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2007年11月

2007年11月29日 (木)

超満員かと思いきや

このコンサートのことは「アントレ」誌11月号のコンサートガイドに載っていたのである。

《古楽ポリフォニックひとりごと》より「なつかしのバロック」

しかし、この錚々たるメンツではきっと会場の教会は立錐の余地もなく超満員。自由席だろうから、立ち見ならぬ立ち聞き必至(-.-;)……かと思って、敬遠して行かなかった。
しかし、

「それにしても、あまり宣伝もしていないせいか、お客さんもとても少なかったです。」

な、なんだって~~(☆o◎;)ガーン!!
第二弾やるなら絶対いくぞーっ。

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2007年11月27日 (火)

「4分間のピアニスト」:他の格闘技やって下さい

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監督:クリス・クラウス
出演:モニカ・ブライブトロイ、ハンナー・ヘルツシュプルング
ドイツ2006年

ボクシングの名トレーナー。引退して今は少年院で囚人の少年たちにボクシングを教えている。
中で、一人才能のあるヤツを発見するが、少年は手のつけられない荒くれ者。生い立ちにも色々あるらしい。

なんとか心を通い合わせ試合に参加できるようになるまでにこぎつける。だが、少年は主張する。「オレは自分なりのボクシングをやりたいんだ」

違法行為まで犯して彼は決勝戦になんとか出場させる。
が、少年は我流ボクシングを展開。対戦相手の脚をつかんでひっくり返してダウンを取る。客はこのパフォーマンスにヤンヤの大喝采。少年は勝利の雄叫びをあげるのであった……。

この映画はこういう話なのか?
3分間のリングならぬ4分間の演奏を受け入れられる者だけが、この作品に拍手喝采を送れるのだろう。私には到底納得できない。あれは音楽ではなく、パフォーマンスであるという意見に賛成である。
さらに理解しがたいのは結末の老ピアノ教師の態度だ。彼女は少女の音楽自体ではなく、聴衆から喝采されたという事によって少女を認めたかのようだ。
周りがほめたから受け入れるのか???

私が言いたいのはただ一つ「他の格闘技やったらいいんじゃないの」


刑務所内の「天才」についての作品にはマイケル・マンの『ジェリコ・マイル』がある。これとは全く正反対の話である。まあ天才が未成年か大人かという違いはあるから一概には比較できないけどね……。


主観点:5点
客観点:5点

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2007年11月25日 (日)

ヘンデル オラトリオ「エジプトのイスラエル人」:まだ修行が足りないのを実感

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2007→2009ヘンデル・プロジェクト1
演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2007年11月23日

2009年はヘンデル没後250年とのことで、オペラシティとBCJの企画で一年一作ずつヘンデル作品を演奏するとのこと。この日がまず一回め。

内容は旧約聖書の逸話を扱ったもので、独唱は少なくほとんど合唱が占めている。『メサイア』系の作品だが、もーっと合唱中心という感じ。そのせいか歌手はオール日本人で、トロンボーン隊のみ外国勢だった。
普段の公演とは逆に、楽器が後ろの方に回って壇の上に乗り、合唱が前の方に座っているという配置だった。実際聴くとこりゃかなりの迫力であった。

独唱者で頑張ってたのはカウンターテナーの上杉清仁、それからテノールの藤井雄介には近くの座席に座ってたドイツ人たち(?)もブラボーを飛ばしていた。ソプラノ1の松井亜希はラストの群集を鼓舞する場面で、本当に鼓舞されちゃった気分になった。
ただ、冒頭の方の青木氏の短いソロは「大丈夫か?」とやや不安をあおるような感じであったよ。

ティンパニやトランペットも入って祝祭的な気分と精緻にして大胆なる合唱を楽しめたコンサートだった。客席もほぼ満員の入り。
アンコールはないとてっきり思ってたら、ヘンデルの他の作品からやってくれた。帰っちゃった人はご愁傷さま。でも、NHK-FMで放送されるとのこと。

しかしである……どうもヘンデルのこの手の作品て、なんかヴィヴァルディとはまた別のある種の「俗っぽさ」が横溢しているようで、これを楽しむには私はまだまだ修行が足りないようだ。
ということで修行に逝ってきます(+_+)


なお、いつものコントラバスの西澤氏は急病とのことで、奥さんの方が代打で出ていた。もしかして北とぴあのムジカ・レセルヴァータの時もそうだったのかしらん。
近くの席に座ってた客がこの件について話していて、病名までもれ聞こえてきた。(耳ダンボで盗み聞きしてたわけじゃないぞ)
一日も早いご回復をお祈りしております(-人-)


【関連リンク】
《庭は夏の日ざかり》
定食で例えるならば、私の場合はお盆の上をキョロキョロと眺めて「すいませーん、みそ汁ないんですけど」みたいな感じですか。

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←オペラシティの広場のツリーです

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2007年11月24日 (土)

