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2006年1月 4日 (水)

諸星大二郎二連発:モロホシ先生は××だった!

『諸怪志異(四)燕見鬼』
双葉社2005年(アクションコミックス)

『稗田のモノ語り 妖怪ハンター 魔障ヶ岳』
講談社2005年

皆様、少々お騒がせ致します<(_ _)>

諸星、キタ━━━('∀'━━━!!!!

も一つオマケに ヽ(^^)/\(^^)、

諸星二冊目もキタキタキタ━━━━(^∀^≡'∀')≡^∀^)━━━━!!!!!!!!!!

お見苦しい所をお見せして失礼致しました_(_^_)_

諸星大二郎の新刊が少し前にほぼ同時期に二冊出たのである。これはファンにとっては盆と正月とイースターとクリスマスが同時に来たようなもんではにゃあですかっ!
映画公開も重なって少し前まで一時的に祭り状態だったのであーる。


さて、『諸怪志異(四)燕見鬼』は本の帯になんと「6年振りの新巻!!」(←しかしこの漢字だと「あらまき」に見える)とある。そうですか、もう6年も経ってたのか。

そもそも『諸怪志異』のシリーズは、魔物やら妖怪やらアヤシげなものを見られるという能力を持った少年阿鬼ちゃんと五行先生を中心にした怪談話だった。どちらかというと「キモかわゆい」という言葉がピッタリなコワくて少しユーモラスな短編集なんである。

それが、3巻目で阿鬼ちゃんが成長してからは盗賊やら女剣士が出没する活劇方向へシフトして『西遊妖猿伝』に似ていってしまった。おまけに小さい頃はキュートだった阿鬼ちゃんが、大きくなって普通の真面目なヒーローぽくなって、ちと面白みのないキャラクターになっちゃったのも不満。

この4巻では前巻の「推背図」の続きが収録されている。こうなると完全に長編活劇だ。しかし、なんと諸星センセは60ページ弱の描き下ろしの終章を加えて、これから盛り上がりそうなイイ所で無理やり終わりにしてしまっているのだ!
「それらも、すべて歴史のうねりの中に呑み込まれていくのである」ってそりゃないでしょう。あんまりだーっ(T_T)

「彷書月刊」誌(2005年7月号)のインタヴューによると、もうこのシリーズを続ける気が無くなってしまったらしい。ええーっ!センセ、それはねえですだよ。ともかく、『西遊妖猿伝』の方だけは続きを何としてもお願いします(-人-)タノム

まあ、巻末に阿鬼ちゃんの子供時代の短編が二つ入ってるのでそれでよしとするか。特に「土中の怪」であの五行先生をも小バカにする妖怪が最高です。


続いては「妖怪ハンター」シリーズの『魔障ヶ岳』。よもや妖怪ハンターの新作が読めるとは!感動ですっ。なんと「メフィスト」に連載していたのねー。これは完全に想定外である。

しかも内容はこれまでの短編・中編ではなくて六つの章による連作長編で、ミステリー風な展開になっている。
最初に謎が提示され、それに稗田を含む四人の人物が遭遇する。それに対する四人のアクションは伏せられたままで話が飛び、謎のまま物語は展開し、彼らがどうしたのかは終盤まではっきりしない。

第1章で登場する「苧環」がツーっと夜の闇に伸びていく場面がとてもコワい。序章での50ページ右上に突然出現(!o!)のコマにも驚かされたが、こういう何気ない場面の怖さもさすがだ。
忘れられない場面といえば第2章の「クネクネクネ」も頭に(目に)こびりついてしまった。見ていると思わず身体がクネクネしてしまう。あー、クネクネ~(^^;~

だが、真に驚くべきは物語全体の構成である。中で三輪山に関わる神話に登場する「苧環」が全編を通して重要な役割を果たしているが、目次をつらつらと眺めていると、謎を提示する序章が苧環(本来は、麻糸を玉のように巻いたもの)の中空の芯であり、それを稗田以外の3人の三つの章が三重に取り巻いているのに思い当たる。しかし、稗田の第4章によって糸の方向は転換し、終章において全く思いもかけない結末を迎える--。

つまり、この『魔障ヶ岳』という物語自体が苧環状の構成になっているのだ!

これはスゴイ!スゴ過ぎです(>O<)諸星センセ~!!
「形式」と「主題」がここまで完全一致しているのは、他には『黒死館殺人事件』しか知りません。
こんな傑作を描いてしまうとは先生を「神」としてあがめたてまつりたいm(_ _)m
あー、コリャコリャヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ ←あがめる踊り

いや、待てよ……マンガ界の「神」といったら、手塚治虫ではないか。とすれば、手塚治虫もベレー帽を脱帽したという諸星センセは、むしろ神でなく「魔」という名の方がふさわしいだろう。ということで、「魔」として恐れたてまつるのがスジ。

しかし……諸星大二郎はマンガ界のオンリーワン。であるなら、他に並ぶ者なき唯一無二たる「諸星大二郎」として、下手に称号など付けないのが正しいのではないか?

だが……常に変化していないようで変化しつつある諸星センセは、他者から定義などされることなく、もはやマンガ界の枠におさまらず自由に表現活動をこれからも続けていくに違いない。だからいかなる名前でも呼ばずに、未だ名づけ得ぬ名前のない「モノ」、とするのが真実なのだ。

という訳で、先生をマンガ界の「モノ」として今後も見守らせて頂きます


余談だが、よもや諸星作品に重要なアイテムとしてケータイが出てくるとは思わなかった。おまけに何気に辛辣--。
それから、場面によって稗田センセの髪の長さが違うのが妙に気になる。首筋のあたりなのか肩まで届いているのか、どちらかに統一して欲しい。ファンとしてはヒジョーに重要な事である。


【関連リンク】
「山梔雑記 諸星大二郎の最新刊2冊を読んで」

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受信: 2006年1月 5日 (木) 06時20分

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