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2008年5月

2008年5月13日 (火)

「ビルマ、パゴダの影で」:見知らぬ世界の見知らぬ土地で

080513
監督:アイリーヌ・マーティー
スイス2004年

珍しく平日の休みが取れたので、渋谷に行ってあの『靖国』に突撃を試みるも見事「玉砕」。しかし、不屈の大和魂をもってあっさりと方向転換して、同じ渋谷でやっているこちらのドキュメンタリーを見てきた。
しかし、本当のところを言えば数日前までその存在も知らなかったのである。この紹介記事を読んで初めて見ようと思い立ったのだ(^^ゞ

形式としては極めて真っ当でストレートなドキュメンタリーである。
監督は昔旅行したビルマ(ミャンマー)が忘れられず、現状を取材するため観光映画を撮影すると偽って入国。
さらにタイとの国境周辺にある難民キャンプを幾つか訪ねたり、タイ側から潜入して紛争地域を取材したり--と地道かつ危険な取材を繰り返している。

ビルマは数多くの小数民族が存在する多民族国家であり、軍事政権は一貫して彼らを強制徴用や殺害など迫害をしているとのことである。カレン族の迫害については少し前の「デイズ・ジャパン」誌に記事が載っていたと記憶しているが、さらに他にも多くの民族がいて迫害を受けているとは知らなかった。
ある民族は土地を追い払われ、難民キャンプへと流れこみ、またある民族は自らの軍を持って政府軍と戦闘を続けている。

そのような自民族の武装組織に守られたキャンプの子どもたちにインタヴューしているが、そのまなざしは一様に暗い。「紛争の中でも子どもたちは元気だった」なんてことは全くない。みんな親など家族を殺されているのである。

将来のことを尋ねられると、女の子二人は「故郷に戻って教師になりたい」と答えた(子どもたちはキャンプ内の学校に行っている)が、二人の少年は「軍に入って政府軍と戦い復讐する」と語った。見ていて暗澹たる気分になってしまった。
だが、そもそも彼らにはロールモデルとなる大人の姿を目にすることが少ないのかも知れない。少女が「教師」、少年が「兵士」と答えたのは、その他に将来を投影する大人が身近にいないとも考えられる。--いや、きっとそうだと思いたい。

しかし、いずれにしろ彼らに「未来」はあるのだろうか……clock
取材は2004年よりさらに前である。現在ではどうなっているのか。ちょうどサイクロンの被害も(実際にどの程度なのかはまだよく分からないが)あるし。

--世界はこんな話ばかりだよなあ(+_+)

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2008年5月11日 (日)

「アイム・ノット・ゼア」:ディランの濃ゆい同人誌

080511
監督:トッド・ヘインズ
出演:クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー
米国2007年

ボブ・ディランを6人の役者で演じるという変わったスタイルの「伝記」映画。何せその6人の中には女性も黒人少年も含まれているのである。しかも役名もみんなバラバラだし、役柄も全部違う。どころか設定されている世界もそれぞれ異なる。
ディランの多彩な面をそれぞれが象徴していると考えた方がいいだろう。

しかも、その六つの世界が不規則的に混ざって入れ替わり出没する。それが面白いかというと、編集のせいかどうもテンポが悪い。タラタラして退屈しちゃう。
それから、ディランのファンにはきっとここはよく知られているエピソードなんだろうなあとか、何かのインタヴューのパロディらしい--と思える場面が多々あるのだが、門外漢の私にはよく分からなくて歯がゆい思いがした。

というわけで、2時間15分が本当に長~く感じられた。風邪をひいていて熱っぽかったのだが観ている間にどんどん熱が上がってくるようだった。ケイト・ブランシェットが中盤に出てきた時、「あー、まだリチャード・ギアもこれから出てくんだよなー」なんて思っちゃったですよ( -o-) sigh...

