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2006年5月13日 (土)

ハネケ祭でワッショイ その3:いかに私は感動するのをやめてハネケ中毒となったか

ミヒャエル・ハネケ映画祭『ベニーズ・ビデオ』
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:アルノ・フリッシュ、アンゲラ・ヴィンクラー
オーストリア1992年

今回の混み具合はちょうど客席が埋まったぐらい。『セブンス~』の大混雑は一体なんだったんか?

正直に言えば、『ベニーズ・ビデオ』は今回観た三作の中で一番「退屈」であった。そして一番賛否両論が激しい作品のようだ。他のブログを見るとかなり激烈に批判しているのが幾つかあった。

少年が自宅で殺人を犯す--先進国ではよくある(?)少年犯罪の話だ。
冒頭「農家でブタをスタンガンみたいな銃で殺す場面を撮ったホームビデオ」が映される。カメラやビデオの機材が溢れかえった自分の部屋で少年はそれを見ている。後から帰宅した両親もそれに加わる。
あたかもこの親子の繋がりは、同じ方向を向いてビデオを見る事でしか存在しないかのようだ(それがどんな内容のビデオであっても)。

自宅に誘った少女を、少年はブタを殺したのと同じ銃で撃ってしまう。この場面がコワい。実際の行為はスクリーンには現われずに、少年が室内に設置したビデオカメラの固定したフレームの隅っこに映されるだけなのだ。しかも女の子の叫び声が……(>y<;)とてもとても恐ろしい。

しかし、過激な場面はそこまで。少年が外をフラフラし、両親が帰宅して以降は「退屈」の嵐となる。特に事件を知った夫婦が対策を話し合う場面は茫洋として時間がビヨ~ンと引き伸ばされたような感じで、見ていて耐えがたいものがある。映画館の座席に座っていて「あ゛ー、もうやめてくれえ~」と叫びたくなったほどだ。

続いて、父親が隠蔽「作業」している間に母親と息子は旅行に出る。また、そのマッタ~リとのんびりとして退屈なこと! 見てて干からびて死ぬかと思ったよ。
しかし、その退屈さの背後で何が進行しているかを想像すると……(>O<)ギャーッ、恐ろしい、恐ろし過ぎ。しかし、それを思い浮かべられないほどにマッタリと平和なシーンが続くのだ。

終盤に少年は両親を裏切る行動に出るが、それは不可解な事ではない。恐らく彼は罰されたかったのだろう。だが、親は彼の望むことはしなかった。父親は彼が頭をいきなりスキンヘッドにしてしまったことについて長々と小言を言っても、肝心の殺人については怒らない。むしろ両親とも事件を親子の絆を深める契機としてしか考えていないようにさえ見える。その後は息子と自分たちの保身だけに突き進むのだ。

少年が事件後スキンヘッドにしたのも、あるいは事件のビデオを平然と親の前で見るのも無神経というより自らの内面を遠回しに見せたかったのだろうと思える。
しかし、両親は肝心な事は何一つ見なかった。

かくも不毛なる親子関係……後半の耐えがたい退屈さとは、この不毛さに裏打ちされたものに他ならない。
一作目の『セブンス・コンチネント』は物理的に破壊された「家」が描かれたが、こちらのは関係性が完全に壊れた「家」である。額縁に入ったアート作品に埋め尽くされた居間の壁は、実際には空虚で寒々としたこの家庭の内実をアイロニカルに示しているのだ。
次善の策としては、せめて息子に父親の「作業」を手伝わせれば良かったか(;^_^A いずれにしても救いがたい話だが。

かくもこの映画の退屈さは強烈である。強烈過ぎて神経を麻痺させるぐらい。どうやら私はその「毒」にやられてしまったようだ。
床の血液をふき取る行為と食卓にこぼれた牛乳をふき取る行為--もう頭の中からから離れない。
もはやどんなに感動的な話や興奮するアクションを観ても、この強烈な退屈さの毒に比べれば物足りない。詰まらない。全てわざとらしく見える。
「もっとハネケを!」中毒状態で思わず胸をかきむしりたくなってしまったのだった。

三作品観て共通に感じたことだが、彼は音楽の--それもアリ物の俗っぽい流行歌の類いの使い方がとてもうまい。特に『ベニーズ~』では母親が号泣する場面。ここまで来るとイヤミじゃないかと思えるほどだ。(それからバッハのオルガン曲も)


なお、渋谷ユーロスペースではまたも好評につき、早朝アンコール再々上映を5月下旬から6月にかけてやるもよう。でも、下手するとまた床に座る羽目になるかも。どうせなら、2週間ぐらいの限定上映でもいいから連続でやってくれよう。

【関連リンク】
正反対の意見も紹介しておきます。
「瓶詰めの映画地獄」より《道端のゲ○を見て芸術と呼べるか!? 「ミヒャエル・ハネケ映画祭」》

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