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2006年9月 3日 (日)

「モダン・パラダイス」「ばらばらになった身体」他:正味2時間見まくり続けました

*モダン・パラダイス 大原美術館・東京国立近代美術館東西名画の饗宴
2006年8月15日~10月15日
*ばらばらになった身体
2006年8月5日~10月15日
会場:東京国立近代美術館

「モダン・パラダイス」展は大原美術館から有名どころの作品を借りて、東西二つの美術館の名作を一挙公開 \(^o^)/ 一つで二度おいしい--みたいな企画だろうか。要は東京にいながら大原美術館の名品を鑑賞できるという所がポイントですね。
一応、「光あれ」とか「心のかたち」とか各セクションごとにタイトルがついて分けられているが、あんまり意味はなさそう。とにかく、マチスやら古賀春江やら石内都やらポロックやらなんでもありなのだ。目移りしちゃうよ~(@_@)

一番目を引いたのは藤田嗣治の戦争画『血戦ガダルカナル』である。かなりの大作だが、全体が暗茶色に塗られた中、肉弾戦で闘っている兵士達の誰が日本軍で誰が米軍なのか、それどころか誰が生者で誰が死者なのかも定かでなく、ただ恐ろしい形相で蠢いている。さらに画面の奥の方の海ではドドーンと稲妻が落ちてたりして、あまりの鬼気迫る様相に見ているとギャー(>O<)と叫びたくなる。これはもはや西洋中世の地獄絵の域だろう。あるいは最後の審判か、世界の終末の図か……。
『地獄の黙示録』の遥か前に「恐怖」はここに描かれていたようだ。私はこの近美の前回の企画だった「藤田嗣治」展を見に行けばよかったと思ったほどだ。

同じ区画に戦争を題材とした作品が集められていたようで、どれもなかなかに名作揃いだった。簡素な線と色彩が美しいピカソの『頭蓋骨のある静物』、それと比較されている靉光の『眼のある風景』(←これは違うか)、ジャン・フォートリエの『人質』……。タイトルがやけに目を引くフンデルトワッサー『血の雨の中の家々--あるオーストリア・ユダヤ人を慟哭させた絵』は、いかにもフンデルトワッサー風の幾何学模様で描かれた家並みにこれまたクッキリハッキリした丸く赤い雨が降っている絵なのだが、よくよく見ると真ん中あたりにコーヒーをぶっかけたような焦げ茶色のシミがあるのだ。タイトルとあいまってなんだか謎を感じる。
しかし、いくらそれぞれが力作であっても、これだけスタイルも何もかも違う作品が間近に並んでいると、チト散漫な印象になってしまってた。

それ以外に衝撃を受けたのはゲルハルト・リヒターの『抽象絵画(赤)』だった。メタリックな灰色の下にかすれた赤が見え隠れする大作は圧倒的な迫力! それこそ、私は一日がかりでも千葉でやったリヒター展に行けばよかったと心から後悔した。
もし、あの作品の前で _| ̄|○ というポーズを取ってたヤツを見かけたら、それは間違いなく私σ(^-^;)です。


次に所蔵作品展の「近代日本の美術」を見る。上の階から明治初期と時代順になっていて下に行くほど新しい作品になる。4階にあった『騎龍観音』というのはでっかい宗教画で、名作なんだろうけど色といいタッチといい構図(龍の頭に観音様が乗っている)といい、なんだか新興宗教の本のさし絵みたいで笑ってしまった。

3階には美術の教科書に出てくるような名作がゴーロゴロと転がって--じゃなくて展示してあった。中で靉光の苦悩に満ちた『自画像』が目を引く。
それから所蔵展とは関係なく?隅の閉ざされたスペースを丸ごと使ったインスタレーションの『景留斜継』という最近の作品があった。あんまり隅過ぎて気付かない人も多いんじゃないだろか。

さて、ここで一番のお目当ては、実は版画コーナーの駒井哲郎・清宮質文特集。オペラシティのアートギャラリーで見た清宮質文の変な版画が忘れられねえ~、ということで楽しみにしてたのだが、なんと彼の作品は7枚しかなかった。でも、頑張って一枚一枚くっ付くようにして(「お客さま、作品に顔を付けないで下さい」とは注意されなかったよ。ホッ)見てきた。
一番気に入ったのは『行手の花火』というやつ。暗い紺色で描かれた闇の中をやや灰色がかった一本道が通っている。途中にポツポツあるのは電柱か街頭だろうか。その先の夜空に花火が打ち上げられるが、本当にほのかな赤い点で描かれているに過ぎない。その花火は生命力というより、はかなげで瞬時に消え失せてしまうような何かを表わしているようだ。
とても、うら悲しくもの寂しい作品である。

家へ帰ってネット検索してみると、「インゴ・マウラー展」の記事内でも紹介した同じ人のコラムにやはりこの作品についての文章があった。(「SHINOBAZUコラム74」)実際にこれを見たせいもあって、今度は読んで号泣してしまったよ(ToT)ドドーッ

さらに続いて2階へ降りてもう一つのお目当て「ばらばらになった身体」を見る。頭・手・胴体--と身体の部分に焦点を当てたテーマ展示である。思ったより作品数が少なくてちょっと期待外れだった。サルガドの『セラ・ペラダ金山』からは鉱山労働者たちの背中の延々と続く連なりをおさめた写真。岸田劉生の『女の手』は実物大そのものなんで気味が悪いような。目立ったのは河原温の初期の連作『浴室』--まさしく浴室バラバラ事件だーっ。

ここまで来るともう時間が足りなくなって駆け足になってしまい、肝心の1970年代以降の作品は落ちついて見られなかった。残念無念である。

映像作品がないのに2時間たっぷり休みなく見まくってまだ時間が足りないぐらいだった。おかげでグッズを物色するヒマがなかった。でも、充分モトは取れました、ハイ。


【関連リンク】
《61回目の終戦記念日ー「モダン・パラダイス」における戦争》
戦争画と藤田について

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