「ボーン・アルティメイタム」:三作目にして飽きる

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監督:ポール・グリーングラス
出演:マット・デイモン
米国2007年

このシリーズはずっとレンタルビデオばかりで映画館で見たことはなかった。しかし、ご近所のシネコンのタダ券の期限が近づいてきたんで、「ハリポタ」同様どうせ金払ってビデオで見るなら映画館で見るか、ということでタダ券を使用したのであった。

結果は--というと、万が一さらに続編があってもレンタルでいいかなーという感じ。
冒頭、ドキュメンタリー風にカメラが揺れるが、いくらなんでも揺らし過ぎ。目が回るぞ。実際に手持ちカメラでこんなに揺らしたらカメラマン失格だろうというぐらいのわざとらしさだ。

その後、モスクワ、ロンドン、モロッコで主人公は警察やCIAと追跡劇を展開。それぞれ趣向がこらされてはいるが、モロッコまで来るといいかげん長くて飽きてくる。「まだ、やってんのー(´Д`)」とか思っちゃった。飽きっぽい人間なのよ。
ロンドンでは単に記者を引っ張り回しているとしか見えなかった。それから、ボーンは一作目から変装せずにずーっと同じ格好してるのにマークされないのはなぜだっ。

さらに日用品を駆使した(^^;必殺の格闘シーン、ニューヨーク市街を舞台にしたカーアクションなど見所満載。
……ではあるが、肝心の主人公の正体や経緯は「そんなもんか」で終わってしまったような。拍子抜けである。

字幕は久しぶりの冥王のまわし者にして「あの人」、もう勇退なさってはいかがでしょうか。
今回も、ボーンがニッキーになんで自分を助けるのか尋ねた時の答えが、意味不明ワカラン状態。なんでも、過去に二人は男女の仲にあったということらしいんだけど、そんなの分からんぞ、ゴルァ。

CIA長官の顔がどっかで見たなーと思ってずっと眺めていたが、老人脳のためまたも思い出せず。後で、スコット・グレンだと判明。フケましたなあ(T_T)

批評や感想を眺めていると、ドキュメンタリー・タッチのアクション映画がこのシリーズで初めて誕生--みたいな書かれ方をしているが、はて往年の『フレンチ・コネクション』はどうなんだろうか。もちろん、手持ちカメラをぶん回したりはしてないけどさ。
今度の正月休みに久しぶりに再見してみることにしよう。見たらここで感想を書く予定。

で、結論は「エシュロン恐るべし」でよろしいでしょうか。友人との電話やメールで「××総理、バッカじゃねえの」とか言ったら国家機密漏洩罪で即タイ~ホなのよん。


主観点:6点
客観点:7点

【追記】
『フレンチ・コネクション』の感想を書きました。

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2007年11月23日 (金)

「議論のルールブック」:おっしゃることは誠にごもっともですが

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著者:岩田宗之
新潮新書2007年

世にネット上での諍いは絶えず。煽り・釣り・中傷は当たり前、さらには匿名実名・騙り・炎上と果てしもない。
この本はそうしたネットの議論が諍いに終わらず、建設的になるようなルールを解説している。
内容的には論理学の難しいトコロなんかも出て来ていると思うのだが、実例は極めて卑近なネタを使っていてとっつきやすい。
例えば「感情論」の章では「納豆問題」、「議論の形態」の章では「バナナはおやつに含まれるか問題」である。

読みやすくてタメになった。是非、ご家庭に一冊、一パソコンに一冊お買い求めください……と言いたいところだが、ここに書いてあることを実践できるかというとまた別問題だろう。

自分に反対するような意見を見た時にムカーッ(`´メ)と頭に血が上って、夜も眠れず、仕事中もいかに反撃するかを思い巡らし気もそぞろ--なんてことは珍しくもない。分かっちゃいるけどやめられないんである。
いや、そもそも、この本はみんながまっとうな議論を行いたいと考えているいう、ある種の性善説を前提にしている。最初から議論なぞする気がない人間がいたら、このルールは無効になってしまう。

とある女優のファンが「○○を批判」(○○は女優名)という検索でぶち当たったブログに片端から匿名のイヤミ一行コメントを書き込んで行くような行為もある。もちろん一行コメントなんか相手にするなというのが正しい対応だろうが、それが一応ハンドル名を使い長文のコメントだったら、相手が同じようなイヤミのスタンスであっても無視するわけにはいくまい。

まあ、とりあえず正しい議論を行いたい人にオススメしたい。ただ、実践は難しいニャー(特に私には)。

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2007年11月20日 (火)

