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2008年12月

2008年12月31日 (水)

人並みに2008年回顧なんぞをしてみた

古楽系コンサートで印象に残ったのを挙げてみました。(公演日順)

「ヴェルサイユの祝祭 5 華麗なる宮廷舞踏」の中でのオペラ『アルミード』
このプログラム全体では色々であったが(^^;『アルミード』の一場面を再現した部分は素晴らしかった。今でも目に浮かびます。

タブラトゥーラ「新しい自転車」記念コンサート
あの上品なハクジュホールがライヴハウス並みの騒ぎに! 最前列で見ると迫力もひとしおでした。

「老バッハとサン・スーシ宮殿の音楽」での有田千代子による「3声のリチェルカーレ」
まさに「心奪われる」とはこのこと。忘れられません。

アッコルドーネ「歌と魔法」
TV放映されたのは津田ホールでの公演だったが、演奏者と客のノリ、プログラム内容、会場の熱気など絶対に王子ホールの方が上だった。この演奏をナマで見られてわたしゃシ・ア・ワ・セ(*^-^*) ポッ

「人生の喜びを知るヘンデルのヴァイオリン・ソナタ」
細かい演奏がどーのこーのより、ホントに聴く事自体が心地よかったです。窓越しに徐々に濃くなっていく夕闇の中を、家路につくご近所の人びとが通り過ぎていくのが見えるのも印象的でした。
しかし、目白バ・ロック音楽祭の、このタイトルの付け方はなんとかして欲しい。来年はどうなるんでしょうかねえ。

エルヴェ・ニケ指揮ル・コンセール・スピリテュエル公演
やはり下半期はこれですねー。


*次点:歌物語「オーカッサンとニコレット」(ジョングルール・ボン・ミュジシャン)
ちと長過ぎるのが難。

【功労賞】
寺神戸亮の「楽器の進化・ヴァイオリン編」「古楽への扉」の二つのレクチャーコンサート
上野では超格安値、北とぴあは無料……にしては長時間のテンコ盛りの内容に対して。というより……もしかして喋りだしたら止まらない性格ですかっ?

注-BCJの公演については今さらながらなんで、除外しました(^^ゞ

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「中野振一郎のゴールドベルク2008」:鍵盤の響きで終う師走かな

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会場:東京文化会館小ホール
2008年12月28日

正真正銘、今年のラストコンサートである。最近は年末にゴルトベルク変奏曲を演奏するのが流行なのかどうか不明だが、確か東京周辺でもこの時期に3つぐらい公演があったようである。

過去に生で聴いたことあるのは、武久源造と鈴木(兄)かな?(多分)
しかし、どうもバッハのチェンバロ曲ってなんとなく学究的な気分になっちゃって「楽しんで聴く」という感じにならないんだよねー。どういうこったい

やはり今回もそうなってしまった。あの「最速」中野氏がゴルトベルクをどのように弾くかは興味があったんだけど。
ご当人も解説に、これを演奏する時は「中野でない中野を見ているようだ」と言われると書いているが、なるほど前半はそういう印象。しかし、後半はやはり「中野節」が出てきたような--。
とはいえ、バッハの鍵盤音楽を聴くにはまだたまだ修行が足りぬ自分を自覚したのであった。

それにしても、この時期にわざわざゴルトベルクを聴きに来るような人はよほどのマニアなのか、客席からは時節柄の咳が聞こえるぐらいで後はシンと静まり返っていた。もちろん、ケータイ鳴らすヤツとかチラシをバサッと落とすヤツはいなかったようだ。これはオドロキである。

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「石田徹也-僕たちの自画像-展」:苦痛の残滓

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会場:練馬区立美術館
2008年11月9日~12月28日

以前から書店で画集を見かけて気になっていた石田徹也。なかなか時間が取れなくて、ようやく終了間際に作品展に行ってきた。
彼は数年前に亡くなった若い画家だが、会場は若い人だけでなく様々な年齢の男女で賑わっていた。

初期の作品はサラリーマンや若者の無機的な生活を自虐的なユーモアをまぶして寓意的に描いている。だが、やがて沈鬱なイメージが氾濫、描かれている内容もなんだかドロドロした悪夢のように変化してくる。それは痛ましいほどである。
野次馬的な観点からみると、プライベートでなんかあったのかしらん?などと詮索してしまいたくなるような変容だ。
作品の大きさも結構あって、画集だと全く気づかなかったが、床板の木目とか草木などかなり細かく書き込んであったのが意外に思った。

『不思議の国のアリス』のチェシャ猫が姿は消えても笑いだけが残っていくように、見ていると作品としての絵画は消えても、自傷的な苦痛のイメージが残る……そんな作品群であった。

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2008年12月30日 (火)

「ヤング@ハート」:年は取っても歌は錦だいっ

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監督:スティーヴン・ウォーカー
出演:歌う後期高齢者の方々&ボブ
イギリス2007年

