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2008年5月

2008年5月26日 (月)

「ハンティング・パーティ」:久々のちゃぶ台返し映画

080526
監督:リチャード・シェパード
出演:リチャード・ギア、テレンス・ハワード
米国・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ2007年

久しぶりに映画を見て腹が立った。つまらない映画とか「早く終わらないかなー」とか思いながら見てた映画は最近でもいくらでも遭遇したが、腹を立てたのは久しぶりである。
何に腹を立てたかというと、こんな映画を金を出して見てしまった自分に対してである。ムキーーッ 腹の虫が納まらん。

かつては花形TVレポーターにして今はすっかり落ちぶれたジャーナリストの男が、かつての同僚のカメラマンにボスニア紛争の戦争犯罪人の単独インタヴューを取って、一発当てようと持ちかける。
昔のよしみで話に乗ったカメラマン、及び同じ局の新人青年であったが、やがて男の真意は取材でなくて、戦犯をつかまえることであることが明らかになる……。

ここに至って目がテン(・o・)になってしまった。武器も持っていない三人の男がどうやって、極悪犯罪人をつかまえるのか??
しかも男はカメラマンに「お前がイヤならオレは一人で行く」みたいなこと言っちゃうんだが、一人になってどうすんの? サラシにダイナマイトでも巻いて自爆攻撃でもするんならともかくさ。

とにかく全てが万事こんな調子でいい加減に進む。もしかしたらお笑い映画なのかも知れんが、戦場や虐殺のシーンは結構リアルっぽい調子だし、悲惨なエピソードもあるので笑えない。大体にしてこんな題材でお笑いやるなっつーの。

結局、男の真意はジャーナリスト魂なぞには全く関係ない私怨であり、結末で彼がやったことはさらに民族対立をあおり暴力の連鎖を限りなく繰り返していくことに他ならない。しかも自分の手は汚さずに、だ。でも、どうも彼らは自分たちが善事を成したと思っているようだ。もうここに至って口アングリ状態である。
なんじゃこりゃ~(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン

しかし、この映画の作り手はそれについては全く気づいていないようだ。いや、気づいていないふりをしているだけなのか。

いや、これはきっと別のパラレルワールドの話に違いない。たった一人の凶悪な犯罪人を消せば紛争の罪過は全て解決する世界。そして、善い民族と悪い民族(ここではセルビア人)はスッパリと分かれ、悪い方はいつでも悪そうなご面相をして悪の側に荷担する。そういう世界の話なのだろう。

だったら、現実のネタなんか使わずに架空の話にしてくれい。
とにかく、こんなモンを見てしまったのは吾が不徳の致す所である。猛反省

それにしても、やたら顔のアップが多くて参った(@_@) もう、R・ギアの顔は一年ぐらい見なくてもいいぐらいだぜい。


腹立ち度:10点
現実度:2点

【関連リンク】
《映画評論家緊張日記》より「ボスニア内戦」
ちょうど同じネタなんでご紹介。

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2008年5月24日 (土)

アッコルドーネ「恋人たちのイタリア」:「ナンチャッテ古楽」か「生き生きとした演奏」か

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会場:津田ホール
2008年5月19日

アッコルドーネ2回目である。
先日の王子ホールの公演とはプログラムが違っているが、アンコールも入れると結果的にほとんどの曲目は重なったような。
違うのは真ん中に宗教曲が入っていること。前半はカッチーニを中心とした著名な作曲家の作品で、後半は民謡や世俗歌曲で構成していて、間にグランディのモテット、グレゴリオ聖歌(朗唱みたいな歌い方だった)、モンテヴェルディの「倫理的宗教的な森」から--と続く。でも、モンテヴェルディの曲はなんかノリというか調子がよくって全然宗教曲っぽくなかったぞ。

ビーズリーの声はちょっと高音の部分が枯れてたみたい。さすがに連チャンが響いたか、気候のせいだろうか。
後半部の「いのちなくして」は失恋男が酒場でクダまいているような歌で、特に撥弦楽器三人男の演奏が迫力あった。

