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2006年1月

2006年1月31日 (火)

日本インターネット映画大賞決まる

私も外国映画部門の投票に参加した「日本インターネット映画大賞」だが、結果の速報が発表になった。
1位が『ミリオンダラー・ベイビー』というのは想定の範囲内だが、しかし見事に自分が選んだものと一つも重なってないねー。今まで、こんな事はさすがになかったんだけどさ。

ちなみに2ちゃんねるの映画板での投票は
1位 ALWAYS 三丁目の夕日
2位 ミリオンダラー・ベイビー
3位 チャーリーとチョコレート工場
4位 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
5位 宇宙戦争
6位 バタフライ・エフェクト
7位 シン・シティ
8位 キング・コング
9位 パッチギ!
10位 オペラ座の怪人

となっていて、かなり似ている。(ちなみにワーストは『宇宙戦争』)
同じようにネットにアクティヴに書き込んでいる人の傾向(世代とか趣味・嗜好とか)という点で似てくるんだろうか。

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2006年1月29日 (日)

「めざめよ、甘美な愛」:なぜか合唱が今イチ

ダウランドからパーセルにいたるイギリスの音楽
演奏:ムジカマーノ
会場:ハクジュホール
2006年1月18日

ムジカマーノとはスウェーデン出身のリュート奏者ヤコブ・リンドベルイが自国の音楽家を集めて主宰しているグループ。
今回、初来日でモンテヴェルディの歌曲のプログラムで各地を公演していたが、この日だけはイギリスものをやるというので、こちらを選んで行ってみた。

内容はルネサンス期の英国代表であるダウランドからバロック期のパーセルまで様々な作曲家の歌曲を演奏。間にリンドベルイのリュートとキタローネの独奏を挟むという構成である。タイトル通り、ほとんどは恋愛の歌だ。
舞台の真ん中に楽譜台代わりの小さなテーブルを置いて、それを前にして伴奏するリンドヘルイの両側にバス・テノールの二人とソプラノ二人が立って歌う。曲によって独唱だったり、掛け合いだったり色々である。

個々の歌手はすごくうまいという印象で、特に二人のソプラノは非常に美しい声だった。が……なぜか全員の合唱になるとバラバラな感じでまとまりがない。なんだか響きがデコボコしている。
クレマン・ジャヌカン・アンサンブルの時もそれぞれの歌手は極めてうまかったが、同時にアンサンブルとしても完璧な響きを聞かせてくれだ。これは別に男声だけだから、という訳ではないと思うんだが--。コーラスを実際にやってる人にどう思うか聞いてみたいものだ。

これだったら、オペラの曲を振りも付けてやってくれたというモンテヴェルディ公演に行った方が良かったかも知れない。ちょっとガックリ来たコンサートだった。

曲は『ハムレット』の有名な「生きるべきか--」のくだりをそのまま歌にしたのが面白かった。
それから、キタローネ(低音用の長~い弦がついてる)というのは縦にすると人の身長ぐらい長いのねー。間近に見て驚いた。まあ、私の身長だと完全に端まで手が届かないでしょうが(^o^;;;;;; 解説に「拷問台と間違われた」とあるのには笑ってしまった。

最後に文句。この日は五人しか出演しなかったのに、プログラムにはモンテヴェルディに出た九人全員の名前が載っている。これじゃ、どの歌手が出たんだか分かんないじゃないの。しかも、宣伝のチラシにはちゃんと五人だけの名前になっているのにさ。金出して買ってんだから出演者名ぐらいちゃんとしてくれ~。

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2006年1月28日 (土)

「ヘラクレスの選択」:女神様がたに思わず平伏

ヘンデル・フェスティバル・ジャパン 第3回 コヴェントガーデンのヘンデル
演奏:キャノンズ・コンサート室内合奏団&合唱団
会場:浜離宮朝日ホール
2006年1月13日

バロック後期というと、バッハ以外にもヘンデル、ヴィヴァルディ、テレマンなどという名作曲家がいる。それぞれのファンはこんにちバッハばかりが「偉大」などと持ち上げられる風潮を苦々しく思い、内心「けっ、バッハがなんぼのもんじゃい(-.-;)」と感じているに違いないのであーる。

さて、そんなヘンデル・ファンには年一回開催される「ヘンデル・フェスティバル・ジャパン」ですよっ(^_^)b
毎年、レクチャー1回、コンサート2回の三公演の組み合わせでやっているようだが、今回は「ヘンデル晩年の傑作・寓意的オラトリオ」である『ヘラクレスの選択』に行ってみた。本邦初演とのこと。

まず前半は、器楽合奏の『合奏協奏曲集 作品6』。この演奏がすごーく良かった! 芯があってピリリンと引き締まってキビキビしていた。年末にこの中のメンバー数人によるアンサンブルのコンサートがあったのだが、行けばよかったと後悔したほどである。
いや……正直に言おう。ホントはそのチケットを買っていたのだが寝坊をして行き損なったのであるっ(火暴) 6月にまたコンサートをやるようなのでその時はちゃんと朝起きて行こうと固く心に誓ったのであった。

後半が『ヘラクレスの選択』。ヘンデルはイギリスに来た当初はイタリアじこみのオペラで売れっ子になったが、人気がなくなってくると今度は宗教的・道徳的な内容の英語による声楽作品でまき直したらしい。で、これはその一つで、もっと長い作品の幕間に挟んで演奏された短い「音楽幕間劇」というんである。

内容は極めて単純で、若き頃の英雄ヘラクレスを「快楽」と「美徳」がそれぞれの道へと誘う(このような抽象的なキャラクターが登場するのはバロック音楽では珍しい事ではない)--「快楽」がこっちに来れば酒はウマイしねーちゃんはキレイだ、みたいなことで誘うと、「美徳」が例え厳しくても正義の道を歩めと説く。
その間をフラフラと迷うヘラクレス、そして両者の直接ガチンコ対決を経て遂に彼は「美徳」を選び、合唱が偉いぞヘラクレス!やったねヘラクレス!英雄と認定!!みたいな華々しいエールを送って幕を閉じるのだった。

演じる独唱陣が豪華な面子。ソプラノの野々下由香里が「快楽」となって愛らしく甘美に歌えば、メゾソプラノの波多野睦美の「美徳」はあくまでも強く荘重な感じで、思わず「へへーっ、女神様~、おいらはどっちにも一生ついて行きますだ」_(_^_)_ ペッタリ(床にひれふす)となってしまうくらい。
で、英雄ヘラクレスはカウンターテナーの米良美一だったが、彼の声を聴くのはBCJに出なくなって以来、ホントに久し振り。でも、なんだか声質が変わってしまっていてちょっとビックリ&残念だった。

全体的には大満足の公演であった。ヘンデルの大ファンではないが、来年もまた必ず行くことにしよう。

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「ある子供」関連リンク追加しました

以前にも選挙関係ネタで引用したことのある荒木國臣先生のHPから、今度は『L'Enfant(ある子供)』の感想をリンクした。
個々の評にはリンクできないので1月12日付けのところを見て下せえ。

 

成熟した先進国でのアイデンテイテイ形成の回路が壊されてしまい、自立の契機を剥奪されて小児的な欲望のままにあてどもなく生きている若者の姿は、そのまま現代日本のものである。

うむうむ、正しくこれが私も感じたことだった。
他の映画の感想も出ているが、『スタンダップ』はこれから見に行く予定(早く行かないと打ちきりになってしまう)。一方、『真夜中のピアニスト』の評価は私とは正反対ですねー(^^;