モンテヴェルディ 歌劇「オルフェーオ」:竪琴を武器に冥府と戦った男

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指揮:寺神戸亮
演出:野村四郎、笠井賢一
演奏:レ・ボレアード
会場:北とぴあ さくらホール
2007年11月15・17日

北とぴあ国際音楽祭企画公演。
私が見たのは15日の方。本当はゆったりと土曜の17日の方に行きたかったが、仕事が入ってしまって仕方なくこちらにしたのだ。

今年は『オルフェオ』初演400年とのことで日本でも三回の公演が企画された。これはその二つめで、ヒジョーに期待していたものである。(一回目のムジカーザでの公演の感想はこちら)
演出には能の様式を取り入れるとのことで、さてそれが吉と出るか凶と出るか--。

編成を見るとかなり大がかりである。珍しい楽器もいっぱい。各方面から古楽系演奏者を目一杯動員したような感じだ。さらに、コルネット&リコーダーに濱田芳通も急遽追加出演。こちらのブログでは「業界筋では話題沸騰」とあるが……なぜ話題に(?_?) 一月公演のリーダーだからか? もしかして「敵情視察」も兼ねてでしょうか(^^) まあ、そもそも日本に限らず優秀なコルネット奏者は少ないからねえ。

その濱田氏が加わった冒頭のファンファーレも華やかで良かったが、その後に野々下由香里の「音楽」が登場。これが素晴らしい。キレイな巨大花くす玉(?)が登場した時にはもう気分はすっかり高揚していたのであった。

衣装はムジカーザ公演同様、望月通陽が担当。日本の室町あたり?を模したような完全和風デザインだった。舞台装置も能の舞台を踏まえたものになっていた。楽器の演奏者もお揃いの衣装だったもよう。

物語は有名なオルフェウス神話の通り進んでいく。エウリディーチェと結婚するぞ、嬉しいなランラン(*^^*)的なお祝いの場面はちょっと長い。モンテヴェルディの時代でも、何か歌以外の派手な要素が展開していたんじゃないかと想像しちゃう。

その後、新妻の突然の死の報がもたらされて一気に暗転する。その不吉な知らせを運んでくる使者が波多野睦美なのだが、その歌といい能風の所作といいまさにあっと目を奪うほどのものであった。一部の隙もないとはこのことだろう。
死を告げた後に悲嘆と共に彼女はすり足で退場していくが、それが哀切な響きの弦楽器と完全にマッチしている。まさしくこの瞬間にこそモンテヴェルディの音楽と能が融和したのを見たと言っても過言ではあるまい。

後半は冥界へとオルフェーオが乗り込んでいくが、その姿は竪琴を武器にして戦いを挑むといった風情である。
そもそも彼はほとんど唯一出ずっぱりな人物なのだが、その中でも冥界の渡し守を歌で説得する件は特に聞かせどころ……なんだけど、ムムム(v_v)
主役のジュリアン・ポッジャーはロン毛の二枚目で外見はもちろん、声質も甘美でタイトルロールに打ってつけ。しかし、いかんせん肝心のこの場面で一本調子でありかつ不安定な感じの歌に聞こえてしまった。でも、トーシロの耳なんで正直、歌の巧拙はよく分かりませんけど、ハイ。

彼の歌に心動かされた冥王の妃役で再び野々下さん登場。彼女が王にオルフェーオのことをとりなす様子は、愛妻のおねだり~♪みたいで愛らしかった。
もっともムジカーザ公演で同じ役を波多野さんがやった時は、過去の悪行(冥王プルトーネは彼女を誘拐したんである)を蒸し返して「あなたに彼をとやかく言う資格がありまして?」と責めるようなコワイお妃風だったんで、こうも違うものかとまたも感心。

主人公が後ろを振り返ってしまった後、黒子たちに引き離されるという演出はよかった。
歌の中で語られている通り、彼は竪琴を武器に冥界に戦いを挑み、それに打ち勝ったものの自分自身には勝てなかったのである。

終幕、妻を連れ帰るのに失敗、ブチ切れて周囲に八つ当たりするオルフェーオの元に父アポロが出現。嘆き怒る彼を見かねて天上界へと連れていく。ここで一転、舞台上はお祭りモードへと変わり、野村四郎が能面と装束を着けて祝祭の舞を踊るのであった。
以前見たパーセル・カルテットが中心となった公演では、主人公は掟を破ったために罰としてアポロから死の制裁を受けるという演出になっていた。単純そうな話でも、解釈は幾通りでもあるのだなあと改めて思った。

