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2007年6月

2007年6月29日 (金)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その8

灼熱のラテン・バロック~18世紀イエズス会宣教時代南米の宗教作品
演奏:コントラポント
会場:立教大学第一食堂
2007年6月24日

コントラポントはアンサンブル・カペラなども率いている花井哲郎のグループだが、今日の公演ではアルゼンチン出身のアドリアン・ロドリゲス・ファン・デア・スプールが指揮(の他にギターやパーカッションも)を担当。なかなかライヴでは聴く事が少ない南米バロックを演奏した。
開始前に立教大の教授によるミニ講演付きであった。(専門外なんで今イチ自信なさそうだった?)

ボリビアの教会から20世紀の末に宗教音楽の楽譜が大量に発見されたという。ラテン語だけでなく、現地語やスペイン語の曲もあり、また作ったのもヨーロッパから来た作曲家でなく当地の人の手によるものも多数あるとのこと。

前半は敬虔な宗教曲が中心。複雑な曲はなく割合簡素で素朴な印象である。最初と最後の曲ではコーラスとヴァイオリンとパーカッションなどは演奏しながら入退場した。パーカッションが入るとかなり曲が躍動的になって踊りたくなったりして(^^;)
この日も湿気の多い日だったが、エアコンはないので調律が時間がかかって大変そうだった。

後半は祝祭のための曲ということで、かなり世俗っぽくなる。子守唄の「マリア様、今晩は!」では「静かにしないと、子ロバが噛みつくよ」という件りにはなんとなくお国振りというのが感じられて面白かった。ヴァイオリンが哀愁極まりない音でよかった。

久し振りに聴いた鈴木美登里のソロの「私たちの母、聖マリア」がなかなかによかった。もう一人のソプラノの花井尚美はモンセラート・フィゲーラス風のややクセのある歌い方で好みが別れるところだ。

今年のこの音楽祭は、私には同じ会場でのE・ガッティの公演で始まったが、この最終日も満足できるものだった。ヨカッタヨカッタ。来年も期待しております。
ただ、できれば時期を5月に移してくれれば嬉しいなっと(*^_^*)


しかしながら、公演自体を除くと実はこの日はどうも祟られていたようだった。
*出がけにバッグが擦り切れていて、中に使われているビニールが見えているのに気付く。だが、他のバッグはない! 仕方なくそのまま持って出かける。
*座席がよくわからなくて会場をウロウロしてしまう。だって、配置が分かりにくいんだもーん。
*休憩時間に突然下のリンクの「ここで突然、女の叫び声がホール中に響く。」を思い出して笑いの発作に襲われる。家を出る直前に読んでしまったのよ。

「名古屋フィル 第337回定演」

いや、その場にいた人には笑い事ではないと思いますが……。
私もコンサートの出来に満足できた時は、いかなるフライング・ブラボーよりも先に素早く立ち上がり、小銭でふくれた財布(紙幣は一枚ぐらい)を振り回しながら「金はまだあるわよー、アンコールやって」と叫ぼうかと思いました。
もちろん、不本意な公演の場合は空の財布を振り回して「金返せ!」と容赦なく叫ぶつもりであります。

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早くも主役降板!の話

メール便にて北とぴあ国際音楽祭の案内が来た。7月3日に「オルフェーオ」のチケット発売があるのだ。
とっころが(!o!) 封筒の中に「歌劇オルフェーオ公演出演者変更のお知らせ」というのが入っていて、主役のリュイス・ビラマジョが「やむを得ない事情により」降板。代わりにイギリス人のジュリアン・ポッジャーが出るという。
えーっ、と驚いたが、でもどっちも知らない歌手だからいいや--と思ったのが本当のトコ。しかし、よくよく読むとパーセル・カルテットの「オルフェオ」公演の時にアポロ役をやった人だという。
アポロ役と言えば、出番は少なかったけど、ナイフを振りかざしてオルフェオの○○を××××のがミョーにいかがわしくって、萌えた記憶があるなあ。……って、歌手としてはあまり関係ないことだけど(^o^;

でも、チラシとか印刷しちゃってるのに大変ですねー。ご苦労さまです<(_ _)>

他にも面白そうな公演があって、特にスウェディシュ・トラッド(という言い方でいいのか?)のフリーフォートはトラッド・ファン必聴になりそう。

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2007年6月27日 (水)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その7

バロック・オーボエの愉悦~ドレスデン宮廷の響き
演奏:アンサンブル・ヴィンサント
会場:目白聖公会
2007年6月22日

アンサンブル・ヴィンサントはオーボエの三宮正満がリーダーのグループ。メンバーはBCJなどでもおなじみの面々だ。
この日のプログラムはドレスデンの音楽家の曲で、しかも珍しくて難曲ばかりとのこと。ファッシュ、クヴァンツ、ピゼンデルあたりは知ってるが、カリファーノなんて全然知らんぞー(^^;

