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2005年10月20日 (木)

「◎らしさ」は自明の理

少し前の記事でも紹介した「成城トランスカレッジ!」経由で以下のブログの記事を読んだ。

《ブレンダの悲劇とジェンダー論》
《「女らしさ」「男らしさ」は生まれつき?》《追記》

さて、次の一文。
 

俗な言い方すぎるかもしれませんが、「目の前にいるこの女、肉体から『女らしさ=セックス』をむんむん放ってるやん。

うーむ、どうでしょうね。ジェンダーについて論じられるようになったというのは、生物学的にメスであることと女らしいことが必ずしも一致しないのはどーしてよ?、という問題も一つあったからでしょう。
その前提をすっとばして、「メス」と「女らしさ」がイコールであるのを自明の理として語ってしまうんだったらそもそもジェンダーやらセクシュアリティを論じる必要性はないわけで--。この人、単にイチャモン付けたかっただけじゃないの、なんて思っちゃうんだよね。

それから、勘違いしているのではないかというのは、「メスの身体」が欲望を喚起させるものを「むんむんと放っている」かのように思っているらしいこと。
じゃなくて、欲望は自らの中に内在するものであって、外部になにやら電波のように発生源があるわけではない。人間の身体なぞ所詮、肉と骨とその他の集合に過ぎない。肉屋の奥に下がっているブタや牛や、魚市場の床に転がっているマグロと変わらないんである。
マグロでも牛肉でもない特定の身体に対して欲望が引き起こされるのは、あくまで自分の内部に発生装置があるからである。(中には「マグロの方がよい」という者もいるだろうが)
そこんとこ勘違いしているから、結局は実感なき他人事のように見えるのではないか。自分のセクシュアリテイが自明のことならば、やはりこんな論議はなんの意味もないだろう。

あと、文中の「セックス」とか「ジェンダー」とか用語の使い方が一定でないのもちょっと混乱するところがあるように思えた。

ついでに、小倉千加子は2001年の『セクシュアリティの心理学』で一章を割いてJ・マネーの功罪や「双子の症例」について取り上げている。
だからと言って「『セックス神話解体新書』で誤った学説を取り上げてスマン<(_ _)>」とは自己批判も総括もしていないけどね。(「自己批判」と「総括」については『嗤う日本のナショナリズム』を参照のこと)

しかし、こんな文章書くとまたいかがわしいスパムTBが来そうだ。ニフよ、なんとかしてくれ~。

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