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2005年12月18日 (日)

バッハ「ミサ曲ロ短調」:ティンパニのド迫力に感動です

演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:東京オペラシティコンサートホール
2005年12月11日

『ミサ曲ロ短調』ったら、近年の研究によってバッハの遺作と認定された作品である。しかも、生前に実際に演奏されたのかどうかも記録がなく、どういう理由で作曲されたかもよう分からんらしい。(バッハはプロテスタントだが、ミサの形式はカトリックのものに準じている)

BCJは確か数年前にも演奏しててその時も聴いてたが、今年は海外の公演でもずっとやってたのとこと。そのせいか、極めて安定感のある堂々とした演奏だった。
ただ、第二ソプラノの藤崎美苗が他に比べると今イチさえなかったような気がしたが、気のせいか? あと、アルトのインゲボルク・ダンツには文句は無いが、できればカウンターテナーで聴きたかったなあ。

器楽の方はホルンとティンパニを海外からの助っ人を登用。特にティンパニはすごい迫力で驚いた。単なる祝祭的な感じでやってますぅー、というようなもんじゃなくて、正しくここでこう叩かねばならないから、こう演奏しているのだっ!というような恐るべき気迫がヒシと伝わって来た。そんなに『ロ短調』をナマで聴いているわけではないが、その中でもこんなティンパニは初めてである。おかげで、全体的にも筋が真っ直ぐに一本通った、ビシッと決まった演奏になったように思う。

さて、合唱の編成は各声部3~4人という最近の古楽演奏ではスタンダードな人数。モダンの方では大抵この曲は大編成の合唱隊による数で勝負!みたいのが普通だろうから、そういうのを聞き慣れている人は少なく感じるかも知れない。
一方で、配られたパンフの中で鈴木雅明は最近流行の、リフキンが提唱している「一パート一人」のスタイルを真っ向から批判している。この件はこの先もずっと論争のタネになるんだろうが、真実はタイムマシンでも発明されて当時を覗いてみなければ分からないだろう。
ただ、結局のところ、現代の聴き手にとってはどのような演奏が好みかという点に帰着するしかないような気がする。

ちなみに、家に帰って我がCD棚をゴソゴソとあさってみたら、『ロ短調』はリフキン盤(完全に一パート一人体制)、バロット盤(声楽のみ一人ずつ)、レオンハルト盤が出て来た。リヒター盤も昔は愛聴してたはずなんだけど、引っ越しの時に処分してしまったかも(大汗) あ、もちろんBCJのCDが出たら買いますよ。

私はバッハの音楽がキリスト教の素養がないと理解できない、という説にはくみしないが(そんなこと言ったら、ロックに至るまでいかなる西洋音楽も完全には理解できないことになってしまう)、『マタイ』や『ヨハネ』のような受難曲はまだ演劇的な要素があるからなんとなく比較的に分かりやすいような気がする。だが、『ロ短調』は技巧的なことを別にしても難しい……何やら妙に神秘的であると同時に、お祭り的であり、荘重であるが軽やかな所もあり、極めて多面的である。演奏者はもちろん聴き手も試される作品であることは間違いないだろう。

【関連リンク】
こちらでもっとちゃんとした感想が読めます。
古楽ポリフォニックひとりごと
フライング拍手は逝ってよし!

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