「キング 罪の王」:悔悟、懺悔、そして破壊
監督:ジェームズ・マーシュ
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、ウィリアム・ハート
イギリス・米国2005年
極めて不可解な映画である。
軍隊を除隊した若者がまだ見ぬ父親に会いにテキサスの田舎町へ行く。ところが父親は教会の牧師なんて職業の上に、平和な家庭を築いているもんだから、若者を追い払う。そこで彼は牧師の娘(つまり異母妹)に正体を隠して接近--遂には妊娠までさせてしまう。
一家はいわゆる熱狂的なキリスト教原理主義者だ。近年、米国ではインテリジェント・デザイン論というのが社会問題化しているようだが、息子はそれにのっとって高校で進化論の授業を受けないように、学校に訴えたりして活動している。しかし、一種狂信的な彼は学内では嘲笑されてもいるのがさり気なく描かれる。
妹の方は兄の高圧的な態度や、家庭内で自分がやや軽んじられているのが気に入らないようだ。だから見知らぬ若者が出現してきた時、コロッとなびいてしまう。
父親は事実が知られれば自分の地位や尊敬を失うことだから若者を認めるつもりはないし、母親は夫の裏切りを知って動揺している。
……というように、一家の心理状態はよく表現されているのだが、肝心の主人公の若者の内面は全く描写されていない。一体、娘に接近したのが復讐のためなのかどうかもハッキリしない。真実がバレそうになっても平然としてるのも不明。何を考えているのか一切分からない。
ガエル・ガルシア・ベルナルはそんなヌエ的な人物をうまく演じている。初めての英語の作品だそうだが、英語うまい(多分)のにもビックリ。
父親役はウィリアム・ハートだし、母親や娘役もいいのだが、実は何気に役者としてすごいのは兄役のポール・ダノかも知れんと思った。だって役が地にしか見えないんだもん(汗)。なんかホントに田舎町の平凡だけど凝り固まってしまった男の子--って感じ。それ以外には見えない。凡庸にして偏狂という一種矛盾した役柄である。外見はG・G・ベルナルと極めて対照的だが、意識してのキャスティングか? 『リトル・ミス・サンシャイン』でも兄役をやってるらしいので、期待大だ。
ラストの主人公のセリフには色々な解釈があるようだが、父親が息子を失って初めて「罪」を意識して公衆の前で懺悔するのは、そうすれば神が許して息子を返してくれるからと考えたからだろう。だが、そんな風にうまく許されるわけではないのだという皮肉--と私は解釈した。
不可解なのは、他にも意味ありげに描かれてほったらかされている描写が多いこと。弓と銃の執拗な写し方、若者と母親は「親子どんぶり」になりそうとか、題名が『キング』で名前がエルビスでしかも軍隊--ったらプレスリーだろとか。(でもプレスリー関係ないんだよね)
それにしても、教会での信仰篤い原理主義者たちの描写は、外部の人間にはうかがい知れぬもので興味深かった。こういう人たちがブッシュを熱烈に支持しているんですねえ……。
ラストのタイトルクレジットが終わった後も画面がブランクのまま、ボブ・ディランの曲が流れているのは変わってて面白い。
主観点:6点(あまりの不可解さに困惑)
客観点:7点
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