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2007年10月 5日 (金)

今や懐かしの「サイパン」なのか

《万来堂日記2nd》より「ライトノベルもサイバーパンクも似たようなもんです。きっと。/あれ? 運動が巨大化してジャンルになるのか?」の感想。

「ライトノベル」はとっくにジャンル化していると思うが、違うだろうか?
まあ、何をもって「ジャンル」と見なすかによるが。少なくともマーケット的には巨大だろう。そして、それしか読まない読者が多数いるはずだ。

身近にいる高校生はライトノベル文庫のファンだが、一冊二十~三十分で読んでしまうという。だから一日に5冊ぐらいは軽く読んじゃう。で、自分が読んでるシリーズの作者がハードカバーで新作出しても読んだりはしない。別に作者の名前で読んでいるわけではないからだ。
例えば桜庭一樹の『Gosick』を熱心に読んでる中高生が『赤朽葉家の伝説』を読むかというとそういう訳ではない、ということだ。
そのように強固に固まっている「壁」が存在していることが、逆に強固なジャンルであることを証明しているよう思える。

さて、ひるがえってサイバーパンクだが、日本のSF界では結局のところどう位置づけられたのか?
途中でSFファンダムから足を洗ってしまった私は現在の状況を知らないが、欧米(というか、米国だけか?)でのようなムーブメントであったかどうかは怪しい。
確かに海外の作品に同調する、あるいは影響を受けて作られた作品はあるけど、それを日本におけるムーブメントと言えるのかヒジョーに疑問である。
そもそものサイバーパンクは過去のオールドウェーブ(&ニューウェーブな)SFへのアンチ的な位置づけで出て来たと記憶しているが、日本では全くそんなことはなかった。
最初から「ジャンル」として入って来たと思う。

そうなると、ムーブメントが固定化してしまうとジャンルになるという見方もできるわけである。そういや、コバルト文庫の初期なんてメチャクチャでとても「ジャンル」なんて言えなかったですよねえ。

えー、結局何が言いたいかというとライトノベルもサイバーパンクも初めっからジャンルであったということで。だから、なんだって言われると困るんだが。
まあ、他の人の意見も聞きたいところだ。

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