「ガイサンシー《蓋山西》とその姉妹たち」(書籍):全ては時とともに忘れ去られていくのか
(映画に登場していた中でも既に亡くなった方がいる →)
同名のドキュメンタリー映画を見て、監督がその前に出していた本の方も読みたくなった。当然ながら、本の方が映画より詳しく書かれているだろうからだ。
前半は映画で中心になっていた「ガイサンシーの姉妹たち」へのインタビューの内容、またその経緯などが詳しく書かれている。映画では一度だけのような印象だったが、著者は数年に渡って何度も現地へ足を運んでいたのが分かった。それにしても、エラい田舎である。中国はやっぱり信じられんぐらい広いんだのうと感じた。
後半は複数の元日本兵への取材(これも色々と経緯がある)と、「姉妹たち」の戦後の生活が詳細に描かれている。特にガイサンシーはその後激動かつ厳しく悲惨な人生を送った。それは中国の変転激しい戦後状況もかなり関係しているだろう。
多くの戦争被害女性はトラウマ(精神的外傷)に苦しめられ、健康では、婦人病をはじめ、さまざまな病に悩まされている。そして多くの人が過去の体験で生殖能力を失い、子どもを持てなかった。(中略)中国政府はこの戦争女性被害の問題において、沈黙を守り曖昧な態度を取り続け、いわゆる政府の“不作為”を貫いてきた。
日中両国政府から無視され、地元でも冷遇されてきた彼女たちを初めて認めたのは、なんと日本での民衆法廷であった(あの教育テレビのドキュメンタリーが問題になった「女性国際戦犯法廷」)。民衆法廷というのではなんの実効力もないわけだが、にもかかわらず判事が判決を読み上げると皆、狂喜して歓声を上げ感動の涙を流したという。
これまで、それほど多くの人々が彼女たちの話に耳を傾けたことはなかったし、過去の苦難が認められたこともなかったからだ。この場面は極めて印象的である。
著者は一方で当時ガイサンシーたちのいた地域に駐留していた部隊の行方を追う。その結果、部隊はその後沖縄の激戦地に送られほとんど全滅状態で戦死したということが判明した。
彼女たちを率先して虐待した古参兵や指揮官も、である。所詮、兵士たちも使い捨て状態だった。
ここに加害者と被害者の両側の人間が同じ地球にまだ生きている、つまり、一方はこのように豊かで静かに、悠然と生きているのに、他方では大変な苦難と苦痛に満ちた人生を余儀なくさせられた。
当初はこのような怒りを感じていた著者だったが、最後には次のように述べる。
近藤さんの話を受けて、戦争に人生を奪われた日本の軍人たちへの同情もいささか沸いてきた。私はこの事実を中国人や日本人に伝えることが大切だと思わされた。
この終盤あたりは著者の真摯さがヒシと感じられる部分である。
戦争に伴う名も無き庶民たちに起こる運命の変転、そして被害者と加害者を分かつもの、個人の全てを際限なく覆い尽くす苦痛--などなど色んな事を考えさせられた。しかし、それらはあたかも天災のごとく自然発生して起こるのではない。何者かに原因の責任はあるはずなのだ。
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