第1曲めはそのカリファーノの曲で、第2オーボエの尾崎温子とステージの両側に向かい合う形で演奏。だが、第2楽章に入る合間に、な、なんと(!o!)派手なケータイの音が鳴り響いたのであった。
たちまち美しいステンドグラスの下にみなぎる殺意~、と言いたいところだが、実際には客席とステージ上に脱力的トホホ感(+_+)が充満したのであった。
なぜ、なぜ神は教会でこのような暴挙を見逃されるのでありましょうかっ! 神も仏もねえ~とはこのことだいっ。

まあ、その後も何事もなかったかのように演奏はサクサク進み、3曲めは演奏する本人もこれまで聴いたこともないというほどに珍しい、ファッシュ作ファゴットのためのソナタであった。先日のBCJでもやってた功刀貴子が熱演。

後半のピゼンデルのヴァイオリンソナタは華麗に弾きこなしまくったという感じ。さらにその後のゼレンカのソナタでも、オーボエとヴァイオリンが力強くかつ華やかなかけ合いを披露してくれた。

全体的に、飽きがこないように色んな編成の曲をうまく配列したプログラムだったと思う。充分に楽しめたコンサートであった。
翌日は、この日とは反対に名曲ばかり集めた公演をやるとのことで、アンコールでその中のパッヘルベルのジーグを演奏してくれた。思わず、次の日も行きたくなってしまったが、そうなると恐怖の4連チャンになってしまうので、じっとガマンしたのである。

ところで、この日は気温はそれほどでもないが、湿度が恐ろしく高くてジメジメしていた。またエアコン止めるんだろうと思って覚悟して行ったら、なんと多少のノイズは仕方ないということか、エアコンが付いていて涼し過ぎるほどだった。助かったよ……。

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2007年6月24日 (日)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その6

ライン川を渡りながら作曲したアルマンド
演奏:渡邊孝
会場:雑司が谷音楽堂
2007年6月18日

雑司が谷音楽堂は収容人員50名くらいの小さくて瀟洒なホール。だが、目白駅より徒歩十数分である。天気は梅雨とは名ばかりの好天でしかも、今日は昼の2時からの開始だ。
あ、あぢあぢあぢ……(~Q~;A
死む~(@_@)
たどり着いた頃には、中華まんだったらホッカリホカホカ食べ頃状態の熱さに全身なっていた。

しかし、さすが小さいとはいえ正式なホールなので中はエアコンでヒンヤリしていて超快適であった。文明バンザイ \(^o^)/

渡邊氏は昨夜も聴いたリクレアツィオン・ダルカディアの鍵盤奏者である。本日は単独でフローベルガーだけのプログラム。
フローベルガーというと--名前は聞くが実際ちゃんと聴いた覚えはない。以前、CDを一枚ぐらい買ったような気もするが……といった程度。

曲目は組曲を中心に編成。その組曲には彼が出くわした事件などがタイトルに付けられているが、別に「強盗にあって金を取られてクヤシイッ」とか「船で目を覚ましたら周囲に誰もいなくてビックリ」などという情景が直接に曲で示されているわけではない。
ひたすら流麗なチェンバロの響きを身近な空間で堪能したひとときであった。

ラストはフェルディナンド3世へのラメントで、アンコールは同じく4世へのラメントだった。
二階席にR・Dのメンバーが何人か聴きに来ていた。チェロの懸田氏はTシャツ着た普通のオニーサンだったよ……って、当たり前か。

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2007年6月23日 (土)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その5

常軌を逸したカプリッチョ?~ファリナ氏と巡るヨーロッパ音楽の旅
演奏:リクレアツィオン・ダルカディア
会場:目白聖公会
2007年6月16日

お久し振りの目白聖公会である。銭湯みたいに靴を脱いで上がるのは相変わらず。そして、演奏が始まるとエアコンを止めてしまうのも……(~Q~;)

開演は6時。この季節だとまだ明るい。最上部のステンドグラスには陽が当たっている。曲目が進むにつれて段々と暗くなって行っていい感じであった。

今回のプログラムは、様々な国を渡り歩いた作曲家カルロ・ファリーナの生涯に合わせて同時期の各国の作曲家を取り上げたもの。
ファリーナ本人やマリーニ、カステッロ、ブオナメンテ--あたりは知ってるが、ヴァレンテとかベルタリあたりとなると知らんのよ(-_-;)

後半はファリーナの晩年の地オーストリアで活躍したビーバーとシュメルツァー、そしてご本人の作った変な標題音楽(?)「常軌を逸したカブリッチョ」が演奏された。最後の曲はニワトリやら犬やら猫やらスペイン風のギターやら色んなものが登場する--様子が模倣される。

R・Dの一同は絶好調な様子でこれらの曲を生き生きと熱演した。特に前半では冷房止めた会場は暑くて暑くて、演奏者はもちろん聴衆も汗だくになって聴いたのであった。
同じ主題を何度も繰り返すベルタリの曲やシュメルツァーの「フェルディナンド3世の死によるラメント」ではアンサンブルが非常に心地よかった。