それから、歌無しコーナーはモリーニのチェンバロ即興演奏が2曲。これがチト長かったですよ。
あと、第二ヴァイオリンのR・クローチェは、初日は眼鏡をかけていたがそのツルのデザインがすごーく変わっていた(まさしくイタリアン・モダン・デザインか?)けど、この日は何もなし--って、どーでもいいことですが。
ガッティはカッチーニの「かわいいアマリリ」での演奏が切々たる響きでよかった

アンコールは計5曲で最初がお魚のケンカの歌(さらにオーバーな感じが増量)、革命歌、続いて「オー・ソレ・ミオ」--はこの日は前説の話は省略で、チェンバロの側に椅子を持ってきて座って歌うという趣向だった。しかし、この曲のチェンバロの音はかなりロマンチック過ぎであるなあ。

こちらのプログラムの方がバラエティはあったものの、全体的には王子ホールの「歌と魔法」の方が客席がノリやすくってよかったと思う。後半の冒頭、畳み掛けるように聴かせる「タランテッラ」から始まって後は民謡俗謡のオンパレード。で、シメが革命歌の「高らかに打ち鳴らせ」となれば、乗らずにはいられようかヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝアーコリャコリャってなもん。
アンコール曲では手拍子まで起こりかけたぐらいだぞ。
また、ビーズリーが女性のクローチェの所へ行って、歌いながらペッタリと肩に手を置くという「公然セクハラ」行為(^o^)に、隣のガッティが「めっ」と弓の先でビーズリーの手をつついてみせる、なんておふざけ場面も見られたし。
それから、楽器組の合奏曲も聴けたしねえ。折角、ガッティ+モリーニ来てたんだから、アッコルドーネ公演の半券所持者のみ対象のシークレット・ライヴとかやってくれればよかったのに~(T^T)

まあ、でもこの日にはNHKのカメラが入っていて、夏ごろに放送予定だとか。
ウ レ シ イ ッ(#^-^#) しかし1時間枠にカットされちゃうんだろうなあ。
《チェンバロ漫遊日記》を読んでたら彼らのことを「シャイで物静かな怪僧一座」と書いてあってビックリ。(この記事自体は新イタリア合奏団のことなんで注意)
そっかー、イタリア男でも色々なんですな……って当たり前か。


さて、《MedioLOG》での公演評。「グイード・モリーニの「アレンジ古楽」が炸裂」とあるが、「アレンジ古楽」というと筆頭はレッド・プリーストみたいな感じですかね。しかし、さすがに彼らよりはこちらは「正統派」なような……。
何をもって「アレンジ古楽」「ナンチャッテ古楽」と見なすか線引きは難しい。「楽譜通りに演奏しているもの」などと言ったら、中世音楽の演奏なんてほとんどアウトだろうし、ルネサンス期だって相当アヤシイ。

私がつかまされているのはまがい物なのか? それとも生き生きとした演奏なのだろうか。

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2008年5月20日 (火)

アッコルドーネ「歌と魔法」:「怪僧」ならぬ「快僧」あらわる

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会場:王子ホール
2008年5月16日

アッコルドーネ(CDの表記はアコルドネ)はテノールのマルコ・ビーズリーと鍵盤のグイード・モリーニが中心のアンサンブル。
ビーズリーの歌は極めて甘美なハイ・テナーで思わずウット~リと聴いてしまうのであるが、一方外見の方はと写真を見れば思わずビックリ。容貌魁偉、まるで怪僧ラスプーチンではあ~りませんか(失敬m(_ _)m)。

その落差もまた楽しみな今回の公演(前にも来日してたとは知らず)、エンリコ・ガッティも一緒に来るとあってはもう何があっても絶対行かねばならんと、鼻息も荒く固く決意したのであ~る。

メンバーは鍵盤+ヴァイオリン2+テオルボ+バロックギター+リュート(←CDでは代わりにチェロだった)という、この人数で撥弦楽器三本とは珍しい(?)編成か。
で、実際にこの目で見たビーズリーは小柄なオヤヂで、メンバー中リュートのオヂサンと並んで一番小さいくらい。ちょっと拍子抜けした。
いやー、アンドレアス・ショルぐらいの長身の大男で会場をドワーッと圧倒するような感じだったらどうしようかと思ったが、全然そんなんではなかった。

プログラムの前半は17世紀イタリアの宮廷音楽から。
ビーズリーの歌唱は緩急自在で、演技や語りっぽい所もまぜて引きつけて楽しませるようなスタイルであった。やっぱり「怪僧」ではないのね。
三曲目モンテヴェルディの「苦悩はかくも快く」。この曲に至って甘美すぎる苦悩の歌に会場はくぎづけ。だが、さらにそれを上まわって甘~くかつ瑞々しいのはガッティの弦の音であった。
いよっ!この女殺し……ぢゃなかった、この聴衆殺し憎い、憎いネ~( ̄ー ̄)
ちょうど、座席の位置がガッティの方に間近く、音が直に聞こえてきたのもよかった。
もうこの甘×甘二重攻撃には降参だいっ(*^-^*)

また、オルガンの上にチェンバロを乗っけて弾き分けていたモリーニは、フレスコバルディの曲を独奏してビシッと決めてみせた。さらにマリーニの歌曲を挟んで、今度はビーズリーが引っ込んで楽器のみの合奏曲をやった。フォンターナのソナタだったが、ここでのガッティは一転して力強く先鋭なまでにストレートな演奏で、こんな面もあったのかと驚いてしまった。
単にCDではそういう面を感じ取れなかっただけなのか? とはいえ、こういうガッティもエエですなあ

CD『ラ・ベッラ・ノーヴァ』最初に収録されているステーファニの曲が前半最後。この時は出だしの演奏が始まってから、ビーズリーがさり気なく、かつウロウロと舞台の袖から登場するという趣向だった。

後半は一転して民謡・俗謡が中心。ヴァイオリンは登場せず撥弦楽器三人衆とモリーニが伴奏。特に三人衆はトリオ漫才が出来そうに外見がバラバラだが、三人寄れば文殊の知恵--じゃなかった、鉄壁の伴奏隊なのであった。
「カルビーノ娘に捧げる歌」はなんだか演歌っぽく(正しくは「カンツォーネっぽく」か)感じたのは私だけか? この路線で客席をひとしきり沸かせた後、「すてきな知らせ」で再びヴァイオリンの二人が復帰。
プログラム最終曲は直立不動で歌う、なんと18世紀末の革命歌。こういう曲が入ってくるのがいかにもお国柄かと思っちゃった。だってねえ、日本だったらソウル・フラワー・ユニオンがやってるような組み合わせだもんね。
ここではガッティを始め楽器隊一同もコーラス部分で歌声を披露したのであった。

アンコールはCDにも入ってる「ガラッチーノの唄」で、お魚が海でケンカする話だとかなんだとかかなり長く英語で解説をつけて(残念無念ながら私にはほとんど聞き取れず)から大仰でユーモラスに歌って大喝采。
次は一転、世界一有名なラブソングだけど歌われ方がちょっと--などとと前説で語って、チェンバロの伴奏のみでシンミリかつ切々と歌ったのがなんと「オー・ソレ・ミオ」であった。これまた大受け。

で、アンコールでさらに熱気は高まりも立ち上がって拍手する人も出たぐらい(少数だけど)。私も大満足であった。 \(^o^)/
ただし、パンフが売り切れてたこと以外は……(怒)


帰りは金曜の夜とあって、電車はほぼ満員。高架を通っている時に吊り革につかまりながら「今、大地震が起こったらどうなるだろう」などと考えてしまい、コテンと満員電車が転がり落ちる様子を想像して思わずギャ~と叫びたくなってしまった。(-o-;)
地震の被害に遭いたくなければ、普段は家から一歩も出ず、いざ地震が起こったら直に外に飛び出すしかない。あとエレベーターには絶対乗らない--なんて訳には行かないしなあ

【関連リンク】
《♯Credo》
同じプログラムの西宮公演での感想。

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2008年5月19日 (月)

アッコルドーネ(津田ホール)速報

*なんと皆様のNHKが収録。高い受信料払ってたのが報われたぜいっ。放映時には「永久保存版で録画」に早くも決定。
*ビーズリーはチト声の調子が悪くなってたみたい。明日の伊丹ではもっとヨレヨレになってるかもよ~……と嫌がらせを言ってみる(火暴)
*モリーニの即興演奏はちょっと長かったなー。
*アンコールは5曲。でも、王子ホールの方が客席は盛り上がってたと思うんだけどねえ。

正式な感想を書きました。

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2008年5月18日 (日)

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」:金太郎飴の如く彼は出現した

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監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス
米国2007年

これまたオスカー・ノミネート8部門で第一集団にいた作品。私にしては珍しくほとんど制覇したぞ(さすがに『ジュノ』は見る気ないが)。
もっとも、あまり期待してはいなかった。なぜなら、監督のP・T・アンダーソンには今まであまり感心しなかったからである。『ブギーナイツ』はまだ「ふーん」という感じだったが、『マグノリア』はカッコだけつけてるような印象が前面に出て、どうして世間であんなに評価が高いのか理解に苦しむところだった。

しかし、今回はその意味では予想を裏切ってくれた。158分という長丁場を退屈せずに見ることができた。
物語は文字どおりの「山師」の話である。金鉱掘りから始まって石油の採掘へ--恐らく、20世紀初頭の米国には一攫千金を狙うこういう人間がウヨウヨしていたのであろうと思わせる。
だから宣伝文句にある「アメリカン・ドリーム」とか「怪物」という言葉は全くあてはまらないだろう。

欲の皮の突っ張った人間など米国に限らず地球上の至る所に存在するし、他人どころかたとえ親族からでも騙して金をむしろ取ろうと虎視眈々と狙っているヤツも珍しくない。また、とある雑誌の批評に、主人公が油田の事故の時に怪我した子どもがすがりつくのを放り出して現場へ駆けていったのが「怪物」的だと書いてあって目がテン(・o・)になってしまった。
この世の中には、仕事のために妻子を顧みない男などゴマンといるし、富や権力を得るためなら平然と家族を売り飛ばすような奴だっている。
なに?自分の周囲にはそんな人間はいないって それはあんたが幸運なだけだろう。
そのような欲望を全く何のてらいもなくストレートに描いている。

正直なところ、この主人公には共感も理解も出来ない。特に金の亡者というだけでなく、極めて粘着気質というか偏執的な部分がある。これは異常なほどだ。
取り引きの際に息子のことを言及したライバルの石油会社の者に、ネチネチと因縁を付ける(それも子供じみた方法で)のは常軌に逸しているし、突然現れた弟に対する行為も「そこまでやるかー」である。
カルト教会の牧師との長年にわたる反目も同様だ。その経緯も結末も全く理解不能である。

しかし、理解も共感も出来なくとも納得してしまうのは、ひとえにダニエル・デイ・ルイスの力演があるからだろう。彼の演技には説得力あり過ぎである。
それから映像の迫力もすごい。荒野や岩山などの荒涼かつ広大な風景や、油田から吹き出す巨大な炎(CGなんだろうけど)も壮絶である。思わず見とれてしまった。
音楽は前評判が高かったが(アカデミー賞ノミネートを逃したのは、J・グリーンウッドが過去の自作曲を使ったのはイカンとイチャモンをつけられたためとか)、ちょっと音量デカ過ぎでうるさかった。効果音が聞こえないほどっていうのはどうよ(?_?; もっともそれは監督の意向だそうだが。
ただし、ラストのブラームス(でいいんだよね?)の使い方は非常に皮肉っぽく、かつ意表を突いていた。

問題はダニエル・デイ・ルイスがあまりにこの映画と一体化していて、まるで金太郎飴のようにどの場面を取っても出ずっぱり、この中から彼を抜いてしまったら何が残るのかと思える事だ。
『キング 罪の王』でも好演していたポール・ダノが神父役で健闘しているぐらいだろう。
従って、獲得したのが主演男優賞と撮影賞だけだったのは真っ当な結果だったかも知れない。

ただ、以前同様ちょっといい加減な部分もある。冒頭で脚に怪我をした主人公が仰向けに這って行って、金の交換所(?)でもそのポーズのままというのは、執念でそこまで自力でたどり着いたということだろうが(側に担架とか無かったようだし)、あんな岩山這っていったら10メートルも行かんうちに血だらけになっちゃうと思うが……。
それだけ欲の皮が突っ張ってるから大丈夫ってことか(^^? まさか


主観点:9点
客観点:7点

【関連リンク】
《エンターテイメント日誌》
なかなかにキビしい批判ですが、基本線では同感です。


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2008年5月16日 (金)

アッコルドーネ(王子ホール)速報

*開演五分前に着いたら、パンフレットが売り切れていた。なんてこったい
*マルコ・ビーズリーはチラシの写真みたいなコワイ顔じゃなくてよかった。どっちかというと、豆タンクみたい。
*ガッティ来た来たキタ━━━━('∀')━━━━ !!!!!な瞬間あり。おまけに歌まで歌っちゃったりして。
*アンコール5曲やったと思ってたら、入口に張り出してあったのは4曲だった。老人脳が進んじゃったかしらん。でも、舞台の床に貼ってあった進行表(専門用語があったはずだけど忘れた)には、アンコールが6曲書いてあったんだけど……(?_?)
*この後、日・月・火と3連チャン公演でしかも西宮→東京→伊丹って大丈夫かしらん。最後にはヨレヨレになってたりとか。

正式な感想を書きました。

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2008年5月15日 (木)

「つぐない」:偽善、願望、あるいは妄想

080515
監督:ジョー・ライト
出演:キーラ・ナイトレイ、ジェームズ・マカヴォイ
イギリス2007年

なんだか判然としない映画だった。アカデミー賞に7部門ノミネートで、賞レースの第一集団にいた作品だし、ミステリーっぽい所もありそうなんで興味を持って見に行ったんだけど……。

冒頭の三分の一は面白かった。男が少女の間違った証言で冤罪を被る過程は大変スリリングである。
しかし、その後の戦場の場面は正直退屈してしまった。戦争の壮絶にして幻想的な美を撮りたかったんだろうけど、キレイなだけで見ていて何の感興も浮かんで来ないのだった。
その後、成長した少女の「つぐない」の話となるのだが、結末まで見るとそれはどう考えても罪を償うというよりは、単なる「願望」あるいは「自己満足」にしか見えない。
映画はそのような少女の態度を批判的に描いているのだという解釈もあるようだが、とてもそのようには思えなかった。

あと、結末について--それを言っちゃったらここに描かれていることは何一つ信じられないじゃないの(?_?)
少なくとも、フランス人の重傷の兵士のエピソードはウソだろうし、また図書室のドアは(最初のドアじゃなくて二枚目の方)主人公がちゃんと閉めているのに、少女が見た時には開いていたのはなぜ
スタッフの凡ミスか?それともあのお屋敷は建て付けが悪かったのか?
もしかして、全部の話がでっちあげだったとしてもおかしくはない。

というわけで、何もかも判然としないのであった。その訳の分からなさが、謎を楽しむというより腹が立ってくる調子なんである。困ったもんだ

まあ、そもそも恋愛ものが苦手なのに観た私が悪かったのだろう。(~_~;)
あ、音楽も美術も衣装も役者の演技も大変見事だったですよ。それは言っておかなくちゃ。


主観点:5点
客観点:7点

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2008年5月13日 (火)

「ビルマ、パゴダの影で」:見知らぬ世界の見知らぬ土地で

080513
監督:アイリーヌ・マーティー
スイス2004年

珍しく平日の休みが取れたので、渋谷に行ってあの『靖国』に突撃を試みるも見事「玉砕」。しかし、不屈の大和魂をもってあっさりと方向転換して、同じ渋谷でやっているこちらのドキュメンタリーを見てきた。
しかし、本当のところを言えば数日前までその存在も知らなかったのである。この紹介記事を読んで初めて見ようと思い立ったのだ(^^ゞ

形式としては極めて真っ当でストレートなドキュメンタリーである。
監督は昔旅行したビルマ(ミャンマー)が忘れられず、現状を取材するため観光映画を撮影すると偽って入国。
さらにタイとの国境周辺にある難民キャンプを幾つか訪ねたり、タイ側から潜入して紛争地域を取材したり--と地道かつ危険な取材を繰り返している。

ビルマは数多くの小数民族が存在する多民族国家であり、軍事政権は一貫して彼らを強制徴用や殺害など迫害をしているとのことである。カレン族の迫害については少し前の「デイズ・ジャパン」誌に記事が載っていたと記憶しているが、さらに他にも多くの民族がいて迫害を受けているとは知らなかった。
ある民族は土地を追い払われ、難民キャンプへと流れこみ、またある民族は自らの軍を持って政府軍と戦闘を続けている。

そのような自民族の武装組織に守られたキャンプの子どもたちにインタヴューしているが、そのまなざしは一様に暗い。「紛争の中でも子どもたちは元気だった」なんてことは全くない。みんな親など家族を殺されているのである。

将来のことを尋ねられると、女の子二人は「故郷に戻って教師になりたい」と答えた(子どもたちはキャンプ内の学校に行っている)が、二人の少年は「軍に入って政府軍と戦い復讐する」と語った。見ていて暗澹たる気分になってしまった。
だが、そもそも彼らにはロールモデルとなる大人の姿を目にすることが少ないのかも知れない。少女が「教師」、少年が「兵士」と答えたのは、その他に将来を投影する大人が身近にいないとも考えられる。--いや、きっとそうだと思いたい。

しかし、いずれにしろ彼らに「未来」はあるのだろうか……
取材は2004年よりさらに前である。現在ではどうなっているのか。ちょうどサイクロンの被害も(実際にどの程度なのかはまだよく分からないが)あるし。

--世界はこんな話ばかりだよなあ(+_+)

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2008年5月11日 (日)

「アイム・ノット・ゼア」:ディランの濃ゆい同人誌

080511
監督:トッド・ヘインズ
出演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー
米国2007年

ボブ・ディランを6人の役者で演じるという変わったスタイルの「伝記」映画。何せその6人の中には女性も黒人少年も含まれているのである。しかも役名もみんなバラバラだし、役柄も全部違う。どころか設定されている世界もそれぞれ異なる。
ディランの多彩な面をそれぞれが象徴していると考えた方がいいだろう。

しかも、その六つの世界が不規則的に混ざって入れ替わり出没する。それが面白いかというと、編集のせいかどうもテンポが悪い。タラタラして退屈しちゃう。
それから、ディランのファンにはきっとここはよく知られているエピソードなんだろうなあとか、何かのインタヴューのパロディらしい--と思える場面が多々あるのだが、門外漢の私にはよく分からなくて歯がゆい思いがした。

というわけで、2時間15分が本当に長~く感じられた。風邪をひいていて熱っぽかったのだが観ている間にどんどん熱が上がってくるようだった。ケイト・ブランシェットが中盤に出てきた時、「あー、まだリチャード・ギアもこれから出てくんだよなー」なんて思っちゃったですよ( -o-) sigh...

監督は自由と抑圧を歌うことについてこだわっているようだが、そのこだわりがなんだか空回りしてるようでもあった。

結局のところ、自分の全く知らないアニメとかマンガ作品についてのものすごーく熱心な分厚い同人誌を読まされているような印象だった。情熱や「濃さ」を感じても共感する術がない。
顧みてみれば同じ監督の『ベルベット・ゴールドマイン』も、実在のロックスターをモデルにしたヤヲイ本みたいな映画だった。この妄想にはとてもついて行けません

ケイト・ブランシェットはこれで多くの映画賞に助演女優賞でノミネートされたが(なぜに「助演」?じゃ「主演」は誰)、女の彼女が一般に流布しているディランのイメージに(外見的にも)一番近いのはなんだか皮肉のような気がした。それとも意図的かね?

キム・ゴードン姐御がほんのチョイ役で特出。


初心者点:3点
マニア点:10点

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2008年5月10日 (土)

来年の「熱狂の日」は熱狂できるかニャ?

ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭、来年は「バッハとヨーロッパ」がテーマだということで、最終日にどんな様子なものなのかと有楽町へ偵察に行った。映画の時間待ちでヒマだったもんでね。当然ホールには入れないから屋台やチケット売り場を観察。

で、ネット上では「ルネ・マルタンとBCJ鈴木(兄)が共に客席にいた」とか「BCJ出演確定」「長い曲も全曲演奏」という情報が流れているが、一方で《Programmes》の記事には「来年は古楽団体を極力排除した日本独自のプログラムでバッハを公演するようです」などとある。
ということは、海外からは古楽系はほとんど来ないんであろうか? そんなのイヤーン

まあ、詳細発表待ちということですかねえ……。

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2008年5月 4日 (日)

「番線」:読みてし止まん

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本にまつわるエトセトラ
著者:久世番子
新書館2008年

