« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月

2007年4月30日 (月)

「オール・ザ・キングスメン」(1949):「後退」を証明する作品

監督:ロバート・ロッセン
出演:ブロデリック・クロフォード
米国1949年
*DVDにて鑑賞

先日、ショーン・ペン主演の再映画化版を観たがなんだか判然としなかったので、名作として名高い1949年版をビデオで観る事にした。ホントはピューリッツァー賞を取った原作を読めばいいんだろうけど、『アラバマ物語』と違ってちゃんとレンタル屋にあったのでさっそく借りてみた。

アカデミー賞三部門獲得したにもかかわらず、日本では1976年まで公開されなかったといういわくつきの作品である。この後、監督は赤狩りに引っかかって1961年の『ハスラー』までパッとしなかったらしい。

さてこちらを観てみて、判然としなかったところ、脈絡が分からなかったところ、人物の心理状態が不明だったところ……など全て分かった。さらに、ジャックの個人的な回想などは全く出て来ないので、話はスッキリだ。

この物語は、汚職を告発した清廉な人物が腐敗した政治家に堕落していく--というものだと言われている。しかし、実は主人公には最初からその芽が潜んでいたのだということが、記者のジャックが最初に彼の質素な家を取材に訪れた時に、極めて短いショットで示されている。

それにしても驚くのはこの映画で描かれている政治状況が現在と全く変わらないことだ。モデルとなった政治家は1930年代の人物だそうだが、そうなるとさらに驚きである。
民衆にアジ演説を行い(統計や数字が出てくる話はウケないので)、学校や道路を作ると喜びそうな公約ばかりをし、既得権益に巣くう旧勢力をぶっ潰すと豪語して喝采を受け、その実陰では汚い裏取引をしている。

普段は豪勢な屋敷に暮らしているのに、メディアをぞろぞろ引き連れて昔住んでいた小屋を訪れて、わざわざ質素な生活を家族と演出して見せる。いざとなれば、障害を負った家族さえも引っ張り出して利用する事も辞さない。メディアも警察も思うままに自分のために利用する。
そんな彼を民衆は熱狂的に支持し、弾劾手続きを進める議会を「悪」として非難するのだ。彼のトラブルがらみで怪しい「自殺者」が出ても気にしたりしない。

ここに描かれるのは、民主政治と独裁制が全く矛盾しない姿である。民主的な選挙によって選ばれた人物が独裁的な「王」として成り上がっていく。これは民主制の本質的な弱点であり、それを防ぐ事はできない。
どうりで民主主義をありがたく拝領したばかりの戦後すぐの日本で公開できなかったはずだ。で、今の日本じゃ……現状そのままですねえ(^○^)

これに比べればリメイク版はヌルい。ヌル過ぎる。主人公ウィリーの悪辣ぶりばかりが強調されていて、政治の裏側を描いたものとしては後退したといわざるを得ない。

もう一つ後退していると感じたのは女性の登場人物の描き方である。重要な役どころとしては、ウィリーの妻と秘書、ジャックの婚約者の三人が登場するが、いずれも罪を犯すにしても愚行を行うにしても、それなりの行動原理と存在感がある。
だが、リメイク版では秘書は典型的悪女だし、恋人は何考えてんだかよく分かんないし、妻に至ってはほとんど登場してこない。なんなのよ、こりゃ。

こういうのを見てしまうと、映画というのは、いや社会というのは一体時代と共に進んでんだか後退してんだかよく分からなくなってしまうねえ。


主観点:8点
客観点:8点

| | コメント (0)

2007年4月29日 (日)

「クィーン」:日本版も見たいけど無理無理

監督:スティーヴン・フリアーズ
出演:ヘレン・ミレン、マイケル・シーン
イギリス・フランス・イタリア2006年

この映画、実は全然期待していなかったんですの。だーって、あなた脚本が『ラストキング・オブ・スコットランド』の人と同じじゃありませんか。実録で、主人公が王ならぬ女王って--どうせ、また再現ビデオでしょっ、なんて予想しちゃいますわ。いくら、双方の「王」と「女王」がオスカー獲得したってねえ。

ところが、予想に反してこれがまた面白かったんですのよ。そう、何を思い出したかというと、女性週刊誌ですわねえ。
わたくしσ(^-^;)美容院に行く度に必ず「女性セブン」と「女性自身」の皇室ネタの記事をチェック致しますの。片方が雅子サマ派でもう片方はアンチ雅子サマ派なのよね。だから同じ出来事を取り上げても、スタンスが正反対で読み比べるととーっても面白いんです。

まあ、それに似た感覚と申しましょうか。だって、他所の国の王室の内側、それも醜聞なんて滅多に覗けるもんじゃありませんわよっ。おまけに、ほとんどの登場人物が未だ現役のままなんですもの。もう、ドキドキしてときめいちゃう。

不肖の元・嫁ダイアナが異教徒の男と自動車事故で急死したのは本人の勝手--と言いたいところですけど、困ったことに将来の国王の母親だって事は、いくら離婚していても変わらず。
ほら、日本だってあるじゃありませんか、実家の墓に入れるか入れないかとかもめるって話は……え、違う? 失礼しました(^^ゞ