なんと平均年齢80歳のコーラス隊の活動を追ったドキュメンタリーである。米国はマサチューセッツの田舎町に二十年以上も前に創設されたのだという。なんと海外ツァーまでしちゃってるのだ。
年寄りゆえ、団員が好きな音楽はクラシック、オペラ……だが、なぜか実際に歌うのはロック、パンク、R&Bなどなどなのであった。
これは指導者のボブ・シルマン(この人は若い)の趣味らしい。なんつっても好きなのがトーキング・ヘッズだっていうんだから。
しかし、ですよいい歳こいたジーサンバーサンに

 ソ ニ ッ ク ・ ユ ー ス 歌 わ せ る か ~ (>O<)

しかも、コンサートまでに見事に自分たちの歌にしてしまったのはオドロキモモノキ三年カキ八年なのであった。
それよりもアラン・トゥーサンの「イエス・ウィ・キャン」の方が難しかったというのが興味深い。あのノリは却ってやりにくいのか。
それに、若いモン向けの歌のはずなのに、彼らが歌うと粋な味わいと含蓄が出てくるというのがまた不思議。マジにビージーズの「ステイン・アライヴ」なんて文字通りなんで笑えません。

老人ホームから通う者あれば、酸素ボンベ引きずりながら来る者もあり。一応、主立ったメンバーに単独インタビューなどが挟まれるが、それぞれの過去の話にはあまり立ち入らない。やはり現在の活動が中心なのであった。
しかし、高齢ゆえ途中で倒れたり、さらには亡くなってしまうメンバーも出てくる。

そういう山あり谷ありの劇的な部分もあるが、この映画が面白いのは『未来を写した子どもたち』でもそうだったように、やっぱりバーサンズ&ジーサンズの歌が素晴らしいから。

生きるエネルギーがちょびっと増加したような気分。これが「芸術」というヤツの効用でしょうか \(^o^)/


後期高齢者度:9点
ロック度:8点

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2008年12月29日 (月)

来年の来日予定(果たして全員来られるか!)

雑誌「アントレ」の最新号に「2009年 来日アーティスト情報」が載っていた。

*ロベルタ・マメリ 2月:既にチケットはゲット済み。
*デュメストル&ル・ポエム・アルモニーク 4月:横浜にするか王子ホールにするか思案中。演奏会形式なんざんしょか?
*ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 5月:公演内容がハッキリせんとね。
*グスタフ・レオンハルト 5月:レオ爺またまたクル~ッ! 今回はパスかも。
*アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット 6月:オリジナル・メンバーに戻ったとのことで、期待大。
*第11回 福岡古楽音楽祭 9月:今度は木管楽器特集とのこと。メンツを見るとうらやましくなってしまう。いいなあ
*ドミニク・ヴィス&クレマン・ジャヌカン・アンサンブル 9月:こうなったら、とことん付き合います。
*モーリス・シュテーガー&北谷直樹 10月:いかにも武蔵野市民文化会館風の通な人選か。と言ってもシュテーガーというリコーダー吹きは知らないんだけど。
*第7回ヘンデル・フェスティバル・ジャパン 11月&2010年2月:今から期待がふくらんでおります。
*ピエール・アンタイ 11月:プログラムによって行くか行かないか。
*レッド・プリースト 12月:またもや来日。新しいプログラムがあったら行くかも。

この皆さんが、無事に来日できるように心から祈っております(-人-)
雑誌の締め切りの関係上、コープマン&ABOの予定も載ってるが……

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「未来を写した子どもたち」:子どもに未来はある。だがそれを選べない。

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監督:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
出演:売春窟のお子様たち
米国2004年

2004年のアカデミー賞ドキュメンタリー長編部門を取った作品である。原題は「売春窟に生まれて:カルカッタの赤線地帯の子どもたち」というあられもないものだが、内容的にはこちらの方がピッタリだろう。別に未来を写せたわけではないのだから。

恐らくは健全な市民からは忌み嫌われる地域の最下層の子どもたち--周囲の大人はおおよそ生気もなく、代々女は娼婦、男はポン引きかヤク中みたいな世界で希望はない(-_-;) 当の子どもたちも、自分の未来について驚くほど達観している。
取材のためにカルカッタのその街に滞在している米国人カメラマンのザナは、そんな子どもたちのために写真教室をボランティアで開き、自分がやっていることは独善ではないかと自問自答しながらも、さらには海外のコンクールに参加させようとしたり寄宿学校へ入れてやろうと奔走する。

彼女の努力はある子については成功し、ある子については頓挫する。それらの出来事を悲壮感などは一切なく、カメラはただ淡々と追って行くのである。

しかし、これは日本とは縁のない話なのであろうか。確かに日本はインドほど貧富の格差はないが、『教育格差が日本を没落させる』(洋泉社新書y)という本を読んでいたら、高校生がバイトをして授業料を稼いでも親がその金を取りあげてしまう、という話が出てきた。インドの方がまだ学歴信仰が生きている(学校さえ出れば出世できる)だけマシかも知れない。

