「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」:支配への欲望を抱いているのはだ~れだ?
監督:ブラザーズ・クエイ
出演:アミラ・カサール、ゴットフリード・ジョン
イギリス・ドイツ・フランス2005年
名前は今までさんざん耳にしてきたものの、クエイ兄弟の作品を見るのは初めてである。ストーリーがマッド・サイエンティスト&音楽ものということで興味をそそられて行ってみた。
孤島に住む天才科学者(定番)が美しい歌姫を婚約者の目の前でステージ上から拉致誘拐! 彼はロボットのような庭師たちを使い、怪しげなたくらみを企てているらしい。
博士に呼ばれた調律師の目を通してその一部始終が明らかにされる。
--と書くと面白そうなんだけど、実際にはかなりテンポが遅い展開で、見ていて緊張感が失せてしまう。上映時間が99分とは信じられないほど長く感じられた。
調律師が調律する自動演奏機械の人形など悪夢的なイメージが充満しているし、その背後には淫猥なユーモアもあったりしてそういう点では文句は無いんだけど……。
ミクシィの方の感想に博士が「外見からしてとてもマッド・サイエンティストには見えない。あれではただのエロシジイだ」と書いてあって笑ってしまったが、役者の選び方というか好みもかなり片寄っているようだ。大体にして女優二人出ているが二人とも似たようなタイプ。最初見た時区別がつかなくて、これが監督兄弟の好みのタイプなのかしらん、なんて思っちゃったぐらい。
しかも音楽が題材にも関わらずほとんど音楽が使われてなくて、そういう意味でもガッカリである。登場したのはヴィヴァルディが一曲のみで、しかも伴奏がテオルボのはずなのだがどうもそのボロンボロンという音がそうは聞こえなくて、「もしかして鉄骨チェンバロならぬ鉄骨テオルボかっ(!o!)」などと想像してしまった。
さらに博士は歌手をさらってきた割にはあまり彼女の歌には興味が無いみたい。歌手は歌ってナンボ、歌ってこそ美しさも百万倍ですぜ。歌ってくれなきゃ詰まんな~い
しかも彼女の誘拐方法が一旦殺してから再び蘇生させる(これは原作もそうなのかも知れないが)という点や、人物たちの描き方などを見ると、人間を支配して思うままに操りたいのはマッド・サイエンティストの博士よりも監督兄弟の方ではないかと訝しく思えてきた。
実写の監督でも役者を人形並みに扱っている(と傍からは見える)のを感じさせるタイプはいるが、ここまで露骨ににその欲望をあからさまにしているのはさすがに見たことがない。
全てが終焉した後に人物たちが自動演奏機械の中の物語の枠に収まっている光景を見ると、ますますその感が強まったのである。
まあ、私にはこの作品は「ネコに小判
」だったってことで--。
主観点:6点
客観点:7点
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コメント
こんばんは
ああ、鉄骨テオルボって感じの音ですね〜確かに。。
クレジットにはしっかりテオルボってありましたからね、どういう録音だったんだろう??
「すべてを支配したいのは監督だ」って、あああるほど〜
まちがいなくそうですねきっと。
でなきゃあのラストを希求しないでしょうね。
投稿: manimani | 2008年11月14日 (金) 23時59分
コメントとTBありがとうです。
どうもこの映画は相性が悪いというのか、集中力が持続しないし、「むっ、この背後に潜む意味は?」なんて事も考える気も失せてしまったようです。
鉄骨テオルボの他にも使われてた楽器も変な音でしたねー。なんだかとてもクレジットの通りの普通の楽器を使っていたとは思えません。
む?これにも何か意図が
投稿: さわやか革命 | 2008年11月15日 (土) 20時18分