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2006年10月

2006年10月31日 (火)

「カポーティ」:裏口からコソコソと逃げ去る男

監督:ベネット・ミラー
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン
米国2005年


フィリップ・シーモア・ホフマンが実在の作家を演じて、昨年の映画賞レースで主演男優賞を総ナメ状態にした作品。

T・カポーティが1959年に起こった悲惨な犯罪を取材して後のノンフィクション・ルポルタージュに多大な影響を与えた『冷血』の成立過程を追ったものである。
事件直後に現場に行き、やがて逮捕された犯人に接近し、獄中でインタビューする。数年に及ぶその経緯が淡々と描かれている。

主演のホフマンの画面含有率はなんと95パーセント以上(当社推定比)に及び、ほとんど出ずっぱり状態。カポーティ本人がそうだったのだろうけど、白くてモチモチしていてプニッと押すと中からコシアンが出てきそうなクセのある外見だ。
しかしそれでも飽きないのは周囲の助演陣を芸達者で揃えたからだろう。幼なじみで同業者のネルのキャサリン・キーナー、出番はそれほど多くないが捜査官のクリス・クーパー、犯人役のクリフトン・コリンズ・Jr、いずれも大したもんである。

ここでのカポーティ像は、文壇のスターとなり華やかなパーティの中心で脚光を浴びる一方で、獄中の犯人に対しては自分の惨めな生い立ちを語る--という裏表に分裂している人間として描かれている。
パーティでの辛辣なお喋りや、捜査官の妻の前で映画スターとのエピソードを披露するところは一見鼻持ちならない自慢話に聞こえるし、一方で第一発見者の少女や犯人に自らの暗い体験を語って心を開かせる場面は、共感を引いて相手に喋らせようとする一種の計算に基づくように見える。

だが、むしろ彼は周囲の人間に対し露悪的な所を見せてでも喋りまくってサービスしてしまう性格のように私には思えた。このような人は他者に対して常に警戒心を抱き、不安を感じているものだ。だから無意識のうちに相手の欲求に応えてしまう。それが嘘であれ事実であれ……喜ぶような事を言ってしまうのだ。エキセントリックな外見の印象に隠されて定かには見ることはできないが、彼の「喋り」にはそんな弱者としての防衛本能が感じられる。
そういう点に注目して見るとこの映画は、彼を単純に二面性を持つというのではなく、その両面が溶解した複雑極まる人間として描いているようだ。
犯人に対してどのような感情を抱いていたのかも、明確には示されていない。すべては観客の解釈にゆだねられ、見る側が自分で考えて判断するしかないのである。そういう意味では極めて不親切な映画だ。

役者としてはそもそも容貌にしろ話し方にしろ、このカポーティのように極端なイメージだと却って真似しやすいのではと想像してしまうが、P・S・ホフマンはそんな一筋縄では行かない複雑な内面まで表現していて見事である。やっぱりオスカー獲得は伊達ではないっ?!

同時に監督の演出の手腕も見事なもんだと思った。他の人の感想を読んだら幾つか「眠くなってしまった」というのが見受けられたが、私は全くそんなことはなかった(私が寝てしまうのはヨーロッパ系の「映像派の巨匠」みたいなヤツ)。
捜査官の「『冷血』というのは犯人かあんたか?」という問いかけで早々に映画のテーマが示され、結末(犯人が処刑され、本は完成して出版される)が予め分かっているにも関わらず、一体どうなるのかと終始ドキドキして見てしまった。ヤマも谷もない物語を淡々とここまで引っ張っていくのは並ではない。
特に圧巻は「最後の面会」の場面だろう。一体どちらが悪人で、どちらが死を目前にしている人間なのか?--見ていて分からなくなる。この恐るべき混乱!

彼はネルに「同じ家で育ち彼(犯人)は裏口から出て、僕は表の玄関から出た」というようなことを語ったが(彼女はそれに対し批判的な沈黙によって応える)、今や彼は裏口からこそこそと立ち去るしかないのだ。

ということで、地味で淡々としてはいるので万人向きではないが、大変面白かった。
静かで何もない田舎町の光景を始め映像は美しいし、チェロとピアノによる音楽も印象的である。
もう一つイギリス映画でカポーティを主人公にした映画がつい最近公開されたようだが、こちらも是非見てみたいぞ。

なお、作中でしばしば言及されるネルの作品『アラバマ物語』についてだが、映画の方は大昔子供の頃にTVで見たような気がするのだが、どうにもハッキリ思い出せない。グレゴリー・ペックが主演で子供が出てくる映画?……なんか『仔鹿物語』とゴッチャになってるような(^^;)
映画関係のデータベースで内容を調べてみると、なるほどカポーティがこの原作と映画に対してスッキリした態度を取れなかった理由がよく分かった。彼にしてみれば「やられたー」という感じだったのだろう。『アラバマ物語』の小説と映画を読んで(見て)みたくなった。


ところで、私が『冷血』を読んだのは今を去ること××年前、学生の時である。近所の図書館にその時既に薄汚れてヨレヨレになったハードカバー版が置いてあって、粗筋にひかれて借りたのだ。内容はもうほとんど覚えていないが、「こんなはした金のために家族四人を残酷にも殺害!なんということだー」みたいな調子で全編描かれていたと記憶している。
カポーティがこの映画でのように犯人と親しくしていたのなら、確かにとても生きているうちに本人には見せられなかっただろう。

さて、その後『冷血』の印象を百八十度変えてしまったのは、しばらく後に読んだ安部公房のエッセイだった。彼は『冷血』のことをこんな感じで切って捨てていたのである--「四人も殺しておきながらたった40ドルしか稼げなかったドジな泥棒の話」。
参りました<(_ _)>
まさにコーボー、ひねくれ者のお手本であります。


主観点:8点
客観点:8点

【関連リンク】
リンクをたどっていくと『アラバマ物語』についてもよく分かる。
《YAMDAS現更新履歴》

かなりシビアな見方(カポーティに対し)の感想。こちらにも『アラバマ物語』関連のリンクがある。
《映画のメモ帳+α》

P・S・ホフマンのファンのバウムさんも感想をアップされてました。
《バウムクウヘンの断層。》

【追記】
ミクシィのレビューやブログの感想をその後も見ていて、すこし変だなと感じていたのだが、『冷血』のことを「小説」と書いている人が結構いるのに驚いた。中には「小説なんだから、処刑されるまで待ってないでさっさと結末書いちゃえばいいのに」なんて意見まであり……。
えーと、カボーティのそれまでの代表作は小説であるけど、そして『冷血』は「ノンフィクション・ノベル」と銘打たれているけど、『冷血』はあくまでノンフィクションで、小説ではありませんよ。だから、生きてる犯人には見せられなかったし、結末も書けなかった、と。単に「モデルにした小説」ぐらいだったらあそこまで悩まなかったろう。

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2006年10月25日 (水)

「安徳天皇漂海記」:奇想天外にして細心なる美

著者:宇月原晴明
中央公論新社2006年

この作者の本は全く読んだことがなかったが、大森望・豊崎由美のメッタ斬りコンビによる「第135回 直木賞レース予想(前編)」を読んだら、紹介されていて面白そうだと思ったのだ(直木賞は結局予想通り取れなかった)。

『平家物語』で涙を誘う安徳天皇の死の驚くべき顛末、さらにそれが源実朝へと繋がり、その暗殺と彼の首の行方の謎を解き明かし、ついでに元寇へと続く。これが第一部で、第二部はクビライ・カーン治世下の元の帝都へと飛び、マルコ・ポーロが登場。黄金の国ジパングの真実の姿を明らかにする。
これが全く齟齬もなく見事に展開していく。まさに力業としかいいようがない。しかも美しく幻想的である。久々にこの手の小説を読んで深い満足を味わえた。

作中では実朝を描いた小林秀雄・太宰治、さらにシブサワの『高丘親王航海記』をも下敷きにして引用している。
だが、私は直接に言及されてはいないがもう一人の作家を思い浮かべた。それはもちろん諸星大二郎に他ならない。

だって、だって、かわいくてコワいあの姿はまさに……あんとくさまぁ~~(>O<) (既に恐怖の叫び)


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2006年10月22日 (日)

「ザ・センチネル/陰謀の星条旗」:「24」のファンは見ない方が吉か

監督: クラーク・ジョンソン
出演: マイケル・ダグラス、キーファー・サザーランド
米国2006年

『S.W.A.T』の監督のクラーク・ジョンソンに、原作が『L.A.大捜査線』と同じジェラルド・ペティヴィッチで、シークレット・サービス物となるとかなり期待大であった。
巷では『24』で大人気のキーファー・サザーランドが主演のように宣伝しているが、実際見てみたら主役は完全にマイケル・ダクラスだった。きっと、ファンは騙されて見に行ってしまうんだろうなーと想像する。

ベテランのシークレット・サービスが大統領の暗殺計画について内部から密通しているのではないかという疑いをかけられる。ところが彼には完全に身の潔白を晴らせないウラの事情が別にあった……。

という具合で、前半は密通者が誰なのか、やっぱり主人公がそうなのか、ハッキリとは明らかにしないまま進みなかなか快調であった。だが「こういうのに限って後半グズグズになっちゃうんだよなー」と思ってみてたら、本当にそうなってしまったのはいささかガックリ。
あれほど「裏切り者だー」とかゲキを飛ばしていたのにあっさりみんな彼を信じちゃう方に転んでしまうのは安易過ぎとか、トロントの警察署は一体何をしてるんだ、などなど疑問多数であった。
悪役の正体については、今さらアラブのテロリストにも設定出来ず、当たらず触らずの妥協点というところか。

さらに製作者がM・ダグラスご本人となると、これは彼の「俺様映画」ではないか。これじゃ全体的にヌルい印象になってしまうのも仕方ないかも。
でもまあ、演出はそこら辺をあまり気にならないよう見せてくれたからいいか~。(大甘)細部を気にしなければこの手のジャンルのファンなら楽しめるだろう。
銃撃戦もさすがに『マイアミ・バイス』には負けるが見応えは充分にあり。特に終盤の狭い階段の多い建物の中での撃ち合いは面白かった。「最近、満足できる銃撃戦のある映画が少なくて--」とお嘆きの諸氏は観て損しないだろう。
もっとも、ここでもカナダの警察の面目は丸つぶれ。かの国では抗議が起こらなかったのか疑問に思ってしまうぐらい。

それにしても、シークレット・サービスも大統領の家族も24時間プライバシー無し体制だと思えるのに××なんてするヒマあるんかねー?--なんて初歩的な疑問が原作ではどのように描かれているのか気になったが、『L.A.大捜査線』も原作を当時買って読まないまま未だに積ん読状態なのを思い出したので諦めた。

さてネット上の感想を見たらあまりに評価低いのに驚く。この作品でそんなにケチョンケチョンなら『×××××××』とか、日本の『○○○○○○』なんか見るに価しないと思うが……(^^?)

役者は女性陣(キム・ベイシンガー、エヴァ・ロンゴリア)がよかった。監督は『ホミサイド』で役者として知られてるが、冒頭にチョコッと顔を出してた(すぐいなくなっちゃうけど)。結末はM・ダグラスがK・サザーランドに「後は(アクション物については)任したぜ、後輩!」という宣言だと解釈していいのだろうか。

ついでながら、ここに出てきた大統領は「私は前任者と違って京都議定書を順守し……」などと演説していた。これで世界も安泰だー。 \(^o^)/


主観点:7点(ファン限定の激甘採点)
客観点:6点

【関連リンク】
ゴシップなど盛り沢山。ただし結構ネタバレありなので気にする人は事前に読まない方が良いかも。「巨大ビキニ姿」に目がテン(・o・)です。
「映画とはずがたり」

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2006年10月21日 (土)

「エンドゲーム」:ベケットを見ながら考えた--ことは何もない

作:サミュエル・ベケット
演出:佐藤信
出演:手塚とおる、柄本明
会場:シアタートラム
2006年9月22日-10月1日

新作戯曲紹介『ベケットを見ながら』
舞台:とある劇場
登場人物:観客A、観客B、掃除人

劇場でベケットの芝居「エンドゲーム」が始まる。
A(Bに囁いて)「なあ、今クロヴはなんて言ったんだ?あの喋り方よく聞き取れないよ」
Bは眠りこけていて返事が無い。やがてBが目を覚ます。
B「なあ、ハムって王様なのかなあ。自分でそう言ってたっけ?」
今度はAが寝ている。Aの返事はない。
交互に目を覚まして舞台を眺めては質問するが、その度に相手は眠っている。それを繰り返しているうちに遂に芝居は終わってしまう。

終幕後、客席で感想を述べ合うが、互いに見ている場面が違うので話が通じない。
A「まるで二人の掛け合いがコントみたいだったなあ。でも、ここで笑っていいのかよく分からないのが難だけどさ」
B「核戦争による世界の終末後の茫漠たる寂寥感みたいのがよく表現されてたよ。退廃の極みだねえ」
A「始まっても客電ずっとつけっぱなしで会場がコウコウと明るかったのには驚いたよ」
B「客席が暗過ぎてコックリと舟をこいでた客が大勢いたね」
A「役者の名前は四人あるのに、二人しか出なかったのはなんでだろう」
B「え? ベテラン勢二人はゴミバケツの中から時々顔を出してたじゃないの」
A(焦って)「ゴミバケツの中?」
B「そういや、手塚とおるは明晰な演技でよかったよ。若いのに、老いた主人の役がよく合ってたなあ」
A「柄本明は愚かなんだか頑迷なんだかよく分からない正体不明さを、地だか演技だか区別がつけられない演技で、観客をケムに巻いてたなあ。見たところ、柄本がツッコミで手塚がボケだよね」
B「ええっ、柄本がトチったのを「はい、どうぞ」とフォローしてた手塚の方こそツッコミだろう」
A「むむっ、そんな場面あったっけ? 彼がトチったのは望遠鏡落とした場面だろう」
B「げげっ、そんな場面あったっけ?」
A「お前ちゃんと観てたのか?」
B「お前こそ!」
しばらく言い合いが続く。

A「なあ、おれ達同じ芝居を観てたのかなあ……」
B「さあ、どうかなあ」
A「いつかベケットの芝居をちゃんと観られる日が来るだろうか」
B「来るかなあ」
考え込む二人であったが、劇場係員の掃除のモップに容赦なく追い立てられて退場する。


【関連リンク】
ちゃんとした感想を読みたい人はこちらへ
「散策する見物」

見事「玉砕」した人の感想
「萬風堂夜話」

終演後に行なわれたポストトークの内容の紹介。客が眠ることについての言及あり。
「観劇日和」

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2006年10月16日 (月)

トーキングヘッズ叢書No.28「分身パラダイス」発売

毎度お馴染み~トーキングヘッズ叢書28号『分身パラダイス』が出ました。詳細はこちらをご覧ください。

タイトル通り今回は「分身」がテーマですが、私は残念ながら2ページ分しか書けませんでした。ヒッチコックの『めまい』と、あら懐かしの佐々木淳子の紹介だけです。猛反省であります。(毎回反省しているような気が……)

という訳で、皆様なにどぞお買い求め下さいますようお願いします<(_ _)>

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2006年10月14日 (土)

ジェニー・ホルツァー展:いつか電光掲示板に流したい「お前の財布は私のもの」

会場:スカイ・ザ・バスハウス
2006年9月7日-10月14日

天気は秋晴れ、上野は芸術の秋でバクハツだーっ!というぐらいに人が行き交う上野公園。あちらではダリ展、こちらではNHK日曜美術館展、さらに向こうじゃベルギー王立美術館展……。と、それらを全て通り過ぎて谷中方面へと向かう。
めっきり下町色の濃い街並み。カラスが舞い飛ぶ中、目指すは元銭湯のギャラリー、スカイ・ザ・バスハウスである。

短く辛辣な内容の文章と文字による作品というと、バーバラ・クルーガーを思い浮かべるが、クルーガーの場合は写真などの組み合わせで作品を作っているのに対し、J・ホルツァーとなるとホントに字だけという感じだ。

この個展では、橋やビルの壁に文字をプロジェクターで投影した企画を記録した写真作品と、白い壁にLEDの小さなユニットが並べられ、それが一斉にテキストを映していく巨大なインスタレーションがあった。

全体をぼーっと眺めていると、間歇的に紫やら青の文字がチカチカとまたたいては一斉に黒くブランクになるのでとてもキレイである。
文字は横の列のユニットは同じ内容で、サーッと流れていくようにしてあっという間に消えてしまう。全体的に何回かごとに反復しているようだが読み取るのは英語の苦手な人間には簡単ではない。(「命令は自由の形を取る」みたいなのがあったような……)しかも私は先日の健康診断で視力0.4を宣告されたばかりで、おまけに乱視も入っているので懸命に見ているうちに目がチカチカして来てしまい、それ以上の文字読み取りを諦めた。

元は番台らしき受付には各作品の価格が出ていて、写真作品も大層な値段なのであった。またLEDユニットもバラ売りしているようだ。余裕があったらトイレにでも(ちょうど座って目の前あたりに)一個設置したらいいかも知れない。
後で、テキストの内容を受付のおねーさんに聞いてみればよかったと反省。


写真作品を眺めていた学生らしき若いモンが「"afraid"ってなんだっけ」と言ってるのを聞いて「勝った \(^o^)/」とほくそ笑んだ私……低レベルな争いである。

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2006年10月12日 (木)

「イタリアのコンソート音楽」:神の家にも○○虫出現

演奏:ザ・ロイヤル・コンソート、鈴木美登里、大塚直哉
会場:日本福音ルーテル東京教会
2006年9月29日

新大久保--周囲は居酒屋やら派手な電飾の店やら怪しげな横丁やらケバい歓楽街である。欲望渦巻くその真っ只中に教会がある。しかもご近所には商売敵のお寺さんまであるし、向かい側は交番だ。何だか分からんけどすごいロケーションだぞ。

この教会はよくコンサートの会場になっているようだけど、行ったのは始めてである。
ザ・ロイヤル・コンソートは四人のガンバ奏者(全員日本人だがうち二人は在欧)によるグループ。今回はゲストを加えてイタリアの曲をやるとのこと。福沢宏と上村かおりは知ってたが、残りの二人は初めて見た(聴いた)奏者だったと思う。

プログラムは、知ってる作曲家はディンディア、モンテヴェルディ、フレスコバルディぐらいで、他はマラッゾーリとかレグレッツィとか全く名前も聞いたことのない作曲が大半。
最初の器楽だけの演奏に続き、2曲目にゲストの鈴木美登里が登場。こんな風に独唱をじっくり聴いたのは、BCJに出なくなっちゃって以来のような気がする。実は先日のフレンチ・バロックの演奏会でもソプラノをやってたのだが、誰が独唱してるのか分からないような状態だったので、ホントに久し振りという感ありだ。

福沢さんのガンバと、同じくゲストのチェンバロはBCJ定期に続きまたも大塚さん。それをバックに、照明をグッとしぼって太いロウソク二本の炎が揺れる中で歌うという雰囲気ありまくりの演出には、思わずウットリである。ただ暗過ぎて歌詞の訳も見えないのはなんだったが……。

途中で大塚さんの独奏や、ガンバの合奏をはさんで鈴木さんは度々登場。スペシャル・ゲストスターという感じ。イタリア風激情をあます所なく表現していた。
ただ、後半では照明落として暗くなると眠気虫のヤツがチョロチョロと出現し始めたではないか(!o!) 私は必死に「神様、なぜ教会にまでこのような虫の跋扈をお許しになるのですか。どうか奴らをせん滅させて下さい(-人-)」と宗旨の違いも気にせず祈ったが、どうやら神はその存在を気にしていないようであった。

ということで、後半は体調が悪くてかなりつらかったがおおむね満足であった。ただ、前の人の頭でよくステージが見えなかったので、次にこの教会に来る時は早めに来て前の方の席を取ることにしよう。

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2006年10月10日 (火)

「X-MEN:ファイナル・ディシジョン」:何気に「野暮」

監督:ブレット・ラトナー
出演: ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワート、イアン・マッケラン
米国2005年

個人的には今季最大の期待作ということで、もう1作目・2作目のDVD借りてきて事前学習もバッチリ。ドーンと来いってなもんである。
そして、またプロフェッサーことパトさんと、マグニートーことイアン・マッケランの美老人コンビの麗しい友情が見られるかと期待していたのにぃ~。
なんだよ、これは……

普通に面白いじゃねえか!

もうガッカリだー。
いや、面白いのが悪いってんじゃない。前作前々作は「すごーく面白い」とか「異様に面白い」という感じだったのに、今回はあまりに普通のエンターテインメントになってしまっていたからだ。ウルヴァリンだっていかにもヒーロー然としてるしさ。
おまけにフェニックス発現の場面なんてなんだか「エクソシスト」みたい。オカルト風味もサービスということか。
そのために、これまでの洗練されてた部分も、野暮でベタになってしまった。映像も独特の質感がなくなって平板な印象だ。やたらとアップも多いしさ。

期待していた美老人の友愛も中途半端で詰まんなーい。それからどの感想見ても触れられてるけど、サイクロップスの情けなさ、トホホ。
さらにこれまで何気に小さなお子ちゃまには分からないエロさを発散させていたのが、ミスティークと大柄な白衣の女医さんジーン・グレイだったわけで、見ていて(^Q^;)ハアハアしちゃうのだが、その二人とも……なんで、これまた詰まんない。
ストームのみ出番が増えて中心的存在になっておまけにキャット・ファイトまでしちゃうが、これはハル・ベリーが「もっと出番増やしてよっ」とゴネたせいじゃないかと裏事情を疑っちゃう。
関係ないけどアンナ・パキンはすっかり大人になっちゃいましたねえ。

やっぱり監督代わるとこれほどまでに違うというのがよ~く分かった(脚本もかなり関わってくるだろうけど)。編集やら構図やら0.5秒の差、0.5センチの差が積み重なってここまで違ってくるのだろうか。

で結論は、最終作は面白いゆえに詰まらないって事と、『ダ・ヴィンチ・コード』同様おいしい所を全てかっさらったイアン・マッケランは神という事でよろしいでしょうか。

ところでネタバレを避けて事前に他の感想を読まないようにしていたのだが、なんと!ミクシィのピカード艦長のコミュニティの掲示板を読んだらプロフェッサーについてネタバレしていたのであった(泣) まさかあんな予期せぬ所で……(T^T)クーッ あんまりだーっ。


主観点:6点
客観点:7点

【関連リンク】
コメント欄が面白い。特に「中国雑技団」には爆笑しました。
「ちわわぱらだいす」


【追記】

★以下ネタバレ注意です★

女性キャラクターの行く末を見るとなかなか興味深い。
ジーン・グレイは自らの力の暴走を止められず死を選ぶ。しかも愛する男の手によって、である。一方、ローグは愛する男のために力を捨てる。しかし、ミスティークは力を失う事で愛する男から見捨てられてしまうのだ。
唯一、力をコントロールできるストームは「父」たるプロフェッサーの後をついで学園を運営する事を宣言する。とすれば彼女の役割は「母」であろう。

しかし、そもそもジーン・グレイの二重人格が父たるプロフェッサーの「欺瞞」(とウルヴァリンはなじる)によるものなのだから、これはある意味裏切られ見捨てられた「娘」の報復なのか。

--となると、今回の『X-MEN』は「男の物語」より「女の物語」の方に色々隠されているものがあるようである。

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2006年10月 9日 (月)

バッハ・コレギウム・ジャパン第74回定期演奏会:バッハの首が……

ソロ・カンタータ 2
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2006年9月24日

今回はソロ・カンタータ特集ということで合唱は無しである。でもって独唱者はベストメンバーとでも言うべき顔ぶれ4人。
それぞれソロを担当する以外の歌手も脇に控えて、コラールの時は全員で歌っていた。

第1曲めBWV52の冒頭の楽章は聞き覚えのある曲--と思ったら『ブランデンブルク』の初期稿とのこと。コーラス隊がいないのでホルンは真ん中の奥で吹いていてなかなか響きがよかった。(今回はいつもの島田さんじゃなくて外国人の奏者)
チェンバロは珍しくも久し振りに大塚直哉だった。BWV169のオブリガート・オルガンは鈴木兄御大が担当。

ソプラノ、バス、休憩が入ってアルト、テノール、ソプラノ+バスという曲順。ソプラノのキャロリン・サンプソンとカウンターテナーのロビン君はよかったけど最高というほどではなかった(以前聴いてて泣いちゃったことあるし)。一番はテノールのゲルト・テュルクだったと思う。いつもの抑制された沈着な歌いぶりではなく、かなり力が入った感じであった。
バスのペーター・コーイは可もなく不可もなくといったところだったが、3曲目のアリアの「ここでは、私はただ悲惨を紡ぐのみ しかしかの地では、私は見るだろう 麗しい平和、静かなる安らぎを。」という一節ではなんとはなしにしんみりしてしまった。私も歳ですかねえ……。

通して聞いて思ったのは、どの曲にも必ずトーシロの耳にも「なんか難しくて歌いにくそうだなあ」と感じる部分があったことだ。波多野睦美が以前、パーセルは楽に歌えるのにバッハの曲は本当に自分で歌えるのかと聞きたくなってしまう--という意味のことを語ってたのを思い出した。
すると私の脳内妄想としてたちどころに、楽譜を手にした歌手たちから「こんな曲書いて!あんた自分で歌えんのか、ゴルァ」と問い詰められるバッハ先生の姿が浮かんでくるのであった。

バッハ先生といえば、今回のプログラムの鈴木雅明の文章に「バッハは、充実した和音を好んだので、ペダルや手鍵盤がもうこれ以上演奏できない時は、口に棒を咥えて、手でも足でも届かない鍵盤を弾くのであった」という当時の証言が引用されていた。
私はまたもこれを読んで脳内に、バッハが口に棒をくわえて懸命にオルガンを弾いている姿を思い浮かべて(しかもその首がなぜかろくろっ首のようにニューッと伸びている)爆笑してしまった。家に帰ってからその部分を読んだからよかったものの、もし会場で読んでたら残響付きで笑いを響き渡らせてしまっただろう。

パンフレット関連でついでに書くと、後ろの方にリコーダーのダン・ラウリンのインタビューが載っていて「古楽の世界は、ヨーロッパでも経済的に厳しくなり、演奏家の状況も悪くなってきています」とあるのを読んで、思わずため息が出てしまったよ。

【関連リンク】
この後に行なわれたサポーターズ・パーティーの様子が報告されています。
「Tomatian World ~苫治安の楽天日記~」

私はグズクズしてましたが(反省)、毎回着実にアップされる「小一時間」さんの感想です。
「フーゾクDXの仕事の合間に小一時間」

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2006年10月 8日 (日)

「フランス・バロック宗教音楽の夕べ」:夜の護国寺に迷う

演奏:コントラポント、フォンス・フローリス
会場:東京カテドラル聖マリア大聖堂
2006年9月22日

どうもこの会場は苦手である。十年ぐらい前に二度ほど行ったが、あまりに残響が長いので音がよく聞き取れず、その後ここでやるコンサートは敬遠するようになってしまった。中世やルネサンス期のアカペラ合唱曲あたりならいいんだろうけどね。

しかしフランス・バロックの宗教曲となると日本ではあまり演奏されないので久し振りに行ってみた。
フォンス・フローリスというのはアマチュアやプロの合唱団が集まって結成したもので、なんと八十人以上の大所帯でビックリ。なんでも当時は実際にこんな大編成で演奏されたらしい。
コントラポントはヴォーカル・アンサンブル・カペラの主宰者花井哲郎がリーダーのグループで、こちらは後期ルネサンスからバロックの曲をやるとのこと。

プログラムはド・ラランド、リュリ、シャルパンティエ。始まるとやはり大編成の合唱に圧倒されるが、私は遅れて行ったせいで席が端の方になってしまい、しかもこの聖堂の座席配列は横に長いんだよねー。
という訳で、反響のせいで合唱は前から聞こえるが、独唱は真横から、楽器は斜め後方から聞こえてくるという変な具合になってしまった。

当然段差は無いので、合唱の人たちで上の方の段のメンバー以外は全く姿が見えない。私の側には最初から見るのを諦めて目をつぶって聴いている人もいたぐらいだ。

というわけで、宗教曲としての迫力はあったが、おフランス・バロック期の繊細な「粋」の部分は全く聞き取れないコンサートとなってしまった。この会場では仕方ないことだろうが。

終演後、合唱団が立っていた段を見たら小型のスピーカーらしきものが数個配置されていた。これは反響のために何もないと合唱団全員が同期して歌えないせいか?

さて、十年ぶりなんで東京カテドラルへの行き方をすっかり忘れてしまった。有楽町線の護国寺駅からが一番近そうなので降りてみたが、これが大失敗。もう暗くなっててどの道を行ったらいいのか全然分かんない(>_<)
駅に降りた時点からそれらしき中年女性が前を歩いていたので、目星をつけて必死に後をついてったら無事にたどり着くことができた、ホッ。
もしあの女性がコンサートへ行くんでなかったら、私は完全に迷って夜の町をさまよい歩いていただろう。(大汗)
今度行く時は(行く機会があったら、だが)江戸川橋駅で降りることにしよう。

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2006年10月 7日 (土)

「マイアミ・バイス」:残念無念の涙

監督:マイケル・マン
出演:コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス
米国2006年

正直に言おう。『ラスト・オブ・モヒカン』以来、マイケル・マンは外れなしの作品を作り続けてきたが、遂に失敗作を出してしまったようだ。よりによって『マイアミ・バイス』のリメイクで……。
これが泣かずにいられようかっつーの(T^T)クーッ

とにかく「面白い」「詰まらない」というより肝心な部分が抜け落ちているという印象だ。説明が全くないので、そもそも何も知らずに見たら、主人公たちのチームが一体普段何をやっているのかよく分からないんじゃないか?
それにどういうキャラクターなんだか性格や背景も不明。本当はインテリなんだかそれともたたき上げなのか、とか全く分からない。悪党側の方がよほど説明されている。

実際には冒頭にボートレースのシーンがあったらしいのだが、それが丸々なくなってしまったらしい。それでなんだか唐突な始まり方をしてたとか。
中盤以降もモヤモヤした部分が多い。タブスは相棒の暴走を表向きはかばっても、内心は疑念を抱いているはずなのだが、そこら辺はほとんど描写されてない。M・マンはその手の心理描写は得意なはずなんだけど、なんで? あまりJ・フォックスを起用した意味もない感じである。

ラストも大甘過ぎ。職業倫理上そんなことしてエエんですかっ?と言いたくなる。男女間の問題にしても惚れているから嘘をつかれても許すというのはありだけど、逆に惚れているからこそ絶対に許せない!というのもあるんじゃないの。ヒロインの性格設定だと後者ぽいと思ったんだけど--。

役者については、コリン・ファレルは今イチ似合っていなかったようだ……特にヒゲとロン毛が(^O^) J・フォックスは、先に書いたようにもったいない使い方。
コン・リーは監督が惚れ込んで起用したというのがよく分かる。分かるんだけど観客がそれに納得できるかどうかはビミョー。
その他、ジーナ姐さんは銃の構え方がカッコよくて最高!だったが、いかんせん出番自体が少ないのが残念。スワイテクなんてセリフなかったんじゃないの?
見ている間は全く分からなかったが、最初の方で刑事たちが脅したりなだめたりしてた仲介屋は、『クライム・ストーリー』の犯人の手下役の人だと後で思い出した。髪の毛がだいぶ寂しくなりましたねえ。(泣)

一方、公開時の宣伝文句に最もリアルな潜入捜査なんて書かれているのを見て、いくらなんでも「リアル」はないだろうと思って見たら、なるほどと納得できるところはあった。
この手のおとり捜査というのは地道に何度も相手と接触して信用させて、なんとか小口の仕事を貰ってさらに信頼を得て、今度は大口のヤマをドーンと……という積み重ねのようである。この映画のケースだといくら大きなヤマでもニューヨーク向けの仕事では意味がないので、じっとガマンして目的のものが来るまで待たなければならない。それ自体は非常に地味~な繰り返しなんだろうと推測する。

まあ、そんな地味な話では映画にならんので派手なラブシーンをドドーンと入れたのだろう。それは仕方ないと思うけど、長過ぎです……しかも主人公二人分も(>O<)

ただ、それとは別に犯罪が完全にグローバル化してるのは分かった。もう国境なんて関係ないんだねえ。

音楽の使い方は相変わらず良!(ただしラブシーンを除く)、サントラさっそく買っちまいましたよ。
映像も独特の質感があってよかった。夜の都市はもちろん、数少ない昼間の青空なんかも目が覚めるような鮮やかさだ。
それと終盤の銃撃戦はやっぱり素晴らしい。特に音響が良くて出だしからズドドーンと腹に来ました。思わず「こうでなくちゃ」とウットリ。構図や編集も素晴らしい。きっとまたパクる方々が出てくることだろう。これを見られただけでも元は取れたと思いたい……いや、思うぞ(キッパリ)。


さてオリジナルのTV版『マイアミ・バイス』は--大ファン \(^o^)/だった。もう題名聞いただけで頭の中にあのテーマ曲とロゴとフラミンゴの映像が浮かんできちゃうぐらい。再放送の時は全部ビデオに取って保存版にしてある。
今回出たBOXセット二つももちろん即購入した。見るヒマ無いけど(火暴)
始まった当初は主役のドン・ジョンソンを見て、ええーアメリカではこんな生臭い感じのが人気あるんかねー、と疑問に思ったがそのうちすっかりなじんでしまった(^-^;
一番驚いたのはストーリーの怒濤のような展開ぶり。「放送時間あと五分しかない!どうやってこの結末付けるんだっ?」と見ていて焦るが、毎回意外な展開でちゃんと終わらせてしまうのだ。
日本では米国ほど人気は出なくてむしろ設定を頂いた「××××刑事」の方がもてはやされた(クヤシイ~ッ)。それから大沢在昌の『新宿鮫』シリーズもかなり影響を受けていたと思う。

MTV風とか派手なファッションとか毎度の銃撃戦などが話題になったが、一方でリアルな所もあった。「リアル」なんていうと疑う人もいるかもしれないが、内務調査のトラブルとか、盗聴するにも裁判所命令がないとできないとか(これは米国ではつい最近できるになったらしい)、女刑事が娼婦に変装しておとり捜査をする時はちゃんと客の男役の刑事もいる(考えてみれば当然か)などなど細かい部分で、である。

映画版の感想でよく見かけるのが「なんで刑事なのにあんな高い車に乗っていい服着てるんだ」という疑問だが、あれは犯罪者から没収したのを使いまわしたりしている官給品だったり、おとり捜査のための必要経費で落としたりしているのだ。壊したりすると始末書を書かなくてはならないはず(多分)。
そういう部分も映画では全然説明なかったですねえ……。

M・マンはかつてTVで『マイアミ・バイス』を大きく当てた後、『クライム・ストーリー』で轟沈してしまったが再び返り咲いたという過去がある。今回は無念の出来だったが、次作でまたやってくれると期待したい。頼むよ~、監督!


主観点:6点
客観点:5点

【関連リンク】
この映画の中に登場する車について詳しく書いてある。この方面には全く無知なので、金額を見て頭がクラクラしてしまった。
《日本一の車屋を目指す22歳 社長ブログ》

「ラブシーン祭り」に笑いました。
「enjoy! MOVIE☆LIFE」

私同様にTV版ファンの方の率直な意見
「固ゆで卵で行こう!」

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2006年10月 1日 (日)

タブラトゥーラ「花よりもなほ」:久し振りにコンサートで点目になる

会場:ムジカーザ
2006年9月21日

踊る古楽集団タブラトゥーラのライヴ。今回は映画『花よりもなほ』の音楽を担当した記念でそれらの曲も演奏するいうこともあって、タイトルになっている。
映画の中には数秒間だけメンバー三人が登場するとのこと。でも、音楽の使い方には色々不満があるらしく、団長のつのだたかしは冗談半分に色々グチを言っていた(^=^;
映画関係者は次の日の昼のライヴに来ていたもよう。

会場のムシカーザには初めて行ったが、極めてこじんまりしたスペース。よって、こんな間近でタブラの面々を見たのも初めてだった。

フィドルとリコーダーのユニゾンの音がとっても気持ちよかった。江崎浩司はレッド・プリーストみたいにリコーダー二本をいっぺんに吹くという妙技を披露。
団長はついに還暦を迎えたということもあってか、トチったり岡田准と岡田龍之介(チェンバロの)をゴッチャにしたりしてちょっと老人脳になっていたようである。

さて、一番前の席に座ってさかんに「ブラボー」を連発していた若い女性がアンコール曲が始まった時だと思うが、やおら立ち上がりステージ部分のど真ん中、メンバーの目の前で踊り始めたのには驚いた。自分の座席周辺で踊るというのならまだしも、完全にステージ中を飛び跳ねていたのである。
これには私はビックリして、目が点になってしまった。もう音楽なんか耳に入らないくらい(火暴) ボーゼンと眺めていたのだった……。

しかし、団長は曲に合わせて「拍手してくれ」というけどタブラの曲は難しいんだよねー。合わせて叩くだけでも精一杯。それが本当に合っているのかも分かんない。拍手するのに気を取られて聴く方がお留守になっちゃうのよ。

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