で、事故から葬儀までの一週間をエリザベス女王と新任なったばかりのブレア首相を中心に描いていきます。
いや、それどころか他ブログで「女王とブレア以外はみんな悪者」と評した感想がありましたけど、ホントにそういう感じ。フィリップ殿下なんかただの頑固ジジイだし、チャールズ皇太子に至っては、まさにご愁傷さまとしか言えないですわね。

元嫁の死にも動ずるところがなかった女王が、立派な角を持つ鹿の死に涙する場面は彼女の心情をよく表わしておりました。で、わたくしが一番心動かされた場面は、その後ブレアに説得されて一家が宮殿に戻ってきた時に、門の前に置かれた大量のダイアナへの献花とカードを見て回る場面です。カードに書かれたハートマークやダイアナへの賛辞は、地味~に執務を果たすことを一番とする女王には絶対得ることの出来ないものなのですわね。
それを眺めるヘレン・ミレンの表情には思わず涙ぐんでしまいましたわ、グスッ(;_;)

一方、今イチ納得できないのはブレアの方。なんであそこまで女王に肩入れするのか納得できるような説明はありませんでした。結局、自分のヨメに指摘された通りマザコンなのかしらん。
それにしても、終盤に女王が彼に「新聞は手のひらを返すように攻撃を始める」みたいなことを言ってましたけど、これは現在のブレアの人気凋落ぶりを見るとチョー皮肉なセリフですわねえ。

あと、女王サマの普段着は地味ですけどとてもステキッ! わたくしも歳取ったらお手本にしたいと思いました。ご本人もあんな着こなししてるんでしょうか?

同じ脚本家によるクリソツ演技と裏話でも『ラストキング~』と比べると、演出によってずいぶん違うんですのねえ。わたくし、「女性セブン」と「女性自身」のバックナンバーをしっかり読破したような満足感を覚えました。
で、結論は「チャールズ、あんたが全て悪い」でよろしいですかしら?


主観点:7点
客観点:7点

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月24日 (火)

「ポリフォニーの輝き」:ガンバ五本勝負

イギリスのコンソート音楽とJ.S.バッハ
演奏:ザ・ロイヤル・コンソート
会場:日本福音ルーテル東京教会
2007年4月17日

ガンバ5人組のザ・ロイヤル・コンソート、今回は前半がマシュー・ロックやギボンズなど英国コンソート音楽ではおなじみの作曲家、後半は時代を下ってパーセルとバッハ(バッハは編曲したもの)で、恒例のゲストもなくガンバ一本勝負(五本勝負?)であった。

--だったんだけど、BCJの『ヨハネ』の時の風邪がまたぶり返し、咳をこらえるのに精一杯。咳が出なくて、照明が暗くなると(本当に解説の字が読めなくなるくらい暗くなるんである)頭がボーッとしてしまって何が何やら分からなくなってしまう状態。
毎回、この教会に来る時は調子が悪い。ここの神様に嫌われてるんじゃろか?

あ、『フーガの技法』を編曲したのは良かったです。(^^)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

「トリオソナタ集1&2全曲演奏会 第1回」:ブクステフーデ、只者ではないことを知る

ブクステフーデ没後300年記念
演奏:桐山健志、風早一恵、平井み帆
会場:近江楽堂
2007年4月14日

ブクステフーデというとバッハの先輩筋のドイツ・バロック地味な音楽家--と意味もなく思い込んでいたのだが、実際に聴いてみると何やら意表を突いた展開に突然なったりして、全然地味じゃないじゃん。
--なんて、認識を改めましたです、ハイ。

トリオソナタって普通四人(通奏低音が二人)でやるとばかり思ってたら、こういう風に三人(通底はチェンバロ一人)でやるのもありなのね。知りませんでした。(・・ゞ

奏者三人とも息の合った演奏をしながら、一歩も引かずという感じ。
良かったのは、前半の方のソナタ2番。冒頭、ガンバが主になってグイグイ弾いていき、終盤はそれぞれの楽器が気迫あるぶつかり合いになるのであった。

第2回は十月に予定。最近いいコンサートが少ない、とお嘆きの諸氏には是非ともお勧めしたいものである。


それにしても、途中で山手線が止まっちゃって焦りまくった。頼むから土曜の午後に渋谷のホームから飛び降りたりしないでくれ~。どうせやるなら一時間に一本しか走らないようなド田舎の単線で--って、そういう問題か。
こういう時、振替輸送をしてもらうとスイカやらパスモは清算が大変そうであったよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

『パラダイス・ナウ』:余は如何にして「テロリスト」となりし乎

監督:ハニ・アブ・アサド
出演:カイス・ネシフ、アリ・スリマン
フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ2005年

