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2006年11月19日 (日)

「世襲」の美学と若者叩き

「表現と地雷」
少し前に上記リンク先と同じようなテーマの話をブログで読んだのを思い出した。ただし、主張は正反対であるが。

「何かを擁護することが別の何かを排除する可能性」

実のところ、最初にこちらを読んだ時には「そんな事言ったら何も主張できなくなってしまうじゃないの」とムッとしたことを覚えている。しかし、前者のブログを読んで考え直した。

全く同じ題材を扱っていながら、両者が正反対であるのは自分が被害者であると見なすか、加害者になりうると見なすかによってである。(どちらがどちらであるかはよく読んで頂ければ分かるだろう)
他者にとって抑圧的な言説であるかどうかは述べた側には分からない。「そんな事言ったつもりはない!」と思っていても、そういうことは言われた側に回ってみて初めて分かるのだ。(もちろんネット上の論議にはそれを逆手に取ってわざとイチャモン付けてくるパターンもあるが)


さて、前者のブログの一つ前の記事
「自己決定の罠」
がかなり気になった。

「自己決定」の概念が文中でどんどん変わって一定していないように思えるし、結果的によくある「若者叩き」なっている。冒頭を字義通りに解釈していくのなら、上野公園のホームレスのおじさんたちだって「自己決定」した結果だということになるんだがどうなのだろう。
これを実証的に語るなら階層別・年代別のニート・フリーター数を示さなければならないはずだ。
そして、最終的には「自由」「権利」への否定的言説へと収斂していくのである。

また、「不自由」がないというが、現代の若者がかつては存在しなかった別の形の「不自由」や抑圧にさらされているとは考えないのだろうか?

ところで、古い新聞を整理していたらこんな記事が目にとまった。『18歳の今を生きぬく』(青木書店)という高校生・卒業生を調査した本を紹介したものである。

「正社員、フリーターを問わず、多くの人は低賃金で不規則な勤務を長期間続けていた。親を支え、収入を家に入れている人が少なくない。労働環境の厳しい職場で人間関係に傷つき、体調を崩して離職した人も多い。」(朝日新聞5月14日朝刊)

これも「自己決定」なのだろうか?
以前に紹介した『おろかものの「正義論」』という本では、選択肢が複数あったとしてもそれを行使できるのは豊かな層だけであり、貧困層になればなるほど選択する幅は狭まっていくという意味のことが書かれていた(本が手元にないのでちょっとあやふやです)。

さて、今度の首相だが彼は世襲制で政治屋三代目であり、さらに幼稚園小学校から大学までエスカレーター式の学校へ通い「自己決定」などしてきた様子はない。なるほど「世間的にスレてもいなく、瑞々しく輝いている」……(^_^メ)
もっとも世襲についてはこういう言葉もあるのだが--「三代目は身上潰す」

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