不満な点は上に書いた通り3幕めのJ・ポッジャーの歌と、前半での群集(コーラス)の動きの扱い。なんだか、割合どこの芝居でもみるような定番の動きだったんでもう少しなんとかして欲しく思った。
とはいえ、全て終わってしまえば満足~ \(^o^)/ 神話やファンタジーの大いなる情動や幻想性を感じられた舞台だった。
ステージ見て、字幕見て、聞き慣れない楽器の音がする度にオーケストラピットをのぞき込み(と言っても三分の一ぐらいしか見えない)、また歌手を注視--というのもなかなか忙しかった。
それにしても北区民の皆様のありがたい税金のおかげとはいえ、これほどのプロジェクトがこれきりなんてもったいない。確かに海外に出したら大いにウケそう。せめてNHKが収録して全国放送して欲しかったぞ。

客席の方には鈴木兄弟、渡邊順生、有田正広、さらにドナルド・キーンもいたそうな。日本の古楽関係者で、ピットに入ってない残りの者は全て客席にいたらしい(^^)
もっとも、私はボーッとしてして客席の方には全然気づかず、ただ一人発見したのはホールの出入口の外にいたクルリン巻毛の二枚目白人男性……といったら、「スパラの貴公子」バディアロフ氏ではにゃあの!
私はただちに「きゃー、バディさま~」と叫んで突進しバシャバシャ、ケータイで写真を撮りまくり--なんて事はしなかったですよ、もちろん。

来年のテーマは「魔法」で、企画公演はまたハイドンですか。うーむ、ビミョー。

【関連リンク】
「北とぴあ「オルフェーオ」の感想リンク」
ありがたやブログ上の色々な意見がまとまっています。結構、賛否両論だったんですなあ。

読んでみると、ポッジャー個人や演出についてもほめる人ありケナす人ありと両極端。
また、そもそもバロックオペラを誤解しているような意見もある。近代以降のオペラとは感情表出の方法自体が違っているのだから、感情がこもってないとか言われても困るんであるよ。
あと、濱田氏のお弟子さんと見られる方のブログがかなり辛口の意見を書いていて、ごもっともと思われる点もあるが、今回の出演者の何人かは一月の公演にも出るんだよね……。その時には、指摘された欠点も修正されていると大いに期待しよう。で、エウリディーチェ役の人は退場の時に最後まで気を抜かないように、というのが結論でよろしいかな。

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なお、最後に音楽祭全体についてイチャモンを一点。どのような経緯で参加公演を決めたりするのか分からないが、全てのチケットを入手できるのが北とぴあの窓口だけというのはなんとかして欲しい。北とぴあ行けなければ、個々に主催者に連絡取らなきゃなんないというのは、ちとキツイのよ。


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2007年11月18日 (日)

「バロック標題音楽の愉しみ」:ケータイで撮りまくってよかですか

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標題音楽、その奇抜にして奥深い世界
演奏:ムジカ・レセルヴァータ
会場:北とぴあ つつじホール
2007年11月13日

北とぴあ国際音楽祭参加公演。
鍵盤の岡田龍之介を中心にしたグループで、コンマスは桐山健志である。チェロ&ガンバは、新大久保の教会のコンサートにも出てた武澤氏であった。

標題音楽特集ということで、1646年の戦争を題材にしたジェンキンズの『ニューアークの包囲』や、猫やら鳥やら登場するビーバーの『描写的なソナタ』(目白バロック祭りでも聴いた)、さらにはマラン・マレの『膀胱結石手術図』などを演奏。
マレの曲は手術の恐怖におののく語りが入るが、岡田氏はとつとつとした喋り方なので今イチ迫力出ず(^^;
どうせだったら、誰か別の演技派の人にやってもらったらよかったと思う。「ぎゃーっ、コワくてもう死にそうだ~」(ステージに寝転がってけいれんする)みたいな感じ。

前半の最後は管楽器4種類入って、モンテクレールの曲。鐘の音やらダンス曲やらとりまぜたにぎやかな田園風だった。

後半は長めの曲二曲。
ヴィヴァルディの『夜』は残念ながら今ひとつハッタリ感、躍動感に欠ける印象だった。デッドな響きの会場のせいかも知れないけど。
ラストは全員総出演でテレマンの『ハンブルクの潮の干満』。この二曲とも超有名曲だがなかなかライブで聞く機会は少ないので、そういう点ではよかった。

このグループはよく言えば堅実な演奏、裏返して言うと地味過ぎ~なところがあるので、時折その欠点の方が出てしまったように思えた。
その中でオーボエの三宮氏が入ると生き生きした印象度がアップ。改めて彼のことを感心した。いや(^=^;……今まで何年にも渡ってさんざん演奏を聴いてきて今さら感心するというのもナンでありますが。

とはいえ、来ていた客は色々な曲が聴けて満足したようであった。しかし、お客さん少な過ぎだよ。フリーフォートと同じ会場だったが、ずっと少なかった。早めにチラシまいてもっと宣伝してほしい。