小さな会場のせいもあるかも知れないが、実のところ先日のガッティとの共演よりもかなり良かったように思えた。不思議なことではあるが、プラスとプラスのものが合わさっても必ずしも結果がプラスの二倍になるわけではないのを痛感したのであった。

このグループにはこれからも期待、であるがチェロの懸田氏と第二ヴァイオリンの山口女史は秋から留学してしまうのでしばらく日本には戻ってこないとのこと。じゃ、来年の目白祭りでは聴けないのかなー。残念であ~る。

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2007年6月22日 (金)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その4

ニンファの嘆き~モンテヴェルディの芸術
演奏:ラ・ヴェネシアーナ
会場:トッパンホール
2007年6月14日

前回は教会で宗教曲だったが、今度は音響のよろしい音楽ホールでオール・モンテヴェルディの世俗曲である。

で、結論からいうとこれが、いや~、素晴らしかった!
さすがにモンテヴェルディが今イチ苦手な私σ(^-^;)も満足しました。
思わず平伏_(_^_)_であります。

ソプラノとテノールがイチャイチャしたカップルの会話を再現する「美しい牧童」。今日びだったら「バカップル」とか言われちゃうかも知れないぐらいのイチャイチャぶりで笑っちゃう。途中、ソプラノが日本語で「アイシテル」って歌ったんだけど、二・三秒後ぐらいに「ん?今の日本語?」なんて感じだったんで反応鈍くて残念。
愛の神を戦争の敵に見立てて男声三人が歌った曲も大笑いだった。

しかし何と言っても一番のド迫力は、打って変わって悲痛な「ニンファの嘆き」であった。聖母病院のライヴでもアンコールでやったとのこと。
三人の男声がエピローグとプロローグのように前後に状況説明を歌い、ソプラノが恋人に裏切られた若い娘の、募りゆく不信と疑惑と嫉妬に身を焦がす心情を歌う。それにさらに男声が合いの手を入れる。まさにその心理の表現が見事としか言いようがない。
思わず泣けました(T_T)ですよ。
なんつーか、イタリアの風土というか、脈々と伝わるカンツォーネのような「演歌」系(「艶歌」が正しいか)の流れを感じさせるもので、まさに圧倒された。いやはや参りました。

で、カテドラルの公演も含めて、最後まで二人の女性のどっちがエマヌエラさんで、どっちがロベルタさんだかよく分からなかった。「ニンファ」を歌った若い方がロベルタさんでいいのかな?

ところで歌詞対訳を印刷した紙がどーやってもバリバリ音が出てしまう紙質でマイッタ。また、聴いてるとどうしても歌詞を見たくなっちゃうんだよねえ。しかも広げるとA3サイズだから二つに折りたくなっちゃう。
かくして会場中にバリバリベリベリ、音が響くのであった。もちろん、私も不本意ながらベリベリ音の発生源である。なんとかしてくれえ(-o-;)

つのだ&波多野コンビが聴きに来ていたのを目撃。フィゲイレドも来てたそうな。


二昔ぐらい前だと、この手のマドリガーレはコンソート・オブ・ミュージックが定番だったように思う。私もCD(あまり熱心に聴いてない)とNHK-FMで放送された公演の録音を持っている。
しかし、こうして本場イタリア者の若手の演奏を目の前にすると時代が完全に変わったのを感じた。
とはいえ、若い頃のエマ・カークビーでも聴いてみたかったというのもまた正直なところであるよ。


【関連リンク】
《Programmes》より「BCJ」
こちらを見るとBCJの公演に出ていた櫻田亮はラ・ヴェネシアーナのメンバーの一人だったのねー。うひゃーっ(>_<)彼のマドリガーレ聴いてみたかったです。

同じく「LA VENEXIANA」
カテドラル公演で配られたペラ紙のプログラムの名前表記が違っているという話。どうも、結構間違いがあるようで……。トッパンホールでの冊子型のヤツはさすがに間違ってませんでした。

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2007年6月18日 (月)

バッハ・コレギウム・ジャパン第77回定期演奏会:同じ楽器をやっていると……

ライプツィヒ時代1725年のカンタータ 7
会場:東京オペラシティコンサートホール
2007年6月13日

実はこの日、3連チャンでコンサート行った中日であった。
そのせいか全体的にどうもかなり集中力に欠いた調子で聴いていた。いかんねー。それにBCJはもうある程度の水準には達していると分かっているから、安心して聴いちゃうなんてところもあるかも知れない。

ブクステフーデ・イヤーということもあってか、恒例の冒頭オルガン演奏はブクステフーデの曲から始まった。かなり意表を突いた展開の曲。

カンタータ1曲めと4曲めは金管とティンパニが入りかなり祝祭的だった。中の2・3曲めは独唱をじっくり聞かせる感じだ。2曲めの中の、二本のフラウト・トラヴェルソとアルトのアリアがなかなかによかった。それと、両替屋推薦歌みたいな3曲めのソプラノ+アルトのアリアは通奏低音がキビキビしてて快感。