監督は自由と抑圧を歌うことについてこだわっているようだが、そのこだわりがなんだか空回りしてるようでもあった。

結局のところ、自分の全く知らないアニメとかマンガ作品についてのものすごーく熱心な分厚い同人誌を読まされているような印象だった。情熱や「濃さ」を感じても共感する術がない。
顧みてみれば同じ監督の『ベルベット・ゴールドマイン』も、実在のロックスターをモデルにしたヤヲイ本みたいな映画だった。この妄想にはとてもついて行けませんng

ケイト・ブランシェットはこれで多くの映画賞に助演女優賞でノミネートされたが(なぜに「助演」?じゃ「主演」は誰)、女の彼女が一般に流布しているディランのイメージに(外見的にも)一番近いのはなんだか皮肉のような気がした。それとも意図的かね?

キム・ゴードン姐御がほんのチョイ役で特出。


初心者点:3点
マニア点:10点

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2008年5月10日 (土)

来年の「熱狂の日」は熱狂できるかニャ?

ラ・フォル・ジュルネ「熱狂の日」音楽祭、来年は「バッハとヨーロッパ」がテーマだということで、最終日にどんな様子なものなのかと有楽町へ偵察に行った。映画の時間待ちでヒマだったもんでね。当然ホールには入れないから屋台やチケット売り場を観察。

で、ネット上では「ルネ・マルタンとBCJ鈴木(兄)が共に客席にいた」とか「BCJ出演確定」「長い曲も全曲演奏」という情報が流れているが、一方で《Programmes》の記事には「来年は古楽団体を極力排除した日本独自のプログラムでバッハを公演するようです」などとある。
ということは、海外からは古楽系はほとんど来ないんであろうか? そんなのイヤーンfoot

まあ、詳細発表待ちということですかねえ……。

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2008年5月 6日 (火)

「毛皮のマリー」:徹頭徹尾、醜悪

080506
寺山修司没後25年特別公演
演出:川村毅
会場:シアタートラム
2008年5月1日~4日

ウギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ(>O<)

一体なぜ私はこのように叫んでいるのであろうか?
それはこの記事の中でおいおい明らかになるであろう--。

寺山修司の芝居ってどうも見た記憶がない。過去に一度ぐらい見ているんじゃないと思うのだが、どうにも思い出せん。だからこれが初めてなのかも。
とはいえこの『毛皮のマリー』、さすがにあらすじぐらいは知っている。しかもチラシの裏側にもこう書いてあるし(^O^)

花咲ける四十歳の男娼、オカマのマリーさんは、ああなつかしきストロハイム氏よろしき下男を従え、息子と称する美少年を囲い、擬古典的に装われた贅沢な一室に住まわっている。
美少年を外の世界に誘いだそうとする美少女……

ヒロイン(?)マリー役は美輪明宏が十八番にしていて、初演の1967年から数回に渡り演じているとのこと。美輪明宏ならきっと妖艶だったろうが、川村毅の方は以前『卒塔婆小町』の老女を演じてたのを観ていたので、今回も醜悪なる中年男娼に嬉々として扮するのだろうと想像していたが、まさにその通りであったkissmark

メタボが心配になりそうなたるんだ肉体に白いドレス、顔はど派手なメイク(宇野亜喜良が担当)で厚く塗りたくり、下男にわき毛スネ毛を剃らせる姿は--奇々怪々、じゃなかった毒々俗悪--とにかく面妖なのであった。
一方、部屋の舞台装置はほとんどなくコンクリむき出しみたいで極めて殺風景だ。バスタブと寝台と古めかしい蓄音機があるくらい。

さらにマリーが一旦退場すると、バラの花くわえた全裸男がいきなりゴロンと舞台中央前面に転がり出たのにはビックリ。最前列にいた観客(私が見た回では全員女性だった)の視線が一点に集中してしまったのは致し方あるまい。

さて、マリーから「息子」と呼ばれている「美少年」に扮しているのは手塚とおる。内股にしずしずと歩き、動作や喋り方はいかにも内向的で幻想の世界に生きる少年そのもの。おまけに身体の細さは川村毅の二分の一ぐらいか(←大袈裟には言っていませんよ、多分)。
で、家に帰ってネットで色々と検索していたら、手塚とおるはなんと1962年生まれと書いてあったimpact
な、なんだって~~っ(!o!)
単純計算で46歳……川村毅とほとんど変わらないじゃん。これも別の意味で「面妖」なり~。
し、信じらんねえ(@∀@) ドスン(PCのマウスを握ったまま床にパッタリ倒れる音)