ただ、こちらのHPは幅いっぱいに字が詰まっていて読みにくいのが難。読んでいるうちに別の行に目が移ってたりして訳分かんない状態に(@_@)

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2006年1月22日 (日)

「ロード・オブ・ウォー」:一家に一挺、戦争も自己責任で民営化です

監督:アンドリュー・ニコル
出演:ニコラス・ケイジ
米国2005年

『ガタカ』の監督や『トゥルーマン・ショー』の脚本で知られるアンドリュー・ニコルの新作は、現実の武器商人の世界をリサーチして一人の男の物語としてまとめ上げたもの。
前作の『シモーヌ』もそうだが、これまでの彼の作品は近未来風の設定を使ったものがほとんどで、よもや実話路線で来るとは意外だった。

子供の頃、ウクライナから米国に移住して来た男がひょんなことから武器売買の商売を始める。おりしも、東西冷戦が終了、だぶついた武器は流出を始め、一方火種はアフリカ大陸のあちこちに。この状況の変化は彼のような「新規参入組」に商機をもたらすのであった。

こんな経過が主人公の極めてシニカルな語りで淡々と描かれる。戦乱・殺し合いがなんだっていうのよ、武器を売ったらそれでハイおしまい。世に戦乱のタネは尽きまじ~だから儲けのタネも尽きないで儲かるのだ。それに実際は色々苦労してんだからね。手伝ってた弟がノイローゼでヤク中になってもまあ仕方ない。昔っから繊細な子だったのさ--と前半は、実は恐ろしい陰惨な話も妙に突き放した感じで飄々と進むのは好感である。

だが、後半、奥さんの話が絡んでくるとどうもウェットになってしまい、いい調子が崩れてしまってちょっとガッカリ。大体にして、あの奥さん薄情過ぎだよ。

しかしラストで逆転、またもシニカルな調子を取り戻す。現実に基づく物語を描きながらも、この淡々とした感じがこの監督これまでの作品同様、ある種の寓話へと転換させていくようである。

改めて、ニコラス・ケイジは上手い役者だと再認識。悪とも善ともつかぬ人間をビミョ~に演じている。それから、鬼畜なアフリカ某国大統領役は『OZ』でサイードやってた人だった。役柄は正反対だが……。
登場する武器は全部、武器商人から借りたりしてホンモノだそうだ。スゴイねー(^^;
疑問が一つ、こういう商売の方々はいつも一人で行動してるんですか? 手下の一人や二人連れていそうなもんだが。
--ということで、武器ヲタクとN・ケイジのファンは見て損無し!と太鼓判を押しておこう。

さて、ラストは国連常任理事国の五ヶ国が実は最大の武器輸出国である事が明らかにされる。って事は、主人公のやってるのは下請けで、「官から民へ」で「小さい政府」を目指す「民営化」の一環ですか? 素晴らしいっ。民営化バンザーイ \(^o^)/


主観点:7点
客観点:8点

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2006年1月21日 (土)

「タイドランド」(ミッチ・カリン):キョーレツ過ぎるお子様の妄想世界

金原瑞人 訳
角川書店2004年

以前、テリー・ギリアムの次作の原作としてこの記事で紹介した本。
あらすじのあまりのヘンさに思わず読んで見たくなってしまった。実際読んでみると……変というより強烈という感じでいささか辟易するほど。

母親の死ををきっかけに、元ギタリストの父親と共に主人公の少女はド田舎の祖母の持ち家へ逃げてくる。今では無人のその家に着いて間もなく父親は動かなくなってしまう……。

これを発端に、父と母とのみじめな生活の回想、荒涼とした家の様子、ご近所の怪しげな姉弟、などがごっちゃになって少女の一人称で語られる。
しかも、彼女は雑貨屋で買って貰った人形の頭に絶えず語りかけ、どこかにいる幽霊や怪物の恐怖におびえ、果てしない妄想に浸っている。果たして、父親の死をちゃんと認識しているのかもよく分からない。金もなく、食い物もない、これまでまともな暮しを送って来なかった子どもゆえ生活能力もない。

これらがグ~ルグルと繰り返し執拗な少女の独白で繰り返し語られるのだ。読んでいて思わずウツになってしまった。もう少し幻想的な感じなのかと予想していたが、そうではなく、あくまでも基調はリアリズムなのであった。(こういうのも「呪術的リアリズム」になるんでしょうか?)
どの描写を取ってみても、おそるべき異化作用がある。普通のものを普通に描くのを徹底的に拒否しているようだ。読んでいて「まだ続くのー」という気分になってしまう。

もっとも映画の『ポビーどディンガン』のような生ぬるい妄想話を見せられた後では、こちらの方が「そうだよなっ!お子様の妄想ったらこうゆうもんだよな」と納得できる。
しかし、これをギリアム監督はどういう風に映像化したんだろうか。フツーに考えたらとてもよい子には見せられません!(キッパリ)悪夢にうなされることは必至であろう。
悪い大人にのみ推奨。

ところで、訳者のあとがきはほとんどの部分を筋書き紹介に費やしており、ホントにやる気があるんか?との疑念を生じさせた。こんなのじゃ、ない方がマシかと思うが。


父親のギタリストは、つい最近死亡記事が出ていたリンク・レイという人がモデルだろうか? デンマーク在住で、P・タウンゼントなどに支持されてた--っていうし、年齢的にも近いんではないか。
【関連リンク】
Link Wray
【訃報】リンク・レイ 享年76歳
このブログでローラ・ブラニガンが亡くなっていたことを初めて知った。懐かしい名前です……。

こちらでも感想が読めます。
おたくにチャイハナ「小説『タイドランド』」

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2006年1月20日 (金)

映画大賞・番外編

これまでニフティのパソ通の映画フォーラムで書いていたんだけど、映画ベストテンの番外編をブログでもやってみることにする。

【変な邦題で賞】
『ビヨンドtheシー』
なにげに「the」が最低さをかもし出している。グッジョブ!

【最優秀端役賞】
ルトガー・ハウアー(『バットマン ビギンズ』『シン・シティ』)
うっかりすると「ええっ、出てたんかい?」と気付かなかったりするほどの端役ではあるが、もちろんルトさんのファンならばそんな事は気にしないのであーる。

【最優秀弟分賞】
ジャレッド・レト(『アレキサンダー』『ロード・オブ・ウォー』)
どういう訳か「弟」役がよく似合う……。理由は不明。

【最優秀兄貴賞】
サミュエル・L・ジャクソン(『コーチ・カーター』)
一生ついてきますっ \(^o^)/

【最優秀動物賞】
『ティム・バートンのコープスブライド』のホネ犬
犬嫌いだけど、こいつなら飼ってもいいやと思うほどのかあいらしさ(^^) エサ代かかんないし。でも名前忘れちゃった、スマヌ。

【最優秀死体賞】
ベニチオ・デル・トロ(『シン・シティ』)
異議な~し。

【最優秀「音」賞】
『ある子供』の札を数える音
なんというか、聞いてると足のつま先から生気が失われていくというか--うちのめされるというか、そういう「音」である。かつて映画の中でこんな音を聞いたことはない!と断言しよう。

【怖い顔で賞】
【いくらなんでもその年齢は無理で賞】
レイ・リオッタ(『コントロール』)
もうビデオが出ているので、どれほどコワい顔であるかは見て頂ければ分かると思う。詳しくはこちらの感想を読むべし。

【エロいねーちゃんで賞】
エマニュエル・ベアール(『恍惚』)
まさにこの顔文字 (~Q~;)ハアハア がぴったり。ウン千万円でも貢いじゃいます。

【最凶映画賞】
『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』
詰まらない、とかワースト、という意味ではなく、あまりのウツさ・暗さに見るともう立ち上がれなくなって映画館の床に倒れ伏してしまうような作品。

