以上である。さすがにこれほど白髪率が高いのは見たことがない。クラシックのコンサートに若い人が来ない、という事が言われているがこれほどまでとは驚いて不安になってしまった。

さてこの日はオール・ヴィヴァルディ・プログラムで、実に楽しみにしていた公演である。ヴィヴァルディというと、やたら『四季』ばかり演奏されてこの手の曲はなかなかやってくれない。この日のチケットを買うために、わざわざイープラスに加入したほどだ。

『チェロ・ソナタ』はこれまで聴いたことのあるA・ビルスマや鈴木秀美とは全く違った弾きぶりであった。
通奏低音がないという珍しい『協奏曲ニ長調』はヴァイオリン二台とチェロだけで演奏されて、とても面白かった。
それからおなじみ『ラ・フォリア』はヴィーラントのチェロが目を引いた……じゃなくて、耳を引いた。この曲は、録音だとチェロはそれほど聞こえて来ない(私の装置が悪いんか?)が実演で聴くと、二つのヴァイオリンと拮抗するだけの冴えた動きがあるので驚いた。
フルート協奏曲になると末弟のバルトルドが入って来て演奏。しばらく見ないうちに髪の毛が白くなっちゃってビックリ。まだ50歳代のはずだよね--(ってどうでもいい事か)。
それにしても、通して聴いてみてヴィヴァルディの作品というのはどのような形式の曲であっても受けが良くノリやすいなあ、と強く感じた。(そこがまたヴィヴァルディに対する評価について誤解を生む理由でもあろう)

アンコールは次の日に演奏予定とおぼしきバッハを2曲。客の拍手は熱狂的で、ロックのライヴでのアンコール時みたいに全員の拍手のリズムが一致してしまったほどであった。私も大満足してスキップしながら(心の中で)帰った。


○ドイツ、イタリアのバロック音楽
クイケン・アンサンブル
東京オペラシティ・コンサートホール
2005年6月3日

年寄りをこんな連チャンで公演させて大丈夫なのかーと思いつつ、翌日、新宿初台に向かう。
客席は昨夜とはうって変わって若い人もフツーにいて安心した。やはり昨日の方が異常事態だったのか。テレビカメラが入っていたが、後日どこかで放送されるのだろうか?
途中で近くに座っていた中年オヤヂさんがいびきをかき始めてしまい、どうしたものかと周囲は一瞬凍りついたが、隣席の女性(オヤヂの知り合いではなく、赤の他人な人だったもよう)がつついて起こしたので安心した。やはり、こういう時は起こすのが礼儀なのね~。

第一曲めは昨夜アンコールでもやってたバッハの『管弦楽組曲第2番』。全部で6人だから、ホントに一パート一人で最低限度の小編成である。
私はどうも『管弦楽組曲』って「分かりにくい」作品という気がしていて、これがイイっ(^o^)bという録音にもめぐり合わず、困っていたものなのだが、この演奏を聴いて初めて納得するものを感じた。特にサラバンドのゆったりしたノリの良さ(矛盾した言い方であるが)には心奪われるものがあった。どこが良かったかといっても言葉にするのが不可能で「    」と空白スペースでしか表せないような何ものかがそこには存在したのである。

続いてシュメルツァー、コレルリ、テレマン、最後はヴィヴァルディ--といっても、昨夜とは別の曲のフルート協奏曲。アンコールは昨晩のプログラムの中から二曲演奏された。コレルリの『合奏協奏曲』は二曲演奏され、それぞれジギスヴァルトと寺神戸亮が第一・第二ヴァイオリンを交代して弾いた。
寺神戸亮は実に安定した弾きぶりで、年齢的にもノリに乗っている時期だなあと思えた。
ネットの感想などを見ると、「ずっと寺神戸さんで第一ヴァイオリン聞いていたかった」とか「ジギスヴァルトもう年寄り過ぎ」などという意見が出ていたのもうなずける。

確かに、今回二人を対比的に聴いてみて、ジギスの演奏は美しくもなく、滑らかでもなく、それどころか音がガサガサゴソゴソしている。おおよそ洗練などという言葉とは縁がない。「ジギスヴァルト下手くそ」説や「モダン楽器だったらとうていプロの水準ではない」論が一般に語られるのも納得である。
しかし、そういう音だからこそ私は大好きだー \(^o^)/とつくづく感じたのであった。

なお、オペラシティのコンサートホールはこういう小編成には大き過ぎ。最初、音が拡散して聞こえた。せいぜい5~600人ぐらいの紀尾井ホールやカザルスホールがいいとこだろう。客の数を入れないと採算取れないというのは分かるが--。
王子ホールは満員御礼、オペラシティもほぼ満員だったので興行側は満足だったろうけど。(でも、大阪は悲惨な入りだったとか?)