だーって、半ズボン似合い過ぎ!
白タイツはいた脚は細くてキレイだし……。
サッシュまいた腰も細過ぎよーdanger

ま。参りました_(_^_)_ ペッタリ

で、それに対し彼を誘惑する「美少女」の菅野菜保之は、どー見てもガタイのよろしいオヤヂ--じゃなかったケバいオバハン。特に横じまの靴下がキョーレツです。
元々男が演じる役だそうだが、いくらなんでもこりゃあんまりだー。むくつけき「美少女」が少年の柳腰に腕を回して押し倒す所なんぞ、いかがわしさ&オソロシさの極致。正視に耐えぬとはこのことよ。
ん?誰だ?!クスクス笑っているのは。むむむ、分かったぞ、貴様らフ女子だなー。

難は中心の二人が出てない場面になると、いささか舞台への求心力を失ってしまうこと。それと、「美女の亡霊」役のおねーさまがたにはラインダンスの場面はちゃんとヒールの高い靴を履いて欲しかったわねー。(そういう問題か)
あと、マリーが拾った水夫は本来筋肉ムキムキ男という設定だと思うのだが、なぜか歌舞伎町のホストみたいな優男なのも疑問であった。これは単に川村毅の趣味か、それともわざとか?

しかも、不可解なことにバッハの受難曲が流れる中、悲劇が完遂して終幕になろうとする時、なぜかマリーと美少年は突然に地の声で嬉しそうに「フフッ」と笑うと、活人画よろしく二人でピエタのポーズを取って見せて(「天地創造」もやったというのだが私は見逃した)、続いて出演者全員で「最後の晩餐」をやって(手塚とおるがイエスの役)本当の幕となったのであった。

はて?これはいずこの悲劇も同じような繰り返しとでも言うのだろうか(?_?) それとも全ては悪ふざけに過ぎなかったのか。

いずれにしろ美しさのかけらもないその徹底した美意識--じゃなくて「醜意識」は大したモン。あまりの毒気にやられて気がつくと知らず叫んでいたのであった。
これからは川村毅は他人の作品の演出を中心にやった方がいいんじゃないの?(ご当人はイヤだろうけど)

ところでどーでもいいことだけど、亡霊のおねーさまがたのの中で一番キレイだったのは、カーテンコールで笠木誠の隣にいた人だと思いました。でも、スネ毛は剃っといて欲しかったわねboutique(余計なお世話かしらん)


さてこの芝居、青森県立美術館での寺山修司展の関連企画として10・11日にも演じられるもよう(世田谷の楽日は彼の命日だった)。県立美術館でも全裸男がゴロンと転がるのであろうか。


【関連リンク】
《UN-Blog (仮)》
手塚とおるのファンとおぼしき方の感想。「たとえ本物の18歳に美少年でも、あれほど完璧な美少年にはならなかったでしょう」というのに、激しく同感。

《ミュージアム・アクセス・とーくる のページ》より「青森県立美術館で寺山修司 」
寺山修司展の感想です。「情報の確認をするために美術館にきてるんじゃないのに」というのは、この手の回顧展の本質的なあり方の問題を突いていると思いました。

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2008年5月 4日 (日)

「番線」:読みてし止まん

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本にまつわるエトセトラ
著者:久世番子
新書館2008年

「暴れん坊本屋さん」の作者が、様々な「本」の現場を取材したエッセイ・マンガ。
その取材範囲は友人、編集の担当者など身近なご近所さんから、国会図書館、三省堂辞書編集部まで。
そのテーマは装丁、写植、連載マンガのあおり文句など専門的なこともあれば、本の貸し借りや本棚収納、思い出の教科書など個人的なこともあり。特に外部には窺い知れない国会図書館内部潜入記は興味深くて必見さっ。