いわゆる「自爆テロ」を実行犯の側から描いたとして話題になった作品。
舞台はイスラエル占領下の街ナブルスで、いたるところに軍の検問所があって、交通は常時渋滞、破壊された建物が瓦礫状態になってたりする。
しかし、一方で主人公の若者二人の生活は、バイト先で知り合った女の子にコナかけたり、客とケンカしてクビになったり、のんべだらりと水タバコをふかしたり--とマッタ~リした調子で描かれる。

そして、以前から志願していた自爆攻撃の準備ができてゴーサインが出ても彼らは淡々とした様子で、特別の感慨もないように家族と夜を過ごすのである。
その後の組織のアジトでの出来事も、妙に気が抜けたようなユーモアに満ちている。

しかし、後半は一変。
実行直前になって若者の一人がヤル気満々なのに対し、もう一人が自爆攻撃に疑問を呈している。だがアクシデントが起こり、やがて二人の立場が逆転していく--。その過程がうまく描かれている。

主人公達が住む街はいささかせせこましく家が折り重なるように続いている。だが、終盤に現われるイスラエル側のテルアビブは広々と美しく光り輝いているようだ。
その、あまりの対照に驚く時「平等に生きる事はできなくても、平等に死ぬ事はできる」という言葉を実感できる気がするのだ。

ラストは……果たしてそこにパラダイスは出現したのであろうか?
それは観る者全てへの問いかけである。

という訳でスピちゃんの『ミュンヘン』に感動した方々には是非とも見て頂きたい映画だ(もちろん『ミュンヘン』に怒った人も)。だが、東京都写真美術館はいくら公開後一か月経過していたとはいえ、半分も埋まっていなかったのは何故よ(?_?;


主観点:7点
客観点:8点

【関連リンク】
『ミュンヘン』でも紹介したが、両者を観たイスラエル人ジャーナリストの感想。(激しくネタバレあり)
「『パラダイス・ナウ』と『ミュンヘン』」

上記リンクを紹介した《P-navi info》より
「[映画]「パラダイス・ナウ」を観て」

『トレインスポッティング』に似ているという指摘。なるほどと頷いてしまった。
《六本木シネマだより》
もっとも私、実は『トレインスポッティング』観てないんですけどね(^^ゞ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

「ブラックブック」:ヴァーホーヴェン節炸裂の快作

監督:ポール・バーホーベン
出演:カリス・ファン・ハウテン
オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギー2006年

アジア圏の映画がハリウッド・リメイクされたり、映画人も向こうにに渡って活躍したりという一方で、かつて米国以外の西欧圏から引き抜かれてきた監督が近年母国へ戻ってまた映画を作る、というパターンが見受けられる。例えばフィリップ・ノイス(オーストラリア)、デヴィッド・クローネンバーグ(カナダ)、そしてこのポール・ヴァーホーヴェンもオランダへ戻ってこの作品を作ったのである。

かつてのオランダ時代の彼の作品は割とヴァラエティに富んでいて、私が見たものではサイコサスペンスの『4番目の男』、中世を舞台にした剣戟アクション『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』、第二次大戦のレジスタンス活動を描いた『女王陛下の戦士』なんてのがあった。そして、この最新作『ブラックブック』はレジスタンスものに該当する。
ただし、主人公はオランダ人の男ではなく、ユダヤ人の女である。

そのせいかチラシの宣伝文句には『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』の名が挙げられているが、冗談はよしこさんよ。あのような文芸の香り高い立派な作品ではない。くれぐれもそこんトコ誤解のないよう。

ユダヤ人のヒロインを次々と襲い来る波乱万丈の運命--愛、裏切り、エロス、暴力、歌に踊りに、裸に死体になんでもありだー ヾ(^^)ゝヾ(^^)ゝアコリャコリャ
そういう意味ではまさに由緒正しき真正の娯楽作品。見終った後、トイレで中年のおばさんグループが「これでもかこれでもかって、スゴイわねー」と感心していたが、ホントにそういう感じ。次から次へドトーのような展開で2時間半近く、飽きるヒマもない。
かつての『女王陛下の戦士』では「なんか大河ドラマの総集編みたいだなー」と思ったが、今回は同じくテンコ盛りのストーリーでもそんな印象はなかった。

ヒロイン演ずるは、いかにも監督好みのパツキン美女のねーちゃんなカリス・ファン・ハンデン。続く苦難にもめげず毅然と行動し、果敢に運命に立ち向かい、またたとえ敵方の男であっても一度惚れたら「愛している」とキッパリ言い切る潔いヒロイン像は近来出色。見ていて爽快な気分になる。
また、脇を固める美中年男二人も良し。『善き人のためのソナタ』でも好評だったS・コッホはドイツ軍将校。この人『飛ぶ教室』の禁煙さんだったのねー。レジスタンス男役のラッセル・クロウを痩せさせたようなT・ホフマンは『4番目の男』の主人公だったのか。

一方、フランケン役の人は顔といいお肉がたるんだ体つきといい絵に描いたような悪役で、「丸の内のOL百人に聞きました。絶対近寄りたくない上司は誰?」というので最上位に来そうな感じである。だが、ピアノを弾きながら歌を歌い、ダンスも達者にこなし、その上全てをさらけ出して自分のイ○○ツまで見せてしまった(さすがにボカシがかかっていましたが(^^;)んだから、もしかして一番の役者なのかも。