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2005年6月15日 (水)

シスコ閉店

小野島大さんのブログ「newswave on line」のこの記事にて
新宿の輸入盤店シスコ(アルタ内)が閉店になったのを知った。

うむむむむ(-_-;)私もかつては新宿店と渋谷店にはよく行った。ニューウェーヴ全盛時代は必ずといって言いほどほぼ毎週チェックしに行ったものだ。
ソニック・ユースがここでかかっているのを聴いてから、即購入--それ以後のめり込んだのも昔話だ。
しかし、その後ラップやヒップホップ系が売り場の大半を占めるようになってからは行かなくなってしまった。あと、大手のレコード・チェーン店がマイナーなバンドのCDも入れるようになったのも、遠ざかった一因である。

今では、昨年の輸入規制騒動でロックやポップスのCDはネット購入ばかりで、店頭で買うこと自体なくなってしまった、というのが現状だ。
まあ、これも仕方ない事だろうが、一抹の寂しさを感じ心の中をヒュウ~とすき間風が吹いて行くのであった。

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2005年6月12日 (日)

「ザ・インタープリター」

監督:シドニー・ポラック
出演:ニコール・キッドマン、ショーン・ペン
米国2005年

最近めっきり少なくなった社会派サスペンス。もはやレッドデータブック行きか、ってなもんである。
国連の通訳がアフリカ某国大統領の暗殺話を立ち聞き、シークレット・サービスが事の真偽を確かめに来る--。ここら辺は「国連」とか「通訳」とか一般人があまり知らない世界の事情が出て来て面白かったのだが、その後は護衛する側とされる側の関係という、ある種よくある話になってしまった。

尾行をまかれるくだりはお粗末過ぎだし、架空の国の、架空の政治家の、架空の理想を説かれても今イチ絵空事っぽくて説得力がない。かといって、実際の国や人物を出すわけにもいかんけどね。

とはいえ、N・キッドマン超美人(!o!) キレイ! きれい過ぎて、賢い女通訳という役柄にはピッタリだが、とても過去に×××振り回していたようには見えません!(キッパリ断言)
対してS・ペンは苦虫噛みつぶしたような顔のしょぼくれた中年男の捜査官をよく演じている。しかし、彼もいきなり妻の話を始めるくだりは不自然だ。演技力を持ってしてもカバーできないという感じ。
それにしても、二人の身長差はどれぐらいなのだろうか? 二人が並んで立っている場面はとうとう最後まで無かった。役者は身長が高過ぎても低過ぎても困ったもんである。
他には同僚捜査官役のキャサリン・キーナーがカッコ良くて好印象だった。

登場人物は大勢出て来るので気をつけて集中していないと、誰が誰と関係あるのか分からなくなってしまう。もっともTVドラマの『オズ』で見慣れている役者が三人出ていたから、私はそれだけでも助かった。
全体的に発想はいいけど、細部の展開やセリフが雑な所が多くて気になったというところだろう。ただ、最近には珍しく硬派なのが一貫しているのと、大統領を護衛するシーンの迫力ある空撮や、風景の美しさなどで点数は大甘にしてしまった。

それから、こんな場面でこんな風な事を言うはずがないというセリフが幾つかあって変だなと思ったら、案の定、字幕は「あの人」(「冥王の回し者」としても知られるあのお方)であった! いい加減にしてくれ~(>O<)

主観点:8点(大甘)
客観点:6点

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2005年6月11日 (土)