ところで、アンコールが終わってから、最前列に座ってたガイジンさんがケータイを高く掲げて堂々と写真を撮っていてビックリ。私も今度から厚かましいチューネン女になって最前列で撮りまくろうかしらん(^○^)

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2007年11月17日 (土)

「FRIFOT フリーフォート・ジャパン・ツァー 2007」:ヨーロッパの「土着」性を実感

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スウェーデン伝統音楽~中世のバラッドから現代まで
会場:北とぴあ つつじホール
2007年11月11日

これも北とぴあ国際音楽祭参加公演である。
実はこのグループ、一度も聞いたことがない……曲はもちろんだが、音楽祭のチラシで見るまでは名前すら知らなかった。スウェーデンの音楽事情についても完璧に無知。
しかし、面白そうなので期待して行ってみた。

フリーフォートとは「自由な足」という意味の、女一名男二名のトリオ。普段はそれぞれグループを持ったりして独自の音楽活動をしているという。
レーナ・ヴィッレマルクとペール・グッドムンドソンがそれぞれフィドル&ヴォーカルを基本的に担当。アレ・メッレルはマンドーラ(最初、ブズーキかと思ってしまった。リズム&低音担当)、各種縦笛横笛に加え、さらにはハモニカを二つ重ねて吹いちゃったりしてマルチプレーヤーなんである。もちろんヴォーカルも。

大昔の民謡から最近のフォークソングまで(なんと『武田の子守歌』まで)演奏したが、アカペラのコーラスにしてもフィドルの二重奏にしても、とにかくその強烈な不協和音に驚いた。心地よさではなく、ノイズが脳天直撃という印象である。
アイリッシュ・トラッドなんかだと、フィドル合戦を聞かされると猛烈に踊りたくなるのだが、そういう爽快感はない。あくまでも足が地に着いていて、シンプル&ヘヴィなのであった。

それにしても、レーナの「牛追い唱法」も強烈だったが、牛の角笛が本当に角がそのまま「笛」になってて(当たり前といえば当たり前だが)これまたパンチある音なのにも驚いた。

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ただ、メンバーの一人は普段「民族音楽博物館に勤務」というだけあって、現代的なロックやポップスの要素はあまり入っていない。あくまでもアコースティックで伝統に則った演奏なのだろう。
先日買った『ストリング・シスターズ』で、やはりスウェーデンの女性歌手のコブシ回しに驚嘆したが、若手はもっと色々なアプローチをしているのだと推測。
それにしても土着のヨーロッパ世界というのも様々な形で色々あるんだのうと感心した。

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2007年11月12日 (月)

「グッド・シェパード」:男たちだけの冷戦マル秘史

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監督:ロバート・デ・ニーロ
出演:マット・デイモン
米国2006年

どうも、スパイものは苦手である。それなのになぜ、このCIA創設期の物語を観てしまったのだろうか? 1000円の日に他に観たいものがなかったからだろうか、いや多分デ・ニーロの監督作だからということにしておこう。

主人公には実在のモデルがいるとのこと。大学在学中に秘密結社に入り、そのツテでCIAの前身にスカウトされ、戦時下のロンドンで色々ゴニョゴニョと秘密工作。その間、新婚の妻と赤ん坊は6年間放ったらかしたまま。
終戦後帰国するも、やはり家庭は顧みずCIA創設、さらにはソ連との情報合戦に邁進するのであった。

--というような話が地味ながら重厚に綴られていくのである。描いている時代が、あっち行ったりこっち来たりするが、混乱するほどではない。
見ごたえ充分、三時間弱の長丁場もあっという間に過ぎていく。観賞後はまるで※川書房の分厚い二段組みハードカバー・ノンフィクション『CIA裏史』なんて本を読みおえた感じだ。

地味ではあるが、豪華脇役陣が花を添えている。アレック・ボールドウィン、デ・ニーロご本人、マイケル・ガンボン、ウィリアム・ハート、ジョン・タトゥーロなどなどいずれも一筋縄では行かないメンツである。やはり監督の人脈で集めたんだろか。
途中出て来るイタリア系のオヤヂさんが、どっかで見た顔だがどうも思い出せんのう……(-_-;)と悶々としてたら、ラスト・クレジットでジョー・ペシだと判明。さすがにふけてましたなー。
一方、マット・デイモンも役者としての才能を十分発揮していたと思うが、いかんせんどう見ても成人した息子がいるような年齢には見えず。こりゃ困ったもんである。