だが、最大の見ものは自国オランダ人の描き方である。ドイツ軍占領下でレジスタンスとしてユダヤ人を助けていた人々が、一転して差別意識丸出しにしてユダヤ人を罵る。
また連合軍に解放されてからは、今度は裏切り者であるドイツ軍への協力者たちにナチスと変わらぬ虐待行為を行い嘲笑する。
そこに暴かれているのは、恐るべき人間の本質としての醜悪さである。正視に耐えぬとはこのことだ。これに比べれば、食人大統領も連続殺人鬼もかわいいもんである。一体誰がここまで平然と人間の醜悪さを描けるだろうか。他にはM・ハネケぐらいしか思い当たらない(作風は全く異なるが)。
解放下で浮かれ騒ぐ自国民の姿を背景に、こんな話を撮ってしまって「非国民」とか「自虐」とか言われなかったのか、心配になっちゃう。まさに驚くばかりである。
おまけにラストもかな~りの皮肉……。

ともかく、神も人間もイデオロギーも信じていないヴァーホーヴェン、ひねくれ者の鑑としか言いようがないヤツである。アッパレ~ \(^o^)/

でも、こんなに面白いのに今イチ評判になってないのはなぜだっ?


主観点:9点
客観点:8点


【関連リンク】
最後の三行に激しく同感しました。
《ようこそ劇場へ!》

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月14日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第76回定期演奏会:液体人間にはならなかったよ

J.S.バッハ『ヨハネ受難曲』第4稿
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2007年4月6日

今回つくづく感じたのは、ああ『ヨハネ』って合唱が主体な曲だったんだなーということ。ソリスト達はこれまでと比べていつになく奥に引っ込んでいる感じなのも、それに拍車をかけている。

では、過去に何回かBCJの『ヨハネ』を聞いてきたのに、なぜそんなこと今さらのように気付いたのかというのをつらつら考えると、やはりこれはゲルト・テュルクの存在があったからだとしか思いつかない。これまではいつも彼がエヴァンゲリスト役をやっていたのだ。

--昔、子供の頃に液体人間の出てくる怪奇映画をTVで見た事がある。そいつに襲われると、フツーの人間も液体になっちゃうんである。子供心にコワかったのか、その場面はよーく覚えている。
で、私σ(^-^;)は一度液体人間になりかけた事があるのだ。それは数年前のサントリーホール。BCJによる『ヨハネ』を初めて聴いた時のことだ。
第一部の終盤「ペテロの否認」のくだりで、エヴァンゲリストが「ペテロは……激しく泣いた」と歌う場面。そのテュルク氏が歌う苦悩があまりに甘美なので、聴いてて身体の髄からデロデロデロ~ンととろけてしまって、液体人間のようにサントリーホールの床の上に流れ出して広がってしまうかと思ったほどだった。かくも甘美なる苦悩! このようなものが存在するとは誰が想像し得たであろうかってなもんである。

まあ、それほどにテュルク氏のエヴァンゲリストの存在感が突出してデカかったので、これまでの公演では合唱の方までは気が回らなかったのに違いない。

今回のユリウス・プファイファーは押しが弱いというか、こちらの《♯Credo》の感想で形容されている「微温的」という表現がピッタリな印象ゆえ、液体人間に変身するにはほど遠かった。逆に言えばアンサンブルの中に溶け込んでいたということか……。

ということで、BCJの合唱隊に聞き惚れ、初期の頃に比べるとホントにうまくなったわなあ、さぞご両親もお喜びのことでしょう(T_T)--という感じだった。もっとも国内の他の公演では皆さんソロを取っているぐらいの歌手が揃ってるんだから当然だが。
ところで、名古屋公演では水越啓がテノールのソロを2曲取ったらしいが、東京で(神戸でも)やらなかったのは何故? 好評みたいだから是非聴いてみたかったのよ。

個人的に良かった曲は19曲目バスのアリオーソで、二本のヴァイオリンとチェンバロが澄んだ高音街道を行けば、ヴィオローネとコントラファゴット(デカい!)が地を這う超低音、という対照的な組み合わせが面白かった。
それから、30曲目のアリア「成し遂げられた!」。これはカウンターテナーのダニエル・テイラーの歌がよいというよりは、ここで登場した福沢宏のガンバの音が他の楽器と比べて実に異質で奇妙な響きがするのに驚いた。
私はこの直前、二つのコンサートに行ったが両方ともガンバが使われていたし(その内一つは同じ福沢氏が弾いていた)、『ヨハネ』の過去の演奏でもフツーに聴いていたのに、なぜ今回だけそんな風に感じたのか分からない。バッハの音の世界ではガンバは特別な意味を持っているのだろうか。
特別で、異質で、奇妙で、しかし心にしみいる--そういう音であった。正直この音に泣けましたですよ、ハイ。

余談だが、ガンバというのは普段聴き慣れない人が聴くと変な音に聞こえるのだろうか。以前の『ヨハネ』公演で福沢氏のことを「なんて下手くそなんだ」と口を極めて罵っていた人がいて、私はいくらトーシロとはいえ下手には聞こえなかったのでビックリした事がある。その人は多分あまり普段ガンバを聞いていないのだろう、と解釈したのだが--。
それとも、バッハの曲の中で聴くと調子外れに聞こえてしまうのか?

