会場:森美術館
2005年9月17日-2006年1月9日
杉本博司は写真家--といっても、その対象はフツーのものではない。映画館の上映中のスクリーンとか(←これは確かNTTが昔広告でパクって騒ぎになったはず)、何も無い水平線とか、博物館によくあるジオラマとか、変わったもの--じゃなくて、よくあるけど通常なら撮影の対象にならないようなものばかりをモノクロで撮っているのである。
以前から単品では展覧会で目にして来たが、代表作を集めた回顧展という事で行ってみた。
入口すぐの所にあるのは複雑な幾何学の模型を撮ったシリーズ。例えば「平均曲率が0でない定数となる回転面」……って文系者の私にはなんのことかよく分からんが、反復する球面やら線やらモノクロで浮かび上がるその形象は人工的であると同時に、人間の作為が関与しない自然の極致であるようにも思える。
各シリーズごとに作者自身の解説が簡単に掲示されている。それを読んで、これまで知っていた作品でも改めて納得したり、意外に感じたりしたのだが、その意味で極めて衝撃的であったのは「ジオラマ」と「肖像写真」のシリーズだ。
「ジオラマ」シリーズは以前見た時には意図が不明であった。博物館に飾られているような人形やら剥製をそれらしきセットに置いて展示するジオラマというのは、なにやら田舎のあか抜けない見世物風という印象が否めない。なんだか、銭湯の大きな壁画のように「ニセモノ」感が漂うのが常であろう。なんでわざわざそんなものを撮影するのか?
だが作者によると、一旦カメラを通して写真にするとにわかに「本物」ぽく見えるからだという。なるほど確かに、「ジオラマ」と銘打たれていなければ、本物の自然を写したものと勘違いしていまいそうなのもある。
実は、類人猿の生活を再現したジオラマを撮った作品を以前から見るたびに、なぜか「2001宇宙の旅」の場面が頭の中に浮かんでくるのだが、その時は単に両方とも同じような場面を題材にしているからだろうと考えていた。だが、それだけではなかったのだ。
「2001」で類人猿たちがたむろしたり争う場面は、もし現在の映画ならば当然背景と人物を合成して作るだろうが(いやそもそも類人猿もCGか?)、当時はそうではなかった。それこそ、セットに着ぐるみを着た役者を置き、さらに背後に置いたスクリーンにアフリカで撮影した広野の光景を投影した--つまりジオラマ方式であの一連の場面を撮影していたのである。
とすれば、この杉本博司のジオラマの写真と似ているのも当然。同じ方式で撮っているのだから。そして「2001」あの場面にもカメラというものを通した虚実のマジックが存在したのだなあ、とヒシと感じたのであった。
そうして見るとさらに驚かされたのは「肖像写真」シリーズだった。あのヘンリー八世と6人の妻たちの大きな肖像写真が並んで飾られている。まるで本物の彼らが今出現して、カメラの前に座りポーズを取ったのをそのまま撮影したかのようにしか見えない。
しかし、実際には彼らが生きている時代に描かれた肖像画があり、それを元にロンドンの蝋人形館は蝋人形をソックリに作成する。その人形を借りて、当時の照明を再現してセッティングし、肖像写真として撮ったというのだ。
実在するのはあくまで「ソックリな蝋人形」である。そのモデルとなった人間はとっくに死んでいる。しかしカメラを通した時にそこに立ち現われるのは「生きている人間」なのである。
蝋人形という「事実」をギミック無しに撮影したにも関わらず、まるで生きているようなヘンリー八世という「虚構」をカメラは提示するのだ。写真とは事実をそのまま見せるものではなかったのか?それは誤解だったのか? いやそれとも人間の眼が勝手に虚構を作り上げるのか。
一枚の肖像写真の前に虚実がスリリングに交錯する。見ていて思わず興奮してしまったのであった。
あと、「海景」シリーズも素晴らしい。世界各地の純粋に海と空と水平線だけ(岸とか船とか一切なし)を撮影し、しかも水平線の位置をどの作品でもちょうど中間に固定している。それゆえ当然、基本的には同じような構図なのだが、霧やもやがボヤボヤとかかってたり快晴でクッキリハッキリしていたりの差はあるし、モノクロでも微妙な色の違いはある。
作者自身が会場の設定をしたそうだが、暗めの照明の中に展示されているそれらを見ていくと、眼の焦点が合わずにボヤーっとした気分になってきて一種のトランス状態に似た感じになってくる。(以前、マーク・ロスコの巨大な単色の絵画作品を見た時にも同じようになったことがあった)
「こりゃ~、いいこんころもちだ~~、ヌヘヘヘ(^Q^)」と怪しげな酔っ払いのように薄暗い中をフラフラして歩いていたのであった。
映画館で作品を上映中の間、ずーっとシャッター開きっ放しにするという「劇場」シリーズは館名だけでなく、映画ファンとしては是非、映画名も掲示して欲しかった。写真の中ではどれでもスクリーンが真っ白に輝いているだけになってしまうのだが、それでもその光の集積こそが映画そのものなのだから。
その他、三十三間堂の仏像全てを自然光で撮りまくって長く繋いだ絵巻みたいなヤツ、およびそのビデオ作品、水墨画の松の絵を再現したもの(皇居で理想の松を発見したとか)、有名な建築をわざと焦点ぼやかして撮ったものなど、色々あった。
いずれのシリーズにしても、写真というものの虚と実、「見る」という事の意味など様々に考えさせられ、想像させられるものであった。マシュー・バーニー展は遠くて行けなくて残念無念であったが、これはそれに匹敵する(?多分)今年度後半の目玉展覧会の一つだろう。
興味ある方は時間を多めに取ってゆっくりと見て下せえ。
なお、またもカタログよりも展覧会限定ポスターというのに気を引かれ、散々迷った揚げ句(だーって、四千円ナリなのよ)意を決して買おうとしたら、「完売です」だって……。まだ始まって二週間も経ってなかったのにあんまりだー。だったら、「完売」マークを付けといてくれよう。(T_T)
ところで、森美術館て現代アートのかなりマイナーなやつとか実験的なやつとかでも結構人が入っていて不思議だったのだが、ようやくそれは展望台と美術展のチケットがセットになっているからだと気付いた。だから、興味のない人でも展望台のついでに「見てみっか」と寄っていくのだ。
今回も修学旅行のリアル中坊とか観光客風の派手めなオヤヂさんとか、客にかなり混じっていたもよう。道理でと納得した。
それなら客が少ないとか取りざたされている東京現代美術館も、隣接している木場公園に「ジブリパーク」でも作ってセット券で売ればいいのにね。入場者倍増確実だろう。
【関連リンク】
「杉本博司展」
森美術館 http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/
六本木ヒルズ http://www.roppongihills.com/jp/events/sugimoto.html