中でも一番良かったのは、宗教改革記念日用だという4曲めの、冒頭の合唱とコルノ・ティンパニを含む楽器演奏部分がそれぞれに複雑にして壮麗で、聴いてて目が回るような感じでウット~リしてしまった。あー、やっぱりバッハ先生ス・テ・キ(*^^*)
ただ3番目のコラールではコルノの二人は非常に苦しそうだった。

余談だがこのお二人、片方は恒例の島田氏で、もう一人は下田という人なのだが、なぜか体格や顔つきや髪型その他が似ている。少なくとも鈴木兄弟程度には似ているぞ。
も、もしかして、同じ楽器をやっていると身体的にも似てしまうのであろうか?……って、んなバカな(\_\;

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2007年6月17日 (日)

「インスピレーション!」:美女と野(以下略)共演

演奏:ロー・フュジェール&タブラトゥーラ
会場:ハクジュホール
2007年6月12日

ロー・フュジェールはカナダ出身のパフォーマンス・アーティスト(って、紹介でいいのか?)。シルク・ドゥ・ソレイユや自分のプロジェクトで歌手・ダンサーとして活躍中。
数年前に来日して波多野睦美+つのだたかしと共演して、迫真の日加美声対決が行なわれたのであった。

しかし、今回は古楽集団タブラトゥーラと共演。こ、これではまるで金髪美女と野(略)……いやいや美女と野郎ども共演というところでしょうか(^o^;
そのため、客席はロー目当ての若くてオッシャレ~な人(ダンス系か?)が多くて、普段とはチト違う印象。

暗い舞台にタブラの五人が静かに控える中、ローが緋色のクリスタルボウルを持って入場。「ボウル」と言っても、日本語の「鉢」ってのが当てはまるような形だ。
彼女がバチのようなものでボウルの周囲をこすりはじめると、ビョ~ンというような不思議な音が広がって行く。さらに静かなホールの左右に長く互いにこだましていくのが実によく体感できる。
さすが、座席のスペースは都内で五本の指に入るくらいに狭いが、音響は五本の指に入るくらい素晴らしいハクジュホールだけのことはある。

しばらくの間、ロー単独でボウルの音を自分のヴォイスを混ぜて操るうちに、タブラのメンバーが即興演奏で入ってくる。最初のうちはどちらかというと、現代音楽っぽかったが、リズムが速くなってくるにつれエスニックな感じに。そして舞台中央に躍り出て、大きく声を発し踊るローの姿はまるで畏るべき異教の巫女のようであった。知らず、戦慄みたいなのを感じてしまったよ。
終了までの時間は30分ぐらいかと思ってたら、50分近く経っていた! 驚きである。

後半はタブラの定番曲の演奏で開始。またも、つのだ団長の客席への「ブラボー」要請を経て、数曲後に今度はローの方が演奏途中で登場。それ以降は彼女の歌を中心とした共演となった。

アンコールは3曲で、2曲めは「スカボローフェア」だった(S&Gのより原曲に近い?)。ラストに至っては一同踊り弾きに加え、団長はカスタネット両手に跳ねまくっていた。
いやはや、ロー・フュジェールの横で共に踊ってサマになるのは世界中でも、つのだたかしぐらいなものだろう(^○^)ギャハハ やはり彼女の3倍はあると思われる(当社推定比)胴回りのせいだろうか?
当然、会場はブラボーと拍手の嵐となった。

やはりタブラはある意味行き着くとこまで行ってしまってもはや無敵状態になっているので、やはりこのぐらいの異種格闘技をしないとご本人たちも客もメラメ~ラとは燃えないようだ。

今回の感想は「聴いた!見た!ヨカッタ!」の一言だった。

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2007年6月16日 (土)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その3

イタリア・ヴァイオリンの芸術 2 「コンチェルト編」
演奏:エンリコ・ガッティ、リクレアツィオン・ダルカディア
会場:トッパンホール
2007年6月9日

遅ればせながら、ご報告です。

チケットを買った時は「土曜の昼か。楽勝だな(余裕の微笑み)」であったわけだが、それからしばらくして、その日が土曜出勤になると発表があったのである。
え゛~っ(>O<)聞いてねえよ! 何があってもオレは行くよ、もう金払っちゃったし--という事態なのであった。

まあ、事前に出勤日と重なってるのが分かっていても、迷わずチケット買っただろうけどね。だって……ガッティですもん(*^-^*)

ということで、仕事を手早く、というよりテキトーに片付け、職場から駅まで走ったのであった。
さらに、江戸川橋駅に着いて改札を出てから向かった出口の表示が「椿山荘」などと書いてあって逆の方に来てしまったのに気付き、あわてて方向転換して走る。そう言えば、前回も同じ間違いをしたのを思い出した。改札を出た所の案内地図が、通常の地図と上下逆になっているためにウッカリしたようだ。
というわけでずっとドタバタしていたせいで開演してもなかなか集中できず……なのであった。

とはいえ、冒頭のキビキビしたガルッピに始まり、「お、これは調子いいぞー」と思ったが、なぜかその後アンサンブルが今ひとつ合っていないような気が……。
そもそもヴァイオリンの音色自体がガッティと他メンバーが違っているような感じもした。これは去年のレツボールとの共演の時には感じなかったことだったんだけど、どーなんだろ。もっとも、単に私の気のせいかも(^^?