結論としては、人生いろいろ、エヴァンゲリストもいろいろ、「ヨハネ」もいろいろということでしょうかねえ。
それにしても、声を大にして--いや、字を強調文字にして書きたいのは

フ ラ イ ン グ 拍 手 は 逝 っ て よ し !

「のだめ」ファンの初心者のマナーを取り沙汰している事態ではない。あー、腹が立つ。名古屋公演にも出没したというし(さすがに同一人物じゃないと思うが)こういうヤローは分かっててやってるはずだからな。
しかし名古屋国際音楽祭の公式HPのレポートには笑った。
「素晴らしい演奏に、ホールは余韻の間もなく拍手に包まれました。」
って、なんだそりゃ(@∀@) 物は言いようってことか。

なお、職場から会場に向かう電車の中でクシャミ連発、喉がガサガサしてきてこりゃ花粉病発作の始まりかと思い、直前に夕食に食べたスパゲティがやたら胃にもたれてコンサートの間ムカムカしてたのは、オペラシティのサラリーマン御用達の脂っこさと麺の量にやられたと思ったのだが……なんと風邪だった。未だ治らず、祟られております。


【関連リンク】
名古屋公演
《庭は夏の日ざかり》より「バッハ・コレギウム・ジャパン《ヨハネ受難曲》@名古屋」

東京公演
常連「小一時間」さんの「【BCJ】ヨハネ受難曲【2007年】」

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2007年4月10日 (火)

モンテヴェルディ「オルフェーオ」:ゴーマンかまして冥府まで行った男

1607年初演 抜粋上演
演出:ティモシー・ハリス
出演:中鉢聡ほか
会場:ムジカーザ
2007年4月2・4・5日

イタリア初期バロックオペラの名作『オルフェーオ』は今年、初演400年記念だそうである。東京周辺でも北とぴあなど、少なくともあと二種類の公演が予定されている。
本来ならばかなり大がかりな規模の体制になるものだが、ここではあえて小規模編成で小さな会場でやろうというらしい。

しかし、歌手五人、楽器が4人。会場のムジカーザは普段120人収容のところを90席にして残りのスペースで演じようというのだから、こりゃ大変なこった。
衣装美術の担当はパルドンレーベルのCDの装丁もやってる望月通陽が担当。周囲の壁も彼のデザインした幕が飾っていて雰囲気満点。

結論からいうと、必ずしも満足出来たわけではなかった。狭い空間でやることで良い部分に間近に接することができるが、逆に悪い所も強調されてしまったようだ。

最初から主人公のオルフェーオがよく言えば自信満々、悪く言えばゴーマンかましているのに驚かされた。これは演出のせいもあるだろうが、登場から「僕ら二人のために世界はあるの~、ウフッ」的な態度だし、エウリディーチェが急死しても「この竪琴弾いて彼女を取り戻しちゃえばオッケーさ」みたいな調子で、なんか全然同情できなかったのは私だけか。

ラストも削ってオルフェが他の女へ罵倒したまま終わる。これは演出家が意図してやったことで、確かに「真の悲劇は女性に対するオルフェーオの拒絶の中にある」のはよーく分かったが、物語としては「えっ、これで終わり?(思わずあたりをキョロキョロと見回す)」てな感じになってしまい、消化不良感が残ってしまうのは致し方ないだろう。

しかも狭い場所なんで階段など使っても、あまり動きが多くない。下手すると衣装付けて演奏会形式でやってもあまり変わらないんじゃないかという気がしてくる。
しかも狭いが故に歌手の身体表現の差が如実に現われてしまったのであった。以前、ク・ナウカの芝居で鬼婆に扮した美加理が、ただ座っているだけなのに圧倒的な存在感を出していたのを思い出した。同じ劇団でも他のメンバーだとその域まではとても表現できないほどのものである。
本来は「歌で勝負」の歌手にその域まで求めるのは無理な話だが、大きな振付など出来ないために却って表現の差が目立ってしまったようである。

そこへいくとさすがベテランの波多野睦美と藤原眞理は亀の甲より年の功、伊達に年季は踏んでいないぞーってなもんで、身体の動きにも(もちろん声にも)全く隙がなく揺らぎもない。特に波多野さんは、何役もかねて脇を固めていたのがやはりさすがであった。
という訳で、年季の違いが露骨に出た感じだ。特にエウリディーチェ役のソプラノの人、線が細過ぎですう~。まあ、本来妖精なんだから太過ぎても困るわけだけど……。

