「見送りの後で」:号泣のあまり枠線も見えず
著者:樹村みのり
朝日新聞社2008年(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
昔から活躍していて長年読んでいたマンガ家で、その後とんと消息を聞かなくなってしまったマンガ家に山田ミネコと樹村みのりがいた。山田ミネコについては同人誌の方で活動を続けていると聞いたが、樹村みのりの方は何かの本でイラストを描いていたのを見たような記憶があるだけで、半ば忘れかけていた状態である。
ところが最近になって、《慢棚通信》で「樹村みのりカムバック」という記事を読んでビックリ。新刊が出たというではないか。朝日新聞の書評欄でも南信長が紹介している。
で、あわてて購入した。なんでも新刊の作品集としては18年ぶりだそうである。(《慢棚》で紹介されているベアテ・シロタ・ゴードンの伝記は除いてということだろう)その前の単行本となると『母親の娘たち』(1990年刊)だが、これだって、オリジナルの連載は1984年だからさらに時が経過していることになる。
樹村みのりの作品で一番心に残るのは短編『病気の日』(1970年)だ。これは小学生の女の子を主人公に、病気になった時(ちょっとした風邪とか軽い症状限定)は楽しいな、という話である。学校は休めるしお母さんが妙に優しいし、おいしいものは食べさして貰えるし--本当にそれだけのことを描いたものなのだが、読んでいて思わずウンウンと頷いてしまうひそやかな感動がある。もっとも以前、とある知人に貸したら「なんだよ、ただそれだけの話じゃないか」と文句をつけられてしまった。分からないヤツにはワカランということか。
後にも先にも今でも、あのように日常のなにげない時間を新鮮に切り取ってみせてくれたマンガ家を他に知らない。
彼女が実は年齢からいえば「24年組」なのだと後で知って驚いた。もっと前から描いていて一世代上の人だとばかり思っていたからだ。しかし実際には中学生でデビュー(早い!)したので、そういう印象を持ってしまったようだ。
それにしても、同年齢の作家たちに比べてフォロワーがいないように思えるのはどうした事だろうか? 大島弓子とか萩尾望都なら露骨に影響を感じられる後輩マンガ家がいるんだが、彼女についてはどうにも思い当たらない。こうの史代が影響を受けたと語っているそうだが--。
「菜の花畑」シリーズのように楽しい作品もあるのだが、その後読んでいて重苦しくて痛々しい作品が段々と多くなってきた気がして、それで少し敬遠ぎみになってしまったのかも知れない(一応、ほとんどの作品は持っているが)。
特に『海辺のカイン』なんてあまりにつらくて今でも読み返すこともできない。どれほど苦しいかというと、三原順の次ぐらいに位置するほどだ(^=^;
他にもユダヤ人収容所の女看守を主人公にした『マルタとリーザ』(『パサジェルカ〈女船客〉』が原作)とか『ジョーン・Bの夏』とか『悪い子』とか--読んでてつらいのよ。(泣)
良きにつけ悪しきにつけ、まさしく彼女は「13歳の時から強制収容所のことしか考えたことがない」という一本槍に真っ直ぐな人なのであった。
さて、本題の『見送りの後で』だが、表題作を読んで号泣してしまった。読み返してもまた同じ場所で号泣してしまうから未だにそのページはよく見てない(←バカ)。他のページもめくる度に鼻水すすったり--という始末。いかんいかん。
なんで泣いちゃうのかはヒミツだよ
『柿の木のある風景』は昨今の昭和三十年代ブームに対抗?したのか、その時代を中心とした二つの家の年代記である。相変わらず子どもたちの描き方が秀逸だなー。私も葬式のおまんじゅうに憧れました。
それから、遊びに行った友だちの家のおベンジョの蓋が、私の家でも似たようなものを使ってたんで懐かしく……アワワ、懐かしくはないけどアリアリと思い出した。
なんと三十数年ぶりにリメイクされた『星に住む人々』、これも読んでて泣いちゃった。グスッ(T_T)歳取ると涙もろくなっちまうもんだねえ。
絵はかなり描き加えてあるが、セリフの方もちょこちょこと直してあるようだ。オリジナル版を久しく読み返していなかったにも関らずいくつかの場面を覚えていた。ということは、やはり昔から印象的な作品だったに違いない。母親が姉をおぶって帰る場面や、教条的な中国映画に三人三様の反応を示す所とか。←この場面で、「西さん大好き」という主人公が私は大好きです!(と、なぜか突然立ち上がって宣言してみる)
この機会に彼女の以前の作品を幾つか読み返してみて、ぶち当たったのが『水子の祭り』(1982年)という短編である。これが『星に住む人々』とポジとネガの関係にあるような話だ。
主人公が美大生で、精神病院へ依頼されて壁に絵を描きに行くという状況、さらに回想に出てくる父親が時計職人だという設定は同じである。
しかし、ストレートで前向きな『星に~』とは反対に、ヒロインは親との関係に悩み失恋に苦しみ精神失調に至る。病院で壁画を描くのは自らの治療のためだ。そして、これまた読んでいて苦しい話である。
特に結果的に父親を困らせることになった事件の顛末が明らかになる件を重ねてみると、まさに二つの作品は陰と陽--家族というものの持つ二面性の象徴として陽炎のように立ち上がってくるのである。
それにしても、よくこのようなこのようなテーマで描き続けてきたと思う。
いやそれとも、テーマとしては他の同年代のマンガ家と共通するところはあるが(「家族」とか「姉妹」とか)、作品として表現されたものは全く違っている--ということだろうか。
【関連リンク】
短編としての『見送りの後で』の扉絵(同じもののカラー画が裏表紙に使われている)には「inspired by Kathe Kollwitz」と書き込まれている。
元ネタはこの戦前ドイツのアーティスト、ケーテ・コルヴィッツの作品らしい。ただし、杖を持って座っているのは男性である。前を通る裸足の人物は死神のようだ。
《くどさ、いろいろ。(レビュウ)》
記事の中で「壁画を描くシーンで、紙やすりか何かで「サリサリ」と壁を削るシーンがあった」というのは、『水子の祭り』の中の場面ですね。
→こちらはオリジナル・ヴァージョンの方。1982年9月購入。
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