いずれの話もユーモアたっぷりで笑わせてくれる。
とりわけ身近なテーマでは、私にも身に覚えのある話が……sweat02
例えば「本棚どかしたら床がひずんでた」なんて(引っ越しの時に判明)。

080504b

それからカラー口絵の番子さんの部屋--まるで自分と同じで笑ってしまった。私も今日買ってきた本(CDも)はとりあえず、袋に入れたまま部屋の隅に転がしておき(転がしたまま存在を忘れることもdash)、本棚に入りきらない本は横積み、友人に借りた本は借りた時の袋に入れて保存。
それから雑誌を読み終えてとりあえず横に置いておこうとすると、なぜか先月号が既にそのまま置いてあったりして……全く同じじゃねえ~かっω(TOT)ω

愛本家の人は必読よんheart02

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2008年5月 3日 (土)

「フィクサー」:看板に偽りあり

080503
監督:トニー・ギルロイ
出演:ジョージ・クルーニー
米国2007年

先日のアカデミー賞で7部門ノミネート。賞レースの第一集団にいた作品である。
他の人の感想を読んでみると、けなすにしろほめるにしろ共通しているのは「こんな話だとは思わなかった」だった。
確かに、私もそう思いました。(^^)/ハイッ

題名と予告から、ジョージ・クルーニー扮する弁護士が「もみ消し屋」としてバリバリ汚い仕事をするのかと思ったら、全然そんな事はなかった。よっぽどあのアヤシイ裏稼業の男集団の方が「もみ消し屋」じゃないの。どころか主人公は逆にもみ消される方だーbomb

離婚して妻子とは別居、ギャンブル癖あり、借金を抱え込み、自らの仕事に疑念を持つ男が、同僚のストレスから自滅的な行動に出た姿を見て悶々と自問自答を始める。
その間に、あーなってこーなって大変なことに。

ただ、どうなんでしょうねえ。話はつまらなくはないんだけど、敵は外部にしかいないから、結局は他人事で本質的な葛藤には至らない。サスペンスものだったら攻撃されて必死!でオッケーになるが、そういう作りじゃないからなー。
ストーリーと表現とテーマがちぐはぐな感じがした。

結局、アカデミー賞を取れたのは助演女優賞のティルダ・スウィントンだけだった。彼女の受賞に疑問を呈している人もいるようだが、もし彼女が演じてなかったらただの「知的な悪女」(定番)になってた可能性あり。
企業の中の歯車の一つとして上司や雇い主の意を汲むことに汲々として膨大なストレスを抱えながら暴走していく人物をうまく演じていたと思う。それに私は、エキセントリックなキャラクターよりも卑小な凡人を演じる方が難しいというのが持論なのだ。

まあ、助演女優賞の他の作品をほとんど見ていないので断言は出来ないが、その資格は十分にあると言えるだろう。とにかく『アメリカン・ギャングスター』のルビー・ディーよりは出演時間が長かったのは確かよ(^O^)
それにしても、T・スウィントンを初めて見たのは今を去ること二十年以上前(?)『カラヴァッジオ』でだが、その時からあまり変わっていないのはスゴイ……お肌の張りの秘訣をぜひ( ^^)// プリーズ

その他どうでもいいこと。
*3匹の馬は、息子の読んでたファンタジー本に写真が載ってたらしい。全く気づかなかった。「なんか、つまらなそうな話。今時のお子様はこういうのが好きなのかしらん」なんて思ってたからか。
*燃えてる車に時計や財布投げ込んでもあまり意味がないと思うが(?_?) 代わりの死体でも放り込めば別だけど。
*予告でやってたけど宮崎アニメの『崖の上のポニョ』って、なんかヤバくないか? またぞろ2ちゃんあたりでアンチスレが燃え上がりそうthunder


主観点:6点
客観点:6点

【関連リンク】
《我想一個人映画美的女人blog》
写真多数あり。本国版のポスター?はバーバラ・クルーガー風でいいですな。

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