楽器組は四人だけで着実な伴奏をしていた。鍵盤はオルガンとチェンバロを一人二役で効果的に使っていたし、ガンバの福沢宏はそのチェンバロの調律係までやっていた。彼は一週間の間にこの公演を中に挟んでBCJの『ヨハネ』であっちこっち飛び回っていたんだから、大変な忙しさだったはず。

--と、まあ色々欠点を書いてしまったが、意欲的な試みなのでまた小さな規模でのバロック・オペラやってほしい。その時は、チビな私は段差のある座席にして貰うことにしよう。

なお、貰ったチラシに早くも「北とぴあ国際音楽祭」での『オルフェーオ』のお知らせが入っていた。
懸田奈緒子がエウリディーチェですか。どんな風にやってくれるか楽しみ。こちらでも波多野さんが出るし、おまけに衣装も望月通陽で同じだー。


私が『オルフェーオ』を生で見たのはパーセル・カルテットが主体となったプロジェクトでの来日公演である。イタリアの田舎の村祭りの話に設定し、楽器組まで衣装を付けて登場するというダンサーも歌手も入り交じった舞台にいたく感動した覚えがある。
その時の印象があまりに強いので、他のを見ても物足りなくなってしまうのかも--。

なお「レオ翁着メロ鳴らし事件」ほど話題になったわけではないが、日本古楽鑑賞史を飾る「半裸オルフェオ野次飛ばし事件」というのがその時起ったと記憶している。
なぜか終盤、マーク・パドモア扮するオルフェオが服を脱ぎ始め(もちろん演出です)観客がギョギョッとしたところに、すかさず抗議のデカい野次が飛び(飛ばしたのは野次の常連オヤヂとのこと)演じている方も含めて会場中ビックリしたらしい。幸い、私が行ったのとは別の日だったので被害はこうむらなかったが--。
フライング拍手と興醒めな野次は止めて欲しいもんであるよ。

【追記】
BCJの名古屋公演は、さすがにガンバは櫻井茂が担当してたようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 8日 (日)

「フランス・バロックの輝き」:ボワモルティエに冷汗

奥田直美リコーダーリサイタル
演奏:奥田直美、平尾雅子、野澤知子
会場:近江楽堂
2007年3月29日

実は肝心の奥田直美という若手リコーダー奏者のことは全く知らないでチケットを買った。「関西を中心に活動」ということなので、知らなくても仕方ないか。オペラシティのHPを眺めていて、曲目が好きそうなヤツだったのと、平尾さんがガンバをやっているので選んでみたのである。

会場の聴衆は、普段のバロック系で近江楽堂に来るようなタイプとはかなり違っていた。中にリコーダーの師匠筋の向江昭雅もいたもよう。

プログラムはルイ14世時代のオトテール、ドルネル、ボワモルティエなどの曲を演奏。そのほとんどはフルート用の曲なので大きめのヴォイス・フルートという(名のリコーダー)のを使っている。

演奏で良かったのは、まず第一部のオトテールの組曲の中でのガンバとの二重奏。二つの楽器の絡み合いが良し。それからドルネルの組曲は粋にして躍動感あり。一方、ボワモルティエはどの曲も演奏が難しそう。聴いてるだけでも冷汗が出てくる感じだ。
一番良かったのは最後のオトテールの組曲だろう。何やら哀愁感が漂い、シミジミとした気分になった。
ということで、全体的に満足度の高かった演奏会であった。

それにしても、近江楽堂のような小さい会場で間近にチェンバロ+ガンバの通奏低音を聴くと、かなりの強靭さを持った響きなのに驚かされ、それを聴くだけでも心地よかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

「ラストキング・オブ・スコットランド」:これは再現映像です

監督:ケヴィン・マクドナルド
出演:フォレスト・ウィッテカー、ジェームズ・マカヴォイ
米国・イギリス2006年

ウガンダの「食人大統領」として知られるアミンと、主治医になって間近にいた英国人(厳密にはスコットランド人)の若者の物語。若者は具体的なモデルはいず、当時アミンの周囲にいた白人を数人合わせた人物像らしい。

しかし、これは何を描きたかったのだろうか? 見ていてさっぱり分からなかった。
残酷で冷血な独裁者の肖像なのか。しかし、あまりに若者の方が愚かでしかもそれをベターッ密着して描いているのでそれにイライラしてしまい、正直アミンが何をしてようとあまり気にならなくなってしまうほどだ。
では、これは能天気な若いモンが遊び気分で他国にボランティアに行ってはイカンという教訓なのか? もし何かを受け取るとしたらそれぐらいしかないだろう。

だがその顛末はあまりに残酷である。それに彼がいようといなかろうと、独裁者の所業が変化したわけではあるまい。
この映画でも(『オール・ザ・キングスメン』と同様)どうして主人公が大統領に惹かれたのか明確に描かれていなくて、最後まで判然としなかった。観客としては登場人物の言葉の端くれをあれこれ思い出して適当に推測するしかないだろう。

