「テラビシアにかける橋」:母の寝入りしのち……
監督:ガボア・クスポ
出演:ジョシュ・ハッチャーソン、アンナソフィア・ロブ
米国2007年
「眠られぬ母のため吾が誦(よ)む童話
母の寝入りしのち王子死す」
とある小中学生向けの短歌の解説本を眺めていたら、上の岡井隆の歌が載っていた。これ自体は初めて目にしたわけではないが、「親孝行な感動的な歌である」という意味の解説文がくっついていてビックリしてしまった。ええええ~っ
んな訳ねえだろう(`´メ)
一体、こんな事で日本の国語教育はどうなるのであろうか。あたしゃ、心配だよっ。
まあ、それはともかくこの不吉で空虚感と死の気配が何となく漂う短歌こそが、実はファンタジーの本質を言い表しているのではないかと思っている。
つまり「王子死す」の部分がファンタジーなのではない。「母の寝入りし」という現実と「王子死す」という物語のはざまにある深く暗い断裂、そこに存在する目に見えぬものこそがまさにファンタジーなのだ。
この『テラビシアにかける橋』はそれを見事に表現している。
話の骨格や妖精の一部の造形が『パンズ・ラビリンス』に似ているが、あちらの映画製作のタイム・スケールを考えると真似したとは考えにくいだろう。元ネタが幾つか同じなのか、それとも偶然か。
それと、観てて途中でやっぱり泣いちまったですよ。(^^ゞハズカシイ
でも『パンズ~』みたいに号泣というわけではない。
そんな泣かすな!バカ~ッ (TOT)
というぐらいなもん。
原作はキャサリン・パターソンの児童文学(というかYA文学か)である。私は今を去ること**年前に彼女の小説を一つ読んだ覚えがあるのだが、何を読んだのか全く覚えていない(^=^; この作品も知らなかった。(原著は1977年、日本では1981年出版)
主人公は周囲から孤立している少年である。母親は四人の姉妹の世話や生計で手一杯だし、父親は何かと無神経な言動を繰り返す。学校ではいじめっ子に取り囲まれ、口うるさい教師はいるし、通学バスにはコワイ上級生のスケ番が睨みをきかしている。
誰も彼の事を気にかけず、本質的に構う人間はいないのだ。
唯一の楽しみは絵を描くことと走ることだけだ。
このような閉塞的な日常(しかも舞台は保守的な中西部の田舎町という設定)が、古臭くなく現代的な感覚で描かれているのがいい。
と、そこへ転向してきたのは都会から来た美少女。別にトーストを口にくわえて通りの角でぶつかったわけではないが、外見に反して風変わりでドジな面をあっという間にさらけ出してクラスの中で浮いてしまう。
半端者同士のこの二人が仲良くなって森の中に幻想の王国を作り上げる。徐々に現実とリンクしていくように、他者からみれば突拍子もない空想に入り込んでいく過程の描写も丁寧に積み重ねられている。
毎日毎日、学校が終わった後は架空の城に住み架空の怪物と戦う。これは永遠に続くはず--しかし突如、王国は崩壊する。
これは現実の側に足場を常に置きながら、ファンタジーの王国の創世、栄華、滅亡そして再生を描いた物語である。もちろん、最後は「王の帰還」だ。そう、常に王は帰還すると決まっている。当然のことだ。
『パンズ~』ではやはり現実か空想かということが最後まで気になったが、こちらでは「ええい、現実だろうが空想だろうが関係ねえ~」という感じであった。さらに現実の世界も新たな面を見せたというのも嬉しかった。ラストでは主人公が明らかに成長した姿を見て「まあ、すっかりお兄ちゃんらしくなって……親御さんもお喜びでしょう(そっと涙をぬぐう)」みたいな気分になってしまったよ )^o^(
加えて、二つの作品の主人公の悲劇度を比べるとこちらは大した事ないという意見を見かけたがこれは同意しかねる。
いじめ、孤独、貧困、家族との不和、自責、死……いつでもどこでも子どもの世界は大変なんだよ( -o-) sigh...