とはいえ、このドキュメンタリーが内容に関わらずドンヨリしてないのは、やはり肝心の子どもたちの写真が素敵であることや、或いはバスに乗って海に撮影旅行に行った時に初めて触る海に嬉しくてキャーキャー言ってる彼らの姿を見ているとこちらも嬉しくなってしまうからだろう。
それにしてもオランダの写真展に行って堂々と意見を述べるアヴィジット君11歳なかなかできることではありません(;^_^A

ただ、同時にそれはザナという才能を引き出す優れた指導者がいたからでもあろう。指導者の才能というのもあるんだよね……。
だが、教育において一番先に削られてしまうのは芸術関係の授業である。前掲書でも米国で予算がなくて体育や音楽の授業がなくなる(用具が買えないため)話が出てくるが、日本でも芸術科の教師は臨時採用の非正規職員に変えられつつある。まあ、確かに受験には関係ないし、子どもの「芸術力」なんて誰も気にしないのだから。

同系統のテーマのドキュメンタリー『ウォーダンス』も見たかったけど、残念ながら見に行く前に終了してしまった(+_+)


芸術力:9点
未来力:4点

【関連リンク】
《雑誌「スナフキン生活」》
この中で引用されている元の文章が
「売春婦の諦めと、首相の勘違い。」
「売春婦の娘が売春婦に向いているとは限らないのだ」が当然といえば当然過ぎです。

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2008年12月28日 (日)

「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによるJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲」:忘れられた歳月を埋めることは可能か

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演奏:寺神戸亮
会場:近江楽堂
2008年12月16日

久々に寺神戸氏のスパラ独奏会に行った。前回は目白バロック祭りの時だ。この時は柱の影でなんも見えない状態だったし、まだスパラもできたてのホヤホヤみたいな印象で、弾きこなすので精一杯のようだった。

今回、無伴奏チェロ公演を各地で連続でやるようだったので、松明堂で二日間に分けて全曲演奏するという趣向のコンサートに行こうと思っていたら、なんとヘンデル二連チャンと時間まで完全に重なってしまっていることに気づき中止。なんでよ(T_T)
それで近江楽堂の方に行くことにしたのである。

こちらでは、第2・3・6番を演奏。1時間前にプレ・トーク付きだ。職場を早引きできたので、座席確保の目的もあってプレ・トークから行った。

トークの内容はヴィオラ・ダ・ブラッチョ属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の違いや作られてきた過程など弦楽器の歴史的な基本解説。それからバッハの時代はどうだったのか、など。さらに実演でチェロよりも無伴奏が弾きやすいことを説明してくれた。
ただ、最後にこれはスパラが「正しい」事を主張するのではなく、バッハの曲の新たな姿がよい所も悪い所も含めて分かるのではないか、という意図だと注釈があった。

30分の休憩後に演奏開始。プレトークの時は人が少なかったが、ここでほぼ満員状態となった。
通して聞いて感じたのは、ガンバに似ているということ。音が似ているのではなく、音のあり方の性質が似ていると言った方がいいだろうか。
音自体はやはりファゴットっぽいが、不安定でこれっと決まった音像を持っていない所がガンバと共通していると思った。音の高低や曲調により聞こえる音のイメージが違うし、演奏者によっても大きく変化するし、ソロかアンサンブルの中にいるかによっても異なってしまう。
そのようなものはまともな楽器ではないと思う人にとっては聞くに耐えないものだろう(現に、今でもガンバの音に拒否反応を示す人もいる)。

しかし、ガンバも一旦は忘れ去られて復活した楽器である。その後数十年かかって現在の域に達しているのだから、ましてや完全消滅してしまったスパラについてはウン十年の単位で見なくては正直評価できないだろう。
十年後に寺神戸さんが全く違った演奏をしているかも知れないし、或いはスパラの新境地を開くような新しい演奏者が出現するも知れない。そして、またすっかり忘れられてしまう可能性も……

ということで、結論は「まだまだ発展途上」なんである。
それにしても、松明堂で聴いてみたかったなあ(~o~)

【関連リンク】
《エンターテイメント日誌》
大阪での2日間に渡るコンサートの様子。アンコールは東京でも同じく「無伴奏フルート」だったが、そもそもスパラが「木管系」の音なんでピッタリはまっていたのには驚いた。ここら辺にも曲によって表情を変える楽器というのが表れているようだ。

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2008年12月27日 (土)

コープマン危うし?!

《アルチーナのブログ》にて、コープマン&ABO公演の危機を知る。

(☆o◎;)ガーン!! もう、とっくにチケット買っちゃったですよ。
そうですか、目白バ・ロック音楽祭もですか……。
来るべきものが遂にキタ~ッという感じですかねえ(x_x)

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ただの紙切れと化すのでしょうか?

