「僕はラジオ」
監督:マイク・トーリン
出演:キューバ・グッディング・Jr.、エド・ハリス
米国2003年
公開時に見に行けなかったので、DVDで鑑賞。
いや、正確には「見に行けなかった」のではなく「見に行かなかった」である。予告があまりに感動実話路線を強調していたので、なんとなく敬遠してしまったのであった。
実際は地味な話である。高校の運動部主任でアメフト部のコーチを担当している教師が、毎日学校の周辺をフラフラしている知的障害者のラジオという若者に声をかけ、部の練習を手伝って貰うようにする。しまいには授業中の教室に入れ、校内のアイドル状態になる。
しかし、当然横槍が入り、部の成績がパッとしない事もあって、外部との軋轢が大きくなってくるのであった。
毎回、試合が終わった晩に近所の床屋に父兄やら地元のウルサ方が集まり、コーチがそこに顔を出すのである。惨敗すれば顔も出せないが、勝てば笑顔で迎えられるというプレッシャーだ。コワイねー。
観る前は学園ものかと思っていたが、生徒の話はあまり出て来なくて学校運営をめぐる(ひいては「教育」に関する)「大人」の問題が中心だった。TVドラマの『ボストン・パブリック』系だ。
そちらに重点が置かれたたせいか、ラジオが「地域に愛される」ようになったという経過があまりよく分からなかった。DVDの未公開シーンにあったクリスマスのツリーの前で子どもを助けてやるエピソードを入れた方が良かったように思う。
代わりにアメフトとバスケの試合場面は簡潔だが迫力があった。
涙流出の大感動場面は母親に関して混乱したラジオをコーチが慰める部分だろうが、最も圧巻なのはその後でコーチが自分の娘に、なぜラジオのことをこれほど構うのか告白する場面だろう。その理由は娘同様、観客がずーっと疑問に思っていたことなのである。
この告白によって冒頭の学校のグラウンドのフェンスの意味が鮮やかに判明するようになっているのはお見事だ。
それまではラジオ役のキューバ・グッディング・Jr.の演技に目を奪われるが、ここでは、さすがエド・ハリス!と言いたくなった。
この理由づけについては監督も脚本家も色々どうしたらいいのか悩んでいたらしいのだが、実話のご本人から話を聞いてそのまま使ったらしい。つまり、ここでも「事実は映画より奇なり」なのであった。
結末もスポーツものとしては意表をついたものだった。
舞台は1976年だが、個人的には私がFENで米国産音楽を聞きまくり始めた頃である。バックにさり気なく流れるスピナーズやアイズレー・ブラザーズ、さらにはバックマン・ターナー・オーバードライブ(懐かし過ぎだよ!)に思わず懐古の涙が出てしまった。
この作品の後、米国ではコーチを主人公にした映画が二本(それぞれビリー・ボブ・ソーントンとサミュエル・L・ジャクソン主演)がヒットしていて、それも観たくなった。だが、日本ではどれも単館ロードショーか限定公開、というのはどーぉしたことか?日本じゃスポーツものは需要がないのか?
この映画にしても、中心の役者たちがオスカー候補常連だし、デボラ・ウィンガー久々の復帰作という話題もあってか、しばらく興行成績ベスト10圏内にいたぐらいの人気なのに、なぜだっ?
主観点:7点(あえて泣かせる映画は減点1)
客観点:7点
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