« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

2008年7月26日 (土)

シャルパンティエ「サウルとヨナタンの死」:ダビデとヨナタンに萌えてもエエですか

080726
演奏:コントラポント
会場:トッパンホール
2008年7月21日

花井哲郎率いるコントラポントは過去に2回ぐらい聞いている(多分)。同じく花井氏主宰のカペラはアカペラでルネサンス曲をやっているが、こちらは楽器が入ってそれよりも後の時代を専門にしているとのこと。

今回の演目はシャルパンティエ。なかなか日本では聴けない演目なので、喜び勇んで会場に向かう--と言いたいところだが、寝坊しておまけに時間計算を間違えてギリギリになってしまい、駅から会場まで熱くてムシムシ(~Q~;)している天気の中を10分以内で走る羽目に…… おまけに、座席は自由席だ~。
しかし、幸いなことに(私にとってはです(^^;)結構空席があったので座ることができた。

前半は聖母マリアにちなんだ短めの宗教曲2曲。とはいえ、そこはおフランス・バロックなんで華やかなんである。
後半は旧約聖書に題材を取ったオラトリオ「サウルとヨナタンの死」。なんでもこれは本邦初演ではないかという噂あり。
配役はソプラノ、アルトの女性陣はコーラスのみ。テノール部門はなぜか魔術師の女役が及川豊、サウルを殺す兵士に谷口洋介、ダビデが櫻田亮。バス部門がサムエル(の幽霊)役に小笠原美敬、サウル王は春日保人であった。
それぞれに見せ場・聴かせ場があるのだが、やはり櫻田さんのヨナタンの死を嘆く歌がまさしく「慟哭」という感じで激しく心揺さぶる激唱だった。ウット~リ

しかし、ヨナタンは超が付く美青年ということになっていて、で、しかもダビデは過剰なまでに「私の愛する麗しい兄弟よ~」なんて嘆くもんだから、この二人は一体過去に何があったんじゃろか?などとフ女子ならずとも大いに疑問に思うのは致し方あるまい。今度、旧約聖書をよく読んでみよう(火暴)

楽器は6人という小編成だったが、第1ヴァイオリンの小野萬理をはじめ、文句なしのアンサンブルであった。花井氏はチェンバロ、オルガンにレガールも総動員で演奏していた。

というわけで、内容的には大満足印のコンサートだった。トッパンホールの響きも心地よく、やはりラ・プティット・バンドとかレ・プレジールなんかこのぐらいの会場で聞きたかったですなあ。
しかし、客がチト少なかったのが残念。どうして? シャルパンティエじゃ客は呼べんのかい


会場で同じ主催の「愛の魔法」(鈴木美登里+今村泰典)や、内容不詳の夏休みファミリーコンサート(鈴木(弟)夫妻+若松さんなど)のチケットを売っていたのにはガックリ。郵便振込で申し込んだばっかりだったのに~(+_+)


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

古楽3連チャン放映迫る

来週月曜~水曜にかけて、NHK「ハイビジョン クラシック倶楽部」にて古楽系コンサートの放映がありますぞ。皆様、お忘れなく~(^^)/

まずは、いよっ待ってました!アッコルドーネ……おっと、TV収録されてたのはこっちの公演でしたな。
NHKのHPで見ると、曲目は必聴「オー・ソレ・ミオ」、お魚のケンカの歌、さらにビーズリー+ガッティの甘×甘波状攻撃のモンテヴェルディも入っていてヨカッタのだが、奏者も歌声を披露する革命歌が入ってなくてこれだけは残念無念であった。
とはいえ、あの感動をもう一度……楽しみであるよ

続いて、賛否両論だったラ・プティット・バンドである。
クイケン親爺のスパラのガサガサ音がどう聞こえるか--楽しみであります。当日の私の席ではチェンバロがほとんど聞こえなかったけど、さすがに放送ではマイクで拾ってるんだから聞こえるはず。当日よりもバランスよい音で聴けるかも、と期待している。

それから三日目はカルミニョーラ+ベニス・バロック・オーケストラで、こちらも全曲ヴィヴァルディのプログラム、前日に続きやはり「四季」が入っております。
こちらは再放送だと思うが、ラ・プティット・バンドと連続でやるというのは何かのイヤミでしょうか(^O^)