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2008年12月25日 (木)

「ウォーリー」(字幕版):前半の詩情、後半の風刺

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監督:アンドリュー・スタントン
出演:ロボットの皆さん、人間の皆さん、ゴキ●●一匹
米国2008年

名も知らぬ遠き船より~、流れ来たるロボット一つ

待望のピクサー・アニメ来たキタキターッヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ……ということで、わざわざ字幕版探して見てきました。

人間が地球を去って700年、廃品回収ロボットのウォーリーは、他のロボットがすべて壊れてしまった後も一人セッセコとゴミ回収→圧縮作業を律義に繰り返し、塔状に積み上げたゴミのキューブは摩天楼の廃墟と見紛うほどになっている。ここら辺の描写の映像は見事なもんである。
彼の数少ない楽しみは古いミュージカル映画(『ハロー・ドーリー!』)の男女が歌い踊る場面のビデオを見ることと、お宝廃品の収集。
そんな彼の前に突然、飛来した巨大宇宙船の中から凶暴ツンデレ美女(?)ロボット・イヴが出現したのであった(!o!)

てな訳で、前半はほとんどセリフもなく孤独で荒廃した世界の淡々とした描写が中心を占めている。後半になると打って変わって、宇宙船に回収されてしまったイヴを追いかけて宇宙を股に--じゃなくてキャタピラにかけたドタバタ風展開となる。

ここでようやく人間が登場。遠い昔、人間は数年間留守にしている間に環境をクリーンにしてくれるという宇宙クルーズ・ツァーに出ていたはずなのだが……。
しかしまあ、ロボット達がそれぞれユニークで個性豊かなのに、人間たちのなんと画一的で醜悪なことよ ブヨブヨと肥満して自分の足で立つこともできないのだ。
これは飽食の極致である米国人を風刺していると思われるが、一方で常にモニターから目を離さず、片手にカロリー高そうなジャンクフードを離さない姿は、地域に関係なくケータイ・ネット依存症の現代人を思い起こさせる。
なにせ、日本でもしばらく前から丈長のカップに入ったスナック菓子が発売されているけど、それは片手でケータイやりながら食べやすいようにというのだから笑えない。
こういう所は容赦なく辛辣なのであった。

そして歴代船長の背後には、あの悪の首領--じゃなかった(;^_^A お馴染みの「赤くて円いライト」が控え(船の舵みたいな装置におさまっているのが笑える)、人間様の口出し無用とばかりに艦内の一切を取り仕切っているのだった。セリフや音楽にもモロに『2001』のパロディが登場する。

さらにこのドタバタに、働き過ぎで?壊れて診療所に入ってるロボット達が参入。こういう「はぐれ者」が活躍するのもいかにもピクサーらしい。その中のパラソル風のロボットはどう見ても日本のカサのお化けがモデルではないだろうかね 元ネタは水木しげる先生か?
汚染物質を見つけると床をフキフキせずにはいられないお掃除ロボットもよいっウチにも是非一体欲しいです。なにせ汚染物質だらけなんで……(^o^;)

結局、ウォーリーの闖入によってこの状況は変化するのだが、基本は「純愛」話なんで結末はちょっと甘~いという感じか。よって、ひねくれ者としてはやや点数は低めになったが、現実が不景気なご時世だからこういう話がいいかもですねえ。

主役のウォーリーは健気でかあいいヤツです(^^) ちょっと粘着な所があるけど、700年も同じことを繰り返してきた奴なので大目に見てやろう。
それにしても、終盤でイヴの目のライトのごくわずかな揺らぎによって微妙な感情の動きを表現してしまうのは感心した。冒頭のウォーリーの一人(と一匹のゴキ)芝居の部分などと共に、もはや実写では表現不可能な域に達しているとしか思えない。

監督のA・スタントンは『ファインディング・ニモ』や『バグズ・ライフ』の監督も担当した人。『ニモ』も好きだけど、『バクズ・ライフ』に至っては字幕・吹替え共にそれぞれ2回以上見たぐらいに大好きっ \(^o^)/ ピクサー組の中ではかなり個人的にヒット率が高い。

元SF者としては、SF心をくすぐられる所も多かった。あー、私も土星の輪をサラリンと触ってみたいなあ。
宇宙・環境問題・ロボットというと、思い出すのはダグラス・トランブルの監督作品『サイレント・ランニング』(1972年)である。マイナーなB級系SFカルト映画だが、元ネタとして影響大かも知れない。

ところで、あのやたらに丈夫なゴキは地球最後の一匹かなっ(@∀@)ウヒャ ん?しかし「一匹の背後に30匹いると思え」というから、もしかして……
エンド・クレジットが今回も面白い。美術史をなぞったよう。歌は久し振りに登場のピーター・ガブリエルだ。しかし、最後の最後に劇中で登場する巨大企業(「BNL」だっけ?)のロゴが出現するのは謎(?_?;

中で使われている歌の字幕も出して欲しかった。ご近所のシネコンで今度は吹替え版を見てみることにしよう。


主観点:8点
客観点:9点

【関連リンク】
《ヤジャの奇妙な独り言》
ウォーリーは1メートル四方もある?!というのビックリ。とすると、あのゴキの大きさは……考えないようにしよう(>_<)

《好きな映画だけ見ていたい》
気づきませんでしたが、宮崎アニメの影響もあるようです。

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2008年12月21日 (日)

