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2006年11月14日 (火)

「J・S・バッハ/ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ全曲」:バッハ凝縮生一本勝負

「J・S・バッハ/ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ全曲」:バッハ凝縮生一本勝負

演奏:桐山建志(バロック・ヴァイオリン)、大塚直哉(チェンバロ)
会場:東京文化会館小ホール
2006年11月7日

桐山・大塚コンビで出してきたバッハの「ヴァイオリンとチェンバロのための作品集」CDシリーズ完結記念のコンサート。
このシリーズはソナタ6曲と無伴奏ヴァイオリン曲の6曲の調性がほとんど対になっていることから、調性ごとにその二種を録音したものである。

完成記念のこのコンサートではソナタの方を全曲演奏した。プログラムには「単調に思われるかもしれませんが、実は調性ごとに曲のキャラクター、色合いなどが全く異なり、変化に富んでいます」とあるが、なるほどその通りであった。

前半後半に分けて曲番順に演奏。
音の聞こえ方がちょっと遠い印象で、古楽器二台では小ホールでも大き過ぎかなあと感じたが、一応細部の音までちゃんと聞き取れた。
第5番は「6つのデュオ・ソナタの中でも飛び抜けて演奏機会の少ない」らしいが、なるほどちょっと変わった--なんつーか「アヴァンギャルド」という言葉が合うような曲であった。突然聴かされたらバッハとは思わないかも。そのせいか眠気虫に食いつかれていた人が結構いたもよう。

一方、最後の第6番はもう全編最初から最後までバッハ節だった。この日演奏されたのは第3稿だったが、アンコールでは削除されてしまった第2稿のカンタービレが演奏された。これもいかにもバッハな美しい曲だった。

というわけで、バッハの精髄はカンタータにあるというのは定説ではあるが、このような純粋な器楽曲でも頭の先からシッポまでアンコが詰まっているたい焼きの如く、どこを切ってもバッハ魂がギュウ詰めになっているのを感じたコンサートであった。隣の大ホールではちょうど『ロ短調ミサ』をやっていたが、大人数でドドーンと「ロ短調」でなくとも、立った二人だけで「骨の髄までバッハ」とか「宇宙の果てまでバッハ」といったものを表現できるのだと感じた。もう、二か月ぐらいはバッハを聴かなくても大丈夫 (^o^)b と思ったぐらい。
桐山さん、大塚さん、そしてバッハ先生ありがとう <(_ _)>

終了後、近くの席に二人のどちらかのお母さんがいてお弟子さんに挨拶していた。私はポンと肩を叩き「ま~あ、ご立派な息子さんを持って、お母さまもさぞご自慢なことでしょう(おばはんモード全開)」と言う厚かましさはさすがにないので、そのまま帰ったのである。

【追記】
意図がよく伝わらないかなと思い、内容に加筆しました。

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