結局のところ、この映画を見ても少しも幸せな気分にはなれないのは確かだ。逆に社会的な問題に怒りを感じるとか、感情を動かされて泣けた、ということもない。「こんな事実が!」と驚くというわけでもない。ただ、なんともイヤ~な気分になるだけである。
それで、見ていてワイドショーで犯罪ネタによく使われる再現フィルムを思い出した。一体あれとどう違うのか。そういう意味では二人の役者はよく健闘していると言っていいだろう。

あと、やたらザラついた映像なのはなぜ? ドキュメンタリーぽくしたかったのか。
それから、字幕の担当がまたもや「あの人」で「~ので?」節炸裂!マイッタマイッタ。


主観点:5点
客観点:5点

【関連リンク】
どうも判然としない所があると思って、荒木國臣先生のHPを見たらやっぱりありました(3月13日の映画評とこ)。

この映画もおめでたいスコットランド人医師がアドベンチャー気分でウガンダ農村へのボランテイア活動に参加するところから始まる。アミンが次第に凶暴な独裁に変質し、恐怖政治を展開する過程が描かれるが、英国の偽善的な間接支配はほとんど登場しない。(中略)
 アフリカの凶暴な独裁を生み出す社会構造に迫るといった期待は裏切られ、白人ヒューマニズムが賛美される。

アミンというのは英国植民地主義政策から生まれた正統的嫡子だったというわけか。そりゃ、そんなこと描けるわけないわな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

「シュルレアリスム 謎をめぐる不思議な旅」:駆け込み鑑賞報告

会場:埼玉県立近代美術館
2007年2月21日~3月25日

行こうと思っていて中々行けず、終期直前に駆け込み鑑賞である。同じような人が多かったせいか、ここの美術館としてはかなり混んでいた。

デュシャン、エルンスト、マン・レイ、ミロなどシュールレアリスムの有名どころが一気に鑑賞できて超お得な企画であった。さらにはベルメールなんてのも。
中でも、デルヴォー、マグリットが見応えあった。レオノール・フィニの頭蓋骨の絵は前にも見たが、やはり再見してもよかったです。
立体ではエルンストの「オイディプス」が『寄生獣』の元ネタかと思うような印象。それからM・オッペンハイムの「鳥の足のテーブル」は文字通りの作品で笑ってしまった。

作品の横の解説はもう少しデカく表示できないものだろうか。あれを読むために行列ができちゃってるんだよね。狭い場所だと一人ずつしか読めないのだ。

全て、国内の美術館から集めてきたものばかりで、国内にこれだけあるのかとその点についても感心した。

次に常設展へ向かう。
「光の諸相」では看板作品のモネの積みわらやピカソもあったが、まるで写真みたいな絵画「草」(小島喜八郎)や、灰色系のピンク一色で塗りつぶした奥山民絵の作品が迫力あった。
タレルの「フォーン・ブース」に入ってみたかったが、どうも点滅光に弱そうな体質なので断念。

続いて、靉嘔を年代順に作品を集めたアーティスト・プロジェクトシリーズはかなりの作品数でが見応えがあった。大きなアルミの筒を使った「軌跡」がなんだかホログラムのようにアルミの傷が浮かび上がってくるのが不思議。

吹き抜けで誰でも見られるスペースにはメキシコの版画を展示。ルフィーノ・タマヨの作品が数が多く、その力強い単色の造形に心打たれました、ハイ。

ということで、常設展の方もかなり満足できたのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

スコラ・カントールム第16回定期演奏会:またも時間を間違える

毎年度末頃に定番となったスコラ・カントールムの定期に行く。だが、周囲の道を見回しても会場に向かう人影はない。なぜだ(?_?)と焦った私は半ば駆け足で向かった。
なんと、開演時間を間違えていたのだった。ちゃんとチラシで確認したはずなのに……なぜだー(>_<)
既に始まっていて、しばしロビーで待つ。

ということで第一部前半のコーニッシュやバードの合唱曲は聞けなかった。後半のジェズアルドの『聖木曜日のレスポンソリウム』でようやく中に入れる。
なかなか、生では聞けない曲目なので嬉しい限り。でも、ジェズアルドというイメージからすると地味な感じの曲か。

休憩を挟んでアンドレ・カンプラの『レクイエム』。こちらではプロの歌手や演奏家もさらに参加。ただ、独唱者も後ろに引っ込んでコーラスと並んで歌うという形なので、あまり突出して目立つという感じではない。おフランス宮廷の雅な雰囲気が横溢した演奏だった。レクイエムといっても、とても華やかな感じ。それがよく出ていたと思う。

来年は時間を間違えないように気をつけなくっちゃ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日 (水)

「オール・ザ・キングスメン」:キャストは豪華……だが

監督:スティーヴン・ザイリアン
出演:ショーン・ペン、ジュード・ロウ
米国2006年

友人が抽選で券が当たったというので、珍しく試写会へ行った。1949年にアカデミー賞を3部門取った名作と同じ原作(こちらもピューリッツァー賞)を再映画化したものである。なお、実際にモデルとなった政治家がいるそうだ。