結城座「破れ傘長庵」:江戸のワイドショー騒がす極悪人

081221
平成のぞきからくり
原作:河竹黙阿弥
脚本・演出:山本清多
会場:世田谷シアタートラム
2008年12月10日~14日

あやつり人形芝居の結城座、今回の演目は幕末から明治にかけて活躍した河竹黙阿弥の歌舞伎狂言である。正式なタイトルは『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり、通称・村井長庵)』というらしい。『破れ傘長庵』というのは1963年に勝新太郎主演で映画化された時のもののようだ。
「人間」の役者に串田和美を迎え、加えて高橋悠治が音楽担当でピアノ生演奏にて客演というメンツも豪華なもんだ。

江戸・麹町の医者村井長庵は金に困った義弟(妹婿)に娘を遊郭に売るように斡旋。その直後に義弟を殺して金を強奪。自分の患者の浪人に罪をなすりつける。さらに何も知らず、娘に合わせてくれと上京してきた実の妹を手下に命じて殺害--と悪行三昧を繰り返す。

まあ、これがひたすら悪の道を突っ走り続けるだけの男が主人公という話である。原作はかなり長いもので怪談話や浪人の妻子をめぐる人情話もかなり入っていたと推測するが、その部分は結構はしょっているのだろう。
ここでは悪に邁進する長庵の人物像はもはや「不条理」に近い。

ただ、見ていて不思議だったのは串田和美が長庵と手下の三次の二役をやっているのだが、同じ場面に出ているにもかかわらず声の調子や話し方を変えるわけでもなく、ほとんど二役の態を成していないことだった。
あと、結城孫三郎もやはり同時に舞台に登場する二つの役をやっていて、片方の人形をヨッコラショと置いてもう一人の役を演ずるという現象が何度も出現した。今までの結城座ではそんな事をやったのを見たことなかったのでこれまた謎である。演出家の考えなんだろうか(?_?)ハテ

ラストは捕り物となって大立ち回り。捕り方の人形がバッサリ斬られて血を流すは、顔をパックリ切り落とされるは、とかなりアクション度・興奮度高しである。
そして捕まってもなおも全く反省なしの長庵なのであった。悪人ぶりもここまで来るともはや堅固なる信条のようだ。

こうして見ると、このような物語は現代ではドラマや映画ではなく、ワイドショーが供給を受け継いでいるのをヒシと感じた。「実の妹を殺害!」「姪をフーゾクに売り飛ばして金を横取り」「有名ディスカウントショップで居直りクレーマー」--なんて。近所の人の話「あらー、親切なお医者さんでしたよ。あんまり流行ってなかったけどね」
そういう俗悪な部分も含めて楽しめた舞台だった。

モチをのどに詰まらせた死人が息を吹き返してネコと踊る件りは笑ってしまった(^O^) ネコ踊りかわいいです。
途中で何曲か小唄(?)が歌われるが、これがピアノの伴奏と結構合っているのが不思議。
折角、結城座の先行予約でチケット買ったのに最前列だったのにはマイッタ(@_@) コンサートならともかく、芝居で最前列はないでしょう。これじゃ、ぴあで座席選んで買えばよかったよ
NHKの収録あり。そのうち芸術劇場あたりで放送か。それで再見すれば、舞台全体を見渡すことができるだろう。

なお、次回は写し絵芝居で江戸川乱歩をやるとのこと。美術担当は宇野亜喜良ということで、こりゃ楽しみよ(^^)

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2008年12月20日 (土)

「ザ・フー:アメイジング・ジャーニー」:バンドに歴史あり

081220
監督:マーレイ・ラーナー、ポール・クラウダー
出演:ザ・フーの関係者の皆さん
米国・イギリス2007年

ザ・フーのディスクって実は一枚も持っていない。そんなのに、何故このドキュメンタリーを見に行ったかというと、一つは欧米での人気に比べて日本では今イチ、いや今サンぐらいで、その落差が長年の謎で気になっていたためというのがある。確か、かつてとあるベテラン評論家が「ザ・フーなんてどこがいいのか分からん」とクサしていたほどだ。

それから、以前ロック・フェスの記録映画で2回(ワイト島と……えーと、あと一本は何だったっけ? 思い出せない)彼らのライヴ場面を見てあまりの壮絶さに呆然と口アングリ状態になってしまったことがある。その前に、モンタレー・ポップ・フェスのドキュメントでも見ていたのだが、こちらは淡々とした様子の演奏でなんてことなく見過ごしていたのだった。
だが、彼らのライヴが常にあんなテンションで行われていたのなら、なるほどその後の出番だったジミ・ヘンは対抗するには、もうギターに火をつけて燃やすしかできないよなあ、と妙に納得してしまった。
そういう面からも興味を持っていたのである。