「ブルー・レクイエム」

監督:ニコラ・ブークリエフ
出演:アルベール・デュポンテル
フランス2004年

原題は「現金輸送車」?か。それがなぜこういう邦題になったのかは不明であるが、輸送車が燃え上がる冒頭からつかみはオッケー。一人の男が現金輸送の警備会社に入社する場面に変わり、その後は何やら緊迫した調子で現金輸送のエピソードが続く。個性強過ぎの様々な性格の警備員たちの取り合わせが面白い。
主人公の背後に何があるのか分からないままに終盤へと突入し、全ての謎が明らかになる……。

うーむ、その終盤に入るまではとても面白く見ていたんだけど、事の真相の部分にちょっとというかかなり無理があってガクッ(x_x)となってしまった。
あんな乱暴な計画(最後のやつ)たてるか? あのような事態になって非常ベルも鳴らないし、警察にも連絡が行かないとゆうのはおかしくないか。
いや、そもそも輸送会社が現金取りまとめているという設定が変だとと思う。いくら小口でもやっぱり銀行の仕事だろう。

というわけで、最後はいささか不満だが同じフランス映画の『コーラス』同様、上映時間九十数分という短さで地味な話ながら面白く見せているのは好印象であった。

それから、雑誌や広告などの紹介文で、映画の後半に初めて明らかになる事実をネタバレしているのは一体どーいうことよっ! 明らかに興行側が流しているあらすじだと思うのだが、これでは意外性半減--どころか三分の二減である。責任者呼んで来~い(怒)

関係ないけど、予告でやってた韓国映画(『マイ・リトル・ブライド』だっけ?)があまりにも大昔の少女マンガのラブコメみたいなんで笑ってしまった。今さら、そんなのやるかーという感じだ。

主観点:7点
客観点:6点

追記:輸送トラックの恐ろしい話が、確か大平健の『顔を失くした女』に出て来たと記憶している。もう、生半可なミステリよりもずっと恐ろしい衝撃的な話なので御一読をオススメ。

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2005年6月 8日 (水)

森美術館三連発

長い事、行こう行こうと思いつつ行けなかった森美術館に、珍しく平日に休みが取れたので絶対行こうと思い立った(日曜はエラク混んでいるようなので)。しかし当日、結局六本木にたどり着いたのは夕方5時半であった……。なんでこーなる!
でも、そのせいですいていて良かった。良かったけれども、入館するまで係員が客より大勢いて驚いた。もっとも、それだけの係員がいなければ複雑な構造なので、どこへ向かって歩いたらいいのか分からなくてオロオロしてしまっただろう。


○秘すれば花--東アジアの現代美術

日中台韓の新しいアートを特集。しかし、なんだか「アジア的」なるものをパロディ化したような印象のものが多い。西欧人なんかはマジに受け取ってしまいそうだが……。白人の集団が見に来てたけど、どんな風に見えたのか? 尋ねてみたかったけど、どうせ英語出来ないしさっ。
アニメで山水画の背景の中を単純化したキャラクター(ピースマーク並に単純なヤツ)が動いているなんて、どう見ても笑っちゃうのだが。

入ってすぐの所に透明なプラスチックのコップの川の脇に布で出来た家が建っていて、川の水面から「鳥」という漢字が飛び立って本当の鳥になって空を行く、という大きな作品があったのだが、後で解説を見るとこれは三つの異なる作家の作品だった。
それぞれにメッセージも意図も違うのに、こういう風にまとめて展示するのはどうなのか。互いに相殺されてしまっているように思える。
特に、布を使ったスゥ・ドーホーは「美術手帖」誌で見ると材質を生かしたとても面白い作品が作っているのだが、ここではまったく目立たなかった。
他には線を重ねて描いたソン・ヒョンスクの絵が面白かった。

個々に見たら面白いだろうけど、まとめて見ると印象が薄れてしまった作品が多かったような気がする。


○ストーリーテラーズ--アートが紡ぐ物語

解説には「アートに見られる物語性に着目」とあるが、普通、見る者は完全な抽象画以外は美術作品に物語をなんとなく感じとっているのではないか。
しかし、このようにテーマを銘打っているからか、映像作品が多かった。夜のモーテルに女が自動車をぶつけてしまう様子が延々と循環する『シングルワイド』というのは面白かったけど、でも似たような事をデヴィッド・リンチは商業作品でとっくにやっているんだからさあ……などとも思ってしまう。

