「シュレーディンガーの猫」(小倉千加子)
発行:いそっぷ社2005年
16年ぶりに出たエッセイ集だそうだ。従って著者が引きこもっていたらしい時期を挟んで、古いのは1990年代初めの文章も入っている。さすがにそのあたりはネタは古くなっているようだしホントに短文ばかりだが、色々考えさせるものも多かった。
以下、一部引用。
彼らの中には、「凡庸」な自分が愚直に努力しているところを人に見られて「痛い」と思われたくない気持ちも潜んでいる
ネット上でたまに「努力しても出来ない人間がいるのに、そういう者に対して努力しろと言うのは抑圧だ」というような意見を見かける。なるほどそうではあるが、同時に「努力しても無理だ」というのは努力せずにすむ言い訳にもなり得る。
いずれにしても「努力する自分」を外から見る第三者の存在を意識せずにはいられないのだなあ、と思った。
男子学生にとっては、誰かつきあってくれる彼女を見つけることは、恋愛そのものの満足感よりも、男性としてのアイデンティティの確立にとって、とても重要な意味を持っているように見える。
なるほど、だからこそ非モテ議論はいつまでたっても終わらないのか。納得。
それから、唯川恵との対談に出てきた「前駆快感」と「最終快感」の論議も面白かった。先日、とある人の講演を聞いてたら、大人(親)になっても前駆快感が満たされていないと思われるエピソードを紹介された。この本の内容と合わせて暗澹たる気分になってしまった。( -o-) sigh...
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