さて、そんな彼らのドキュメンタリーを見に映画館の客席を埋めているのは、大半が団塊オヤヂ、そして残りは今時のロック小僧だろう……と決めつけて実際行ってみたら違っていた(!o!)
なんと大多数が女性、それも三十~四十代なんでビックリ。フーのファンだという女なんて今まで一度も出会ったことがない(それを言うなら男も、ですが)ので、これは意外だった。残りは若い男性--ってことで、観客層は予想とは完全に違ってた。もっとも団塊オヤヂ風の人は予告が始まってから何人か入って来てたようだが。

映画の内容の方は、デビューから今年で43年という超ベテラン・バンドの足跡を時代ごとにインタヴューで辿っていくというオーソドックスなもの。映画全体をLP(CDではない、念為)二枚組になぞらえてサイドAからDまで各曲名(それぞれ彼らの歌詞の一節を使用)をつけて章立てに使用しているところが心憎い。
当然、話し手の中心は現存メンバーのピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーで、他にマネージャーやスタッフ、家族、さらにはスティング、U2のエッジ、パール・ジャムのエディ・ベダーなどの後輩ミュージシャンも登場。
さらに当時の映像が頻繁に挿入され、そのテンポのよい編集のせいで見てて飽きることはない。

ロック・ファンなら誰でも知ってる二人のメンバーの死について、バンドの創設者&大将のはずだったロジャーの追放(未遂)劇、ドラッグ・アルコール問題、これまた有名なピートの新興宗教のめり込み問題など、バンドの暗黒面についても忌憚なく語られている。
パンク/ニューウェイヴ勃興時代についてはあっさり通り過ぎている。当時のベテランバンドにとっては、かなりの脅威だったと思うが。
ケン・ラッセルによる映画『トミー』はみんな否定的なコメントをしていたのは意外。ロック界でどう思われていようと、映画ファンから見れば映画版『トミー』は傑作・名作・怪作・珍作・奇作……とにかく二つとない作品に違いないのであ~る(~ ^~)

中でも印象に残ったのは、
*ピートがロジャーの事を「他の三人は天才だったのに、彼はただのシンガーだった」と評したこと。そこまでハッキリ言いますか……(-o-;)
*キース・ムーンが最初は目ん玉クリクリしたカワイイ美少年だったのに、あっという間にオヂサン化してしまったのが悲しい
*有名なピートのギター壊しパフォーマンスは、金がないんで2台のギターを必死に修理しながら一晩置きに使用していたとのこと。思わず笑っちゃいました(^^ゞ
*モンタレーでのライヴをエッジやE・ヴェダーが「破滅的」(?だったかな)などと否定的な形容詞を並べつつほめていたんで、もう一度見たくなってしまった。
*1964~65年の初期のライヴ場面は、実にトンガッテいてカッコいい(メンバーは若くてみんな針みたいに痩せていたし)。あんなの自分が十代の頃に見ていたらキャーキャー言っちゃう。で、部屋にポスター張りまくって、透明下敷きに雑誌の切り抜き入れて、カバンにシール貼って……でも、今の私にはそんな気力も体力もない。これが年取るってことですかねえ( -o-) sigh...

まさに「人に歴史あり」ならぬ「バンドに歴史あり」という内容であった。ピートが「(音楽以外)なんにも共通点がない4人がずーっと一緒にいるんだ」と述べているように、下手すりゃ家族よりも長い時間をバンドのメンバーと過ごさなければならない。色々なことがあって当然か。

しかし、終盤近くでアコギ抱えたピートがロジャーと二人きりで『ティー・アンド・シアター』を演奏する場面は、山あり谷あり浮気・別居・離婚の危機など全てを乗り越えて和解した年老いた夫婦のような滋味がにじんでくるものであった。感動です(ToT)

久し振りに我がロック魂がメ~ラメラと燃え上がって高揚した気分になったぜい。ザ・フーのファンに限らずロック・ファン必見と言ってよいだろう。


主観点:9点
客観点:8点

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2008年12月14日 (日)

ヘンデル オラトリオ「ユダス・マカベウス」:「日本書紀」か「古事記」か

081214a
2007→2009ヘンデル・プロジェクト2
演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン
会場:東京オペラシティ コンサートホール
2008年12月7日

ヘンデル二連チャンの二日目である。前日の疲れもものともせず--かどうかはビミョーだが、なんとかオペラシティに到着すると巨大クリスマスツリーが
そして座席は普段の定期公演ではゲット不可能な、ど真ん中ではにゃあですか! さすがイープラスの先行予約 \(^o^)/と、言いたいところだが、さいたまのブランデンは後ろの方だったしなあ。位置のムラがあり過ぎよ。

さて、演目はオラトリオの「ユダス・マカベウス」である。独唱者が4人いるがそのうちのソプラノとアルトはユダヤの民衆代表みたいな位置づけで個人名もナシ。名前があるのはタイトルロールのユダス・マカベウスとシモンだけである。
という事で、チラシに「見よ!英雄来たる!シリア王からエルサレムを奪回する勇者の物語」という挙句が書いてあるが、本当にそれだけの話であって余計なストーリーは何もない。
古代の英雄物語といっても、これは言わば政府公式見解の「日本書紀」みたいなもんであり、決して「古事記」ではないのだった。