全体的にはガッティの個人芸バクハツ!という感じではなく、全ての調和を重視した演奏のようであった。やはり「コンチェルト編」ですからっ--当然か。

次に生ガッティを聴けるのはいつのことになるであろうか……。その時はヴィヴァルディの「ラ・フォリア」を個人的に希望。


【関連リンク】
《古楽ポリフォニックひとりごと》より「エンリコ・ガッティ」
ネット上で初めてガッティについての文章を読んだのは、このAHさんのではないかと思う。
ただしブログではなくて、こちらのサイトの日記で、確か第二ヴァイオリンについての文章だったと記憶しているが、もし違っていたらすいません<(_ _)>

《♯Credo》より「エンリコ・ガッティ コンチェルト編」
目白祭りに参加、ごくろうさまでした。

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チュー年女はネットなんかやらないんじゃないの

《ふぇみにすとの雑感@シカゴ》より「マスコミ学会ワークショップレポートと感想」

ここで取り上げたいのは「3)フェミニズムのプレゼンス能力の低下」に関連することなんだが、現在の「フェミニズム」を担っている中心世代がどこら辺だか分からんけど、少なくとも四~五十代のチュー年女のネット化率は低いんじゃないかと思う。

お前の知り合いだけの狭い範囲内で決めんじゃないと言われそうだし、正直統計があったら私も見たいところだが、同年代の知り合いで自分でHPやブログやっているという人はヒジョーに少ない。
それどころか常時特定のブログなどをチェックして見ている者さえ少ない。ネットは何か知りたい時に検索して使うという程度のようだ。

先日、五十代の知人女性二人と喋っていて、うっかり私がブログをやっているともらしてしまったら、一人は「ブログなんか全然見ない」と言い、もう一人は「私も絶対見ない。そんなもんやってるの」と軽蔑の眼差しで見られてしまったのだよ。
そこで、私はもう絶対にリアルワールドの知人友人にブログをやってるなどというのは絶対に口外すまい、と心の中で誓ったのである。
恐らく、彼女たちにとってはネット上の言説自体が無価値で軽蔑に値するものなのであろう。後者の女性などは「ブックマーク」や「お気に入り」さえ使用しないという。「じゃあ、毎回ヤフーで検索してるの」と尋ねたら、そうだと返事が返ってきた。いや、まあそりゃ勝手ですけどね。

もちろん、彼女たちはフェミニズムに興味がないというタイプではない。フェミニズム本は読んでいるし、社会問題には大いに興味はあるし、職場の組合では役員もやってるし、若い頃には大学のデモにも熱心に参加してたそうだ。

しかし、これだけネットに拒否感を持ってるんじゃそこで情報や意見を公開するなんてことはしないだろうし、また公開されているのを見たり読んだりもしないだろう。
さらに「2ちゃんは厨房のすくつ」とか思い込んでいても仕方ない。

ということで、今の四、五十代が養老院に一掃されてもっと若い世代のフェミニストが中心になれば変化も起こる--かもだ。


【関連リンク】
こちらにも報告ありました。
《ジェンダーとメディア・ブログ》より「マスコミ学会ワークショップ報告その1」

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2007年6月12日 (火)

結城座「ドールズタウン」:燃えゆく母

作・演出:鄭義信
会場:ザ・スズナリ
2007年5月31日~6月5日

結城座が鄭義信と組むのは12年ぶりだという。前回の芝居は見ていない。
舞台は戦時中の日本、海を遠く臨む架空の地方都市「ドールズタウン」。その住人たちは人形が演じ、時間的にも空間的にも外部の人物は人間が演じる。

なぜか分からないが今イチのめり込めない歯がゆさを感じた。自分でもよく分からないが、主人公の少年の感性があまりに「現代的」過ぎるせいかも知れない。

とはいえ、いじめっ子の姉弟には大いに笑ったし、オサカナの佐藤昭二はカワユイっ! 巨大象の人形がバラバラになるのは驚かされた。
それに何と言っても、母が本当に燃える場面は泣かされた。こればっかりは人形芝居でなくては見ることが無理な光景である。

次回は渡辺えり子と組むという。これもまた期待だ。
それにしても客の年齢層が高いのには驚いた。もちろん若いカップルもいたけどねえ。


ところでネットの感想に「人形と人間とが絡む芝居の必然性がわからない」というのがあった。こう思う人は結構いるんだろう。特に結城座の場合は人形をあやつっている人間が、姿を堂々と見せて直接セリフも一緒に喋っているわけだから、余計にそう思えるかも知れない。しかし、人間の身体と人形の身体は全く別のものである。そこに虚構と現実が鮮やかに転換する、目に見えぬ境界が存在するのだ。