【ちゃぶ台ひっくり返し賞】
該当作無し
「ちゃぶ台ひっくり返し賞」とは見終って、あまりの結末に思わず「なんじゃ、こりゃ~。観客をなめとんのか!」(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン と、ちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になる映画に与えられる栄光ある賞である。
該当作が無かったというのは、今年はどれも素晴らしい出来だった--というのではもちろんなく、単に私に、怪しそうな映画まで見に行く気力がなかっただけのことだ。

【ワースト賞】
『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』
散々、悪口を書きまくったがまだ言い足りない。いんや、冥土の果てまでも言いまくってやる~(>O<)
あの二十ウン年前の熱狂の結末がこれとは……一体誰が想像したであろうか! ルーカス、あんまりだーっ。(T^T)クーッ
(以下500行悪口が続く)

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2006年1月18日 (水)

「日本インターネット映画大賞・外国映画部門」に投票する

昨年までニフティのパソ通の方の映画フォーラムで「ニフティ映画大賞」というのに年間ベスト作品を投票していたのだが、それが今年はパソ通が終了したこともあって、上記のようなタイトルで広く募集を始めたもよう。詳しい事や去年の結果など知りたい人はこちらを見るべし。
で、私もブログを通して投票することにした。映画のタイトルのリンクは自分の書いた感想へのリンクである。
なお、恒例(?)の特別賞・ワースト賞は長くなってしまうので後で別記事としてアップしたい。


 投票部門:外国映画

 [作品賞投票ルール]
 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ヒトラー 最期の12日間」  5点
  「ある子供」          5点
  「バットマン ビギンズ」     4点
  「亀も空を飛ぶ」        4点
  「バッド・エデュケーション」  4点
  「ベルリン・フィルと子どもたち」 2点
  「ザ・インタープリター」    2点
  「ティム・バートンのコープスブライド」 2点
  「ブレイキング・ニュース」   2点

【コメント】
やはり一年の前半に観たのはどうしても不利になってしまう。『レイ』なんて、もう大昔に観たような気が……(大袈裟)という感じだもんね。
『ヒトラー』は、あくまで『アレキサンダー』みたいな「伝記もの」と同様のフィクションとして評価している。ドキュメンタリー映画じゃないんだからさ。
『ザ・インタープリター』は滅亡寸前の社会派サスペンス枠として大甘評価で入れた。
ドキュメンタリー枠は『ライトニング・イン・ア・ボトル』を考えたが、音楽ものは音楽自体の良さと映画自体の出来を区別しにくいのでパス。あえて肝心のステージ自体をほとんど見せなかった『ベルリン・フィル~』の方を選んだ。
今年は観たのが少なくって無念だったアクション映画枠は、同じテンコ盛りでも食後に消化不良を起こす『シン・シティ』より『ブレイキング・ニュース』を選定。


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【監督賞】              作品名
   [ペドロ・アルモドバル] (「バッド・エデュケーョン」)
【コメント】
普通は作品賞で一番に挙げている作品の監督を選ぶものだろうが、今回はあえて彼にした。エグいケバいエロいの三連発に派手な色彩、ハチャメチャな展開、そしてラストの「純愛」とくれば、おお、まるで最盛期のケン・ラッセルじゃないですかっ。この路線でこれからも頼む。

【主演男優賞】
   [ブルーノ・ガンツ] (「ヒトラー 最期の12日間」)
【コメント】
映画ではほとんどない事だが、ナマの芝居で役者の身体から直接発せられているある種のエナジーがスクリーン上の彼から感じられた。鬼気迫る、とはこの事ですかね。

【主演女優賞】
   [ジュディ・デンチ] (「ラヴェンダーの咲く庭で」)
【コメント】
作品自体はなんだが、ラストで思わず一緒にもらい泣きしてしまった。海千山千のオバハンのはずなのに、まるで大昔の少女マンガのヒロインのよう。役者っつーのはスゴイもんです。

【助演男優賞】
   [ピーター・サースガード] (「ニュースの天才」)
【コメント】
今回一番選定に迷った部門。順当なら『シンデレラマン』のP・ジアマッティだろうけど、今イチ物足りんのでこちらに。無言の背中に大いなる怒りを感じた。

【助演女優賞】
   [コリンナ・ハルフォーフ] (「ヒトラー 最期の12日間」)
【コメント】
才色兼備・良妻賢母にして鬼子母神の如く自分の子どもをガシガシと食らう。この恐るべき母親像をまったく矛盾なく演じている。素晴らしい。思わず澁澤龍彦の『世界悪女物語』を再読してしまった。

【新人賞】
   [ニルス・ミュラー] (「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」)
【コメント】
こんなに人を落ち込ませる映画を作れる人間はある意味すごい!--ということで、新人監督さんに。


【追記】
肝心の「日本インターネット映画大賞」のHPとブログにリンク付けるのを忘れてたので修正。

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2006年1月16日 (月)

東京都にケンカを売る

既に新聞などで報道されていてご存じだろうが、国分寺市が上野千鶴子を講師に呼ぼうとした所、都の教育庁が横やりを入れて来たという事件があった。事件自体は昨年の8月だが、その後に中止の経緯などが明らかになって来て、先日記事になったらしい。

で、ついに上野千鶴子が東京都に対して公開質問状を出したそうな。内容が以下に紹介されている。

「成城トランスカレッジ!」より
上野千鶴子さんの公開質問状
こちらは事件と報道の問題点について
ジェンダーフリーバッシングはいつ頃はじまったのか ――そしていつ終わるのか。

これはまさに上野千鶴子が都にケンカを売る……というよりは売られたケンカを買ったという事か。いずれにしろ成り行きが気になる。
それにしても他の日のエントリもひどい件が紹介されている。ネタは尽きまじ、ですな。

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2006年1月15日 (日)

「永遠なる薔薇」:枯れゆく花の感触

サブタイトル:石内都の写真と共に
会場:ハウス・オブ・シセイドウ
2005年12月7日-2006年1月29日

以前、石内都の『Mother's』という写真集を見た時に、何やら言葉では言い表せない葛藤のようなモヤモヤしたものを感じた。
それは自分の母親の遺品(口紅や下着)やあるいは皮膚の傷などを接写(距離的にはもちろん気持的にも)したものだった。母というものに対する相反する感情がモワーッと湧き上がってきたのを覚えている。

さて、銀座の資生堂本社のギャラリーで彼女の薔薇の写真を展示しているというので、行ってみた。
資生堂ビル--立派である。ピカピカしている。私のように化粧品に縁のないものはそもそも入りづらい。おまけに警備員も立ってる。不審者と認定されたらどーしようなどと不安に思いつつ、なるべくキョロキョロしないようにして潜入。休日だが人は少ない。

一階には写真のほかにビデオ作品も展示。カラーにモノクロ、大きさも色々。もちろんぜーんぶ薔薇の花を接写したものだ。花は満開のやつからヨレヨレに枯れかけたのまである(ほとんどは盛りを過ぎた時期のもの)。
例えばメープルソープの花の写真だと古典的な造形美が追求されているが、こちらはあくまでも花びらの感触にこだわる感じだ。薄オレンジの枯れた花を接写したものなんか、遠くから見ると人間の皮膚のように見える。少なくともそこに基調としてあるのは、「美」ではないことは確かだ。