ユダス役の櫻田亮は堂々とした英雄ぶり、絶好調という印象だった。「イスラエルの女」の柏原奈穂は無難に出番をこなしていたが、チト線が細いかなーと思えた。「男」をやったマリアンネ・ベアーテ・キーラントと並んじゃうと歩が悪い。シモン役の萩原潤も順調だったが役どころがそもそも助演っぽいんで、目立つというわけではなかった。

楽器陣で目についたのは、鈴木(弟)秀美氏がいなくて代わりにライナー・ツィパーリングがチェロに入っていた。この人はフォンス・ムジケ(から歌手をマイナスした)公演で、今村泰典センセと「もっとこっちに寄れ」「やだよ、あんたがこっち来い」とやり合ってた人。ヒデミ氏とはまた違った力強い堅実な演奏で助っ人していた。

合唱は美しく迫力があって文句ナ~シの出来。素晴らしいもんである。ほとんど瑕疵のない公演だったが……(x_x)実を言うと、私は初めから興味をあまり持てないままに聴き終わってしまったのであった。(この日は終了6時半(^^;)
なんというか、こういう清く正しい「日本書紀」な作品は苦手なんだよねえ。ストーリーもそうなら音楽も当然そういう方向だし。も~っと、個人のドロドロした葛藤話が好きなのよー

というわけで結論は、ヘンデル先生(^O^)/ 来年のオペラ『リナルド』(演奏会形式)に期待いたしますっ
なお、今回の公演はNHK-FMで放送予定とのこと。

ところで、貰ったチラシの中に日本ヘンデル協会の公演も入っていた(今年の公演はこちら)。
上杉さん主役で桐山さんがコンマスのオペラ『オットーネ』。こりゃ楽しみだいっ。絶対いきますっ(*'∀')=3ムハッ

しかし、来年はヘンデル・イヤーで企画が続々とありそうだが、この不景気で潰れたりしないように心から祈っちゃうよ

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全く関係ない話だが、休憩時間にオペラシティー・ギャラリー隣りのアート・ショップに行ったら、若い人(ほとんどが娘っ子)で充満していた(!o!) 初めて見る光景である。どうやら「蜷川実花」展に来て蜷川グッズを買おうとしてコーナーに群れているらしい。
ギャラリーの入口を見てみると、なんと入口に行列が出来ているではにゃあの 入場制限をしている(?_?; これまたこのギャラリーでは初めて見る光景である。
いや~、スゴイですねー。蜷川実花の人気がここまであったとは(^^;ゞ

【関連リンク】
《演奏会定点観測》
HFJの公演との違いが、演劇性と宗教性という対比にあるというのに「ナルホド~」と思いました。

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2008年12月12日 (金)

ヘンデル オペラ「タメルラーノ」:ヘンデル先生!萌えますた

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第6回ヘンデル・フェスティヴァル・ジャパン「ヘイマーケットのヘンデル」
演奏:キャノンズ・コンサート室内管弦楽団
会場:浜離宮朝日ホール
2008年12月6日

ヘンデル没後250年を目前に控えて、早くもヘンデル二連チャンとなったこの土・日。その1日目である。
チラシには「開演3時、終演予定7時」なんて書いてある(-o-;) 風邪を引いていた私はこの連チャンに備え、用心のため前日は職場を早退してさっさと寝たのであったよ。
会場に行ってみると、空席がポツポツとある。前々回のHFJオラトリオ公演の時は満員御礼だったのに~。これも不景気の影響か--と焦ったが、どうやらこの日は大きなオペラの公演が複数重なっていたので客が分散してしまったらしい。

今回の公演は演奏会形式で「1724年初演稿ノーカット 本邦初演」とのこと。物語としては以前に見たヴィヴァルディの『バヤゼット』と全く同じである。この題材は人気があって、当時の作曲家によく取り上げられたという。パンフの解説によると、ヘンデルはイタリア・オペラの先行作品を知ったこともあって、上演前に急いで内容を変えたらしい。

チムールの皇帝タメルラーノは捕虜にしたトルコ皇帝のバヤゼットの娘アステリアを一目見てホの字状態となり、他国の王女と結婚が決まってるのに庇護しているギリシアの王子アンドローニコに口添えを頼む。しかし、既にアステリアと王子は相思相愛の仲であった……。

ヴィヴァルディ作の方は男女の四角関係による恋愛模様が中心で、しかもそれぞれの歌手によるアリア合戦の様相を呈していた。で、似たようなものを予想して行ったらかなり違っている。歌われる内容は「復讐」とか「憎しみ」とか「怨念」とかドロドロとして大変に血生ぐさい。しかも、アリアも当然あるが、レチタティーヴォもかなり重用されている。こりゃ、意外だった。

