「SF」がかつて売れた事があったのか?
「SFとファンジンとライトノベルと」で取り上げた件、もう話題としてはすっかり収束しているようだが、ようやくその後の展開をチェックできたのでちょっと書いてみる。
どこかのコメントでちょっと違和感を感じたのが、「徳間は新人発掘に熱心でなかった」という意見。SFA誌はコンテストこそやってなかったが、ファンジン・コーナーを設けて積極的に募集し、出来のよい作品をタイトルや概要を紹介していた。最初の頃は荒巻義雄が担当していて、大手の創作系ファンジンは送っていたはずである。中にはこのコーナー内で荒巻義雄に激賞されただけで、気が早い事に作家への道が開けたと思って勤め先も辞めてしまったライターもいたという。
これは、コンテスト路線のSFM誌に対抗というのもあっただろう。
また、李家豊を田中芳樹と改名させ『銀英伝』を連載したのもSFA誌だった。今、検索してみたら彼は『幻影城』出身だったのねー。これは完全に忘れてた。
一方、SFM誌では山田正紀が「宇宙塵」の掲載作品が転載されてデビューしたが、これは編集者が目に留めたというより「宇宙塵」関係者の推薦があったからだろう(あくまでも推測)。
《琥珀色の戯言》より「「新人発掘能力が上がる」ことの功罪」
《Log of ROYGB》より「兼業作家」
《愛・蔵太の少し調べて書く日記》より「新人の出てくる場所は、競争の激しい場所か、何をやってもいい場所かのどちらかだ」
--あたりが目にとまったが訂正補足したいのは、当時も同人誌路線とコンテスト路線は明確に分かれていたわけではない、ということである。
同人誌に掲載して内外で評判になり、書き直してコンテストに応募--というパターンはあった。
また、コンテストも果たして真の意味でのコンテストであったかどうかは不明である。つまり、ある程度「やらせ」めいたものがあった可能性もある。
今のヤングアダルト文庫みたいに非常に若い書き手対象のコンテストだと別だろうし、また当時のSF界で実際にそんな事があったかは不明である。
ただ一般の文学賞において「応募してくれれば最低、入選は行きますよ」などと事前に約束して出させる。或いは、一度応募してきたものの落選した中からめぼしい書き手をチェックして再び応募させる--というパターンは存在するようだ。
そんな事しなくても、出来がいい作品があったら直接、雑誌に掲載すればいいではないか、と思ってしまうが、やはりコンテストというのは目を引く一大ページェントであるからにはそこを通じて売り出したい、というのはあるんだろう。
従って、表向き「ファンジン出身」「コンテスト出身」といってもスッキリ分かれるわけではない。実のところは分からないものなのだ。
また、今より昔の方が「デビューできれば生き残れる可能性が高かった時代」かどうかは極めて疑問である。SFMの歴代コンテスト入賞者リストやさらには過去の芥川賞受賞者リストなんてのを眺めても、「この人は今どこに?」なんて人が散見される。デビューしても才能がない奴は消え、才能があっても運がなければ消えていくしかない。それは今も昔も同じだろう。
SF専門誌の創刊はSFM→(かなり長い年月)→「奇想天外」(第2期)→SFA→「SF宝石」という順番だろう。他に評論系が主な「SFの本」「SFイズム」、さらにはあの!「NW-SF」なんてのもあった(;^^) いや、これは忘れたことにした方がいいのか……。
「SF宝石」は翻訳小説を主に掲載していたので国内の新人発掘とは無縁。SFMのコンテストは一時期中断していて、その間に「奇想天外」がコンテストを始めたら第1回は待ってましたとばかりに恐ろしい数の応募があった。その中から新井素子などが出てきたわけである。その後SFMのコンテストが再開し、大原まり子や神林長平などが登場した。SFAは上に書いた通りファンジン・コーナーがあった。
しかしながら私の印象としては、前回の記事にも書いたが、他のジャンルに比べると熱心さに欠ける、さらにその後のフォローがない--ということである。
SFMのコンテストの終了がライトノベル新人発掘を促した--というような意見も見かけたが、ホントにそうかなーと思う。こればかりは実際に作家側の「本当はSFMのコンテストに応募したかったけど、なくなっちゃったんで仕方なく電撃のほうに応募しました」というような証言がないと信じられない。
《SSMGの人の日記》より「おかねはないけど、あいしてる」
ライトノベルの側にも色々と過去の因縁があるようだ。
最後にはてなブックマークでbanraidouさん自身が「昔は直木賞の候補になったり日本沈没が大ヒットしたりしたわけで、そこから売れなくなっていったのはなぜなのか」という疑問を書いているが、果たして当時の一般読者に『日本沈没』がSFとしてどれほど認識されていたのか疑問である。
ノベルスの小説本というのはそれだけで独立したジャンル(というかメディアか)として認識されているし、「近未来予測小説」--つまり、経済小説にもあるような十年後にはこんな危機が訪れる!系の物語だと思われていた面もある。さらに「科学情報小説」--最新の科学の知識を手っ取り早く取り入れる(この場合はプレートテクニクスか?)ために読むというのもある。『ホットゾーン』などもその系統だろう。
従って、『日本沈没』がSFとして売れていたのかは怪しいのである。
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コメント
おもしろく読ませてもらってます(^_^)
「日本沈没」だと昭和48年(1973)ぐらいですよね。田舎に住んでたせいか、その頃「SFが好き」というと「なに?それ?」というヘンな目でみられていたような気がします。「空想科学小説というやつ」と説明していたような…… アシモフもクラークもハインラインも、誰も話があわないの(;_;)。「スターウォーズ」の頃って、SFを「スペース・ファンタジー」だと言ってる人いなかった? たしかにおかげで棚は増えましたが。
たしかに「SF」と看板かかげて世間のベストセラーになった小説って……ウムム
投稿: しの | 2007年3月28日 (水) 09時17分
しのさん、どうも~。
いやー、東京の下町でも当時は同じような状態でしたよ。ご近所の本屋に行くと「SFマガジン」と「SMマガジン」がマジに一緒に並んでいましたなあ。
それを考えると、「SFとはスペースファンタジーの略」と言った方が通りはよかったと思います。
1973年のベストセラーを調べようとしたらちょうど資料が抜けてて不明。ちなみに1972年は「恍惚の人」、1974年は「かもめのジョナサン」(「日本沈没」は7位)。なお、同年のノンフィクション部門の1位は「ノストラダムスの大予言」……(^^;
高度成長期まっさかりのはずですが--あっ、でもオイルショックがこの頃ですねー。
投稿: さわやか革命 | 2007年3月29日 (木) 23時14分