二階にも作品があるというので、資料室と一緒になっている展示室へ上がる。こちらは資生堂関係の商品やデザインの歴史の展示もあり、薔薇にちなんだ香水や色などが紹介されている。
香水は実際に匂いをかげるのがミソ……ではあるが、実は人間の鼻はいっぺんに三種類までしか判別できないらしいので、端からかいでみてもムダなのであった。
引出し式の風変わりな展示ケースがあって、そこには母親が昔使っていた香水(Zenというヤツ)があったので懐かしくなって、思わずかいでしまう。母親は資生堂製品のお得意さんだったのだ。

--そうした中で、シワシワしてザラザラして渦巻いている石内都の薔薇は、懐旧と共に過去へと向かいいつまでも古びていくようであった。

【関連リンク】
「THメモ板」 桑原弘明・石内都・今村源・ナナオヒシャク
公式サイト(ハウス・オブ・シセイドウ)

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2006年1月14日 (土)

「ある子供」:観客の「子供度」をあからさまにする恐るべき作品

監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
出演:ジェレミー・レニエ、デボラ・フランソワ
ベルギー・フランス2005年

以前の『ロゼッタ』に続いてカンヌ二冠獲得した作品。ということで、充分行けるぜっ!と鼻息も荒く配給元が考えたかどうかは知らないが、監督兄弟まで来日して精力的にあらゆるメディアに顔を出して取材を受けていた。かなり宣伝費もかけたんだろうなと推測する。
で、その宣伝費かけただけの甲斐はあったかというと……大ヒットとはいかなかったようだ。同時期に同じ映画館でやっている『ポビーとディンガン』の方が客が多いぐらいじゃないだろうか。
でも、それは同然だろう。だってこの映画は観ていて楽しくも面白くもないのだから。大勢の観客が押し寄せて来るはずもないのだ。
--しかし、ここには何か名状しがたい「力」がある。「問題作」とか「衝撃作」などという言葉では表わせない何かが、だ。

冒頭、赤ん坊を抱えた若い娘が病院から退院して自分のアパートに帰ってくるところから始まる。父親は宿なしでゴロゴロしている二十歳の若者で、ケチな盗みをしては金を稼いでいる。以後かなりの長い時間、観客はこの若いカップルが他愛なくじゃれ合っているのを見させられる事になる。赤ん坊がいるのにタバコ吸ったり(おいおい)、車を運転しながらふざけたり(危ないっつーの)、ドリンクを引っかけ合ったり(もったいない)……人によってはここで「なんだ、このDQNカップルは!」とガマンできなくなるだろう。(実際、途中で出て行った観客がいた)

さらにその後今度は、若者が一人で乳母車を押しながら下らん事やら子供じみた行動をするのに延々と付き合わされる破目になる。
そのうち、彼はふと思いついて赤ん坊を売ってしまう。まるで盗品を処分するように……。

背景は一貫してベルギーの薄ら寒そうに湿った灰色の都市、それをほとんどの場面を手持ちカメラで淡々と撮る。しかも、効果としての音楽は一切流れない。(カーラジオから流れる『青きドナウ』だけ) それが最後まで続く。
観客が直面させられるのは、この若者の長く空虚な時間そのものである。当人は空虚などとはつゆほども自覚していないのだが、まともな他者から見ればそれは無に等しく、その行動は刹那的で何も考えていない。観ていていい加減、ウンザリしてくるはずだ。
しかし同時に、その「空虚である事」の苛酷さもまた伝わってくるかも知れない。

この映画の宣伝やマスメディアの取り上げ方は、最近話題になっているニート問題と関連づけているのがほとんどだった。だが、それは間違いだろう。これは、どの時代のどの地域でも普遍的に存在する、ある種の若者の姿をありのままに描いているものなのだ。
主人公のような若者は、犯罪を犯すまでには至らなくても日本でも珍しくはない。図体は大人と同じでヒゲまで生やしているような年齢なのに、言動--というよりは基本的な身体の動作までが全く小学生と同じというようなヤツ。
主人公は二十歳という年齢なのに、泥を白壁にくっつけて遊んだり、川を小枝でかき回して時間を潰したり--という小学生と変わらないような動作で時間を潰している。あーこういう奴いるいる、この監督たちはよく観察しているなあ……と思わず見ていて苦笑してしまった。

私は、以前住んでいた地域で2月という一番寒い時期にも関わらず、夜の12時頃に自販機の前でたむろする、あるいは一人で座っている若者たちを思い出した。ド田舎なので終夜営業のコンビニもないせいもあるだろうが、その時は自販機が優しい母親の代わりであり(確かにコインさえ入れれば何も言わずに暖かい飲み物を出してくれる)、乳と蜜流れる楽園の代わりのように見えたものだ。
映画の中で彼を取り巻く人間関係は、若い母親を除けばほとんど金銭的なつながりしかない。(いや、彼女との関係もアヤシイが) 盗む-売る-借金を返す-使う、のサイクルの繰り返しだ。自販機同様に金の切れ目が縁の切れ目、金をなくしたら彼をまともに相手にする者はいない。
そもそも周囲に身近な大人というものがほとんど存在しない。登場するのは、警官、ヤクザ、今は他の男と暮らしている彼の母親ぐらいだ。

さて、そんな主人公の空虚な世界を一変させるのは、彼が手下代わりに使っている少年の叫び声である。年齢は中一ぐらい?のその少年はピアスをつけ、いっちょまえにタバコを吸い、盗みも引ったくりも平気、わざとしゃがれた声で喋る。
だが、そんな彼がかん高い叫びを挙げた時、観客は初めてまだ彼が声変わり前のほんの子供に過ぎないことに気付く。そして、おそらく主人公も--。

この叫びを聞いた時、私は同じような声を『亀も空を飛ぶ』でも耳にしたのを思い出した。それは大人と堂々と渡り合うサテライト少年が怪我をした時、やはり子供っぽい声で泣き叫んだのである。ここで、思いがけなく彼が大人ぶってはいてもまだ本当は子供であるのがあらわにされてしまうのだ。
そう言えば『亀も~』にも赤ん坊が登場してた。そして周囲にロクな大人が存在しないのも同じ。国情があまりに違うとはいっても、社会のシステムからはじき出された子供たちを描いているのには変わりない。
しかし『亀も~』の子供に同情の涙を流す人はいても、こちらの主人公の若者に同情する者はいないだろう。

それを思えば結末において示される、監督たちの「大人」ぶりには驚き、そして感心し圧倒された。
私は子供の頃、歳をとったらきっと大人になれるのだろうと信じていた。しかし実際はそんな事はなかった。いくら歳だけくってもガキのままなのは変わりはない。
死ぬまでにはいつか、この監督たちのような「大人」になりたいと心から願う。しかし、そんな日は来るだろうか?(……CCRが耳元で「いつかなんて絶対にやって来ない」と不吉に歌う)

見終ってすぐは「『息子のまなざし』ほどの衝撃はないなー」などと思ったが、時が経つにつれて段々ズシーッと来た。やられたってな感じですか。
寒々とした映像もたまらんが、「音」はもっとスゴイ! 絶えず鳴り響く自動車の行き交う音、少年の鋭い叫び、そして何より札を数える音……これには参ったよ。(-o-;) こんな「音」は未だ聴いた事はないと断言しよう。

ポスター・チラシの写真や宣伝文句は、内容を勘違いさせてるんじゃないかとちょっと気になった。
他国のサイトを幾つか見たが、赤ん坊が一緒のスチール写真を使ってるのは日本だけだよ。他はみんな若い二人のショット。
日本の公式サイト
米国公式サイト これから公開らしい。


主観点:9点
客観点:6点(他人にはオススメしないという意味で、この点数)


【関連リンク】
いくつかネット上の感想を見たが、ここのブログが唯一、結末について卓見を示していると思う。
他には納得いく感想は見つけられなかったなー。(モロに評論家の文体真似しているのがあったりしてめげた)
「音楽的、あまりに音楽的」
しかし、コメント欄もTBもないんですね。はてな同士だとできるのかな?