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2007年6月11日 (月)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その2

ヴェネツィアの晩課~モンテヴェルディの《倫理的・宗教的な森》より
演奏:クラウディオ・カヴィーナ、ラ・ヴェネシアーナ、エンリコ・ガッティ、リクレアツィオン・ダルカディア
会場:東京カテドラル聖マリア大聖堂
2007年6月6日

さて、今回はオールスター出演と言ってもいいような顔ぶれでモンテヴェルディである。
あ、そういや去年の目白祭りについてはこのレポートをはじめ幾つか書いておりますので、興味のある方はサイト内検索などして、お読み下せえ。

同じモンテヴェルディでも有名な『聖母マリア』の晩課はオープニングでやっているので、この日は『倫理的……』を中心にして、フレスコバルディなどの曲を交えて、典礼方式で構成して演奏していた。
指揮をしているC・カヴィーナ氏は2月に来日して波多野睦美と共演している。その時は楽譜をステージに何回かバラ撒いたりして「うふ、ウッカリ屋さん( ^ ^)σ)~_~;)プニッ」としたくなってしまったが、今回はそんなことなく威厳ある指揮&歌いぶりであった。(でも、実は楽屋で楽譜バラ撒いてたりして……)

この大聖堂でのコンサートは大抵いつも自由席なので、毎回後ろの方しか座れなかったが、この日は指定席で前の方で嬉しい限り。下手な場所座ると、斜め後ろから音が聞こえてきたり、ステージに人がいるのかいないのかも見えないんだもんね。
でも、合唱の終わりが背後に長い残響をひいて消えて行くのを聴くと、すごいなーとウットリした。ただ、歌手全員で合唱すると至近距離にもかかわらずガッティのヴァイオリンの音がかき消されて聞きづらくなってしまう。演奏する方は大変そう。
ふと思ったが、日本のお寺の鐘を巨大にしたようなヤツの中で演奏しているようなもんですかね。微細なニュアンスまではとても聞き取れない。

とはいえ合唱、演奏、いずれも文句なしであった。やっぱり、本場のイタリア者によるモンテヴェルディは格別やのー、なんて思ったりして。特に男声三人によるモテット(だったかな?)が何か神秘的な響きがしてよかった。
ガッティは脇に回って縁の下から支える役目を堅実に果たしていた。バロックハープのおねーさんや日本人のメンバーも同様。

それにしても休憩なしで2時間近く教会の堅い椅子に座っていると、さすがにお尻が--というより腿の裏側が痛くなってしまった。昔の王侯貴族でもこんなのガマンしてたんだろうか? それともフカフカの専用座布団を使ってたんかな(^^?


前回この大聖堂に来た時は迷ってしまったんで、江戸川橋から行こうかと思ったが、徒歩5分の差があるのでさすがに考え直して、やはり護国寺から行った。今回は分かりやすいコースを取ったので迷わずに済んだ、ホッ( -o-)


【関連リンク】
《Takuya in Tokyo》より「目白バ・ロック音楽祭2007(2) ヴェネツィアの晩課」
私もどうもあの教会へ行くと威圧感を感じてしまって落ち着きません。東京文化会館もそんな感じ。あの時期の流行の建築がそういうもんなのだろうか。

《ミューズの森、美術館そぞろ歩きノート》より「目白バロック音楽祭、もうひとつの「ヴェネツィアの晩課」
確かにモンテヴェルディ今ひとつ苦手な作曲家であります。素晴らしい音楽家による演奏に当たればいいんだけど……。そうでないと「意図している所はわかりますが」みたいな感じになってしまうのよ。

【追記】
NHKの収録が来ていた。見逃した人は是非どうぞ。放送の方が音がよく聞き取れるかも。

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2007年6月10日 (日)

「ツォツィ」:国境なき「不良」の姿

監督:ギャヴィン・フッド
出演:プレスリー・チュエニヤハエ
イギリス・南アフリカ2005年

2006年のアカデミー外国映画賞を獲得した作品。アフリカの映画としては初めてだという。同じくノミネートには『パラダイス・ナウ』や『白バラの祈り』などが入っていたんで激戦だったわけだ。

見ようかどうか迷っていて、しかも都内では六本木しかやってないということでズルズル日にちが経ってしまい、上映が終わってしまった……と思ってたら、なんと銀座のシネパトスで引き続いて上映していたのを知ってビックリ。あわてて見に行った。

主人公は南アのヨハネスブルクのスラム街に住む少年、彼は「ツォツィ=不良」という一般名詞で呼ばれていて固有の名前は持たない(ように見える)。
だが、強奪した車の中に赤ん坊が残されていたことから彼の人生は一変する。