BSハイヴィジョンでは見られないという方はBS2で8月にやるので乞うご期待。
BSもダメだという人は、「地上波でさっさと放送するんじゃ、ゴルァ。受信料払わんぞ」と 恫喝 お願いのお便りをNHKに出しましょう

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月24日 (木)

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」:19年目の同窓会(ただし出欠回答は「欠席」)

080724
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:ハリソン・フォード
米国2008年

「インディ・ジョーンズ」シリーズ新作である。以前から作る作るという話が持ち上がっていたが、まさかホントにやるとはねえ……(~_~;)
もう、すっかりジーサンなインディなんである。19年ぶりとなれば、今25歳以下の者は三作目の『最後の聖戦』だってリアルタイムでは見ていないか、見たとしても覚えていないはずだ。

しかし、思い起こせばハリソン・フォードはハン・ソロと、このインディ役で、当時ダメ押しの如く絶大な人気を獲得したのであった。(すっかり回想モードへと突入
どのぐらいの人気かというと--関口宏「丸の内のOL100人に聞きました。あなたの好きな外国人男優は誰?」「はいっ、ハリソン・フォード!」、外野「ある、あるっ」「ハリソン・フォード、回答99人!」というぐらいなのであった……。(ちなみに残りの一人は「クリストファー・ウォーケン」であろう)
それぐらいに彼はカッコ良かったし作品自体も驚異的に面白かった。

で、H・フォード以外のスピルバーグもルーカスもすっかりオヤヂ化している今、あまり期待できるところは少ない--なので、タダ券使って見に行ったのであった。だーって、下手に金払って腹立てたら精神衛生上よろしくないしねえ(~ ^~)

まず、のっけから字幕担当者として「あの人」こと冥王の回し者の名が……不吉な予感をかき立てる。
そして、その予感は全く裏切られなかった。_| ̄|○

伏線もひねりもなんもなく、ただ話が進んでいく。アクション場面は派手だが、その合間合間がどうもモッタリしている。キャラクターもただいるだけで、その存在が生かされていない。ケイト・ブランシェットのソ連軍女将校なんて面白そうなのにさ……(演じている本人は楽しそうだったが)。ちなみに部下のソ連兵たちは『エロイカより愛をこめて』のミーシャの部下並みに背後をウロウロしているだけだ。
そういや、折角のジョン・ハートもドクロ抱えてウロウロしているだけだったなあ。
それぞれの登場人物がCGと格闘しているうちに全ては終わっているような印象だった。せめて、マリオンと女将校のガチンコ対決でもあったらまだしもだったが、なーんにもナシ
でも、カレン・アレンの歳では格闘は無理か……(x_x)

なんつーか、「インディ」なんて能天気活劇だからシナリオの出来なんてあんまり関係ないと思っていたが、そんなことないのねー。確かシナリオにゴーサインがなかなか出なくって製作が遅れたと聞いてたが、納得の不出来さである。

予告で『ハムナプトラ3』をやっていたけど、似たような後追い作品がいっぱい出てしまって、もうロートルが今さら出てきて活躍する余地はもうないんだろう。
ラストなんかすっかり同窓会モードである。

ついでに、作品内の価値観が舞台となっている1950年代に合わせたものとなっているのはちょっと驚いた。
つまり、核兵器は少しパワーのある爆弾並み、冷戦下の敵はソ連に決まってるし、南米先住民は「土人」だし、知恵を求める女は罰せられ、配役にアフリカ系など人種的配慮はなし--など。
そういうイヤミは健在であったよ
あと、ジョン・ウィリアムズのあのテーマ音楽だけは懐かしく、そして高揚した。いいね~。音楽だけは歳をとらないからねえ


年寄りの冷や水度:5点
CG活躍度:10点

【関連リンク】
《元・副会長のCinema Days》
新シリーズの主人公は「ジュニア」なんざんしょか? なんだかな~(@_@)

| | | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年7月21日 (月)