こちらを後から追加。
以前にも引用したことのある荒木國臣先生のHPより「映画/芸術批評02」1月12日付けの『L'Enfant(ある子供)』
大いに納得!
ただ、こちらのHP、幅広に字が詰まっていてとっても読みにくいのが難。(泣)

参考意見として、ついでに否定的なものも紹介しておこう。
「京の昼寝~♪」
この映画に納得できない人の意見の代表的なものか。「日経エンタメ」誌の松本人志の評もこんな感じで3点を付けてる。(もちろん10点満点で)

【追記】
カンヌで以前にパルム・ドール取ったのは『ロゼッタ』の方だった。『息子のまなざし』は取り損ねたのねー。訂正しました。
関連リンクを一つ追加。

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2006年1月 9日 (月)

新聞のコンサート評にブチ切れる

休日に、ためていた新聞をまとめて読んでいたら、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルのコンサート評を見つけた。(朝日新聞2006年1月5日夕刊)

書いたのは岡田暁生という人で、最近では中公新書から『西洋音楽史』を出している学者らしい。
冒頭から三分の二ぐらいは誉めている。だが「擬音や漫才のような掛け合いといった、フォークロア的要素」「大道芸人的な猥雑さ」と書いておきながら、その数行後に今度は「最先端ファッションのような洗練された遊び感覚でいっぱいだ」とか「これらの音楽が本来持っていただろう生々しいアクや生活臭は、完璧に濾過されている」なんて文章が出てくる。

えー、あのう、論理的に矛盾してませんか? 結局彼らの演奏は「猥雑」か「洗練」のどっちだったんですか(?_?)

それからあたかも、ジャヌカンのシャンソンを民謡のような「土俗的」で「生活臭」あるもののように書いているが、教会の楽長のような職業にあった音楽家が楽譜に記した作品が、そもそも「土俗的」であるわけがないっつーの。
真の土俗的音楽はその時代の下町の酒場の横で酔っ払いが歌っていた歌のようなものだろうが、そんなものは決して記録には残らない。現代の人間は楽譜に残された同時代の音楽を透かし見て、かろうじてそれを推測するしかないのだ。

--でも、こんなことは音楽史をやってる学者さんなら当然分かってるよねえ。分かって書いてるんだから始末に悪い。

しかもラストではECJの「洗練」というのは、「「前近代の」音楽を演奏会という「近代の」制度の中へ搬入するための、不可欠の手続き」である、としている。つまり、現在の聴衆を相手にしたコンサートで演奏するために、わざと音楽の性格をシャレこいたものに変えているというのだ。
このような見方自体が、「近代」的音楽観の弊害に他ならない。だって、「前近代」の音楽は「近代」の音楽よりも野蛮であって、洗練されてないものである。そして、それを今の人間が聴いても理解できっこない--という前提(偏見?)に立っているんだからねえ。

結局、この手の学者の文章というのは演奏家のためでもなく、聴衆のためでもなく、ましてや読者のためでもなく、自分のために書いているというのが改めてよーく分かったよ。

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2006年1月 8日 (日)

「マショーのノートル・ダム・ミサ」:あの女子大の内部に潜入

サブタイトル:グレゴリオ聖歌と14世紀ポリフォニーによるミサ形式の演奏会
演奏:ヴォーカル・アンサンブル・カペラ
会場:聖心女子大学聖堂
2006年1月3日

ミサ曲を実際の典礼の形式に則って演奏しているカペラの演奏会。
今回はこれまでよりさらに時代を遡って、14世紀のマショーの極めて有名なミサである。なぜ有名かというと、この作品が「一人の作曲家による最古の通作ミサ曲」だからだ。つまりこれが一人だけの作曲家が作った最初のミサ曲かも知れないのである。(少なくとも他には現存していない)

元来この曲の演奏はどちらかというと、エキセントリックで変テコな響きを押し出したもので、いかにも現代の感覚からすると「中世っぽい」(14世紀だとホントはルネサンスだが)ように聞こえるのだが、今回は全く違った。なんだか、柔らかく穏やかな印象。テンポもゆっくりめで、ゆるやかに展開されるポリフォニーの世界をたゆたう感じ……となると、当然のことながら暗く暖かい眠りの海へと舟をこぎ出す人多数、なのであった。
ここはマショー先生、平安のひとときをありがとう \(^o^)/と素直に感謝しておこう。

さて、会場はあの(!o!)ド貧民は絶対に入学できないというウワサの聖心女子大であった。まあ、正月だったからお嬢様学生の姿は皆無だったけどね。カトリック系だから当然、立派な聖堂があるのだ。残響が非常に豊か--豊か過ぎて、開演前にカペラの主宰者の花井哲郎がレクチャーをしたが、言葉が良く聞き取れないほどである。なんとかしてくれい。
まだ三が日で、他のコンサートも少ないせいか客は結構入っていた。

ところで、聖堂に行く途中にある時代劇のロケをしてもいいような立派な日本家屋はなんなのだろう? あそこで「お作法」(←死語)の授業とかやるのかな(^^?

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2006年1月 7日 (土)

「ブレイキング・ニュース」:90分一本勝負で大満腹

監督:ジョニー・トー
出演:ケリー・チャン、リッチー・レン
香港・中国2004年

香港アクション物は、かなり昔ブームだった頃はよく見に行ったものだったが、最近はすっかりご無沙汰。ここ数年は韓国映画の方が目立ってたしね。
という訳で、監督のジョニー・トーは名前は耳にしてたが、実際に作品を観たのは多分初めてである。

さて、冒頭からいきなり警察と銀行強盗(未遂)団の銃撃戦が始まる。下町の横丁みたいな所で、7分ぐらいのワンシーン・ワンカットでもうやりたい放題のド迫力である。で、なぜか人数の多い警察の方が劣勢となり、強盗団は一旦は逃げ切る。犯罪者が街なかの撃ち合いで逃げ切るというと『ヒート』を思い出すが、こちらはかなり乱暴な展開。

で、途中で警官の一人が醜態を晒した揚げ句、犯人に逃げられた様子をテレビカメラが撮ってて放送されてしまう。失地挽回のために警察は女性指揮官を立てて対策を練る。それは機動隊にカメラを装着させて逮捕劇を生中継しようというのであった。

以後、明らかにツンデレ系美人の指揮官の強引なメディア対策、そんな事は関係ねえとばかりに強引に犯人追撃を続ける警部補、さらに立て篭る犯人たち、もひとつ別の殺し屋達も絡み、それぞれが異なる思惑で行動し、互いに絡み合っていく。

--というような話をたった90分の中に詰め込んで、メディア操作合戦やら、刑事の執念の追跡劇やら、男たちの友情やら、情けない父親の人質家族やら、警察の沽券やら、マンション内での銃撃戦やらがテンコ盛り状態になっているのである!
当然ながら、まだるっこしい心理描写などは一切なし(心理が描けていないという意味ではない、念為)。押して押して押しまくれー、というのもここまで来ると、いっそすがすがしいという感じである。(^○^)

アクション映画ファンには大いに推奨。なお、観客は明らかにアクション派の男性一人客と香港映画男優ファンの女性に分極化していた。
レンタルビデオで同じ監督の作品を見てみようっと。行きつけの店にあればいいんだが……。

