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2007年5月12日 (土)

「13/ザメッティ」:回せ回せ!運が尽きるまで

監督・製作・脚本:ゲラ・バブルアニ
出演:ギオルギ・バブルアニ
フランス・グルジア2005年

実は前売券買ってから「買っちゃったけど、見ようかなあどうしようかなあ」と迷ってしまった映画。
が、しかし見終った後は「見てよかった~ \(^o^)/」となった。やっぱり、見てみないと分からないもんだのう。

この映画の予告を見た誰もがギョッとするのが集団ロシアン・ルーレットの場面。大勢の男が円形に並んで自分の前に立っている者の後頭部に銃を突き付けているのである。そして響く銃声--。
これを見て興味を持った観客も多いだろう。

だが、その場面へ行くまでには結構かかる。若者が儲け話がありそうだと嗅ぎつける過程で--特に本来その「仕事」に行くはずだった男の妻の話なんかはあまり時間を割かずに、もっと若者の周辺を描いた方がよかったと思う。

肝心のロシアン・ルーレットの場面になると俄然、緊張が高まってくるが、それはゲーム自体よりも、銃をガシャガシャいじる音、追い詰められたようなプレーヤーの顔、いわくあり気に札束を持って右往左往する賭ける側の男たちの様子や、進行役の男の怒鳴り声の描写に迫力あるからである。そういうザラザラした不快さが抜きんでている。
「回せ回せ。もっと回せーっ」

さて、このゲームの変なのは全くの運任せということだ。プレーヤーが生き残るかどうかは本人には全く関係ない。関わるのは後ろの男の持つ銃のシリンダーの位置であり、それは自分がどう努力しようと何しようと左右できないのだ。
つまり賭ける側が競馬のように血統や勝率を研究しても意味ないし、プレーヤーはスポーツのように練習を重ねてどうのという事もない。
そういう意味では「能力」や「資質」や「努力」は一切無関係だ。

従って、参加者が賭けるのは単にプレーヤーの「運」という極めて曖昧なものに過ぎないのだ。当たるか当たらないか。二つに一つ。その点では宝くじと変わらないのだが、宝くじならこんなに死体が転がったりはしないし、緊張もしないだろう。
いや、生死が関わってくるからこそ「運」も特別な意味を持ってくるのだろうか。
まさにそんな「運」に取り憑かれた男たちの醜悪さと崖っぷちぶりを嫌というほど味わうことができる映画である。

さて、ゲーム終了後が蛇足だという意見も見かけたが、そんなことはないだろう。若者のゲームの勝敗を乗り切った幸運は、その後に訪れた災厄には通じなかったという、誠に辛辣で皮肉な結末なのだ。

それにしても、怪しげな顔つきのオヤヂたちがゴロゴロ登場してくる。日本でこんなメンツを集めるのは不可能かも。役者としては進行係の男役の人がかなりよかった。彼がいなかったら緊張感五割減は確実といえる。

グルジア移民の監督がフランスでほとんど手弁当で撮ったというこの作品、アイデア勝負の面もかなりあるが、ハリウッドでご本人によるリメイクが決まっているという。
さて、かの虚栄と悪徳の都で監督の「運」はどれぐらい続くだろうか。


主観点:7点
客観点:6点

【関連リンク】
なかなかに鋭い所を突いた評だと思いました。
《★銀河ブログ》より「「13/ザメッティ」格差社会の隠喩」

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