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2007年7月

2007年7月31日 (火)

「スーパーリコーダーカルテットリサイタルVol.3」:現代曲は苦手じゃ

会場:東京文化会館小ホール
2007年7月28日

大阪で活躍しているらしいリコーダー・カルテット。全然知らなかったグループだが、この日はダン・ラウリンの公演があると勘違いしてた日なのが空いてしまったので、急遽チケット購入して行ってみた。
もちろん、このグループ四人分でラウリン一人に該当--なんて意味じゃありませんよ、念のため(^o^;

リコーダーQというと、アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテットはアルバムをほとんど持ってるし、コンサートにもよく行った。この手のコンサートは曲に合わせて数十本もの様々なリコーダーをとっかえひっかえして演奏する。高音だとチョ~短くて細いソプラニーノ・リコーダーから低音は人の身長よりも長いものを使用する。
今回の公演でも同じだが、こちらのグループはもっとファミリー向けを目指しているもよう。ただ、この路線を進めていくとレッド・プリーストみたいにやるしかないような?
リーダーの大阪弁の喋りは面白かったが、どうせやるならつのだたかしぐらいの突き抜け方が欲しいところだ。

とはいえ、会場はほぼ満員だったし、小学生たちはおとなしく聞いてたし、周囲の大人たちは大喜びだった。
私個人としては、もっと古楽系の曲があるかと思ったら、3曲しかなかったんでガックリ。「ブリキの兵隊の行進」とか面白かったけど……面白いからって「好き」というわけではないのがムツカシイ所である。

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2007年7月29日 (日)

スカルラッティ音楽祭2007「宗教曲コンサート」:本場イタリアじこみのハプニングあり

指揮:セルジョ・バレストラッチ
会場:イタリア文化会館アニェッリ・ホール
2007年7月23日

世俗曲コンサートの時とほぼ同じメンツに男声歌手たちが加わって、今度は宗教曲である。目玉はなんといっても『聖ヨハネの祝日ためのモテット』で、最近楽譜が発見されて「世界復活初演」ということだ。

前半はソプラノ+カウンターテナーの『サルヴェ・レジーナ』、そして10声にオルガン伴奏だけの『スターバト・マーテル』だった。後者は10人の歌手がズラリと並んで実力発揮--と言いたいところだが、なんとなく「よくできました」とは思っても「大変よくできました」までは行かないところが、歯がゆかった。
曲自体はあくまで合唱でありながら劇的なところがあるという力作であった。

後半はオルガン独奏に続き、櫻田さんのテノールによる別の『サルヴェ・レジーナ』。前半の曲よりも楽器の数が多く、なんだか歌が埋もれて聞こえてしまった。
『聖ヨハネ~』はモテットと言ってもいわゆるカンタータ風の構成。個人的にはこちらは前半の曲より今ひとつノレる部分がなかったのが、残念。

さて、今回は客席にレオ爺公演並みに演奏家が来てたらしいが、ぼーっとしてたせいかあまり気づかなかった。学者では金澤正剛を見かける。

開演時に、前回プレトークをやってたY氏とイタリア大使館の参事官とイタリア文化会館の館長が出てきて挨拶したが、Y氏がマイクを持って喋り出すもオフになったままである。すかさず「マイク死んでまーす」と会場から声が飛ぶが、Y氏は全く理解できず、なぜかイタリア人の館長の方が理解できたのであった(-o-;)

それから、休憩時間の途中にいきなり火災報知器が鳴り出したんでビックリ。ただ、1階のオープンラウンジみたいな所で別の催しのためのパーティの準備をしているのを、客の全員が目にしているのでそれが原因だろうと、あわてることはなかった。
その後、今度は客席上の照明がグワーッと暗くなったかと思うとまたチカチカ明るくなったのというのを何度も繰り返した。
ここに至って、近くの客席から「さすがイタリア」という声が聞こえたが……てーと、なんですか? 本場イタリアの歌劇場やコンサートホールでは火災報知器が鳴ったり、照明がチカチカしたりするんですかい(@_@)

それにしても、火災報知器が鳴ったのが休憩中でよかった。演奏中だったら目も(耳も)当てられなかっただろう。

会場は満員御礼で、補助席も出ていたが、その割には端の席は空いていたりして、来年度以降も続けるなら指定席形式にした方がいいんでは?(座席には番号が付いてないけど……)

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2007年7月28日 (土)

「キサラギ」:芝居と映画のあいだには、深くも暗くもないけど溝がある

監督:佐藤祐市
出演:小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅、香川照之
日本2007年


あまりに評判いいので行ってみた。
結論から言うと--確かに面白かったけど、うーん、それほどのもんか?