ラストの刑事の憮然とした顔に思わず笑ってしまった。あと、正義派の男の子が面白かった。
一方、ツンデレ系指揮官役のケリー・チャンはちょっと顔がコワ過ぎ。正直、引きます。犯人のボス役リッチー・レンは永瀬正敏に似ていると思いました、ハイ。ついでに殺し屋の方は財津一郎か。

ついでながら、ロードショー館のシアターN渋谷というのは新しくできた映画館らしい--と行ってみたらなんのことはない、ユーロスペースが場所を移った後にそのまま入って内装をきれいにしただけだった。ただ、天井や壁に何やら漂っていたアヤシげな雰囲気はすっかり消え去っていたが……。文句が一つあり。観ていて、音が大きくてうるさくて参った。デカけりゃいいってもんじゃねえぞ。(~_~メ)


主観点:7点
客観点:7点(アクション映画ファンには推奨)

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2006年1月 6日 (金)

『獣と肉』(イアン・ランキン):表紙のイラストに号泣だー

早川書房2005年

スコットランドはエジンバラの警部であるジョン・リーバスを主人公としたシリーズ。半分ハードボイルド、半分警察ものという感じだが、大好きでずーっと読んでいる。
これは日本での10冊目か? 早川は相変わらず、シリーズの途中から出版し始めるもんだから全部が訳されているわけではない。

最近のこのシリーズは複数の事件が複雑にからまりながら展開して見事解決--というパターンになっているが、今回は他国からの移民・難民問題が絡んだ事件が三つ巴となっている。しかも、相棒であるシボーンとも完全別行動なのが目新しいところか。

だが三つ巴が過ぎて途中で何がなんだか分からなくなり、後半になると集中力と記憶力も途切れ「ありゃ、こんなヤツ出て来たっけ?パラパラ」(←前のページをめくり返す音)などというおなじみのパターンにはまるのであった……。
そうでなくとも、今回は複雑過ぎるのが凶と出たと正直思った。それに二段組みで分厚い一冊にまとめてくれたのはありがたいが、本が重過ぎで電車で吊り革につかまって読んでたら指が痛くなってしまったよ(T_T)

エジンバラの描写を読んでいると、結構日本の都市と似ているところが多いとよく思う。(ただしあちらは日本と違って好況らしいが) 今回も日常的に移民と接したことがないリーバスや他の刑事たちの反応を見ていると、やはり日本の状況と似通っているように思えた。移民の街ロンドンあたりとはかなり違う。

スコティッシュ・マフィア(という言い方はあるのか?)の親玉ビッグ・ジェル・カファティがちょこっと登場して来たのは嬉しかったが、あれ(?_?)リーバス、あんた殺されかけたんじゃなかったっけ?そんなに親しくしてていいんかい。

新作では、渡英したブッシュ大統領の警護をしているリーバスに、自転車に乗った大統領が突っ込んでくるというエピソードがあるらしい。これは実話だそうで、警官は大怪我したそうだが、その場面を想像すると思わず笑っちゃうのは私だけだろうか?

なお、表紙カバーのイラストはも、もしかしてリーバスですか(?_?; まるでゴリラみたいじゃないの。こんなモンは認めん!おれは絶対認めんぞ~っ!! こんなんリーバスじゃないやい(既に涙目)。
しかし、あちらのテレビドラマシリーズではジョン・ハナー(『ハムナプトラ』のヒロインのにーちゃん役)がやってたのが交替して、さらに「類人猿」ぽい役者が主演に……。もう泣いちゃうよ。

それにしてもmixiのコミュニティで「イアン・ランキン」はなんとたった25人であるよ(泣)。ちなみに先日の「週刊文春」の海外ミステリ部門で1位になったマイクル・コナリーは55人だ。(なお、マンガ関係では諸星大二郎2577人、川原泉3354人、佐藤史生245人、森川久美42人となっている)


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2006年1月 5日 (木)

「ヒストリエ 3」(岩明均):早く続きが読みたーい

白泉社2005年(アフタヌーンKC)

『寄生獣』がハリウッドで映画化ってそりゃマジですか、な岩明均の新作である。1巻のオビには「アレキサンダー大王の書記官エウメネスの波乱に満ちた生涯!」とあったが、その冒頭は青年の主人公が育った町に戻ってくる場面から始まっていた。

で、そのまま子供時代へと回想に入り、数奇な運命が語られる。この3巻でようやく十代後半になった所だ。時代は紀元前300年代半ばである。
岩明均は以前、もう少し後のローマとカルタゴの戦いを背景にした『ヘウレーカ』を出してるが、1冊で終了。対してこちらは長尺になりそうだ。

剣技に優れた蛮族の血を引きながら、貴族の子弟として教養豊かに育ったエウメネスの「文武両道」ぶりがこれからどう発揮されるのか、非常に楽しみ。次が待ち切れん。
それから岩明マンガに特徴である、極めて残虐な場面をノホホンとした調子で描くのが余計にコワい、というのも相変わらず健在だ。

しかし、この頻度だと次の巻が出るのはまた一年後だね。その時は、また1巻の最初から読み直す羽目に……トホホ。

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2006年1月 4日 (水)

諸星大二郎二連発:モロホシ先生は××だった!

『諸怪志異(四)燕見鬼』
双葉社2005年(アクションコミックス)

『稗田のモノ語り 妖怪ハンター 魔障ヶ岳』
講談社2005年

皆様、少々お騒がせ致します<(_ _)>

諸星、キタ━━━('∀'━━━!!!!

も一つオマケに ヽ(^^)/\(^^)、

諸星二冊目もキタキタキタ━━━━(^∀^≡'∀')≡^∀^)━━━━!!!!!!!!!!

お見苦しい所をお見せして失礼致しました_(_^_)_

諸星大二郎の新刊が少し前にほぼ同時期に二冊出たのである。これはファンにとっては盆と正月とイースターとクリスマスが同時に来たようなもんではにゃあですかっ!
映画公開も重なって少し前まで一時的に祭り状態だったのであーる。


さて、『諸怪志異(四)燕見鬼』は本の帯になんと「6年振りの新巻!!」(←しかしこの漢字だと「あらまき」に見える)とある。そうですか、もう6年も経ってたのか。

そもそも『諸怪志異』のシリーズは、魔物やら妖怪やらアヤシげなものを見られるという能力を持った少年阿鬼ちゃんと五行先生を中心にした怪談話だった。どちらかというと「キモかわゆい」という言葉がピッタリなコワくて少しユーモラスな短編集なんである。

それが、3巻目で阿鬼ちゃんが成長してからは盗賊やら女剣士が出没する活劇方向へシフトして『西遊妖猿伝』に似ていってしまった。おまけに小さい頃はキュートだった阿鬼ちゃんが、大きくなって普通の真面目なヒーローぽくなって、ちと面白みのないキャラクターになっちゃったのも不満。

この4巻では前巻の「推背図」の続きが収録されている。こうなると完全に長編活劇だ。しかし、なんと諸星センセは60ページ弱の描き下ろしの終章を加えて、これから盛り上がりそうなイイ所で無理やり終わりにしてしまっているのだ!
「それらも、すべて歴史のうねりの中に呑み込まれていくのである」ってそりゃないでしょう。あんまりだーっ(T_T)

「彷書月刊」誌(2005年7月号)のインタヴューによると、もうこのシリーズを続ける気が無くなってしまったらしい。ええーっ!センセ、それはねえですだよ。ともかく、『西遊妖猿伝』の方だけは続きを何としてもお願いします(-人-)タノム