秘密結社の勧誘から始まる一連の流れは、すべて男だけのホモソーシャルな繋がりによって作られている。敵対するソ連のスパイとの関わりですら、そうだ。
HIS-STORYとはよく言ったもの。ここに描かれているのは男たちだけによる近現代裏史である。
それを裏返して、この映画自体もまたホモソーシャルな関係によって出来ているように思える。その証拠に、A・ジョリー扮する主人公の妻が何を考えているのかさっぱり分からなかった。秘密結社を皮肉るような言動をするなら他から男を探せば良かろうと思う。単に兄貴の友人から適当なのを見繕ったというだけなら、愛だの家庭だの持ち出すのはおかしい。それこそ6年間も「亭主元気で留守がよい」で結構なことだったろう。そこら辺の明確な描写はなかった。

終盤の晦渋な主人公を眺めてたら、『エロイカより愛をこめて』で少佐が中佐に昇進した時に後任としてやってきて、悲惨なスパイの末路の話ばかり聞かせて部下たちをパニックに陥れた元スパイを思い出してしまった。まさにあんな感じである。

その他、背景に流れる音楽の趣味がよかった。
それから、タバコを吸う場面に必ず「肺ガンになる」という台詞を入れるのはなんとかして欲しい。私は嫌煙派だが、毎度毎度あまりのわざとらしさにイヤになる。あの時代はみんなスパスパ吸ってたんだからそのまま描けばいいじゃないか。A・ボールドウィンはどう見ても死にそうには見えんぞー。(^O^)


主観点:8点
客観点:7点

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2007年11月11日 (日)

「フランス音楽の彩を楽しむ 2」:退廃の地に咲く華麗な歌一輪

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演奏:エリザベス・ドビン他
会場:日本福音ルーテル教会
2007年11月7日

開演前にこの教会の牧師さんが突如出現して挨拶した。ここには何回か来ているが初めてである。それがまた眼パッチリの二枚目の青年なんでビックリ(!o!)
なんでも、この地に教会ができて百年目、建物自体は11年目だとのこと。百年前もこの教会の周囲は派手なネオンサイン……はないだろうから、赤ちょうちんだらけのソドムのごとき退廃の地だったんでしょか?

エリザベス・ドビンはこの前日、北とぴあ国際音楽祭の参加公演でシューマンやメンデルスゾーンを歌ったらしい。この日はカンプラ、シャルパンティエの歌曲でおフランス趣味充溢のひとときであった。
彼女はオーストラリア出身ということでフランス語圏の人ではないが、それが信じられないほどに華麗なる歌いぶりだった。カンプラのオペラの主役もやったとのこと。聴いてみたいわぁ~(*^-^*)

楽器陣はBCJでもおなじみ菅きよみ、先日の旧古河庭園でもチェンバロを担当してた福間彩。それからこちらは知らない名前だったが、リコーダーは宇治川朝政、ガンバが武澤秀平という若手であった。
菅きよみはカンプラの曲でドビン女史の横でフラウト・トラヴェルソを吹いたが、極めて表現力豊かで改めて感心した。リコーダーとの二重奏でフィドリールの曲をやったのも教会の空間に響き渡るみたいでよかった。
照明を完全に落として、ライト一本の中で演奏されたルイ・クープランのチェンバロ独奏は、まるで万華鏡のようなきらめきを感じさせた。闇に浮かび上がるチェンバロ絵巻といった印象。
その他、マレやオトテールなど器楽曲は編成をとっかえひっかえ色々とやって楽しませてくれた。

残念だったのはチラシにあって期待してたのに、ランベールの曲がアンコールのみだったこと。もっともっと聴きたいぞ。
それから、客が予想よりも少なかった。なんで?もったいニャー>^_^<

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2007年11月10日 (土)

「ガイサンシー《蓋山西》とその姉妹たち」(書籍):全ては時とともに忘れ去られていくのか

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著者:班忠義
梨の木舎2006年

(映画に登場していた中でも既に亡くなった方がいる →)

同名のドキュメンタリー映画を見て、監督がその前に出していた本の方も読みたくなった。当然ながら、本の方が映画より詳しく書かれているだろうからだ。

前半は映画で中心になっていた「ガイサンシーの姉妹たち」へのインタビューの内容、またその経緯などが詳しく書かれている。映画では一度だけのような印象だったが、著者は数年に渡って何度も現地へ足を運んでいたのが分かった。それにしても、エラい田舎である。中国はやっぱり信じられんぐらい広いんだのうと感じた。

後半は複数の元日本兵への取材(これも色々と経緯がある)と、「姉妹たち」の戦後の生活が詳細に描かれている。特にガイサンシーはその後激動かつ厳しく悲惨な人生を送った。それは中国の変転激しい戦後状況もかなり関係しているだろう。

多くの戦争被害女性はトラウマ(精神的外傷)に苦しめられ、健康では、婦人病をはじめ、さまざまな病に悩まされている。そして多くの人が過去の体験で生殖能力を失い、子どもを持てなかった。(中略)中国政府はこの戦争女性被害の問題において、沈黙を守り曖昧な態度を取り続け、いわゆる政府の“不作為”を貫いてきた。