「イースタン・プロミス」:倫敦の空の下、死体は流れる

080721
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ
イギリス・カナダ・アメリカ2007年

クロちゃんキタ━━━━(・∀・)━━━━ !!!!!と言いたくなる快作(怪作?)である。『ヒストリー・オブ・バイオレンス』に続くヴィゴ主演によるヴァイオレンスもの第二弾だ。

舞台はロンドン--ていうのがなかなか気づかなかった。ロシア系移民の多い一角らしいが、一体ここはどこの国でしょう(?_?)ってな街並みだ。
産婦人科の看護師のヒロインが、出産して死んでしまった若い母親の家族を、赤ん坊のために探そうとするが……知らずにたどり着いた先はコワ~いロシアン・マフィアの世界であった。

刺青がワルの履歴書代わりになるとか、ボルシチを食わせるレストランがマフィアの根城--というのはTVドラマの『クリミナル・マインド』でもちょうど最近やっていた。そっちは米国の話だが、どこの国でも問題になっているということなのか?
で、そこに出現するは一見温厚そうな老店主、そのボンクラそうな息子、そしてその運転手役の男である。
息子役のヴァンサン・カッセルはどうにもロシア人には見えないが、ボンクラ演技は天下一品と言わずばなるまい。また、父親はアーミン・ミューラー=スタールが演じていて、観客に対しては一貫して温厚な面しか出さないにも関わらず、ウラの冷酷な面も想像させる名演である。

そして主人公の運転手役のヴィゴはというと……私が一目見て思い出したのはモデル兼歌手(でいいのか)のグレース・ジョーンズの大昔のアルバム・ジャケットであった(^^;
アルマーニなんか着ちゃったりして、明らかに仕えているボンクラ息子よりとんがっていてキョーレツな印象。ナオミ・ワッツ扮するヒロインの目線がつい行ってしまうのも仕方なし。こりゃ、どうするよ~。

脚本を書いたのは『堕天使のパスポート』と同じ人で、こっちはトルコ不法移民を題材にしてアフリカ系移民の男が組織にしっぺ返しする話だった。とすると、同様にこれまた混沌とした悪のはびこる世界でなんとか善が生き残る物語であるか、または、最近流行った某マフィア系映画(名前出すとネタバレになってしまうんで封印)みたいな話だろう--となるはずなのだが、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と同じく、脚本と実際の作品のイメージが著しく異なっているのだ。

親子、同胞、義理、裏切り、正義--等等、物語の中で語られることとは別に、ただ全てを覆い尽くすは不毛でザラついた暴力の感触なのである。これはやはり特異としか言いようがない。
その最たるものが話題騒然(^=^;サウナでの主人公の全裸フリ●ン格闘シーンだろうけど、タイルとナイフに素の肉体がぶつかる様相は、見ているだけでイテテテテ(>O<)
クロちゃんは雑誌のインタヴューで「どの取材でもみんな必ず全裸格闘シーンついて聞いてくるねえ」と冗談めかしつつも「『ボーン・アイデンティティー』みたいなアクションにはしたくなかった」と答えていた。
なるほど

ポジティヴな結末にも回収されないその暴力性こそが、この映画の隠れテーマかも知れない。『ボーン』シリーズだけでなく、例えばやはりマフィアと東欧から流出する「ブツ」について描いた『裏切りの闇で眠れ』(そういや、主人公が傍観者的でナゾなのも同じ)あたりと比べて見ていただければ、この異様な暴力描写の違いが分かるだろう。

それにつけても、この全編に横溢するホモ気は何よ(?_?; も、もしかして(-o-;)監督、年くって宗旨替えしたとか……いや、それとも最初から……(>_<;;; あまり深く考えないようにしよう。

ということで、クロちゃんにしては「前向き」とか「ハッピーエンド」とか「救いがある」とか、果ては「変態じゃない!」などという世評には惑わされず鑑賞することをオススメしたい。
次はどんな作品をを作ってくれるかな~。楽しみ楽しみ(^^)


主観点:9点
客観点:8点

| | | コメント (0) | トラックバック (6)

2008年7月20日 (日)

劇団新感線「五右衛門ロック」:熱気ムンムン、コマ劇場

080720
会場:新宿コマ劇場
2008年7月8日~28日

古田新太ウン年ぶりの主役!とか宣伝され、さらにはプレヴュー公演にて古田が怪我か?などと朝のワイドショーで一斉に 宣伝 報道されて大騒ぎの芝居である。
新宿コマ劇場もまもなく取り壊し--ということもあって鼻息も荒く行ってきましたよっ。

コマ劇場って以前一度行ったことあるんだか、それとも初めてなんだかよく覚えてない。椅子など内装などはキレイで老朽化してるとは思えなかったが、天井を見上げれば若干ハゲている部分もあり。その広い会場を埋め尽くすはほとんどが女性客であった。おみやげ(パンフ、グッズ)売り場は熱気ムンムン(殺気立っている時もあり)

内容は「ルパン三世」に「パイレーツ・オブ・カリビアン」、さらには昔懐かし南洋孤島冒険もの?に「ハムレット」もあったりして、そこに歌ありダンスあり殺陣ありで笑いもシリアスも盛り沢山なのであった。おまけに豪華な舞台転換、派手な照明、ロックバンドの生演奏--もうお腹一杯状態である。

さらに豪華客演陣は、石川五右衛門逮捕に命をかける役人に江口洋介、見るからに怪しげなイスパニア人には川平慈英、峰不二子系悪女に松雪泰子、そしてオチャラケ部門担当の古田新太に対しシリアス部門を一手に担うはベテラン北大路欣也などなど。

ただ、あまりに客演陣が豪華過ぎて色んな話が詰め込み過ぎなきらいあり。もしかして劇団の平均年齢が上がってきたんで、疲れさせないように話を分散させたんじゃないのと疑いたくなってしまったぞ(^^;
何より、肝心の五右衛門が主役ぢゃねえ~(`´メ)
狂言回しというか、本当にオチャラケ専門というか、物語の傍流に存在するというか、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウの本来の役割を果たしているみたいな感じであった。
よって古田新太の豪快悪漢ヒーローぶりはあんまり見られなくてチト残念であったよ。

高田聖子は配役に入っているのに、最初出てこなくてどうしたのかと思ったが、後半で登場。松雪泰子との女同士のガチンコ勝負には笑ったし、短いながら殺陣もお見事であった。

全体としては、観る前は「一万ウン千円なんてあまりにもチケット高過ぎだいっ」と思っていたが、終わってみれば十分に元が取れた。満足であ~る \(^o^)/
東京公演の後は大阪もが控えているとか……熱い中、ご苦労さんです。


さて、歌舞伎町の通りの至る所に(2メートルおきぐらいに)イケメンの若いニーチャン達が立っているのだが、あれは何? ホストクラブのホストが金のありそうな女性に声をかけているのか??
友人と「オバハンだとブランドの服とかカバンじゃないと声かけてくれないんじゃないの」と話してたのだが、ちなみに私が所持していたのは地元のローカルなデパートで購入した仕事用のバッグ、友人は中国製のバッタモンだったので、完全無視であった。

ところで、コマ劇場と一緒に隣りの映画館の新宿プラザも無くなってしまうのねえ、残念。歴代の『スターウォーズ』をあの大画面で鑑賞したのもいい思い出であるが、正直言って最近はあまり行ってない。そもそも大画面で観たい映画というのが少なくなってしまったのも理由の一つではある。
歌舞伎町の大画面劇場もあとはミラノ座だけですかねえ……

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月19日 (土)

ギターの黄金郷:イケメン若手3人+オヤヂ、じゃなくてベテラン1名

080719
ハクジュホール古楽ルネサンス2008 第3回
会場:ハクジュホール
2008年7月9日

つのだたかしが企画して、各ジャンルの若手のギタリスト3人と共演したコンサート。
A・アッセルボーンはつのだのソロCDにも参加していたアルゼンチン出身のシンガー・ソングライター。クラシック界からは大萩康司、そしてフラメンコ・ギターの沖仁というメンツであった。
会場は満員御礼で、それぞれのファンが来ていたらしく、色んな客層がまざっていたようだ。

前半は四人が交替で得意のジャンルでソロ演奏を披露。後半は二人ずつ組んでデュオ演奏をした。曲は19世紀末から20世紀前半のものが多かったようだ。
最後は全員揃って、ロドリゴのアランフェス協奏曲をやった。四人で交互にソロ部分を回していく所など、丁々発止かつ和気あいあいとしていた。
ここに至って会場は拍手大喝采+熱気の渦となった。そして、嬉しそうに肩を組んで挨拶する若手3人を、ニコニコと見守るすっかりおとーさんモードのつのだたかしであった。
ただ、終了時間がかなり遅くなってしまって家に着いた時は疲れた( -o-) sigh...

と、かように熱気あふるるコンサートではあったが、個人的に問題だったのは私にとってツボにはまる曲がほとんどなかったことである。今度から、曲目をよくチェックしてから行くことにしよう。


ところで連チャンでハクジュホールに行ったが、どちらも冷房がきき過ぎて{{(>_<)}}寒かった。省エネで頼む。

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月15日 (火)

「西の魔女が死んだ」:異世界の物語

080715
著者:梨木香歩
小学館1996年
*原著は1994年刊

以前から児童文学のジャンルでは評価が高かった作品。映画化された機会に読んでみることにした。

不登校になった主人公の少女が預けられるのが母方の祖母の家。で、そのおばあちゃんが英国人なもんで、兎おいしかの山~という感じでは全然なくて、ターシャ・テューダー調なんである。
各種のハーブが植えられた庭に囲まれ、到着してすぐの食事は紅茶にサンドイッチ、少女が手伝うのはジャム作り……。何やら今時の婦女子が憧れそうなアイテムでいっぱい。
いや、私とて憧れないわけではないが(^-^;なんか違和感バリバリありまくりな印象である。まあ、それこそがファンタジーでもある所以か。

しかし、母娘(祖母と少女の母親)の会話としてこれはどうよ?
「そう。最後にガムテープで止めたとき、私の人生の一部がここに封印されたような気がしたわ」
自分の母親とこんな話し方するなんて私には想像の埒外。「ありえねえ~(@∀@)」ってところ。でもしょうがない、英国人ですから--と納得するしかない。
それから、ややスピリチュアル系がかったストーリーにも違和感があった。

同じく女の子が家を離れて親戚に預けられ、人生の見方が変わる--という話で、最近読んだのでは樹村みのりの(マンガだが)「また明日、ネ」があった。こちらは母親の独身の妹の家に行く。その正体はガサツなイラストレーター……であるからして、物語のタッチはかなり対照的だ。
シチュエーションが似ててもテーマが違うのだから比べてもあまり意味はないが、双方共に家庭菜園と食べものの描写が登場するのが共通している。少女が「回復」するにはこの二つが不可欠なのだろうか?


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月13日 (日)

「平尾雅子ヴィオラ・ダ・ガンバ リサイタル」:完璧なるアンサンブル

080713c
第45回レコード・アカデミー賞受賞記念
マラン・マレの横顔
会場:ハクジュホール
2008年7月8日

平尾雅子の、『マラン・マレの横顔』と題したシリーズのCDの5枚目が発売になった記念で収録曲から抜粋して演奏するコンサート。昨年度のレコード・アカデミー賞(古楽部門?)受賞記念も兼ねている。

なぜか自由席になっていて、当然ながら開演直前には空席ナシ状態だったもよう。たまたま仕事を早めに終われる日だったんでよかったが、そうでなかったら後ろの端っこの席にしか座れなかったかも知れない。

他のメンバーはアーチリュートの金子浩、チェンバロは芝崎久美子、もう一人のガンバが弟子の頼田麗という人。
プログラムは組曲3曲(平尾雅子が独自に編成した組曲含む)とメリトン氏へのトンボー、それに「迷宮」だった。

もはやアンサンブルとして文句なく完成していて、どこがどうと注釈を付けるところもない。マラン・マレの世界を堪能した一夜であった。
ただ、個人的にはもうちょっとテンポの速い演奏が好みなのであったよ

会場はラフな格好の白髪頭の男性が結構いた。定年後数年というぐらいの年齢。もしかして「レコ芸」の読者かしらん。(勝手に推測)

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

古楽アンサンブル「レ・プレジール」:オペラグラス必携の「通」向けコンサート

080713
会場:武蔵野市民文化会館
2008年7月3日

海外から知らないアンサンブルなんかが来るというと、なんだか分からないけどとにかく聴いてみたくなってしまう。
特にこの武蔵野市民文化会館のチラシの煽り文句が毎度のことながらスゴイんだよねー。
「ヤーコプス、サヴァール、マルコンら古楽界の巨匠も認めた」とか
「止め処なく湧き上がる、音楽の歓びの泉」
「2005年の初CDは、世界に大きな衝撃を与え、一躍世界のトップへ!」
「5つの音楽祭に招聘され多忙を極める中、来日決定。関東では武蔵野1回だけ!」
なんて書いてあると、つい浮き足立った気分になり、手は知らず知らずケータイを掴みチケット申し込みをしているのであった(しかも勤務時間中) こりゃもしかして催眠術かなんかか(?_?;

で、このレ・プレジールも全然知らないけど買ってしまったのであった。ダヴィッド・プランティエーというヴァイオリニストが率いる四人のアンサンブルだが、メンバーで知っているのはリュートの野入志津子だけ。彼女のサンボーニのCDは愛聴しておりますよん
グループの正式名称は「レ・プレジール・デュ・パルナッス(パルナッソスの歓び)」なんだが、なぜか短縮形を使用。さらに兵庫公演の方では「パルナッソスの歓び」という日本語の名前でやってたというんだから(詳しくはこちら)訳ワカラン(?_?) 招聘元の勝手かなんか知らんけどグループ名ぐらい統一してくれい。

さて、プログラムは「ヴェストフとヴァルター ドレスデンの巨匠たち」というタイトル。17世紀後半にドレスデンで活躍したバッハの先輩筋に当たる二人のヴァイオリニスト兼作曲家を取り上げたもの。
その合間にバッハのチェンバロ・ソロとヴァイスのリュート曲を挟んである。

冒頭のヴァルターはビーバーを思い起こさせる作風。こちらはふむふむと聴いていたが、ヴェストフのソナタの方は全5楽章で、ヴァイオリンとチェロのゆったりした掛け合い→チェンバロが加わってドトーのように速い演奏→ヴァイオリンを横に抱えて(ウクレレ状態で)つま弾く。チェロもつま弾き、リュートも……ってリュートは当然ですね→チェンバロ+ヴァイオリンの叙情的な曲→最後にようやく四人揃っての演奏。ただし、またもや超特急的な速い曲。
……というような変な構成だった。
休憩挟んで演奏したもう一曲もやはり編成のやり方が凝っていた。当時はこんなのが流行っていたのだろうか?

ヴァルターの二曲目もまたバグパイプやハーディガーディを真似た音を出したり、ウクレレ奏法がここでも出てきたり、一筋縄では行かない様子である。

いずれの演奏でもリーダーのD・プランティエーは卓越した技量で弾きまくっていたもよう。←推定形なのは、私がドシロートでテクニックとか分からんからであります
そういう意味では、取り上げた作曲家といい、「通」向けのコンサートだったと言えるだろう。
珍しい作曲家なんでロビーではCDがガバガバ売れていたようだった。

ただ、ヴァイスのリュート独奏は武蔵野市民文化会館では「音が鳴っている」ぐらいのレベルでしか聞こえないのは残念。微妙なニュアンスなど全く分からない。元々残響が少ないホールだし(多目的ホールとして建てられたのか?)仕方ないとはいえ……(>_<)
武蔵野はプログラムはいいけど、ハコの方がどうにも好きになれんのであるよ。

チェロのM・アムライン女史はTVドラマの『ザ・ホワイトハウス』のCJに似た大柄な女性でまさに「女史」という印象。
一方、鍵盤のA・マルキオルは小柄で細くって、メガネや髪型から子供のころは「博士くん」とかあだ名が付いていたんじゃないかと思えるような外見だった。(「博士」って『ひょっこりひょうたん島』ですね(^^;) 古過ぎ~)


会場がある三鷹駅周辺は今、再開発まっさかりなのか、前回来て数ヶ月しか経っていないと思うのだが、新しい店やビルが次々と出現してるのには驚いた。
特に会場途中にある白い低い扁平な建物が延々と続いているのはなに マンション出来るのかと思ったら、人造人間造ってる秘密工場みたいな感じだった。
それから駅前にあった、鬱蒼と古い木々が茂っていたお屋敷?も取り壊されちゃって大変だ~。

【関連リンク】
《気ままなViola!》
鍵盤のマルキオル氏が美男子だというのは複数証言あり。私の席は後ろの方だったので目鼻立ちまでは分からなかったのよ~(;_;)グスン こんなことだったらオペラグラス持ってけばよかった(火暴)
080713b


←こちらのチラシの煽りもキョーレツです


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 6日 (日)

「幻影師アイゼンハイム」:急転直下の種明かし

080706
監督:ニール・バーガー
出演:エドワード・ノートン
米国・チェコ2006年

時は世紀末、所はウィーン。
そこに現れたる奇術師一人--じゃなかったイリュージョニストっていうのね(^^;)
巷で大評判となったその舞台を皇太子とその婚約者が見に来るが、なんと婚約者は幼なじみの公爵令嬢ソフィたんではあ~りませぬかっ(!o!)

近い時代の似たような奇術師ネタといえば『プレステージ』があったが、あちらは二人の男の因縁話で、こっちはミステリー仕立ての男女の三角関係が主軸。
殺人がからんで、ブチ切れてる皇太子と、将来の出世を目当てに彼に仕える警部、そして何やら怪しげでもあるアイゼンハイム--主役のE・ノートン、警部役のP・ジアマッティは言うまでもなく、さらに皇太子役のルーファス・シーウェルが加わって三つ巴の好演だ。尊大で傲慢な皇太子を巧みに演じていて、ラストちょっと皇太子が自業自得とはいえ可哀想になってしまったのは、彼の演技のおかげだろうかねえ。
一方、ヒロイン役のジェシカ・ビールは今イチ貴族の令嬢には見えず、マイナスポイントとなった。でも、少女時代の子役は超美少女でやんすね。

脚本の構成や性格描写もうまくできている。
さらに古い街並みはプラハ?で実際にロケしていて重厚で美しい。衣装や小道具も文句なしである。フィリップ・グラスの音楽もよかった。

ただ、ラストの謎解きがあまりに性急なのはなんじゃらホイ(?_?;という印象。原作はS・ミルハウザーだが、この件りはあまりに映画的で小説だったらやらないだろうなと思った。(実際、原作とはかなり違っているらしい)
それと、イリュージョンの舞台自体はあまり魅力的でないのが難だ。

この映画はなかなか日本での公開が決まらなかったそうな。なぜだー(-_-;)
そういや、一部で評価が高かったベン・アフレック監督作の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は遂に未公開のままDVDが出てしまった。探偵もの好きだから見たかったのにさっ。残念無念であ~る(~ ^~)


主観点:7点
客観点:8点

| | | コメント (0) | トラックバック (5)

2008年7月 5日 (土)

「反貧困」:新たなる奴隷制が今や成立する

080705b
「すべり台社会」からの脱出
著者:湯浅誠
岩波新書2007年

自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長による日本の貧困問題に関する書。
前半が実情報告、後半はそれに対する活動や試みを紹介している。
とはいえ、岩波新書だけあって?単なる報告だけでなく冷静な現状分析や今後への提言なども含んでいる。
この問題に関する基本書になると言ってもよい。

中で紹介されている事例で驚いたのは、失業状態になって実家に家族と共に住みながら食べさせて貰えず餓えている男性のエピソードであった。
そんなことがあるのか(?_?;--と思ってしまう。
企業から排除されさらに家族からも排除されてしまったら、もはや行く先は無いも同然だろう。

また生活保護基準の切り下げは、低所得者向けの社会福祉サービスの基準と連動していて、コトは生活保護の対象者に限ったことではないという指摘も目を引いた。以前、朝日ニュースターの「パックインジャーナル」で「公的な手当の減額は実質的な増税である」という話が出ていたが、これなどはまさに最底辺の人びとから金をふんだくるのと同じ話である。
それから、派遣や請負の賃金から違法な天引きをするピンハネ事例も紹介されていたが、『ルポ最底辺』(生田武志)にはホームレスに生活保護を受けさせてそれをピンハネする「商売」の話が出ていた。
「貧困ビジネス」とは、まさに麗しき資本主義ならではであるよ

このような貧困問題は親から子へ受け継がれていく「世襲」となり、やがては固定した階層となる可能性を考えると、もはや新たなる「奴隷制」と言ってもよいだろう。
国家間においてはかつてのような植民地は存在せず、現在では経済による間接的支配が行われているが、それと同様に現代の新たなる「奴隷」は自ら望んで、自己責任で奴隷になったとされて、だれも罪には問われないのである(当人以外は)。

しかし、そこから絞り上げられた利潤は一体どこへ吸い取られていくのだろうか。なに、国際競争力をつけるって?
いやはや、国栄えて国民貧す。結構なことであるなあ \(^o^)/


| | | コメント (0) | トラックバック (0)

「アフタースクール」:また騙された……

080705

監督:内田けんじ
出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人
日本2007年

前作『運命じゃない人』が大評判となった監督の新作。
今回はシネコンでも公開だ。すごい大出世だぞ~

中心人物三人は一流商社につとめるサラリーマン、中学校教師、怪しげな探偵--と、これぐらいしか紹介できない。あらすじ書いたら全てがネタバレになりかねないのだ。

そもそも、この映画のトリックには観客の一方的な思い込みを利用した部分が結構ある。だから、こんな話であると紹介したらそこで既にネタバレか、あるいはトリックに荷担していることになるのであった。
かえって、これまで一度も映画やドラマを見たことのない人だったら先入観がなくて騙されないかも知れない。
その点では観客の「常識」度(先入観)を試す作品かも。なぜなら、それは観る者の人間についての思い込みでもあるんだよなあ(~_~;)

描かれているのは前作同様、客が見たつもりになっていることは全く信じられない。で、逆転、逆転……最後には全部がひっくり返るのである。で、やっぱり騙されたのであった。
ただ、終盤の解明パートに至るまでの部分にちょっと緊張感に欠ける印象あり。だから、前作の方が小粒であったが、全体としては評価は少し上かな。
監督の次作には大期待したい。

脇の役者が変な人が多くて面白かった。
中学生の時の子役、二人とも美少女美少年であ~る


主観点:7点
客観点:7点

| | | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年7月 3日 (木)

「英国美術の現代史:ターナー賞の歩み展」:アートの価値を金額と賞以外の何で計れようか

080703a
会場:森美術館
2008年4月25日~7月13日

ターナー賞である。
なんてったって、D・ハーストの輪切り牛--じゃなくて縦切り牛である。
期待して行ったんである

しかし、予想よりも整然とした印象。パネルで同じ年に候補にされた他の作品を紹介してくれてるが、数秒で次の画面に変わっちゃうので「ふーむ、こんなモンもあんなモンもあったのね」で終わっちゃう。
で、授賞式はテレビ中継されてるとかマドンナがプレゼンターだとか……。
そうすると、ターナー賞って、グラミー賞やアカデミー賞と同じようなものだったんですかい(?_?;と問いたくなってしまった。
だったら、受賞作には「昨年のハリウッドはウツで暗い作品が流行」という以上の意味はないんだろう。

そう見れば、この展覧会はよく言うとヴァラエティに富んでいるが、悪くいえば総花的でとりとめもない、ということになる。

期待のハーストの「牛」は予想よりも地味~。古い学校の実験室のホルマリン漬け標本みたいな禍々しさは一切なく、キレイにまとまっている。そこら辺はやはりハーストっぽいと言えるか。
ところで、彼は作品をみんなアシスタントに作らせてるってホントかね?

まあ、他にも名前のみ聞いているような作品の実物を見られたのはよかった。これが結論か


「MAMプロジェクト」というコーナーではサスキア・オルドウォーバースの映像作品2点を上映。CGやミニチュア・セットを使ったらしい映像は悪夢のように溶解するイメージと、にもかかわらず奇妙な清潔感がある。さらにナレーションが入ってモノローグ風に物語を語る。
その退廃感はJ・G・バラードの短編を思い起こさせた。
これは見れてヨカッタ(*^-^*)
080703b

帰りにアフタヌーン・ティーでお茶しようと思ったら、潰れてなくなっていた。なんてこったい(!o!)

←曇りの日の東京タワーを写す

| | | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »