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2008年6月22日 (日)

バッハ・コレギウム・ジャパン「ブランデンブルク協奏曲」(川崎)+「古楽耳」のこと

080622
会場:川崎ミューザシンフォニーホール
2008年6月21日

二度め行っちゃいました(^^ゞ
埼玉公演との違いはまず……バディ様の髪型 どーでもいいことですね、ハイ。
チェロは若手の山本徹氏に交替。これまたどーでもいいことですが--そ、その髪型はヲタク的外見10割増しのような(^o^;

マイクが配置されていたのでFMで放送ありか? CDの収録もこの川崎ミューザでやってるとのこと。
当然のことながら、さいたま芸術劇場とは響きが全く違ったけど。残響の差は楽器の音よりも、鈴木(兄)氏のプレトークの聞こえ方で実感。先週は明確に言葉が聞こえたんだが、今回はエコーでモワモワしている。ということは、演奏でもそれだけの差が出るわけだ。収容人員が川崎の三分の一以下のさいたまとでは音の凝縮度が違っているようだった。

第6番では配置が違って、ヴィオローネが真ん中(スパラの隣)に来ていた。鏡の対称形を狙ったんだろうか。

一番最後のカーテンコールでは、一同楽器を適当にとっかえて持って現れた。ツァーにずっと同行してたらしいオーボエの尾崎さんのお子さんは、間近で見ると確かにお父上の面影もあり(^^)

帰りに5分ほど川崎駅のショッピング・モールをふらついて、電車に乗り品川駅で山手線に乗り換えたら、同じ車両に楽器を背負った高田さんがいてビックリ。素早い……
と、思ったら小一時間さんは山本氏を目撃とのこと。
やはり、みなさん明日の公演が控えているからですかねえ。


終演後、歩きながら客の会話で「古楽器はやっぱり単調だねえ、管楽器が入ればまだしも」というような話をもれ聞いて驚いた。
ええーっ(!o!) 私なんか、今日はさすがに二回目だったからそうでもないけど、埼玉公演の時はもうドキドキして「次はどうくるか?そう来たか!」なんて手に汗握って聴いちゃったぐらいなんですが。どこが単調なの

しかし、ネットで検索中にたまたま見つけた「「日本人演奏家」の逆襲」を読むと、これは別に珍しい意見でもないらしい。
コメント欄にも「どこにも差異を見つけられないくらい同じようなフレーズの反復」とある。

確かに、近代以降とそれより前とでは感情表出の方法が全く違っているのは当然である。それを顕著に感じるのは、クラシック音楽のジャンルよりもむしろアイリッシュやスコティッシュなどのトラディショナル・ミュージックだ。
長き伝統を基盤にしながらロックやエスニックなど現代の要素を吸収し共存してきた彼らの音楽だが、いかに悲惨で過酷な内容の歌であろうと淡々と(まさしく「子守歌」のように!)歌うヴォーカル・スタイルは、完全に前近代の領域を残している。
だが、それが現代のミニマル・ミュージックと同じかというと、同意は出来ない。
感情は近代以降のような手法で表出されていないだけで、存在していない訳ではないのだ。それは確かにそこにある。

例えば、私はレオンハルトの『音楽の贈りもの』の「6声のリチェルカーレ」を初めて聴いた時「まるでオルゴールみたい」と思ったのであるが、これは現在のBCJの演奏とどう違うんでしょうかねえ。

それとも、古楽演奏の中に「感情」とか「躍動感」を読み取るには「古楽耳」みたいなものが必要なのか。

まあ、結論は最終名古屋公演を聴いた方々におまかせしちゃおう(;^_^A (と、勝手に他人任せにする)

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