バッハ・コレギウム・ジャパン第72回定期演奏会:猛ダッシュの甲斐はあり
J・S・バッハ/マタイ受難曲 初期稿 BWV244b
会場:東京オペラシティコンサートホール
2006年4月14日
普段は7時開演なのだが、大曲なので今回は6:30開演である。しかし、遠い職場から駆けつけるのにこの時間はチトきつい。……というわけで、初台駅に着いたのは6:28。私以外にもホームや階段を猛ダッシュする人が何人もいた。
会場は満員御礼で、珍しくステージ上の座席まで人が入っていた。今年は全部で5回公演があるので大したもんである。
今回の「マタイ」は初期稿ということで、ビミョーな部分が異なるらしい。通奏低音は2グループに分かれてなく一つだし、チェンバロでなくリュートが入っている。音量が違うのでリュートはど真ん中正面の少し高い台に乗っていた。
おまけに奏者は今村泰典ではにゃあか! 事前に演奏者を全くチェックしてなかったんでビックリ。思わず「来日してるんなら別にコンサートやるんかしら?」などと考えてしまった。
あと、合唱・器楽の二つのグループの人数もアンバランスであった。これは鈴木(兄)雅明の考えによるものらしい。
ソプラノ陣の中に常連の野々下由香里がいなかったのは残念。
曲が始まると、リュートの音はやはり小さい。私は前の方の席だったのでよく聞こえたが、後ろの方の席はどうだったんだろうか。
エヴァンゲリストは常連のゲルト・テュルクだったが、私は「ヨハネ」では何回か聞いた事があるが彼の「マタイ」を聴くのは初めてだと思う。彼の歌いぶりは普段よりも劇的でより大きく感情の入った「語り」に近いもののように思えた。
ただ、問題は私の席からだとテュルクさんが歌っている姿に限って、指揮してる鈴木(兄)の背中にジャマされて見えないんだよねー。ちゃんと見たかったよう。(泣)
合唱の第一グループは単独の場合は中に加わっているソリストだけが歌った。第一グループの他のメンバーはコラールなど本当に全員で合唱するものだけ担当することになる。これは二つのグループが単独で歌うのが内容的にそれぞれ役割があるかららしい。
普通はエヴァンゲリスト役は合唱までは担当しないが、テュルクさんは第一グループのソリストも兼ねていた。ご苦労さんですm(_ _)m
休憩は2回入るのが通常だと思うが、終演をなるべく早くするためか、それとも第1部と2部に分かれているのを尊重してか、一回だけだった。そうすると、前半一時間強、後半は一時間半になってしまう。チェロの鈴木(弟)秀美はほとんどずっと弾きっ放しだから大変そう。
そのせいか、演奏者と聴衆のテンションは非常に高かった。特に第2部の前半部分の会場の集中力はかなりのもので、今まで色んなコンサートを何回も聴いてるが、ここまで会場がシーンとして空気が色濃く凝縮されてたのは滅多に体験したことがないほどだ。まあ、私の周囲はもともと定期会員の人ばかりだから、他の位置ではどうだったか分からないが。
でも逆に終盤近くになって、私は集中力が切れてしまった。眠気虫の出現はなかったが、肝心のイエスの死の場面前後あたりでボーッとなってしまった。残念無念。
個々に感じた部分を挙げてみると、27曲の「こうして私のイエスは捕らえられた」は、テキストの内容に即して器楽の方は絶えず緊張と不安に満ちた音を奏で、さらに合唱から「縛るな!」と鋭いツッコミが入るにもかかわらず、歌のソプラノとアルト(カウンターテナー)の絡み合いは何やら甘美な響きを持っていて、何か不思議なイメージである。こういう相反した要素を一つにして、矛盾を感じさせないのはバッハならではだろう。
57曲のバス・アリア「来れ、甘き十字架よ」は通常版のガンバの代わりに、リュートが伴奏になる。これがまたまさに「甘き」感じで良かった。今村先生ス・テ・キ(*^^*)