見ていてダルデンヌ兄弟の『ある子供』を思い出した。この二つは対称形を成している。
共通点は主人公にかかわる若い娘が母として自立して生きていること。彼と親の関係は断ち切られているということ。大人との関係は希薄だ。そして、犯罪を犯して日々の糧を得ていることである(というか、他の方法を知らない)。
『ある子供』では父親は不明、母親は生きているが彼を邪魔者扱いにする。『ツォツィ』では母は病気で死亡、暴力的な父親の元から逃走する。
しかし、前者の主人公は自分自身の子どもなのにモノのように売り払ってしまう。後者では他人の子どもなのに自分の子どものように育てようとする。
この二つの話はそこの点では正反対だが、また別の意味で非常によく似ている。社会からはじき出されている若者が、赤ん坊のために犯罪をおかすが、それを契機にして新たな道を歩むということだ。

ツォツィは恐らく父親になりたかったわけではない。赤ん坊を自分の分身のようにとらえたのだ。だから自分の本当の名を与え、彼が子どもの頃暮らした土管の「家」を「お前の家だ」と見せる(しかし、そこには既に新たな子どもたちが住んでいる)。

現在の南アでは黒人同士でも大きな経済格差が生じているのが、この映画でははっきり描かれている。
彼は赤ん坊の親の裕福な家に侵入するが、その子供部屋は極めて豪華である。それは彼からは赤ん坊に(そして彼自身に対しても)、永遠に与えることができないものなのだ--。

冒頭と終盤での主人公の変貌の差はすさまじい。それだけに、登場する大人の何人か良い人過ぎるのがチト不満である。もっとも、そうでなけりゃ感動もしなかっただろうが。
そうです……泣いちゃったのよ~ん(T_T)

心理描写が極めて言葉少な(映像少な?)であっさりしているのも今日び新鮮だった。セリフでほとんど語らずちょっとした仕草などで心理状態を示しているが、そうなると最近の説明過多なメジャー映画に慣れた者には何も描かれていないと受け取れてしまうかも知れない。


主観点:7点(泣かせるな、バカ~ ←八つ当たり)
客観点:8点(泣けます)

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2007年6月 7日 (木)

盗作のウワサより始まって……

幻冬舎新書から出た『新・UFO入門』職場で早速買ったんだけど、なんと《ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記》経由でブログからの盗作疑惑を知る。

えええーっ(!o!)注文してまだ実物も来てないというに、どーしよう。
で、その元のブログがこちら《漫棚通信ブログ版》であります。「これは盗作とちゃうんかいっ」以下のエントリをどうぞ。

で、ついでに他の文章も読んだんだけどこれが面白い。もうマンガの読者としては半分引退状態な私ではありますが、色々と興味を引かれる話がいっぱいですねー。
特に
「第11回手塚治虫文化賞感想」
には、ええっ、そんなウラ話があったんかいと驚かされ、
「お久しぶり、大友克洋」
には大いにウンウン('')(..)('')(..)と頷かせていただいた。

それと文章が温厚でさっぱりしてて読みやすい。ひねくれた文章ばっかり書いている私とは大違いである。(まあ、ブログのタイトルがこれですから、ひねくれてない文章だと「看板に偽りあり」になってしまうというのもあるんですが(^^ゞ)

早速、ブックマークさせて頂き、以後も継続チェックしていくことにした。

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2007年6月 4日 (月)

目白バ・ロック祭りだ、ワッショイ!その1

イタリア・ヴァイオリンの芸術1「ソナタ編」
演奏:エンリコ・ガッティ、懸田貴嗣、渡邊孝
会場:立教大学第一食堂
2007年6月3日

遂に目白バ・ロック祭り開始であります。私の初日はガッティなんである。
で、勢い込んで立教大学門前まで行ったはいいが、はて二つの門のうちどっちへ入ったらいいんかい(?_?) おまけに「はしかで休校」とか掲示があるぢゃないのっ!
思わず「はしかでコンサート中止か(@_@)」などとキョーフがよぎったのであった。

ちゃんと門前に看板かポスター置いといてくださいよう(T_T) それとも私の目に入らなかっただけか? でも、「駿河台模試」の看板しか気付かなかったぞ。

会場は由緒ありげな建物。真ん中にステージを置いて、横長に椅子を並べて聴くという感じ。響きはどんなもんかと思ったが、楽器の音は意外にもよく聞こえたのでよかった。
ただ、空調がないので入口(4ヶ所?)を開け放ったままだったが、雑音は聞こえてこなかったので一安心。これは大学が休校だったのが幸いしたかも。学生たちがいたらもっと騒がしかったかも知れない。

プログラムはイタリアのヴァイオリンソナタの流れを前半は17世紀、後半は18世紀--と大体、時代順に弾いていった。ジェミニアーニ、ボンポルティなどの後半はともかく、前半は名前しか聞いたことのない作曲家多数。極めて渋くて地味にしてマニアックな印象だ。

家へ帰って過去のアンサンブル・アウローラのCDを求めてゴソゴソと棚を漁ったら、「イタリア17・18世紀のヴァイオリン芸術」1と2が出てきた。時代的には合ってるが、作曲家はウッチェリーニしか重なっていない。この時代にはこの手の曲が非常にたくさん残っていると、雑誌か何かで読んだような記憶がある。
話は脱線するけど、それより前に出たCDがさらに2枚あるはずなのだが(「グイド・レーニの時代」とか)見つからなかった(-.-;) 引っ越しの時に燃えないゴミに入れちゃったんじゃろか?ギャーッ(>O<)

ともあれガッティの強靭にして、しかも繊細極まりない演奏を充分に堪能できた2時間であった。アンコールは解説付きでタルティーニ。
通奏低音の二人もしっかと支えていてよかった。懸田氏はガエタノ・ナジッロのお弟子さんなのね。ということは去年の武蔵野市民文化会館でのコンサートは師弟共演だったわけだ。ただ、略歴の「2007年秋より……師事している」っておかしくないか?今年の秋はまだ来てないんだけど。

プログラムを通して眺めると17世紀末から18世紀初頭が抜けているようだ。この時期はパート2の「コンチェルト編」でフォローするってことかな?


さて、生ガッティを聴くのは確かこれで4回目のはずである。最初はまだBCJがカザルスホールでやっていた頃、確かヘンデルのプログラムで彼らと共演したのを聴いた。これがまた客が入ってなくて(^o^; 多分客席は三分の二も埋まってなかったと思う。
私は半袖のシャツを着て行ったら、空調の風がモロに直撃する席でもう寒くて寒くて仕方なく曲を聴くどころではなかった。曲の合間に係員に断って空いている後ろの席に移って、ようやく人心地ついたはいいが、今度は身体があったまって睡魔がモー然と襲ってきたのである!
--という情けない事態だったのだ、トホホ。

《SEEDS ON WHITESNOW》より「バロック・ヴァイオリンの貴人エンリコ・ガッティによせて」
私もこの旧古河邸のコンサート行ってました。庭園のバラがキレイな時期だったもんで休憩時間中にフラフラと外に出てたら、係員のおねーさんに「なに、この人?」みたいな目で見られてしまった。
もう、あんな機会は二度と来ないでしょうなあ……というのは、後になって初めて思い知ることなのであったよ。

【追記】
《SEEDS ON HATENA》で「ガッティin立教のレビューをリンク」もどうぞ。

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2007年6月 3日 (日)

もはや「otaku」に日本は無関係

《ふぇみにすとの雑感@シカゴ》より、

「アニメセントラルコンベンション(A-Cen)」のレポート(「1」から「4」まであり)
「アメリカン・オタクの変遷」
「スタッフの視点からみたアメリカのアニメコンベンション」(「1」と「2」あり)

あちらのコンベンションの様子がよーく分かります。
読んで興味深かったのは

SFーとくに小説系のSF-には、以前はエリート主義的なところがあったが、アニメやマンガ系はもともと「子どもの読み物であるマンガ」的に捉えられがちなこともあり、SFファン的なエリート主義がなかったという。

これは元SF者として、何となく思い当たるような気がしなくもない。(汗)


パネルでは「日本」とか「日本人」は残っているようにみえるが、ブースをみても、コンベンションにきている人たちをみても、「日本」なんてそう大きな関係はない感じだった。むしろ、「日本」は自分たちの好みにあわせて導入するときはする、って感じだ。

もはやアメリカ人は、「日本」なんか超えてしまって、自分たちの文化の一部として楽しみはじめたと思えるのだ。

もはやオタク文化を日本が世界に発信、なんて悠長な事を言ってる場合じゃないってことですねえ……。

ところで今年のSF大会はワールドコンなわけだが、どうなるんじゃろか。

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戦争を作って売る時代

朝日ニュースターでやってる「デモクラシーNOW!」を見た。4月からこちらで放映が始まった米国の社会問題を扱う番組である。ちゃんと見たのは初めてだったのだが、非常に面白かった!

初めから4分の3は『ブラックウォーター 世界最強の傭兵軍団の勃興』という本(日本では出ていないもよう)を出したジェレミー・スケイヒルのインタビュー。
ブラックウォーターとは米国にある民間軍事会社の一つで、イラクで活動している二百社近い中ではトップにいるという。この会社の成立経緯から首脳陣のことや4人の社員の死亡事件(非常に大きなニュースになって映像も流れた)のことまで早口で喋る喋る--字幕は半分ぐらいしか訳せなかったんじゃないかと思うぐらい。

残りの4分の1はナオミ・クラインの、同じ題材による講演の一部。
この二人の話を合わせると、もはや死の商人のように戦争当事者に武器を売りつけるというような、戦争をネタにして儲けるレベルではない。戦争を起こして利権を吸い上げ、当事国の根幹に係る体制を変え、収奪するのである。何せブラックウォーターには政府の高官が副社長になってたりするのだ。戦争もやりたい放題だ。しかも軍事会社を規制する法律はないに等しいというのである。

平和じゃ儲からない、常に戦争が必要なご時勢なのであ~る(=_=;

【関連リンク】
「デモクラシー・ナウ!」日本サイトより

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