まあ、巻末に阿鬼ちゃんの子供時代の短編が二つ入ってるのでそれでよしとするか。特に「土中の怪」であの五行先生をも小バカにする妖怪が最高です。


続いては「妖怪ハンター」シリーズの『魔障ヶ岳』。よもや妖怪ハンターの新作が読めるとは!感動ですっ。なんと「メフィスト」に連載していたのねー。これは完全に想定外である。

しかも内容はこれまでの短編・中編ではなくて六つの章による連作長編で、ミステリー風な展開になっている。
最初に謎が提示され、それに稗田を含む四人の人物が遭遇する。それに対する四人のアクションは伏せられたままで話が飛び、謎のまま物語は展開し、彼らがどうしたのかは終盤まではっきりしない。

第1章で登場する「苧環」がツーっと夜の闇に伸びていく場面がとてもコワい。序章での50ページ右上に突然出現(!o!)のコマにも驚かされたが、こういう何気ない場面の怖さもさすがだ。
忘れられない場面といえば第2章の「クネクネクネ」も頭に(目に)こびりついてしまった。見ていると思わず身体がクネクネしてしまう。あー、クネクネ~(^^;~

だが、真に驚くべきは物語全体の構成である。中で三輪山に関わる神話に登場する「苧環」が全編を通して重要な役割を果たしているが、目次をつらつらと眺めていると、謎を提示する序章が苧環(本来は、麻糸を玉のように巻いたもの)の中空の芯であり、それを稗田以外の3人の三つの章が三重に取り巻いているのに思い当たる。しかし、稗田の第4章によって糸の方向は転換し、終章において全く思いもかけない結末を迎える--。

つまり、この『魔障ヶ岳』という物語自体が苧環状の構成になっているのだ!

これはスゴイ!スゴ過ぎです(>O<)諸星センセ~!!
「形式」と「主題」がここまで完全一致しているのは、他には『黒死館殺人事件』しか知りません。
こんな傑作を描いてしまうとは先生を「神」としてあがめたてまつりたいm(_ _)m
あー、コリャコリャヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ ←あがめる踊り

いや、待てよ……マンガ界の「神」といったら、手塚治虫ではないか。とすれば、手塚治虫もベレー帽を脱帽したという諸星センセは、むしろ神でなく「魔」という名の方がふさわしいだろう。ということで、「魔」として恐れたてまつるのがスジ。

しかし……諸星大二郎はマンガ界のオンリーワン。であるなら、他に並ぶ者なき唯一無二たる「諸星大二郎」として、下手に称号など付けないのが正しいのではないか?

だが……常に変化していないようで変化しつつある諸星センセは、他者から定義などされることなく、もはやマンガ界の枠におさまらず自由に表現活動をこれからも続けていくに違いない。だからいかなる名前でも呼ばずに、未だ名づけ得ぬ名前のない「モノ」、とするのが真実なのだ。

という訳で、先生をマンガ界の「モノ」として今後も見守らせて頂きます


余談だが、よもや諸星作品に重要なアイテムとしてケータイが出てくるとは思わなかった。おまけに何気に辛辣--。
それから、場面によって稗田センセの髪の長さが違うのが妙に気になる。首筋のあたりなのか肩まで届いているのか、どちらかに統一して欲しい。ファンとしてはヒジョーに重要な事である。


【関連リンク】
「山梔雑記 諸星大二郎の最新刊2冊を読んで」

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2006年1月 3日 (火)

クレマン・ジャヌカン・アンサンブル二連発:「指揮棒」の謎は解けず

『おお、やさしきマリア』
会場:津田ホール
2005年12月19日

『鳥の歌』
会場:ハクジュホール
2005年12月21日

カウンターテナーのドミニク・ヴィスをリーダーとするクレマン・ジャヌカン・アンサンブルは、バブル期の頃は一年おきぐらいに来日してライヴをやってくれたもんだ。そして、どの会場も超満員だった。おっかけのオバサマ&おねーさま達もかなりいたんじゃないかな。不景気になってからは来日回数もめっきり減って寂しいかぎり。

しかし、久し振りに来日してくれた今回は、なんと東京で三回も公演という大盤振る舞いだー \(^o^)/ さすがに全回制覇は苦しいので、あえてヴィスの独唱会を含む最終日をカットして残り二日に挑む。

ECJは主にルネサンス期フランスの世俗歌曲(シャンソン)の男声合唱で名をあげたグループだが、いわゆる「コーラス」のイメージで想像すると大間違い。調和の取れた均整美よりも、力量ある個人の突っ込み合いみたいなアンサンブルが特徴である。
従って、彼らについては「うるさい」「喧しい」「品がない」「お下劣」「逝ってよし」「なんだ、こりゃー」などの否定的な評も多々あった。特に、デビュー時なんか賛否両論でエラい騒ぎだったろうなと想像する。
端正な合唱を売りとするヒリアード・アンサンブルが同じような内容のCDを出しているが、聴き比べて見るとあまりの違いに「これは同じ曲か?」ビックリするぐらいだ。


さて一日めは珍しくも宗教曲のプログラム。ちょうど、クリスマス前で内容的にもピッタリでお日柄も良く、彼らの宗教曲も大好きなんでいそいそと会場へ。だが行ってみて驚いた。最終日の方は即日完売だというのに、空席が結構ある。しかもなぜか私の座席は壁際に近い隅っこなのに周囲は大量の空席で囲まれているのである。
なんだよ、この座席は! CNプレイガイド、もう買わねえぞ(~ ^~)

さらに、近くの席にはガサガサ音がする巨大なポリ袋二つに、ホームレスの如く荷物を詰め込んだのを持ち込んだオバサンが座ったのである。そのオバハンが開演中も10分おきぐらいにポリ袋からガサガサさせながらメガネやらティッシュやらを取り出すのであった。ブチブチブチッ(←キレる音)

クラシックのコンサートにポリ袋持ってくんじゃねえーっ!
ヘビメタにでも行けっつーの(*`ε´*)ノ☆

--なんて感じで気が散ってしまったが、普段はリュート弾いてるエリック・ベロックがオルガン担当なんで驚く。鍵盤もやるのねー。
オルガンを取り囲む形で五人が並び、ヴィスは一番端に立って指揮しながら歌う。その手にはいつも持っているあの謎の「指揮棒」が……。遠目には赤のビック・ボールペンに見えたが真相は?今回も謎のままである。
しかし、久し振りに見たヴィスは相変わらずのフワフワ長髪がほとんど白くなってしまって、何やら仙人みたいな感じだった。テノールのボルテフさんは髪のラインがさらに後ろへと後退か……?