翌朝は今村先生主宰のグループ、フォンス・ムジケのCD「ランベール/エール・ド・クール」を聴いてしまった。バッハの世界とは正反対、宮廷音楽の甘美の極致でまたウットリしたのである。
58曲のイエスが十字架にかけられる件りでは合唱からの罵倒が入るが、日本語訳を読んでると、まるでネットの掲示板やブログのコメント欄の小汚い書き込みを連想させるんで思わず失笑してしまった。
「ホントに神の子ならそこから降りてみな(ワラ」とか、十字架の前で「ぬるぽ」と書いた看板(しかもワープロ巨大文字印字)を掲げるってな感じですか(^O^) 人間の本質というのは何千年経っても変化がないという恐るべき真実を示している。
少数意見かも知れないが、61曲のイエスの死から62曲のコラールに入る所はかなり長く休止を入れていたが、私は以前のようにあまり間を置かない方が良かった。
十字架上の死という大事件から、突然「私が死にゆく時、私の側にいて下さい」という極めて個人的にして真摯な願いへと転換してはっと胸を突かれる場所である。むしろあまり長い間がない方が感動的だと思う。
結論としては、階段や駅を猛ダッシュした甲斐は充分にあったコンサートであった。トーシロ状態の私でもさすがに、バッハが生前に演奏した回数よりも多く「マタイ」を聴いてきたわけだが、その中でも簡素で真摯な祈りに満ちていて群を抜いた出来だったと思う。大満足であった \(^o^)/
しかし、他のブログの感想を見ると幾つか「優れた演奏だったが、感動はしなかった」というのがあった。
それはこちらのブログの「BCJのマタイ受難曲」にあるように、そういう人は、大人数の合唱や大編成のオーケストラでドーンと重厚に演奏されるパターンに慣れているのかも知れない。だが、そもそも感動のあり方がモダンとは決定的に異なっているのである。ドーンと来る感動が足りない、と言ってもないものねだりなのだ。それほどに「近代」と「前近代」の溝は深い。
【関連リンク】
「リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」」
先に紹介したリンク先で「リュートのおじさん」(笑)こと今村泰典がステージで時間を気にしていた理由がわかる。
「Tany&wife's blog from 新浦安」
オペラシティでは満員御礼だったが、なんと所沢では2割の入り……。さすが埼玉!
文 化 果 つ る 地 である。
ところで、名古屋公演でカウンターテナーのロビン君が曲の出だしを間違えたというのを、ミクシィの日記で一件だけ見かけたのだが、これは本当だろうか? プロにあるまじき失態である。事実なら、他の場所でも書かれていそうなもんだが……。
【追加】
名古屋公演の詳細な感想がこちらの「庭は夏の日ざかり」に出ました。
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コメント
はじめまして◎ご紹介恐縮です。
東京公演もやはりすばらしかったようですね!
聖金曜日当日で気合も十分だったことでしょう^^
ご指摘の第27曲、まったく同感です。あの雰囲気は面白いというか、甘美というか、逆に気持ち悪いというか…。今回のBCJによる「縛るな!」も十全に鋭くって、不思議な官能の世界を見事に描いていたと思います。
ロビン君のミス、自分は気づきませんでしたが…《マタイ》の細部について語れるほど聴きこんではいないのでなんとも言えませんです;;
投稿: Sonnenfleck | 2006年5月 1日 (月) 20時59分
TBとコメントまでありがとうございます。
今回の「マタイ」はどこの公演でも評判良かったようですね。東京では久々の満員御礼だったようです。
|ロビン君のミス、自分は気づきませんでしたが…
よくよく考えたら、私も聴いててロビン君が間違えても気付かなかったと思います(^^ゞ
投稿: さわやか革命 | 2006年5月 2日 (火) 23時50分