日中両国政府から無視され、地元でも冷遇されてきた彼女たちを初めて認めたのは、なんと日本での民衆法廷であった(あの教育テレビのドキュメンタリーが問題になった「女性国際戦犯法廷」)。民衆法廷というのではなんの実効力もないわけだが、にもかかわらず判事が判決を読み上げると皆、狂喜して歓声を上げ感動の涙を流したという。
これまで、それほど多くの人々が彼女たちの話に耳を傾けたことはなかったし、過去の苦難が認められたこともなかったからだ。この場面は極めて印象的である。

著者は一方で当時ガイサンシーたちのいた地域に駐留していた部隊の行方を追う。その結果、部隊はその後沖縄の激戦地に送られほとんど全滅状態で戦死したということが判明した。
彼女たちを率先して虐待した古参兵や指揮官も、である。所詮、兵士たちも使い捨て状態だった。

ここに加害者と被害者の両側の人間が同じ地球にまだ生きている、つまり、一方はこのように豊かで静かに、悠然と生きているのに、他方では大変な苦難と苦痛に満ちた人生を余儀なくさせられた。

当初はこのような怒りを感じていた著者だったが、最後には次のように述べる。

近藤さんの話を受けて、戦争に人生を奪われた日本の軍人たちへの同情もいささか沸いてきた。私はこの事実を中国人や日本人に伝えることが大切だと思わされた。

この終盤あたりは著者の真摯さがヒシと感じられる部分である。
戦争に伴う名も無き庶民たちに起こる運命の変転、そして被害者と加害者を分かつもの、個人の全てを際限なく覆い尽くす苦痛--などなど色んな事を考えさせられた。しかし、それらはあたかも天災のごとく自然発生して起こるのではない。何者かに原因の責任はあるはずなのだ。


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2007年11月 7日 (水)

パーセル/歌劇「ディドとエネアス」:過剰ブラボーは無粋の極み

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音楽監督・指揮:大塚直哉
演奏:コーヒーカップ・コンソート
会場:浜離宮朝日ホール
2007年11月3日

大塚直哉と桐山健志の大江戸バロック・シリーズが北とぴあの『オルフェーオ』と重なっちゃって行けなくってガックリしていたのだが、大塚さん関係の公演のチラシが送られてきて、パーセルをやると知ってビックリ。公演二週間前だったが、急遽行くことにした。「大江戸」のカタキを浜離宮で取ったのである。(ナンノコッチャ)

驚いたのは、会場が自由席だったのにも関らずほぼ満席状態(2階はさすがにすいてたようだが)。出演者の関係者が多いだろうけど、こんなに埋まるんかい?とキョロキョロしてしまったよ。

演奏の前半はパーセルの器楽曲。大塚・桐山両人を中心に、大西律子、荒木優子など知っている顔も多いメンツによる、様々な編成の曲をやった。男性はあとガンバの人だけで、若い女性がほとんどというグループだ。
トリオ・ソナタに弦だけのコンソート、さらには弟パーセルの曲も。弟のソナタの方は桐山氏が情熱的に弾きまくった。
「シャコニー ト短調」は、録音で聴いたことがあったが生だと低音がドドーンと響いてド迫力な感じ。

後半はいよいよ『ディドとエネアス』。演奏会形式だったが高い壇が設けられていて、そこをステージ代わりに歌手が出たり入ったり、振りも付けていたので、これで衣装を着けていれば立派なステージになったろうと思えるほどだ。(魔法使い&魔女はそれ風の衣装をつけていた)
主役二人(北澤幸、三塚至)の歌は貫禄・迫力十分だった。

それから合唱に東京女学館高校の生徒さんが20人近く参加していたのも目についた。「音楽選択者有志」ということは、芸術科目で音楽の授業を取っているってことか? にしてはエラくハイレベルで驚いた。この参加でさらに迫力増強。おまけにセーラー服の制服姿だし大変だ~(←なにが?)。青いおリボンがステキでしたわよ(*^^*)

楽器の方は通奏低音隊の活躍が目立った。特に佐藤亜紀子はホントに頻繁にリュートとギターをとっかえひっかえ演奏してて「乙!」であった。
全体的には大塚さんヤッタネ \(^o^)/という印象。ほとんど若手ばかりでこれだけのものを作り上げるとは、まだまだ日本の未来も明るいのうと思ったのであった。

不満は最後のブラボー合戦。やり過ぎ。ヤケになってやってるように思えたぞ。

ところで、上記のような経緯であわててチケットを購入したので、この公演がどういう形で主催されたのかも全く分からなかったのだが、こちらのブログを読んだら書いてあった。なるほど二期会関係でしたか……。

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2007年11月 6日 (火)

