ある少女マンガ家の壮絶な肖像
しのさんの「おたくにチャイハナ」の《「AERA」上の望都さま》を読んで、初めて週刊誌「アエラ」5月1日-8日合併号に萩尾望都の記事が載っていることを知った。
実は「アエラ」は職場で取っているのだが、忙しくて全く見てなかったのだ。(表紙さえもろくに眺めてなかった)
さっそく読んでみる。「現代の肖像」というコーナーで、本人や周囲の人々にインタビューをしたものを、ライターがまとめて記事にしている。
子供時代のエピソードから親(特に母親)との相剋、マンガ家としてデビューし上京、出版社を移籍して人気が出るまでの苦労、その後も母との軋轢は続く--。
中でも、一番驚いたのは
「自分が男なら、親は漫画家になることを反対しなかったのでないかという思いは強く--」
という件だ。あの天才にして、このような感慨を抱いていたとは衝撃である。
人によっては、このような苦悩であっても「虐げられ、不当に抑圧されているというルサンチマン」などとみなすであろうか? いや、「ルサンチマン」などではあり得ない。これはもはや自己の存在についての根源的な問い(しかも回答のない)だろう。
自己の表現を最優先して求める生き方を選択したことで、彼女にこれほどの困難があったとは今まで想像もしていなかった。
『メッシュ』はそのような親からの呪縛を解くために描かれたとあるが、どうも私はこの頃から彼女の作品の神経質な所が気になって来て、あまり進んで読みたいという気が薄れていったように記憶している。なんだか、その神経質さに共鳴して自分もウツになってしまうような気分を感じたのだ。(三原順に対しても、同様に感じた) 雑誌を毎号買ってたので、読んではいたけどね。
この記事を読んだ後、『イグアナの娘』をたまたま読み返したら、こ、これは完全に母親を殺してしまう話ではないか。リアルの自分の母親は生きているというに……。まさしく壮絶としか言いようがない。
大学の頃の友人に萩尾望都の初期からのファンがいた。初期と言っても、小学館でデビュー時からの短編をすべて雑誌スクラップしていた(つまりリアルタイムで読んでた)というほどに、ホントに最初の頃だ。まだ当時は初期の短編は全くコミックス化されていなかった。
彼女が言うには、もう初めから萩尾望都は絵からして他のマンガ家とは全然違っていたという。しかし、同じ雑誌を読んでた彼女の友達は「もう、こんなマンガ詰まんなーい」とけなしてたそうな。
天才の道はつらくてキビシイんだよ……。
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コメント
どうも〜〜、読ませていただきました。
TBもつけさせていただきました。
『ストロベリーフィールズ』や『想い出をきりぬくとき』といった昔のモトさまのエッセイや対談は読んだころがあるけど、こんなにストレートな表現はなかったので、この記事はけっこう衝撃でした。
『イグアナの娘』はずいぶんリアルな話で、なんとなくバックフィールドは感じていたのですが。
まさしく壮絶ですね。
投稿: しの | 2006年5月31日 (水) 00時31分
コメント&TBどうもです。
|こんなにストレートな表現はなかったので、この記事はけっこう衝撃でした。
本人が語れない所を引き出したのがライターの人の功績ですかね。この人の本を買ってしまいました。(^^;
現在と違って、マンガもまた認められていない時代だという要因もあったでしょうね。
投稿: さわやか革命 | 2006年6月 1日 (木) 07時14分