プラネタリウムの場面は--
《たけくまメモ》のヤヲイ談義にてリンクされていた《1976腐女子》の記事を読む。
本文の記事よりもコメント欄の意見に驚いた。
なるほど『ガラスの仮面』がヤヲイ的構造を成しているというのは分かるが、それよりも皆さん真澄とマヤを暖かく見守って応援しているのにビックリ。
昔、知人が「真澄さんて80歳くらいになっても『おれは十歳も年下の少女に……』なんて悶々としてるのかしらー」と言って笑っていたが、私もまあ、そんな感じだ。
ちなみにプラネタリウムの場面はいつも飛ばして読んでます(火暴)
やはり目のつけ所、というか、ものの見方が違うというか、自分はヤヲイ的な萌え方とは無縁であるなあとつくづく感じたのであった。
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