「ヴェルサイユ今昔物語」:秋薔薇と洋館の午後

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ヴィオルが最後の輝きを放った時代
演奏:品川聖、福間彩
会場:旧古河庭園・洋館
2007年10月30日

↑こういう所でやりました。

北とぴあ国際音楽祭の参加公演。
旧古河邸はE・ガッティの時以来。確かあの時、ヴィヴァルディの曲をやったはず。当時もバラの季節だったが、今回も盛りは過ぎたものの秋バラがたくさん咲いていた。
平日の昼間だから本当は行けないはずなのだが、休日出勤の代休日だったのでラッキーであった。
ということで、客層は圧倒的に中高年の奥様方、それに学生風の若い女性。男性の多くは白髪頭世代であったよ。

この日のプログラムはヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ(フランス風にはヴィオールとクラヴサン、ですな)のアンサンブル。それに関根敏子が出てきて解説(だけじゃなくてバロックダンスまで)を披露。
マラン・マレにフォルクレ、そしてクープラン--ルイ14世時代の優美な音楽をこれまた古き洋館で聴く(ただし設計者は英国人らしいが)という、曲と場が完全一致で味わうというコンセプトであった。当然、音はホールなどと違って残響が少ない。

ただ、空調もない小さな部屋に80人もいたので、段々と暑くなってムシムシしてきた。チェンバロの調律は大変だったかも。

午後のひととき、当時の王侯貴族の気分を堪能した--と言いたいところだが、当時はこのぐらいの部屋には人間ギュウ詰めじゃなくて7、8人ぐらいで聴いてたんじゃないだろか。そこのところだけチト不満。

ガンバの品川氏はソロのCDを出すとのこと。驚いたことにガンバの全曲独奏盤というのは日本人では初めてだそうである。

それから休憩時に出されたコーヒーは、マ○ドナルドのヤツにちょっと 毛が生えた 豆が入った程度で今イチ。全く会場にはそぐわない。ま、無料でクッキー付きだから仕方ないか。(^^;

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【関連リンク】
《チェンバロ漫遊日記》
調律者ご本人が語る当日の様子。

「ダイアナ...プリンセス・オブ・ウェールズ@旧古河庭園」
同じ日に撮影されたバラの写真の数々。

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←同じ種類のバラが昔、ウチの庭にありました。


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2007年11月 4日 (日)

「トリオソナタ集1&2全曲演奏会 第2回」:風雨にも負けずブクステフーデ

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ブクステフーデ没後300年記念
演奏:桐山健志、風早一恵、平井み帆
会場:近江楽堂
2007年10月27日

早いものであっという間に第2回目である。こちらが第1回目の感想。
ちょうど台風の日だったんで、出かける時に雨風が最高潮。仕方なく防水靴を履いて出かける。

前回と合わせて作品1と2の全曲演奏となる。
ブクステフーデのソナタは、途中でチェンバロの平井み帆が語っていたように、まことにエモーショナル。三人とも劇的に丁々発止とぶつかり合い、それぞれに見せ場が用意してある。特に1の6番と2の3番がそういう意味でよかった。
またこの時期のドイツでこれほどガンバが活躍する作品が作られていたのも意外な気がする。ガンバのファンには聞き逃せない曲だろう。

その一方でチェンバロの独奏曲は極めて怜悧な印象。フランスの鍵盤曲風の甘美な部分は全くなくて、ひたすらク~ルの極致なんだよね。

先日の、武蔵野でのF・フェルナンデス+フォンス・ムジケ楽器隊が同じ曲集から一曲演奏していたが、その時は楽器同士のかけ合いがもうちょっと甘美な印象があった。やはり弾き手の違いじゃろか。

最後に「宮さま」こと桐山さんが お世継ぎ お子様誕生を嬉しそうに報告。まことにメデタイ。X遺伝子かY遺伝子の持ち主か不明だが、やっぱり末は演奏家ですかね(^^)

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2007年11月 3日 (土)

アイリス・ケネディ「タイム・トゥ・セイル」

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オーマガトキ 原盤2001年作

実はセカンド・アルバムの『ワン・スウィート・キッス』を先に買っで聴いていたのである。不満はないけど、今イチのめり込んで聴くというとこまでは行かなくて、今度はさかのぼってファーストを聴いてみた。

アイリス・ケネディはアイルランド出身の歌手。元・教員で90年代から地元で音楽活動を続けてきたとのこと。このアルバムでは10曲中7曲がトラディショナル・ソングで、私でも知っている超有名曲が多数収録されている。
それ以外の曲(サンディ・デニーのとか)もよい。全体的に飾り気なしの、しみじみとした味わい。

セカンドよりこちらの方が気に入った。どこがどう違っているのか分からないが、サウンド・プロダクションの微妙な差だろうか。とにかく現在の愛聴盤の一つになっている。

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