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2008年2月16日 (土)

バッハ・コレギウム・ジャパン第79回定期演奏会:殿のオーボエめでたく

080216
ライプツィヒ時代1726年のカンタータ1
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2008年2月11日

キャロリン・サンプソン降板!--で、代役は「ロ短調ミサ」において聴衆をその二の腕の太さで圧倒したレイチェル・ニコルズであった。

さて、冒頭のオルガン演奏はブクステフーデ。どうもブクステフーデのオルガン曲って聴く度に「晦渋」という感じ。今回もそうだった。バッハのオルガン曲を聴いてそう感じた事はないんだけど。

さて今回の感想を一言で言えば、三宮氏大活躍!というところだろうか。いや、もちろんいつも活躍してますが(^^;、この日は特にそう感じたわけであります。

最初のBWV16では5曲目のテノールのアリア。トーシロの耳には歌の部分が非常に難しそうに聞こえるが、さらに加えてグワンと湾曲したオーボエ・ダ・カッチャの音が変……というより風変わりと言った方がいいか。パンフの解説には「暖かい音色を添える」と書いてあったが、とてもそういう風には聞こえなかったぞ。
G・テュルクがやや熱をこめて朗々と歌い回せば、それを受けて淡々と吹く三宮氏--てな感じで、思わずバッハの墓石叩いて「バッハ先生~、お休みのところ申し訳ありませんが、この曲のサウンドの意図はなんなんでしょうか?」(マイクを隙間から突っ込む)なんて質問したくなってしまった。

続いてBWV13にはリコーダーが参加。冒頭のアリアは「わたしのため息、わたしの涙は数え切れないほど」と始まるが、まさにリコーダーとオーボエ・ダ・カッチャが「ため息」と「涙」であり、その間をテュルク氏が息もたえだえに苦難と共に歌う(あ、別に彼の歌自体が息もたえだえな訳ではないですよ)といった風で、思わず聴いててチョビッと涙目になってしまった。
5曲目のバスのアリアは、オーボエはお休みだったが、リコーダー二本とヴァイオリン・ソロがユニゾンでずーっと演奏するという変わった形である。これまたやはり奇妙な音だ。これとP・コーイの劇的な歌が絡み、さらにオルガンとチェロの通奏低音が合間にゴッゴッと突っ込んでくる。
この不思議なな響きに思わずのめりこんでて聴いてしまったよ(^O^)

休憩はさんで、BWV32は一曲目のアリアでソプラノが甘美な音のオーボエの取り合わせで歌えば、三曲目のバスのアリアは鮮烈なヴァイオリンのソロが彩る、という対比。後半はソプラノとバスの二重唱で締めるという形だ。ニコルズは最初やや「濃厚」という印象だったが、段々気にならなくなった。
ついでに、問題の二の腕は今回は黒いジャケットを羽織って封印してましたな。(←どうでもいいことだが(;^_^A)

ラストのBWV72では冒頭のコーラスで、これまで控えぎみだった?合唱力がここに来てバクハツだ~ \(^o^)/ というぐらいに華やかにドドーンと来た。
続いてレチタティーヴォとアリアはロビン君の見せ場。この曲では若松+高田ペアのヴァイオリンと通奏低音が歌の背後で協奏曲みたいな演奏を繰り広げるという、これまた変則技だった。

というわけで、今回はどの曲も色々と感心&感動する場面があってよかった。久々に大満足感あり。
ある程度の水準をクリアしたグループ(他にも、クレマン・ジャヌカン・アンサンブルとかタブラトゥーラとか)というのは、その水準を維持するのは陰で大変であろうとは知ってても、もう何をやっても当然として驚かれなくなってしまうようなところがある。その先がまた茨の道か……。BCJもそういう面は大変だろうとお察しします。

聴衆の一人として、その点は注意しつつまた新たな年度も期待して聴いていきたい。来年度の定期の座席はこれまでとは左右反対にしてもらったんで、また違って聞こえるかも。楽しみよん。

【関連リンク】
「2/11 バッハ・コレギウム・ジャパン 第79回定期演奏会」
ブログ名も一新の(今度はアマデウスですか)常連「小一時間」さんの感想です。

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