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2008年11月23日 (日)

「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」:何か魔法の如き気配

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会場:Bunkamuraザ・ミュージアム
2008年11月8日~12月23日

恥ずかしながらこの展覧会に行くまで知りませんでした。
ワイエスがまだ 存命していた ことを(火暴)
お恥ずかしい……( (((( (;^^)/ コソコソ

過去にも大規模な展覧会が開かれたようだが、今回の特徴はテンペラ画の完成に至るまでの習作(スケッチ、水彩画)が複数展示されていることである。
同じ題材なのに、それぞれ描き方が微妙に異なっていき、テンペラ画になった時には全く別の構図になってたりすることもあるのが非常に興味深い。中には最初の中心だった物やヒトが最後には消えてしまうこともある。
ただ、習作だけで肝心な完成作が来てないものがあった(有名な「クリスティーナの世界」など)のは残念。

ワイエスの絵でいつも不思議に思うのは、なんてことのない日常的なものを描いているのに、何か特別で奇妙な雰囲気があることだ。納屋の内部とか屋根とか海岸の岩とか--。人物だって、言ってみれば隣人やご近所の友人に過ぎないはず。
それなのになぜ(?_?) そこにはもはやリアリズムを突き抜けた幻想性とでも言えるものがある。

また、実物で見て初めて分かる繊細な質感に驚いた。「野に置かれた義手」の奥の方に描かれた緑に覆われた山の表面。あるいは「早い雪」の家の前にうっすらと吹き溜まった雪。「松ぼっくり男爵」の道路の轍。その信じがたいほどの微小な描写に感心して思わず何度も眺めてしまった。
近年の作品では、完成作のテンペラ画よりその前の水彩画の方が「こっちのがいいんでは?」と感じられたのが何点かあった。

もう一つ驚いたのは、題材とされたオルソン家の住宅やワイエスの家の納屋が「18世紀末に建てられた」とか「百年前のもの」などと解説にあったことである。日本が地震国であることを差し引いても、かの国となんだか根本的に建築に対する考え方が違うのではないかと強く感じた。
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ミュージアム・ショップでまた物欲がムラムラと湧きかけたが、今回はガマンガマンと良い子になって帰ったのであった。

【追記】
2009年1月16日亡くなったそうである。
今回の展覧会のために日本向けに行ったインタヴュー映像が会場で流されていて、まだまだ元気だったような様子だったのだが……ま、大往生ですかね。
ご冥福をお祈りします(-人-)

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コメント

 いや、私も実は1〜2年前、アメリカのどっかの美術館展をみて、ワイエスの生没年の没年が書かれていなかったので、「あ、まだ生きてるんだ(失礼)」と気がついたんでした。

 ワイエス展かあ、いいですねえ。関西にも来ないかなあ。

投稿: しの | 2008年12月 5日 (金) 01時52分

ワイエスは大量に作品を描いた(今も描いているとか)ので、日本国内にあるのをかき集めればもっと展覧会できそうですねえ。
それにしても生「クリスティーナ」見てみたかったです。ワイエスご本人ぐらい長生きすればまだまだ見られるかも(^o^;

投稿: さわやか革命 | 2008年12月 6日 (土) 12時13分

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