観て最初に違和感感じたのが「なんか演劇っぽい」ということ。舞台となる場所は完全に一ヶ所に限定されているし、登場人物は5人だけ、演技がオーバーアクト気味なのもそうだし、ギャグも完全に漫才コント風なのが多い。取っ組み合いの場面とか、ナイフの使い方も舞台で見たとしたら、ああいう感じだろうなあ--と目に浮かぶよう。

昨年観た作品で同じように低予算で脚本が命、というタイプの『運命じゃない人』はいかにも映画特有の時間処理がなされていたが、こちらはそういう点では面白みには乏しい。……と思ったら、実際に原作は芝居だったそうで。

話は、ネットの掲示板の募集で集まったマイナーなアイドルのファンが、一年前に自殺した彼女の追悼会を開く。だが、やがてその死について意外な推測と事実が次々と明らかになり、さらに各々の参加者の素性も……というもの。
最後はアイドルというものを明るく肯定、そのヲタクなファンについても前向きに捉えているので、映画マニアな人たちにも大いに受けるだろう。

私としては、映画と芝居というものの似て非なる違いを大いに感じざるを得なかった作品だった。

ネットで圧倒的に多かったのが、最後の「あの人」が登場する部分が余計だという意見。確かに「蛇足」以外の何ものでもない。
そもそもプラネタリウムの場面からしてヒモ付きだというのは本当か? そのわりには「ママレモン」が協賛してないのは不思議である(^^?
もう一つ、家元とスネークの外見がかぶってて区別がつかない、という意見も見かけた。老人脳の持ち主には、最初のうち「こいつはどっちの方だっけ?」となってしまうのは必至。どうしてどちらかを変えなかったのか謎だ。大人の事情ってヤツでしょうか。

それから、前半の方で照明が薄暗いのにも参った。自然光を模しているのかも知れないが、もう少しなんとかしようがあるんじゃないの?

客は圧倒的に若い人ばっかり。私と同年代の客は見かけなかった。カップルか、若い役者のファンとおぼしき女性の一人客で占められていた。なんで?


主観点:6点
客観点:7点

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2007年7月26日 (木)

逃がした魚は大きく見える

これを読むと余計に悔しさ倍増。

《Takuya in Tokyo》より「ダン・ラウリン リコーダー・リサイタル」

隣の芝生はすべて青々として見え、すべての逃した魚は巨大に見えるのであ~る。
ああ、悔しいっ……またも号泣しちゃうよ(T^T)クーッ

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2007年7月23日 (月)

スカルラッティ音楽祭2007「世俗声楽曲コンサート」:「関係者」にご用心

指揮:セルジョ・バレストラッチ
会場:イタリア文化会館アニェッリ・ホール
2007年7月16日

スカルラッティ祭り--しかも、アレッサンドロではなく息子のドメニコの方だという(没後250年)。
うーむ、かなりの通向けである。ということで、「通」過ぎる器楽オンリーの演目は避けて、声楽の公演2回分のチケットを買った。
とっころが!これが裏目に出たのであった……(+_+)

開演の一時間前にレクチャーがあるというので開始ギリギリの時間に行ったらなんとロビーでやっていて、しかも完全に人であふれている状態だった。パイプ椅子が所狭しと置かれて並べられているので後から来た人間が立って聞く場所さえもない! なんとか場所を見つけて立って聞いてたら気分が悪くなってしまった。
な、なんでホールでやらないの(?_?) 
しかも、マイクを使ってない上にものすごい早口なのでよく聞こえない(「アントレ」誌7・8月号でインタヴューしている人)。終わった後には抗議のブーが飛んでいた。

さて、本番の演目は前半が『恋文』という世俗カンタータで日本初演だそうである。互いに不実を手紙でなじりあう恋人たちにソプラノの田村麻子とテノールの櫻田亮。楽器の方はほとんどがBCJ周辺で見かけた人ばかりである。
櫻田さんの本場イタリアじこみの世俗曲を間近で聴けたのはよかった。宗教曲とはまた違った趣。
曲自体は……どちらかというと、互いに食い違う言い分を手紙という形式で描いた歌詞の方が面白かった。

後半は作曲者が十代の時のオペラという『復位したオッターヴィア』の抜粋。過去のバロック・オペラでもよく取り上げられてきたネタである皇帝ネローネと妻とポッペーアの三角関係の話だが、これは珍しくポッペーアが善人で妻のオッターヴィアの方が悪女--というよりは猛妻という設定。
一応演奏会方式なのだが、四人の歌手はローマ風の豪華な衣装を着け、控えの椅子に座っているときもネローネとポッペーアがいちゃいちゃしたりしてみせたりして演技をしていた。
歌手では田村麻子が猛女ぶりを余す所なく示す声量と力強さで場内圧倒。恐妻家の方々には震え上がりそうな迫力だ。ネローネ役の穴澤ゆう子は動作などの演技面では王様風の貫禄であったが、肝心の歌の方は今いちパンチが欠けていたもよう。
曲については、この方面にはトーシロの私には「ヘンデルのマイナーなオペラです」とか言われたら全然分からないかも。

五千円でこれなら十分元が取れた公演であった……と言いたいところだが、別の面で全くひどいものだった。
まず、うっかり前の方の席を取ってしまったら(自由席なんで)、周囲は関係者の知り合いばかりの完全「内輪」モード。「××先生にご挨拶しなきゃ」とか「お父さんの席はここ、ここ」なんて会話が飛び交う。
で、その「内輪」席でかなりの前の方の列に座っていた小学生の男の子が開始直後からモゾモゾしててペットボトルの水を飲んだりしてたと思ったら、突っ伏して完全熟睡体勢に入ってしまったのであった。最前列ではずっと配役表を指差しては何事か笑いながら喋ってる約2名がいるし--なんなんだ?

これが前半。しかし後半の方はさらに最悪であった。
真ん中の方で寝ていた小学生が通路側に席を移して座ったがいいが、今度は演奏中、最初から最後までずーっと小型ゲーム機をやっていた! そんなに興味が無いんだったら子どもだけでも最後列に座ってゲームやってりゃいいじゃないか。あきれたよ……(@_@)
次からは「内輪」モードには近寄らないようにしよう。

だが、もっとあきれたのはカメラマンが端っことはいえ最前列で、これまたずーっと写真を撮りっぱなしだったことだ。
本当に一分ごとぐらいにシャッター音がカシャカシャ聞こえてくるのである。見せ場になると(二重唱とか)、30秒に一度ぐらいシャッターを押している。これには本当に頭にきた。こんな事はコンサート歴××年(個人情報につき特に秘す)でも初めてである。

 主催者、逝 っ て よ し !

ダンテが『神曲』で描いたような地獄に落ちるがいい~ω(T_T)ω イタリアの半島の地底にはああいう地獄が広がっているんだぞー(多分)。

ま、五千円ならこんなトコですか……(´・ω・`)ショボーン


【関連リンク】
《演奏会定点観測》
歌手や演奏について全く同感でした。

《チェンバロ漫遊日記》
本番中に写真を撮りまくるのも、イタリアのアバウトなお国柄なんざんしょか。

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2007年7月22日 (日)

「近江楽堂のチェンバロ[大塚直哉]クラヴィーアの旅5」:「美」にして「快」の極致

会場:東京オペラシティ近江楽堂
2007年7月12日

毎年行われている鍵盤楽器の演奏会シリーズ。今年は近江楽堂に新しく17世紀初期のフランス様式のチェンバロが入ったことから、フランソワ・クープラン全曲コンサートを取り上げたのだという。
この様式のチェンバロは珍しいそうな。そして、F・クープランだけの演奏会も珍しいとのこと。その理由の一つは似たように聞こえる曲が多いから(^^;--という大塚氏自身の説明があった。

とはいえ小さく残響豊かなこの会場で、ひとたびチェンバロが演奏され始めるともう、その音にひたすら魅せられた。その音自体が既に根本的に「快」なのである。
例えれば、夏の暑い夕方に家へ帰ってきて、冷蔵庫の冷えたワインをクイッとひっかけた時のように

あー、こんころもちええ~ ~(^^)~ 

という心地よさなのだ。

そして、クープランの曲はあたかも甘美で精緻な砂糖菓子のようであった。(いや、それよりも私が思い浮かべたのはベッコウ飴の細工だった)
ドトーのような感動や、涙や、力強さ、といったものとは無縁だが、もはやこれ以上どこにも行きようがないほどの「粋」の極み、堅固に構築された美意識の城と言ってもよい。演奏の間中、ひたすらその音の世界に酔っていたのだった。

アンコールは、最近大塚氏の親友の幼いお子さんが亡くなったということで、ルイ・クープランの「トンボー」が演奏された。
こちらはそれまでと打って変わって内省的、というかやや晦渋な曲調。まるで演奏者が瞑想し自己と対話しているような印象だった。ただ、聴いてる方は置いてけぼりか?

やっぱりクーブランはええのう、という思いをますます強めたコンサートであった。

それにしてもこの日の客席も奥様系な女性客でいっぱい。も、もしかして大塚氏は「直さま~」なんて人気沸騰してきたんじゃろか(?_?;--なんてことを思ってしまったよ。

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2007年7月21日 (土)

ダン・ラウリン公演を失念す

今夜、リコーダーのダン・ラウリンのコンサートがあった。
演目はフレンチ・バロックですごーく楽しみにしていた。
だが、なぜか来週の土曜の夜だとばかり思いこんでいた。カレンダーにはちゃんと今日の所に書き込んでおいたのに。
気づいた時にはもう終演の頃だった。

老人脳であろうか……_| ̄|○
もうダメだ~(T_T)

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「ハリウッドランド」:オーディション・美人の日本娘役求む

監督:アレン・コールター
出演:エイドリアン・ブロディ、ベン・アフレック
米国2006年

懐かしの「スーパーマン」、私は映画版を全く見たことないのでスーパーマンといえばこの映画に出てくるジョージ・リーブスになるわけだ。そして、彼が自殺したなんてことは全く知らなかった。

これまた実際の事件を元にしたフィクション。主人公の探偵以外は実在の人物だという。自殺に疑いを持つリーブスの母親から依頼され……じゃなくて自分から売り込みにいって仕事を請け負った、しがない探偵が真実を探る。背後に控えるは虚飾に満ちたハリウッド、さて何が出てくるか。

こうなると期待するのは
*「ハリウッド・バビロン」風スキャンダルのオンパレード
*テレビ俳優として人気が出すぎて役者としてギャップに悩む
*1950年代の米国社会暗黒面
--あたりなのであるが、そのいずれについても期待はずれであった。ガックリ(+_+)

もちろん、テレビのイメージが強すぎて『地上より永遠に』の出演場面をカットされてしまうなんて話も出てくるのだが、いずれもエピソードの羅列で終わってしまい、さらに探偵の私生活やら別の浮気調査の事件も出てきたりして、全体的にとっ散らかった印象だ。
そもそもこの手のハードボイルド物というのは事件単体で見れば単純な話なのだが、複雑な人間関係や社会状況によって覆い隠されているのを、探偵がやみくもにそこら中をつついて藪の中から真相を転がり出させる、というものである。
だからといって、この映画の「真相」はいくらなんでも「泰山鳴動してネズミ一匹も出ず」。ジッと見てきて結末がこれではたまらんよ。
作り手としては懸命に生きてきた男の悲哀みたいなもんを描きたかったのだろうが、こうもとっ散らかっていてはその域まで達しない。
ということで、題材は良かったが脚本と演出がダメという結論であった。

役者は「なにっ、E・ブロディがハードボイルドの探偵だって?冗談抜かせ!」という事前イメージだったが、アルコール依存で離婚して妻子とは別居、恋人には浮気され--というネオ・ハードボイルド系の情けない探偵という設定だったので、まあ合格点としよう。ただ、他の役者が50年代風なのに、彼だけなぜか現代っぽいのはなんとかならんかね。
久しぶりに見たベン・アフレックはやたらとお肉がついちゃって大丈夫か?という印象だったが、実物を真似て体重増やしたのだと解釈したい。
B・ホスキンスはもう彼なら片目をつぶっててもできる役。問題なし。

ここで一番の役者はダイアン・レインというべきだろう。金も地位もあるが、若さも美しさも失った女の老醜とシワをここまでさらけ出してしまうとはスゴイの一言である。おなじチューネン女として正視に耐えないちゅーか、よくやったというか、とにかく見上げた女優魂だー \(^o^)/

あ、ついでに台詞なしの「日本娘」全然かわいくないのはどーしたもんよ。もっと美人の娘を出してくれよう。


主観点:5点
客観点:5点

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2007年7月17日 (火)

ラ・スフェラ・ムジカーレ:奥さま度高し

イギリスバロックの世界
会場:近江楽堂
2007年6月30日

実は全く知らないグループのコンサート。どうしていく気になったかというと、同じ日に横浜市開港記念会館でやる「山手プロムナード・コンサート」というのを音楽事務所のHPで調べていて見つけたのである。
会場の古い洋風建築の響きや桐山さんの弾く「四季」もすごーく聴いてみたかったが、どうも構成が完全休日ファミリー向けモードになっているので、唐突に方向転換、こちらにしてみたのだ。

このグループは四人組で、ロンドンの英国王立音楽大学で在学中に結成したのだという。ソプラノと鍵盤が日本人女性、チェロがギリシャ人女性、カウンターテナーがスーダン人と英国人のハーフ男声という国際色豊かな取り合わせだ。
ソプラノの人はどこかで見たと思ったら、年末のヘンデルの公演のキャノンズ・コンサート室内合唱団にも入っている人だという。

演目はパーセル兄弟、ブロウ、ロウズ、ヘンデルなど。中心はソプラノ+カウンターテナーのデュエットであとは独唱曲や器楽曲を間に挟むといった趣向。オペラの曲は振りを付けて歌ってみたりして、飽きさせない作りになっていた。
全体的には甘~い恋の歌など当時の英国バロックの雰囲気を楽しめたコンサートであった。
アンコールは、こちらも実は得意レパートリーというモンテヴェルディのオペラからの二重唱。やはり振りをつけて雰囲気タップリ。イタリアものも次はよろしく。

ただ構成上仕方ないと思うが、広瀬奈緒は甘美で愛らしいソプラノというイメージ中心だったので、コワい魔女の怒りの歌あたりもどんなものか聞いてみたかった。
カウンターテナーのマジッド・エル・ブシュラは滑らかで疵のない美声。大柄だし、タイプとしてはロビン・ブレイズ系で今後も期待大だが、低音の方が調子悪かったのと、有名な歌手に比べるとさすがにパワー不足な印象がした。

会場は30代以上の奥様系の人で満員。男性はほんの一握りしかいない。奏者のそれぞれ関係者だろうと想像したが、もしかしてマジッド君のファンが大勢いたのかも(?_?;なんて思ってしまった。侮りがたし!マダム系観客。
それと、第1曲目から完全睡眠モードに入っていた男の子がいて(アンコールまでそのまま)、いくらなんでも連れてこなけりゃ良かったんじゃない。しかも前列の方に座っててさ。

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2007年7月16日 (月)

「ゾディアック」:殺さぬなら殺すまで待とうゾディアック

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:ジェイク・ギレンホール、マーク・ラファロ
米国2006年

犯罪史上名高い連続殺人鬼のルポを基にした映画。登場するのは全て実在の人物ばかりである。マスコミや警察を翻弄する手紙を送りつけたり、テレビに電話で生出演したり『ダーティハリー』の犯人のモデルになったり--と、派手なエピソードで知られる犯罪者だし、監督がD・フィンチャーとあってはさぞ派手な映像でレクター博士もさすがに負ける猟奇犯罪尽くしを見せてくれるかと思って、すごーく期待していったら全く当てが外れた。

警察と新聞社に属する計四人の人物が、この連続殺人にのめり込み執着し、いかに身を滅ぼしていったかという陰々滅々とした暗~い話なのである。
しかも実際の事件の展開が、数年間止まったりまた始まったり、それどころかどれが一体本当にゾディアックが犯した犯罪なのかハッキリしなかった……というのに合わせて、映画の歩みもノタ~リとして三歩進んで二歩下がる、みたいな調子だから見ていてコーフンしたりは全くない。

特に後半は「まだこの調子で続くんかなー。続くんだろうなあ、上映時間2時間半だし」なんて思いながら見てしまった。
映像も恐らく地味ながらフィンチャーらしい工夫がこらされているんだろうけど、それがどうでもよくなってしまうほど長い。あ、でも湖畔でカップルが襲われるところは迫力あったけどね。
音楽の使い方も当時の曲がふんだんに使われているんだけど、それもどーでもよくなってしまう。もっとも、わざと音楽のツボをずらした使い方をしているせいもあるが。

この作品自体が事件の雰囲気を再現している、という説もあって、確かに納得するが、いかんせん見ていて退屈してしまうのはどうしようもない。ここまでくると、個人によってノレるかノレないかという点に還元されてしまう。

構造的には『プレステージ』と極めて共通する所が多いと思うが、どちらを気に入るかは完全に人それぞれの感性によるだろう。

ひねくれ者としては、美人のカーチャンよりも得体の知れない変態猟奇殺人鬼の方にハアハア(^Q^;)してしまうというのはよーく分かるので、今後も小説や映画の中でゾディアックが活躍し続けるのを期待したい。

映画が終わってから、近くにいた若いモン二人が「もっと呪いとか出てくるかと思ったのになー」と不満を述べていたが、この四人の行く末を見るとこれこそ最大の「呪い」じゃないかという気がした。コワイよーん(>y<;)


主観点:6点
客観点:7点

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2007年7月15日 (日)

劇団、本谷有希子「ファイナルファンタジースーパーノーフラット」:立つのはチラシばかりなり

作・演出:本谷有希子
会場:吉祥寺シアター
2007年6月4日~24日

前作の、学校を舞台にした芝居がエラク評判だったので、どんなもんかと観に行った。平日の昼間なのに、結構幅広い年齢層で客席は満員。一体どういう人間が見に来ているのかと思っちゃう。
--なんつーと「お前自身はどうなんだ」と言われそうだが、仕事が早く終わる日だと思ってチケット取ったら実はそうじゃなくて、泣く泣く仕事を抜けて来たのだよ。文句あっか!

舞台はさびれた遊園地。そこに引きこもるヲタク青年のトシロー。死んでしまった彼の理想の女の子「ゆく」ソックリになりきろうとする女たち。そしてその指導役のシマコ。
見方を変えると昔問題になった新興宗教団体みたいに見えなくもない。

作者は二次元の娘っ子にしか萌えないヲタ男を皮肉っているようでもあるし、そのヲタ男に無条件に尽くす病んだ女たちを批判しているようにも見える。
ただ、見ていてどうにも分からないのはシマコがどうしてトシローに尽くしてやっているのか。理由が全く不明。罪悪感かしらん? ここが分からんので劇全体が何やらボヤーッとした印象になってしまった。

終わって「芝居を見たっ、もうお腹いっぱい」という気になったが、人物の対話が中心なんであまり視覚的な面の意外さはなかった。もうちょっと、女たちが「ゆく」の練習している所なんか見せてくれるとよかったかも。

それから、ヲタク少年が他人との距離を取れない(物理的な意味での)のが描かれていて、笑ってしまった。本当にああいう子がいるんだよねー(^-^;


クラシックのコンサートなんかでも相当に厚いチラシの束を貰う事があるが、ここで貰ったのは本当に分厚くてもはや垂直に立つほどだった! 本当に驚いた。昔、ボーナスをいっぱい貰う奴は月給袋が垂直に立つなんてギャグがあったのを思い出した。銀行振り込みが常識で、しかも不景気な現在ではあり得ないことだが。

で、開演前に隣席の友人の上に二階席からチラシが降ってきた。それも結構厚手の紙のチラシだ。紙で手を切ることもあるから、こりゃ凶器だね。観劇の際はご注意。

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2007年7月14日 (土)

「プレステージ」:華麗なる対決と思いきや

監督:クリストファー・ノーラン
出演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベイル
米国・イギリス2007年

「今宵、ハリウッド美男俳優二人による豪華なるマジック対決が行なわれます。美女あり、名老優あり、さらにはあのロックスターも特別出演。おまけに原作は世界幻想文学大賞という折り紙つき。華麗な騙しのテクニックを是非ご覧あれ」
--というあおり文句に釣られて行ったら、なんとそこで見せられたのは二人の男の陰鬱にして粘着、果てしもなき憎悪による足の引っ張りあいであった!

と、まあ既に本編に入る前の宣伝の時点で騙されているわけだが、こんな「騙し」は映画の世界では既に常套手段。予告でサスペンスかと思って行ったら、なんのことはない中年の不倫モノだったりして、怒るぞオレは~ω(T_T)ωなんてのばっかり。

おまけに冒頭に監督からの「この結末は絶対にネタバレしないでください」なんてメッセージがあったりして、これもアヤシイ。
途中からはあのニコラ・テスラが登場してきてさらにウサン臭さ倍増だー。どうも、こりゃ「マトモな映画」ではないらしい--というのが察せられる。

この映画の大きなトリックは二つあって、その内の一つは「すぐ分かっちゃう」、もう一つは「こんなのマジックと言えない」と、いずれもいたく評判が悪い。
中には「早々にネタが割れてしまって詰まりませんでした」で終わる感想まである。まるで、ネタ以外の要素は全て無視みたい。他に観るべき部分はないのかと言いたくなっちゃうよ。