「暴れん坊本屋さん」の作者が、様々な「本」の現場を取材したエッセイ・マンガ。
その取材範囲は友人、編集の担当者など身近なご近所さんから、国会図書館、三省堂辞書編集部まで。
そのテーマは装丁、写植、連載マンガのあおり文句など専門的なこともあれば、本の貸し借りや本棚収納、思い出の教科書など個人的なこともあり。特に外部には窺い知れない国会図書館内部潜入記は興味深くて必見さっ。

いずれの話もユーモアたっぷりで笑わせてくれる。
とりわけ身近なテーマでは、私にも身に覚えのある話が……
例えば「本棚どかしたら床がひずんでた」なんて(引っ越しの時に判明)。

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それからカラー口絵の番子さんの部屋--まるで自分と同じで笑ってしまった。私も今日買ってきた本(CDも)はとりあえず、袋に入れたまま部屋の隅に転がしておき(転がしたまま存在を忘れることも)、本棚に入りきらない本は横積み、友人に借りた本は借りた時の袋に入れて保存。
それから雑誌を読み終えてとりあえず横に置いておこうとすると、なぜか先月号が既にそのまま置いてあったりして……全く同じじゃねえ~かっω(TOT)ω

愛本家の人は必読よん

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2008年5月 3日 (土)

「フィクサー」:看板に偽りあり

080503
監督:トニー・ギルロイ
出演:ジョージ・クルーニー
米国2007年

先日のアカデミー賞で7部門ノミネート。賞レースの第一集団にいた作品である。
他の人の感想を読んでみると、けなすにしろほめるにしろ共通しているのは「こんな話だとは思わなかった」だった。
確かに、私もそう思いました。(^^)/ハイッ

題名と予告から、ジョージ・クルーニー扮する弁護士が「もみ消し屋」としてバリバリ汚い仕事をするのかと思ったら、全然そんな事はなかった。よっぽどあのアヤシイ裏稼業の男集団の方が「もみ消し屋」じゃないの。どころか主人公は逆にもみ消される方だー

離婚して妻子とは別居、ギャンブル癖あり、借金を抱え込み、自らの仕事に疑念を持つ男が、同僚のストレスから自滅的な行動に出た姿を見て悶々と自問自答を始める。
その間に、あーなってこーなって大変なことに。

ただ、どうなんでしょうねえ。話はつまらなくはないんだけど、敵は外部にしかいないから、結局は他人事で本質的な葛藤には至らない。サスペンスものだったら攻撃されて必死!でオッケーになるが、そういう作りじゃないからなー。
ストーリーと表現とテーマがちぐはぐな感じがした。

結局、アカデミー賞を取れたのは助演女優賞のティルダ・スウィントンだけだった。彼女の受賞に疑問を呈している人もいるようだが、もし彼女が演じてなかったらただの「知的な悪女」(定番)になってた可能性あり。
企業の中の歯車の一つとして上司や雇い主の意を汲むことに汲々として膨大なストレスを抱えながら暴走していく人物をうまく演じていたと思う。それに私は、エキセントリックなキャラクターよりも卑小な凡人を演じる方が難しいというのが持論なのだ。

まあ、助演女優賞の他の作品をほとんど見ていないので断言は出来ないが、その資格は十分にあると言えるだろう。とにかく『アメリカン・ギャングスター』のルビー・ディーよりは出演時間が長かったのは確かよ(^O^)
それにしても、T・スウィントンを初めて見たのは今を去ること二十年以上前(?)『カラヴァッジオ』でだが、その時からあまり変わっていないのはスゴイ……お肌の張りの秘訣をぜひ( ^^)// プリーズ

その他どうでもいいこと。
*3匹の馬は、息子の読んでたファンタジー本に写真が載ってたらしい。全く気づかなかった。「なんか、つまらなそうな話。今時のお子様はこういうのが好きなのかしらん」なんて思ってたからか。
*燃えてる車に時計や財布投げ込んでもあまり意味がないと思うが(?_?) 代わりの死体でも放り込めば別だけど。
*予告でやってたけど宮崎アニメの『崖の上のポニョ』って、なんかヤバくないか? またぞろ2ちゃんあたりでアンチスレが燃え上がりそう


主観点:6点
客観点:6点

【関連リンク】
《我想一個人映画美的女人blog》
写真多数あり。本国版のポスター?はバーバラ・クルーガー風でいいですな。

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