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2005年6月25日 (土)

「エレニの旅」

監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
出演:アレクサンドラ・アイディニ、ニコス・プルサニディス
ギリシャ・フランス・イタリア・ドイツ2004年

映画ファンを名乗って十ウン年、なのに恥ずかしながらアンゲロプロスの作品を見るのは初めてであります。まあ、元々B級アクション映画のファンだからね(と開き直る)。長尺の芸術映画は得意じゃないのよ。
それがなぜ見に行く気になったかというと、テレビの紹介番組や雑誌を見て川を船が渡る映像が、とても美しかったから。それと、近現代史を背景にした神話的なストーリーっぽいのも面白そうだった。

しかし、残念ながら期待は裏切られた。特にこの脚本はなんじゃ(?_?; 難民と拾われた少女が川岸の町に暮らし始めて……とゆったりと話が進んで行くが、終盤に至って急にスピードアップ。観客が訳のわからんうちにアレヨアレヨと十何年も歳月の経過をザーッと描いて過ぎてしまい(しかも5分ぐらいの間にだ)、何が起こったのかよく把握する前に結末を迎えてしまうのである。
そのため、ギリシャの歴史をよく知らないと?マーク連発状態になってしまう。

2時間55分という長尺はあまり気にならなかった。途中ちと眠くなった場面はあったが……。確かに映像は美しかった。水を使った場面はもちろん、バラックが積み重なったような町もよく出来ている(もっとも、あんな木造家屋は東京でも空襲で焼け残った地域にはしばらく前まで残っていたが)。
だが、その一方でこういう映像を見せたいがためにわざとらしい変な展開にしたんじゃないの、と疑いたい場面も多数あり。早い話が、ヒロインの慟哭にもかかわらず「あんな所に死体転がしとくか?フツー」などと思って白けてしまうのである。

さらに最も致命的なのは、この手の映画というのは映像と、変転する歴史と、神話的なダイナミズムが絡み合って迫力を生み出すと思うのだが、全くそんなパワーは感じられなかった。演出上の問題だと思われるが、特に人物が弱い、弱過ぎである。
運命に対して受動的な態度しか示していない--というのではなくて、例えば駆け落ちするエレニ達は決死の逃避行というより、まるでピクニックかハイキングに出かけるみたいだし、それを追いかける義父は家長としての圧倒的な威厳と権力をもって、というよりは若い娘っ子に色ボケした哀れなじーさんにしか見えない。これでは家でテレビドラマ見てても変わらないような。
ストーリー上は前近代に片足突っ込んでいるにも関わらず、実際の描写にはまるで現代の脆弱な人物像しか表わされていないのである。
従って、中心となるヒロインとアレクシスもなんだかのっぺりした印象しか残っておらず、全く魅力を感じられなかった。

例え、「巨匠」であってもダメなものはダメということであった。三部作の第一作目らしいが、続きを見ることはもうあるまい。

それから、近くの席に二、三分おきにポリ袋をガサガサさせる客が座っていて参った。隣じゃなかったからまだ良かったものの、ああいう音は距離に関係なく響くものである。しかもうるさい娯楽映画ならいいが、こういう少なからず集中力を要する作品でやられたらもう勘弁だ。大体、自分がうるさい音を発しているという事を分かっていないのだろうか? 膝に置いてて邪魔なら床にでも置けばいいじゃないかと思うのだが。
以前、コンサートで隣の席に一分おきぐらいにビニール袋に入ったチラシの束を裏返す(本当に、この行為をただ繰り返すのだ)ヤツが座って辟易したことがある。こういうのは無意識にやってるのだろうか。近くに座られたら不運の一言である。

主観点:3点(注-10点満点である)
客観点:ガサガサ音にはばまれて採点不能

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コメント

いちおうアンゲロプロスファンの私ですが……「?」でしたね……。ちなみに私のコンピュータのいまのディスクトップはこの映画の川のシーンです。
(それにしてもnifty、macでコメント入れると表示上で文字化けするのは許せん)

投稿: 鈴木孝 | 2005年6月28日 (火) 02時20分

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