演目はルネサンス期の名作曲家のミサから一曲ずつ各部分を取り出し、さらにモテットも間に挟んで全体としてミサの形になるように構成されている。
アンサンブル自体には全く文句なかったが、壁際の席のせいか音がキンキンした感じに聞こえて参った。片耳に手を当てて壁の音を遮断してみても同じ。PAシステムを使っているのかと疑ってしまった。

それからNHKの収録が入っていたが、なんとカメラマンの一人がカメラを操作したまま壁にもたれて居眠りしているのを発見(!o!) その時、カメラは天井を--写してはいないだろうが、少なくともメンバーではなく背後の壁を撮っていたはずである。さーて、どうなるのかな。放送が楽しみ(^^)


二日目は彼らの十八番、クレマン・ジャヌカンの世俗曲を中心にしたプログラムである。さすがにハクジュホールは満員状態。
この日はいつものごとく舞台の真ん中に置かれたテーブルを一同囲んで椅子に座り、テーブルの上に楽譜を広げて歌うというスタイル。ただし今日は「指揮棒」は持っていない。なぜ(?_?)
ジャヌカンの他にやや後期の作曲家ル・ジュヌの曲を後半に置いて鳥にちなんだ曲を並べるという凝った構成。さらにE・ベロックが途中で伴奏のリュートをギターに持ち替えて器楽曲を挟む。

もちろん世俗曲なんでいかがわしい歌詞の歌も多数ある。特にル・ジュヌの「ある日」なんて曲だけ聴いていると、エラく勇壮な調子の歌なのだが、歌詞を見ると「彼女のエプロンをめくるとその下に~~ヾ(^^)∧(^^)ヾ」なんて内容なんである。
いや、まあ確かにエプロンの下に突撃するという「勇敢」な歌だからかね(^o^;ナハハ
それを彼らはまた真面目くさって歌うのであった。余計に笑える。

正しく縦横無尽といえる歌いぶりは健在だった。彼らの後から色々なグループが出て来たが、やはりこの分野では追随を許さぬと言っていいだろう。
しかし、昔カザルスホールで聞いた時に充満していた熱気のようなものは、もはや舞台の上にも客席の中にも存在していなかったような気がする。それがどういう事なのかちゃんと説明するのは難しいが……。
いや、それとも他の誰のせいでもなく、私の耳の方が慣れ過ぎてしまったのであろうか。そう思うとなんとなくショボショボ(+_+)しながら、帰途についたのだった。

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2006年1月 2日 (月)

今年の行きたいコンサート

関係ないけど、今年のカレンダーはエドワード・ゴーリーの絵本『ギャシュリークラムのちびっ子たち』であります。一月になる前から既にAのエイミーちゃんが階段を転げ落ち、Bのバージルくんが熊に襲われて殺されております。スゴイね。(^^)

さて、今年はモーツァルト・イヤーなのである。ということは、モーツァルト関連のコンサートが腐るほどに催されるわけだ。
で、そうなると、バッハをやってたような演奏家もみんなモーツァルトをやるので、当然バッハやバロック関係のコンサートは減少してしまうのである。モーツァルトは守備範囲外の私にとっては、今年はじっとガマンで堪え忍ぶしかない年なのだ。

古楽専門誌「アントレ」に今年のコンサート情報が乗っているので、参考にして行きたいコンサート及び既にチケット購入済のを挙げてみる。

ムジカマーノ(1月)-リュート奏者ヤコブ・リンドベルイのグループ。ダウランド&パーセルは購入済、モンテヴェルディの方をどうするか未だに迷い中。
ヘンデル:オラトリオ『ヘラクレスの選択』(1/13)-既に購入済
ヴェルサイユの祝祭4(1/22)-購入済

ヴィヴァルディ:『バヤゼット』エウローパ・ガランテ(2月)-購入済。パロック・オペラ、こりゃ楽しみだー。
ガエタノ・ナジッロ(3月)-バロック・チェロ、購入済、最後の一枚をゲット。
バッハ・コレギウム・ジャパン(4月~)-BCJは定期会員なので全回購入済み。
ホプキンソン・スミス(4月)-リュート、前回の所沢公演では恐るべきアクシデントが……(>y<;) 今回はどうなるか?

ラ・プティット・バンド(5月)-プレオーダーでチケット確保する予定。
レッド・プリースト(6月)-二種類のプログラム両方ともゲットするぞー。
目白バ・ロック音楽祭(6月)-去年はチケット買って行けなかったので、今年は頑張りたい。

ムジカ・アンティカ・ケルン(10月)-ちょっとビミョ~で考慮中。
グスタフ・レオンハルト翁(10月)-考慮中。毎回来日するたびに「これで最後か」とあおるのはやめて頂きたい。
アリオン・バロック・オーケストラ(11月)-チェロのヤープ・テル・リンデンのアンサンブルだそうな。ヘンデルのアリア集。
ラモー:『レ・パラダン』レザール・フロリサン(11月)-おお、クリスティ指揮のバロック・オペラがこの目で見られるとは! でも、ダンスや演出がビミョーで賛否両論とか。とにかくゲットするぞー。
アーノンクール&ウィーン・コンツェントス・ムジクス(11月)-行くとしたらオール・バッハ・プログラムですね。考慮中。

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2006年1月 1日 (日)

新春随想:歴史は後から作られる

新年である--だからと言って、別に何が変わる訳でもない。
変わるどころか、困ったことがある。
まだ大掃除が終わっていないのだ。
いや、これは正確ではない。終わっていないどころか、三分の一ぐらいしかやっていないのだ。まだ序の口というところだ。このままでは正月も掃除に費やさねばならないだろう。

しかし、新年なのである。体を動かすのもイヤだ。ゴロゴロしながら話題の『下流社会』(三浦展)の冒頭の「下流度」チェックをしてみる。……と、なんと収入以外の項目は全て当てはまってしまうではないか!
つまり私は「下流」なのである。であるからには、大掃除をしないでゴロゴロしていても当然なのである。それどころか、やりかけで放り出してしまっても仕方ないのだ。だって下流なんだも~ん。向上心もなんにもないんだよ。もう掃除なんてやらねーのよ。

あ、いや、こういう事が書きたかったのではない。いやしくも新年なのである。一年の最初くらいまともな事を書かねば……(;^_^Aアセアセ


実は31日に掃除を始める前にちょっとビデオを見ようかなとテレビをつけたら、なんとNHK-BS放送の「ロック誕生50年」の再放送をたまたまやっていて、ついそれ(4時間半)を見てしまったのである。一応、蛍光灯の交換と掃除をしながら見てたんだけど、やはり気がつくとテレビの前で見入っているのであった。
最初に放送された時には「別に今さら見なくてもいいや」と思ってあえて無視してたんだが……。

特に第一部・第二部(ロックの誕生からパンク台頭直前)は、MTV出現前なので、もう海外のミュージシャンの映像を一度でも拝めたらオンの字の時代であった。
「ああっ、あの○○が生きて動いている!信じられねえ~、この目にシッカと焼きつけておかなくては」(テレビの前にペッタリ張り付く)--みたいな時代だったわけだ。なので、熱心に見てしまった。
第三部となると、部分的にはもう見飽きた映像なんかもあったりして……まあ、懐かしかったけどさ。(^-^;

感想としては二つ。
50年の歴史をまとめるのは大変だと分かってはいるものの、やはり見ていて「ピーター・フランプトンを丸々一曲やっといて、×××を華麗にスルーというのはどういうことよ。責任者出て来ーい」(`´メ)というような部分は色々あった。
それから、とある二つのバンドをかなり大きく取り上げていたが、もし十年前に同じような企画をやったとしたら、おそらくそのバンドはほとんど無視状態だっただろう。それは彼らが近年再評価されてきたから、今はそんな風に時間を割いて紹介されたのだ。

とすれば、固定した「歴史」などというものは元々存在せず、結局のところ「現在」の反映に過ぎないことになる。
つまり、過去に「歴史」が在るのではなく、現在において作られるものなのだ。そういうことが、よーく理解できた番組でもあった。

もう一つは--
やっぱりジェフ・ベック、カッコええ~ \(^o^)/
惚れ直しました。(*^-^*)ポッ
「永遠のギター・ヒーロー」として神棚に奉りたい。マンションだから神棚ないけどさ。
突然、懐古モードに入ってしまい、「Blow by Blow」のヴィニール盤を引っ張り出して聴いてしまった。天才です。(T^T)感動の涙よ。

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