だが、全編に漂うこのウサン臭さ、いかがわしさからすれば、トリックの中味がどうのというのはあまり意味がない。それどころか「ネタが分かった途端に観客は引いてしまう」というセリフが登場する上に、見終ってみれば最初の数分間でほとんど全部のトリックが予めバラされてしまっているではないか。
ということは、この映画の最大のネタは「すべてのネタは○○○○○○」ということだろうか? ありゃ、これこそ最大のネタバレだ~(@_@)
ともかく、ウサン臭いのが大好きで、騙し騙されの目の回るような感覚こそを楽しみたい人に推薦したい。

映像では、雪原に電灯が一斉に灯るところがとても美しかった。あと、白っぽい埋葬所も印象的。
役者ではマイケル・ケインはもう堂々余裕ありまくりの演技で、何も言うことなし。二人の主役もそれぞれのキャラクターを生かして好演。ヒュー・ジャックマンはエミー賞(だっけ?)の司会をやってるのを見た時にも思ったが、ステージ上でケレン味を見せるような派手な役だと打ってつけ。こんなマジシャンが実際にいたら「ヒュー様~」なんて叫んでおひねりを投げちゃうよ(*^-^*)
ただ、難なのは女優の扱い。過去の同じ監督の作品でもそうだったんだけど、どうも今イチ、女のキャラクターが冴えないんだよね……。今後の課題であろう。


さて、この時の予告で「西遊記」をやっていたのだが、なんだか見ていたら暗澹たる気分になってしまった。「一体、日本映画の未来はどうなるのであろうか……」なんてことまで考えてしまったよ。ま、そんな事どーでもいいんだけどよ(^O^)
それから、この映画を観るために久し振りに歌舞伎町に行った。最近、単館ロードショーものを見るのが多かったし、メジャーな作品は近所のシネコンに行ってたからだ。そしたら、以前はいなかったような場所までホームレスが増えていて驚いた。これで景気が良くなっているだって? ウソこくな!である。
というわけで、各方面に渡ってますます日本の未来は暗いのう……(+_+)


主観点:9点
客観点:7点

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2007年7月10日 (火)

「ザ・シューター/極大射程」:さて、ここで問題です。主人公は全部で何人殺したでしょう?

監督:アントワーン・フークア
出演:マーク・ウォールバーグ
米国2007年

キアヌ・リーブス主演で作られると長い間伝えられてきたが、結局M・ウォールバーグになって完成。
最初、聞いた時にはちと驚いた。既に『ボーン・アイデンティティー』がヒットしてて、しかも主役のマット・デイモンとウォールバーグはなんとなくタイプが似ているじゃあ~りませんか。大丈夫か?

結果は……可もなく不可もなく。1000円サービスデーに行けば腹も立たんというところだろうか。
『ボーン~』シリーズ同様シリアス一本やりでクスリとも笑える部分がないのはチトつらい。かといって、60年代後半~70年代のアクション名作群みたいな重厚さはないから一本調子になっちゃう。
でもって、まあ殺しまくり。どの悪人よりも主人公が一番人殺してんじゃないのかと思うぐらいだ。
M・ウォールバーグは事前印象よりはずっと良かった。一方M・ペーニャの新米FBI役は単体で見れば好演と言えるが、役柄で見るとミスキャストにしか見えなかった。

あと、こちらの理解力が落ちているせいか、字幕の字数制限でよく伝わらないのか、「こいつはどこでどう関係するのか?」という根本的に疑問な部分があった。

幾つかのブログの感想で、終盤の山荘の場面が越後屋と悪代官の会話みたいだと指摘されていて笑ってしまった。
「大佐、おぬしもワルよのう( ̄ー ̄)ニヤリ」
「何をおっしゃいます、上院議員。あなた様こそ相当のワルでございますよ(^ц^)ホッホッホ」
「グフグフグフフ(^m^ )」
番頭「では、次の悪事の予定ですが--」
てな感じか。

個人的には銃のウンチクよりも脇を固めているベテランのオヤヂ俳優達の演技を楽しむという感じであった。
ああ、もう面白いアクション映画は見られんのであろうか。泣いちゃうよ(T^T)クーッ


主観点:6点
客観点:6点

【関連リンク】
《この世界の憂鬱と気紛れ》
スティーヴン・ハンターの原作との違いが分かります。

【追記】
点数を修正しました。

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2007年7月 8日 (日)

ウミウシ志願

突然ですが、《G★RDIAS》より「私、産みたくありません。」での

・・・私はなぜ、女に生まれてきたのだろう?私は女に向いていないと思う。

という一文にハッとする思いがした。
だが、しかし我が身を顧みるに、では男に向いているか?--というと決してそういうわけではない。としたら、そもそも
人間に向いていないのではないか
という結論に唐突に至るのであった。