空港の平凡な光景にわざとドラマチックな音楽を流して見せる『王国への入口』は、最近の娯楽映画の大仰な音楽の付け方を思い出させて笑ってしまった。
ただ、この手の映像ものは見てられるのは5分までがリミットという感じ。他の客も、時間が遅いせいか映像作品はどんどん飛ばして見ていた。

少女性にこだわった一部で話題(らしい)の鴻池朋子は、ナイフ、オオカミ、独自の変なキャラクターなどが登場する映像+インスタレーションだがそれらのアイテムが非常にクローズドな印象で、外部の人間にはよう分からんという感じであった。

全体的に見ると「企画倒れ」という感じもあるような……。


○MAMプロジェクト3--ROR(レボリューションズ・オン・リクエスト)

こりゃ困った!
RORというのはフィンランド在住の若手アートユニットとのこと。MAMプロジェクトとは若いアーティストを紹介するシリーズで、展望台の一角にオマケのように展示されているのである。
だが--何が困ったのかというと、他の本筋展示よりこちらの方がずっと面白かったのである。だから、困っちゃったのだ。

モーターを使って、仮面がキッスのジーン・シモンズのように長い舌を出したり引っ込めたりする仕掛けは見ていると笑っちゃう。おまけにそのピンクの舌がやたらと本物っぽくて不気味でもある。

パトカーの模型がたくさん積み重なっている光景はアクション映画の一場面みたいだが、よくよく見ると布製の詰め物でバカらしく思える。あと、サーフィンの大波を再現した巨大なインスタレーションとか、昔懐かしいマジックシールを使って見る位置によって相反した皮肉なメッセージを伝えるものも面白かった。

あー、こういう変なモン大好きだー \(^o^)/ 恐るべし!フィンランド美術界。
こんな面白いものがオマケだなんてもったいない。やはり、実際に見てみないと分からんもんである。


○展望台

ホントは昼間見たかったけど、意図せずして52階から夜景を眺める羽目になってしまった。でもライトアップされた東京タワーがベッコアメみたい! 国会議事堂の屋根がチョコッと白くてカワイイ! ……などと楽しんでしまった。
夜なんかアベックばかりだろうと思っていたが、平日のせいか、勤め帰りに美術館へ来たサラリーマン+OLのグループや高齢な女性の集団、一人で来ている学生などなど色んな人がいた。
帰りに危うく土産物の「ヒルズまんじゅう」を買いそうになったが、結局止めたのであった。

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2005年6月 4日 (土)

必見!五色不動巡り

「サイコドクターぶらり旅」にて、中井英夫の『虚無への供物』に登場する目白・目黒・目青・目赤・目黄の五色不動全部を自転車で回ったという体験記が読める。もちろん、年月が経ち過ぎているので小説の描写とは全然違う。
距離的には山手線半周か三分の二周ぐらいはあるんじゃないかという感じだ。なんか考えただけでも、わたしなんかヨロヨロと倒れ込みそうである。
画像も豊富にあるので、中井ファンは必見であろう。

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2005年6月 1日 (水)

「コーラス」

監督・音楽:クリストフ・バラティエ
出演:ジェラール・ジュニョ他
フランス2004年

第二次大戦後まもなく、失業した音楽教師が寄宿学校の舎監として再就職。だが、その学校はビンボなワルガキ生徒ばかりであった……。
で、先生は困惑しながらも合唱を教える事で乱暴なガキどもをなんとか取りまとめていこうとする。もっとも、どーしようもない非行少年が転入して来てかき乱したり、校長と対立したりと苦労する--のはある程度、予想がつくような展開になる。

しかし、ありきたりな感動話ではない。非行少年は結局更生できないまま去って行くし、どーっと盛り上がるようなエピソードもない(例えばコンテストで優勝するとか)。主人公の教師も立派な人間という訳でもない。

ハリウッド映画や日本のドラマのような盛り上がりやカタルシスに欠けるこの映画を見せているのは、悪役の校長も含むベテランの役者たちだろう。子役もイキイキしているが、彼らに食われない味のある演技を見せてくれる。

合唱の音楽はラモーの曲が良かった。話題となっているボーイ・ソプラノのモニエ君であるが、私はどーもボーイソプラノって苦手(=_=;) キレイだけど味がないんだよねー。そういう人間にとっては猫に小判ってヤツですかな。

主観点:7点
客観点:7点

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