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2006年11月 3日 (金)

東京都写真美術館三連発

*HASHI[橋村奉臣]展
「一瞬の永遠」&「未来の原風景」
2006年9月16日~10月29日

ニューヨーク在住で、日本よりもかの地の方で知られている写真家の作品展。二部構成になっていて最初の『一瞬の永遠』はアクション・スティル・ライフという手法で撮ったもの。
人間の肉眼では捉えられない一瞬を焼きつけた写真が並んでいる。水面に物が落ちる瞬間とか、グラスがくだけ散る瞬間など、生々しいまでのリアルさが存在していた。ガラスの割れた断面とか、金魚すくいの紙の切れ端など見ていると、なんだかリアル過ぎる感触に見ていて気分が悪くなってしまう。
人間の目に捉えられない故に、このリアルさは逆にファンタジーへと転化してしまうのだろうか。

続く『未来の原風景』は「ハシグラフィー」という名前がつけられている作品群。現在撮った写真をわざと古めかしいセピア色で黄ばんだような紙に焼きつけたものだ。なんでも「今から千年後、西暦3000年の未来の人々に現代がどう見えるか」というコンセプトらしいのだが、こんなコピーはなかった方がよかった。
なぜなら、被写体のほとんどが旧跡名所美術品みたいなものでばかりで、あまり「今の社会」を写したものには思えないから。コンセプトに合わせるなら、対象は何気ない家族のスナップ写真とかアダルト向け雑誌のエロ写真とか高層ビルなんぞになるはずだ。
ロダンの彫刻や古めかしいパリの一画じゃ、アンティーク写真と変わらないような気がする。
ということでこちらの方はあまり面白いとは思えなかった。

スティル・ライフ写真のポスターかカードを買おうと思ったら、作者本人がサイン会をやってて売り場がやたら混雑していたので諦めて二階へ降りる。


*石内都「マザーズ」
2006年9月23日~11月5日

以前『マザーズ』の作品集(ホントに最初の、マイナーな出版社から出てた小型本)を初めて見た時に湧き上がった複雑な感情を忘れる事はできない。
怒り、困惑、嫌悪、懐旧--そういったものがないまぜになって押し寄せてきたのである。写されているのは石内都の母親の遺品や、生前に撮った皮膚のアップなどだが、そこには私の母親と共通したものが多いからだろうか。母親の年齢はほぼ同世代のようだし。もちろん、私の母はこんなハイカラな(←死語?)下着は持ってなかったが……。
ベタベタと密着して迫ってくる「母親」なるものの生暖かさと息苦しさ。それらの全てがそこに存在した。

しかしそれはまだ母が生きていた頃の話である。しばらくして自分の母親が死んでからこの写真集を再び開いた時には全く違った感情が生じた。
それはひたすら懐かしさ、懐古の情だけであった。そして泣けてきた。
多分それはもはや自分があの母親性というものに脅かされることがなくなったせいでもあるだろう。開放されたからこそ純粋に懐かしく思えるようになったのだ。

そしてさらに数年経って、この作品展に来た時、もはや大きく感情が動かされることはなかった--はずだった。
しかし、私はとある作品を見た瞬間に涙が出てきて止まらなくなってしまった。あわてて顔を背けて他の作品に見入ってる振りをしたぐらいだ。
もう、美術館へ行って泣いたなんて初めての経験だ。恥ずかしい~。何を見て泣いたのかはヒ・ミ・ツよ(^=^;

かくの如く、極めて個人的な感情が喚起される作品なのだ。
一体、母親に対してわだかまりのない人がこれらの写真を見たらどう感じるのだろうか。あるいはまだ母親が若くてピチピチしているような人は--。私はそれが知りたい。
まあ、堂々と母親性を肯定できるような人は、却ってこの展覧会を見なくてもいいかもしれないが。

会場内にはずーっと「G線上のアリア」が流れていてうるさくて却って鑑賞のジャマだった。と、思ったら別にBGMとして流しているのではなく、奥の方の一画で映像作品を上映していて、その作品につけられている音楽だったのだ。
だが、普通こういうのは音量をもう少し小さくしてかけると思うが……。いささか無神経な印象である。

なお、会場でくれた小冊子には東京都写真美術館の学芸員であり、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーとして石内都を選んだ笠原美智子の、長文の恨み節が載っていて面白かった。怒りの対象は主に日本の文化行政と女性作家の少なさである。後者に関しては美術界は(世界的に)まだまだ男社会のようだ。


*パラレル・ニッポン 現代日本建築展 1996-2006
2006年10月21日~12月3日

正直に言おう。こんなもんでよくも700円もぶったくったものだ。まるで建築業界の宣伝看板を並べたのを見させられたみたいなもん。これからギョーカイ入りをめざす学生にはいいかもしれないけど、私のような純粋な鑑賞者には面白くも何ともない。

むしろ、写真美術館の収蔵品の中から選んだ過去の建築写真の方がずーっと面白かったが、そこは券なしで見られるコーナーなんだよね……(=_=;)
金と時間を無駄にした。

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