L・バーンスタインの『ミサ曲』の中に「おれは人間には生まれたくなかった」という一節(ややうろ覚え)が出てくる。聖書でキリストが「そして人として生まれた」という件りをふまえた曲だが、「海底のフジツボでもなんでもよかった。だが、人間だけは……」と歌うのだ。

私も海底のウミウシなんかいいかなっ、とたまに考える。なんか色んな色がついてて無駄にキレイだし、フリルみたいのがヒラヒラしてていい。
もっとも、ウミウシの方でも「おれはウミウシなんかいやだー」と思っているかも知れないので難しいところだのう。

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2007年7月 1日 (日)

レオ○来たる!

グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル
会場:トッパンホール
2007年6月25日

レオ翁来た~~っ!
運良く手に入れられたトッパンホールのチケット。満員御礼完売だったもよう。なぜ、こちらの会場を選んだかというと、プログラムの内容もあるが、やはり第一生命ホールだと職場から行くと遠いんだよね……。でも、バッハも聴きたかったなあ(x_x)と後悔したが、後の祭であった。

二種類のチェンバロを弾き分ける唯一のプログラムということもあって、演奏家など音楽関係者が多数いたようだ。目の前をチェロの懸田氏や鈴木(弟)氏がウロウロしている。評論家もいたようだが、こちらは顔を元々知らないんだから判別不能であった。

開始の合図が鳴ると、もはや客席はシ~~ンとして身じろぎもせず。ひたすら巨匠にして生ける世界遺産、世界的人間国宝の登場を待ち受ける。これではチラシどころか針が落ちても聞こえそう。ましてやケータイなんぞ鳴らしたら八つ裂きにされそうな緊張感に満ち満ちていた。
曲の合間も最初のうちはせき払い一つ聞こえないという状況であった。さすがである。

前半はイタリアン・タイプでバードの曲から始まる。どうもここの所ライヴ行き連チャンの疲れからか甚だしく集中力が落ちている上に、CDでもどうも今イチぴんと来なかったバードで、その後もいささか気分は下降気味のまま終わった。

後半はフレンチ・タイプを使用。フローベルガーの組曲が甘美にして哀愁をそこはかとなく漂わせウットリとなった。作者不詳の組曲、ラストのフィッシャーも素晴らしかった。

アンコールに入る前にちょっとしたアクシデントがあった。若い女性(多分、休憩時間に床にペッタリ座って調律を眺めていた人)がステージに近寄り何か白くて平たい物をレオ翁に渡そうとしたのだ。彼はおっという感じで見て、一瞬手に取りそうになったがそのまま拒否の仕草をして引っ込んでしまった。女性は正体不明物をステージに置いたまま戻った。
私は最初、サインを貰おうとしてノートを広げて行ったのかと思って、ギョッとなったのだが、彼女がそれをステージに置いたので何かプレゼントなのだと分かった。
2ちゃんの関係スレによると、レオ翁の肖像画を描いてプレゼントしようとしたが、そこにサインをねだられたと勘違いされて受取りを拒否された--とあったが、本当のところはどうだったんだろか?
そんな事があったせいか、アンコールは一曲だけだったのよ(T_T)

ステージでのたたずまいはさすがに年老いたり、という感じだったが、こちらを読むとどうもご本人はいたって元気だったらしい。
《チェンバロ漫遊日記》より「レオンハルト健在なり!」
「老マエストロの残り香」
それにしてもショッピングとは何を買ったんざんしょか。まさかアキバには行ってないだろなあ。

それから、音楽関係者でもなさそうなのにどうも顔に見覚えがある客が数人いるなあ、と不思議だったのだが、よくよく思い出してみると目白バ・ロック祭りの客席で何回か見かけた人だったのだ。同じような人間はいるもんだと感心。


さて、ここまで「レオ翁」としてきたが、どうも愛称としては言いにくい感じ。かといって、「レオ様」では俳優のようでちょっとケーハクな印象である。
そこでもっと彼にふさわしくて、いい愛称はないものか--とわたくし考えました。
そして、苦しみ悩み考え抜いた揚句(~_~;)遂に思いつきました! 皆様も是非ご使用下さい。
それは……

 「レ オ 爺

これでどうだ~ \(^o^)/

あ、あ、皆様モニターに向かって石を投げないで ((((((((^^;)コソコソコソ

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