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2006年8月 6日 (日)

「アルナの子どもたち」:もう何も言えん……

サブタイトル:パレスチナ難民キャンプでの生と死
監督:ジュリアノ・メール・ハーミス
イスラエル2004年

この週は中東問題お勉強週間と勝手に決めて、またもドキュメンタリー映画をアップリンクに見に行った。

スカーフをかぶった高齢の小太りの女性が登場する。イスラエル兵の検問のために長い車の列が出来ている難民キャンプの道路に、彼女はプラカードを持って立ち、「クラクションを鳴らして!どんどん進んで」とエネルギッシュにアピールしている。
彼女はアルナというイスラエル人で、若い頃には軍にもいたが、やがてパレスチナ人と結婚し平和運動に参加。そして、難民キャンプの子どもたちに美術や演劇を教える学校を開く。

このドキュメンタリーはその活動を紹介し、さらにアルナがその途中で病死したために中断。後に砲撃で破壊された劇場の様子や、子どもたちのその後の姿を取材したものだ。

嬉々として観衆の前で芝居を演じていた少年達が次の場面ではハイティーンへと成長し、アルナの思い出を語る。そしてさらに後の場面では厳しい顔つきの大人になり、ある者は自殺攻撃に参加し、ある者は銃を持って武装グループを率いて戦車と闘い、ある者は死んだ友人を黙々と弔う。
中でも遺書を読み上げるビデオを残した若者の話は辛いものだ。その後に彼が行なった「テロ」(と、外部からは語られるであろう)は本当に無意味にしか思えないからだ。

アルナの行なっていた教育活動は本来、怒りなどの激しい感情を暴力ではなく、絵や演技によって表現する事を目的としていたのを考えると、この少年達の成長と変貌は見ていられない気がする。
だが、それをカメラは淡々と記録していく。

監督は、アルナの息子である。雑誌「世界」のインタビューによると、若い頃は親のやっている活動には興味がなく軍に志願したりというような経歴の持ち主らしい。(雑誌が手元にないので、間違ってたらスマン)

見終った後に、なんともいえない複雑な気分になった。何かモヤモヤとしたもの、ゴツゴツとした異物があるような気分--。もはや、他に語る言葉など見つからない。
この作品には何の解決もなく、はっきりとした結末がある訳でもない。見る者に怒りとか喜びとか、大きな感情の動きを喚起するということもない。ただ、このような状況になるべくしてなった、その経過だけが明確に描かれているのである。
一体、それ以上の何が必要だろうか?


主観点:採点不能
客観点: 同上

【関連リンク】
「月子徒然」より《アルナの子どもたち》
「Arisanのノート」より《『アルナの子どもたち』&岡真理さんのお話》

「P-navi info」より《日記のような:「アルナの子どもたち」を見て》(ネタバレあり)
「P-navi info」より《映画:「アルナの子どもたち」》(ネタバレなし)

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