この映画をお勧めするのは、ショーン・ペンの十八番となった小悪党ぶりを楽しみたい人か、ジュード・ロウのファンだろう。S・ペンは嬉々として権力の鬼となった政治家を演じているし、J・ロウの二枚目ぶりはピカピカしている。
だが、それ以外の人にはあまり見る価値はないだろう。

そもそも、もとは清廉潔白だった政治家がどうして強欲な悪人になってしまったのか、その過程がほとんど描かれていない。「橋を作る、病院を作る」と口先ではうまい事を言う彼を民衆が支持するのは分かるが、常に彼を冷めた眼で眺めていた記者がなぜ彼に惹かれているのかもよく分からない。

話は二つに分裂していて、悪どい政治の世界と、主人公の青春への嘆慨めいた感傷とのどちらを重点的に描きたいのかもまた不明である。
脇役も手堅い役者を揃えているが、あまり見どころがない。特にジェームズ・ガンドルフィーニは全く冴えない使い方だった。勿体ないんじゃないの。
ケイト・ウィンスレットは久し振りに見たら、痩せて別人のようキレイになっていた(最初分からなかったほど)。女優は化けるというがビックリである。

取り直しなどあって製作に時間がかかったというが、そういう背景を伺わせる出来であった。旧作の方を見てみたくなってしまったぞ。

それにしても、口先で改革派を気どり旧勢力を攻撃し民衆に受けるような公約をする政治家が人気を得るというのは別に最近の日本の話ではなく、昔からあった政治手法なのだというのはよーく分かった。


主観点:5点
客観点:6点(ジュード・ロウのファンは見て損なし)

【追記】
旧作の感想を書きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

「皇帝の歌と王宮の音楽」:ビウエラ様のご機嫌を損ねる

ナルバエスとド・ヴィゼーの音楽
演奏:佐藤豊彦
会場:近江楽堂
2007年3月23日

今回の佐藤豊彦のコンサートは、前半がスペインのカール五世に仕えたナルバエスのビウエラ曲を解説&演奏。後半は100年時代を下り、ルイ十四世時代のド・ヴィゼーのテオルボ曲であった。

だが最初からアクシデントがあった。まず佐藤豊彦が会場に入って調弦している最中にケータイ音が鳴り、男性がバッグから取り出して止めるという出来事である。止めるにしても、ケータイを開く時にまた音が出る。私は普段、マナーモードでしか使ったことがないんで驚いたが、開くだけでも音が流れるように設定するのが普通なのか?な、なんで??
これだけではない、さらに最初の曲を弾き始めるとほぼ同時に、またもケータイの呼出音が響いたのであった!
正直言って、近江楽堂みたいな小さい会場だとビウエラなんかよりケータイの方がずーっとデカい音にきこえるのだ。こりゃ、鑑賞妨害と言ってもよいぞ。

というわけで、こんなトラブルのためにビウエラ様のご機嫌を損ねたのであろう。ナリは小さいけど(ウクレレを一回り大きくしたぐらいか)バカにすんなー、という感じか。その後、ビウエラ様は途中で弦がほどけたり、しまいにはブチッと演奏中にキレて切れてしまったのであった。
とんだビウエラ様ご乱心~(なぜかお小姓が楽譜台を持ってドタバタ走り回っている脳内イメージ)である。

内容的には「地味にして繊細」な曲がほとんど。音楽史上最初の変奏曲なんてのもあったぞ。ビウエラの一番細い弦はなんと太さ0.36ミリだという。繊細なはずであるよ。
個人的には長い間、名前の読み方が分からなかった Richafort (ウェルガス・アンサンブルが美しい声楽曲の録音を出している)の曲を編曲したのがあって、ようやく分かって嬉しかった。リシャフォーと読むのね¢(_ _;)メモメモ

後半のド・ヴィゼーはルイ十四世のギター教師でもあったという作曲家&演奏家。使用楽器は今では御法度の象牙と黒檀を使った白黒のデザインが美しいテオルボである。こちらもビウエラに負けじ!とばかりに途中で調弦が狂ってやり直す場面があった。テオルボ様もご機嫌斜めらしい。
また、佐藤豊彦の解説で舞曲のクーラント(だよね)は速く弾かれているが、本当は(フランス式だと)ゆっくり弾くものらしいというのが最近分かった、というのがあった。

全体的な印象は「典雅にして繊細」。特に最初の方のリュリやマレの曲を編曲したものがよかった。ルイ14世というと「派手でケバくてエロ好き」みたいな印象があるが、一方でこんな渋い曲を宮廷で演奏していたのかと思うと若干イメージが変わるところがある。
しかし、今度はアンコール曲で時計のアラーム音が鳴ったのであーる!(ちょうど9時の時報だろう)
もちろん一瞬だから大したことはないといえばないのだが、余が専制君主であればたちどころに「ギロチンじゃー」と宣告したことであろう。犯人は命拾いしたのう。

会場でCDを買おうとしたが、たちどころに売切れてしまった。クスン(T_T)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »