「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」:強制よりも始末に悪い「自発」
監督:マーク・アクバー、ピーター・ウィントニック、
出演:ノーム・チョムスキー
カナダ1992年
この映画を見に行った理由というのは、実は「あの本を読むのは大変そうだから」というような下らないことであります。
で、本も厚いが映画も長い。第一部と第二部の間に5分だけ休憩が入るけど、結構長い予告編の時間を短くすればもう少し休憩が取れると思うんだが。
それはともかく、過去の様々な映像メディア(講演・討論・インタビューなど)をつなぎ合わせてまずチョムスキーの人となりを浮かび上がらせる。ここの部分の見どころはフーコーとの討論場面。内容よりも「おおっ、フーコーが動いているー」(!o!)と思わず注目しちゃう。
で、第一部の後半は持論のマスメディアによる自発的に行なわれるプロパガンダ--の例として、東チモールとカンボジア紛争の報道の差を検証。
メディア側の人間は「そんなバカな」と否定するが、日本でも最近の報道を見ている限り当てはまるようなのが多い。政治的に大きな事がある時に限って急にワイドショーが喜ぶような事件が起こったり……とか、あの自殺事件では記者が現場に押しかけてたのに、この自殺の方は音沙汰なし……なんて。
第二部冒頭は、チョム様絶体絶命のスキャンダルとなった「ユダヤ人収容所はなかった」説を唱える学者を擁護して、本の序文まで書いちゃった事件が
キタ━━━━━('∀')━━━━━!!!!
まあ、こりゃ彼はずるいヤツに騙されたって感じですねえ。無念よ。
後半はオルタナティヴ・メディアとしてミニコミ雑誌やローカル局を紹介。これはあくまで1992年の時点であって、現在ではインターネットも新たなメディアとして加わってるってのは、当然のこと。
そして、このドキュメンタリー自体がそのような様々の小メディアからの映像をつなぎ合わせて作り上げられていて、一つのショウケースとなっているんである。(どのようなメディアなのかいちいち字幕で説明が入る)
でも、この作品中でも実は捏造はあんだから気をつけるべしっ!というメッセージをちょっとしたお笑いと共に見せてくれてオシマイ。
印象に残ったのは、終盤の講演会の質疑応答で赤い服を着た中高年の女性が「私がもう一度国を愛する事ができる日は来るのでしょうか?」という涙なしに聞けない質問をしたのに対し、チョムスキーは「あなたの言う国が政府の意味ならば、そんな日は永遠に来ない!」と冷酷に鞭打つように追い打ちをかける場面。そこまでいうかっ(^o^;
あと、やっぱり時間が長い。長過ぎです……。
しかし、ミーハーな私は目の前に彼が出現したら、読んでもいない本をかざして「チョム様~」と叫んでサインを貰いに突撃しちゃうのは間違いないのであった。
主観点:7点
客観点:6点(鑑賞に忍耐力を要す)
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「マニュファクチャリング・コンセント〜マスメディアの政治経済学」の翻訳家・中野真紀子さんと、「ビデオニュース・ドットコム」代表のジャーナリスト・神保哲生さんをゲストに向かえ、「放送から考える」と題したトークイベントを4月21日に行います。これは先日始まったYouTube連動展覧会「Double Cast」の関連イベントなのですが、詳細はサイトでご確認ください。
http://doublecast.survivart.net/event/index.html#t06
投稿: Survivart | 2007年4月15日 (日) 17時15分