なお『パンズ~』は完全大人モード作品であるが、こっちはあくまでもYA文学モードなのでそこんとこ誤解なきよう。
美少女レスリー役の子は目玉が大きくてすごく印象的な顔だち。溌剌かつ飄々とした感じが役柄とよく合っている。『チャーリーとチョコレート工場』に出ていたというのだが、完全に忘れてた。彼女のファッションもステキ。もっともスレンダーじゃないと似合わなそうだが。
子役ももちろんだが、周りの大人たちの役者も好演だった。
バックにたまに今風のロックが流れるのもよかったが、一番印象的だったのは音楽の先生が授業で歌わせる懐かしの名曲の数々だ(1970年ヒットの「ウー・チャイルド」とか)。これが何かと心にしみ入る感じなんだよねー。過去の名曲使うんなら、これぐらいの使い方をして欲しい。
「ウー・チャイルド」は愛聴していたニーナ・シモン版をまた聴きたくなって、家へ帰ってからテープの山を引っ掻き回して探してしまったよ。
私がこの映画を初めて知ったのは、米国公開時にWOWOWの番組で紹介していたのを見た時である。その時はよりによってリスの怪物と闘う場面をやっていて、なんかまた柳の下の何匹目だかのつまらなそうなファンタジーやってんのか(しかもいささか安っぽい)、と思ってそれ以後頭の中から完全排除してしまった。トホホである。(もっとも、肝心な所をネタバレされるよりはいいかも知れんが)
みな同じように考えたのか--私が観た時は(シネコンで夜の回)客が五人しかいなかった。(-o-;)
余談だが、あの巨人はスケ番に似せてあるのだというのは、観ている間は気づかなかった。後から言われてようやく分かった(その示す意味も)。
それから、弔問に行く時に鍋を持って行ったのがとても気になった。中身は何なのか? そういうのがあちらの風習なんだろか。
そのうち原作を読んでみよう。
「テラビシア」というのは「ナルニア」から取った名前らしいのだが、予告で「ナルニア」の第二弾をやっていた。あの末の妹(そう、あの「幼女誘拐未遂」の子ですよ)がすっかり大きくなっていて、またビックリ。
主観点:8点
客観点:7点(「大人」モードの人にはすすめんよ)
【関連リンク】
《JoJo気分で映画三昧!+α》
「もし本作をファンタジーとしてとらえるならば、限りなく地味な作品として目に映るでしょう。」今回も激しく同感です。
《Andre's Review》
原作との違いが分かります。
| 固定リンク | 0
コメント
さわやか革命さま、今回も激しく同感していただき、激しく光栄です~。わたしも、やっぱり「パンズ」が頭に浮かびました。そこはかとなく漂っていましたよね、同じ何かが・・・。この頃のファンタジーは、本当に凄い!年内に、またこうした秀作に出会えたらな、と思います。
投稿: JoJo | 2008年2月13日 (水) 22時30分
TBしていただきましてどうもありがとうございます。
自分が見た映画館でも観客が4人と非常に閑散としてたんですが、その分、余計な頭などが見えず映画に集中できました。予告編がアメリカ版も日本版もどちらもなんだかなぁという作りで客を選んでしまってるように思います。
『パンズ・ラビリンス』、言われてみれば確かにそうです。どちらも、厳しい現実世界をしっかりと捉えながらも、そこに上手くファンタジーを取り入れた作品ですよね。そのせいか悲劇的ですが・・・。
投稿: ANDRE | 2008年2月14日 (木) 00時59分
コメントどうもありがとうございます。
>JoJo さん
数ヶ月のあいだに、涙(T_T)ものの感動作に続けて遭遇というのはなかなかないことですよね。アイデアはもちろんですが、両方とも細かいところまで丁寧に作ってあると思いました。
>ANDREさん
映画館での予告編は見てないんですが、ウワサによると激しくネタバレしていたとか……(汗)
ネット上の感想は好評が多いのに観客が少ないのは残念無念であります。
投稿: さわやか革命 | 2008年2月15日 (金) 06時11分