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2006年7月19日 (水)

「13歳の夏に僕は生まれた」:この世界にもはや隠れる場所はない

監督:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
出演:マッテオ・ガドラ
イタリア2005年

サンドロ君は良い子なイタリア人少年。美男でやり手実業家の父親と美人で優しいしっかり者の母親の間で何一つ不自由なく暮らしておりました。で、これがまたホントに素直で賢くて良い子(^-^)/ あたしゃ、できれば養子に貰いたいぐらいだよっ。
とっころが!何としたことでしょう。父親と一緒にヨットでクルージングに出た時にうっかり夜の海にボチャンと落ちてしまったのです。何も知らずに去り行くヨット。
しかし、捨てる悪魔あれば拾う悪人あり、サンドロ君は密入国者をいっぱい乗せた密航船に拾われたのでした。さあ、彼の運命やいかに!

えーと、そういう冒険ものじゃないんだけどさ(^^ゞ
この密航船がまたすごい。それまでサンドロ少年が三人で乗ってたヨットと同じくらいの大きさに、様々な国の人間が何十人もギュウ詰めになって乗ってる。この対比を実際に見せられると迫力である。
この船の中で救ってくれた兄妹を、彼は家に戻ってから今度は助けてくれるように両親に頼むのだが……。

ここで描かれているのは、少年の成長物語である。プール付きの家に暮らし、いささか競争心に欠けるとされるサンドロがイタリアの平均的な少年の姿かどうかは分からんが、その成長は厳しくつらい。
周囲にあってもそれまで気付かなかったものが色々と見えてくる。不可視だった不法移民の姿も--。同時にそれは社会全体の矛盾である。兄妹との関りも結局救いがたい状況へと転がっていく。

この映画の特筆すべきは、それらの問題に対し回答を一切示さずに終わることだ。哀切なラストである。泣けちゃうよ……(T_T)
冒頭からの少年の日常の描写や旅の初めあたりがちょっともたついて長いと思ったが、後半の展開の伏線にちゃんとなっていた。
原題は「生まれたからには、逃げも隠れも出来ない」という意味らしい。辛辣でテーマに合っているかも知れない。邦題はそれに無理やりこじつけた感じで、ちょっと無理過ぎるような気が--。

実際、ワールドカップの終幕を飾った「頭突き」事件に象徴されるように、この問題は永遠に終わる事がないように思える。
余談だが、あの騒動が日本チームに起こったことだったらどうなるかね? 「非国民」とか言って罵るんじゃないの。←ひねくれ者の意見


映画が終わってからロビーで「コイズミがプレスリー邸なんか行って、腹が立つ!」と喋ってる人がいた。そういうオバサンたちで満員でしたよ(^○^)


主観点:8点
客観点:8点

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» 13歳の夏に僕は生まれた [あいち国際女性映画祭ANNEX-cinemado's BLOG]
「博士の愛した数式」へのコメントがややショックでしたので、今回はちょっとひかえて、ジェンダーを離れてみたいと思います。以下、ネタバレありますのご注意。「13歳の夏に僕は生まれた」です。セカチュウ以来なんでしょうか、こういう邦題をつけるのがやたら多いように感じますね。原題は、「Quando sei nato non puoi piu` nasconderti(生まれたからには、もう逃げも隠れもできない」こちらの方がはるかにいいです。この言葉、映画の中でもかなり印象的に使われていて、結構後々残るんです。... [続きを読む]

受信: 2006年8月 1日 (火) 18時28分

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