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2007年4月30日 (月)

「オール・ザ・キングスメン」(1949):「後退」を証明する作品

監督:ロバート・ロッセン
出演:ブロデリック・クロフォード
米国1949年
*DVDにて鑑賞

先日、ショーン・ペン主演の再映画化版を観たがなんだか判然としなかったので、名作として名高い1949年版をビデオで観る事にした。ホントはピューリッツァー賞を取った原作を読めばいいんだろうけど、『アラバマ物語』と違ってちゃんとレンタル屋にあったのでさっそく借りてみた。

アカデミー賞三部門獲得したにもかかわらず、日本では1976年まで公開されなかったといういわくつきの作品である。この後、監督は赤狩りに引っかかって1961年の『ハスラー』までパッとしなかったらしい。

さてこちらを観てみて、判然としなかったところ、脈絡が分からなかったところ、人物の心理状態が不明だったところ……など全て分かった。さらに、ジャックの個人的な回想などは全く出て来ないので、話はスッキリだ。

この物語は、汚職を告発した清廉な人物が腐敗した政治家に堕落していく--というものだと言われている。しかし、実は主人公には最初からその芽が潜んでいたのだということが、記者のジャックが最初に彼の質素な家を取材に訪れた時に、極めて短いショットで示されている。

それにしても驚くのはこの映画で描かれている政治状況が現在と全く変わらないことだ。モデルとなった政治家は1930年代の人物だそうだが、そうなるとさらに驚きである。
民衆にアジ演説を行い(統計や数字が出てくる話はウケないので)、学校や道路を作ると喜びそうな公約ばかりをし、既得権益に巣くう旧勢力をぶっ潰すと豪語して喝采を受け、その実陰では汚い裏取引をしている。

普段は豪勢な屋敷に暮らしているのに、メディアをぞろぞろ引き連れて昔住んでいた小屋を訪れて、わざわざ質素な生活を家族と演出して見せる。いざとなれば、障害を負った家族さえも引っ張り出して利用する事も辞さない。メディアも警察も思うままに自分のために利用する。
そんな彼を民衆は熱狂的に支持し、弾劾手続きを進める議会を「悪」として非難するのだ。彼のトラブルがらみで怪しい「自殺者」が出ても気にしたりしない。

ここに描かれるのは、民主政治と独裁制が全く矛盾しない姿である。民主的な選挙によって選ばれた人物が独裁的な「王」として成り上がっていく。これは民主制の本質的な弱点であり、それを防ぐ事はできない。
どうりで民主主義をありがたく拝領したばかりの戦後すぐの日本で公開できなかったはずだ。で、今の日本じゃ……現状そのままですねえ(^○^)

これに比べればリメイク版はヌルい。ヌル過ぎる。主人公ウィリーの悪辣ぶりばかりが強調されていて、政治の裏側を描いたものとしては後退したといわざるを得ない。

もう一つ後退していると感じたのは女性の登場人物の描き方である。重要な役どころとしては、ウィリーの妻と秘書、ジャックの婚約者の三人が登場するが、いずれも罪を犯すにしても愚行を行うにしても、それなりの行動原理と存在感がある。
だが、リメイク版では秘書は典型的悪女だし、恋人は何考えてんだかよく分かんないし、妻に至ってはほとんど登場してこない。なんなのよ、こりゃ。

こういうのを見てしまうと、映画というのは、いや社会というのは一体時代と共に進んでんだか後退してんだかよく分からなくなってしまうねえ。


主観点:8点
客観点:8点

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