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2006年10月 9日 (月)

バッハ・コレギウム・ジャパン第74回定期演奏会:バッハの首が……

ソロ・カンタータ 2
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2006年9月24日

今回はソロ・カンタータ特集ということで合唱は無しである。でもって独唱者はベストメンバーとでも言うべき顔ぶれ4人。
それぞれソロを担当する以外の歌手も脇に控えて、コラールの時は全員で歌っていた。

第1曲めBWV52の冒頭の楽章は聞き覚えのある曲--と思ったら『ブランデンブルク』の初期稿とのこと。コーラス隊がいないのでホルンは真ん中の奥で吹いていてなかなか響きがよかった。(今回はいつもの島田さんじゃなくて外国人の奏者)
チェンバロは珍しくも久し振りに大塚直哉だった。BWV169のオブリガート・オルガンは鈴木兄御大が担当。

ソプラノ、バス、休憩が入ってアルト、テノール、ソプラノ+バスという曲順。ソプラノのキャロリン・サンプソンとカウンターテナーのロビン君はよかったけど最高というほどではなかった(以前聴いてて泣いちゃったことあるし)。一番はテノールのゲルト・テュルクだったと思う。いつもの抑制された沈着な歌いぶりではなく、かなり力が入った感じであった。
バスのペーター・コーイは可もなく不可もなくといったところだったが、3曲目のアリアの「ここでは、私はただ悲惨を紡ぐのみ しかしかの地では、私は見るだろう 麗しい平和、静かなる安らぎを。」という一節ではなんとはなしにしんみりしてしまった。私も歳ですかねえ……。

通して聞いて思ったのは、どの曲にも必ずトーシロの耳にも「なんか難しくて歌いにくそうだなあ」と感じる部分があったことだ。波多野睦美が以前、パーセルは楽に歌えるのにバッハの曲は本当に自分で歌えるのかと聞きたくなってしまう--という意味のことを語ってたのを思い出した。
すると私の脳内妄想としてたちどころに、楽譜を手にした歌手たちから「こんな曲書いて!あんた自分で歌えんのか、ゴルァ」と問い詰められるバッハ先生の姿が浮かんでくるのであった。

バッハ先生といえば、今回のプログラムの鈴木雅明の文章に「バッハは、充実した和音を好んだので、ペダルや手鍵盤がもうこれ以上演奏できない時は、口に棒を咥えて、手でも足でも届かない鍵盤を弾くのであった」という当時の証言が引用されていた。
私はまたもこれを読んで脳内に、バッハが口に棒をくわえて懸命にオルガンを弾いている姿を思い浮かべて(しかもその首がなぜかろくろっ首のようにニューッと伸びている)爆笑してしまった。家に帰ってからその部分を読んだからよかったものの、もし会場で読んでたら残響付きで笑いを響き渡らせてしまっただろう。

パンフレット関連でついでに書くと、後ろの方にリコーダーのダン・ラウリンのインタビューが載っていて「古楽の世界は、ヨーロッパでも経済的に厳しくなり、演奏家の状況も悪くなってきています」とあるのを読んで、思わずため息が出てしまったよ。

【関連リンク】
この後に行なわれたサポーターズ・パーティーの様子が報告されています。
「Tomatian World ~苫治安の楽天日記~」

私はグズクズしてましたが(反省)、毎回着実にアップされる「小一時間」さんの感想です。
「フーゾクDXの仕事の合間に小一時間」

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