タイトルロールの山下牧子はレチがなんとなく滑らかさに欠けるような気がしたが、トーシロの耳なんでよく分からず(^-^; ただ、第3幕では怒りにブチ切れて歌う、えら~く難しそうな長いアリアがあって(聴いてるだけでも冷汗が出そう)、それを歌い切った時には拍手喝采ブラボーとなった。
陰の真の主役とされるバヤゼットはずっとHFJに関わってきた辻裕久が歌った。とはいえ、第1・2幕は控えめな役回りであまり目立たず、終盤に至ってようやく悲劇の主人公としてドドーンと出てくる印象である。
アステリア役の佐竹由美はリリカルな感じの声質で、今一つ個人的には好みではないんだけど、やはり第3幕まで来ると力強さが出てきた。特に、アンドローニコとの二重唱は、他の曲がみんな殺伐とした内容の中で唯一ロマンチックな愛の歌(と言ってもやはり「死」が出てくるが)で、ウットリ(*^^*)と聞かせてもらった。
波多野睦美はアンドローニコ役。レチの歌い口も滑らかで、第1幕最終のアリアは説得力があった。で、背丈が大柄な所に白いパンツスーツがとってもよくお似合い。颯爽とした男役でしたのよ。

あの、波多野さん……(v_v;)モジモジ

 萌 え て エ エ で す か ~ っ O(≧▽≦*)Oキャー!イヤ~ン!!

……ああ、この歳になってこんな顔文字を使ってしまうとは、いと恥ずかし

第三幕の怒濤のような悲劇でグワーッ盛り上がった後に、バヤゼット父娘を除いた四人で歌われる終曲は締めくくりにふさわしく素晴らしかった。もう満足ですっ。
ヘンデルの俗っぽい部分と壮大な作劇がうまく結びつき、いかんなく魅力が発揮された公演だったと言えるだろう。

楽器の方は小編成の弦に木管が絡むという構成で、指揮は渡邊孝がチェンバロを弾きながらやってて、前々回のオラトリオ公演同様見事なものだった。
チェロは留学先から戻ってきた、お久し振りの懸田貴嗣。この通奏低音コンビはずっと出ずっぱり弾きっぱなしで、あたかも講談師が机を叩く扇子の音の如く絶妙のタイミングで歌と絡むのであった。身を乗り出すようにして譜めくりをしていたもう一人のチェロの多井智紀もご苦労さん。
ところで懸田氏、留学前より貫禄が付いてきた……? あ、いや、どうでもいいことですね、ナハハ(^^ゞ

終わった時には7時半近かった。聴いているだけでもさすがに疲れた。しかし、他のブログを読んでいると、途中で抜け出して二股かけて別のオペラへ行った人もいるらしい。スゴイねー。こうなると体力勝負でしょうか(^^?

さて、来年のヘンデル・イヤーの予定が出ていたが、ホグウッド指揮のオラトリオはもちろんだが、一番の注目は「チェスキー・クルムロフ場内劇場」の公演。これだ~っ
演目は名場面集みたいだが、装置・照明・衣装・ジェスチュアなど全て当時のままで演奏とのこと。……ということは、ローソク照明でやるのか? とにかく、チケットは売り出したら即買いに決定。
楽しみ楽しみ(#^.^#)

【関連リンク】
《アリスの音楽館》
極めて詳しい感想です。


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2008年12月 7日 (日)

劇団NLT「歌物語オーカッサンとニコレット」:演技する身体/身体なき歌

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中世身振り芝居
演出:川端槙二
音楽:タブラトゥーラ
会場:シアターグリーン
2008年12月3日~7日

劇団NLTとは元々、文学座から分かれた劇団だそうである。その「喜劇路線40周年」ということで、1979年にやった「オーカッサンとニコレット」を再演した。当時の音楽をつのだたかしが担当したとのことで、今回はタブラトゥーラが演奏に加わるという豪華版である。

この演目は今年の目白バ・ロック音楽祭でもジョングルール・ボン・ミュジシャンの演奏で見た(聞いた)のだが、演劇サイドからやるとどうなるか見に行ったのであった。それに、なんと言っても音楽がタブラだしね(^^)

前回の演出でもそうだったらしいが、大道具などはなく、木やら城壁やら何やら全てを人間がマイムで演じるというもの。動きが激しいんで、役者は全て若手ばかりでしかも主役のカップルは三組が途中交替しつつ演じるのであった。汗ダラダラ流して大変そうだ~。
タブラの面々は変な帽子(アラブ風やら遊牧民風)をそれぞれに被って登場。相変わらずアヤシサ百倍というところである。

ストーリーは目白の時に比べていかにも口承芸能風な繰り返しとかトンデモ話的な部分は削られて、若い男女の波乱万丈の恋物語にスッキリとまとまっていたようだ。
セリフが一切ない代わりの「語り」をベテランの役者さんが担当して、それが講談調なのも面白かった。

ただ、歌はねえ……(-_-;) まあ、本業は役者だかにしょうがないにしても、今の若い人はカラオケとかでガンガン歌いまくってるんじゃないんですか? それとも中世風の歌い回しって現代の曲より難しいのかな(?_?; (歌ったことないんで分からず)
まともに聴けたのは、一人若い人に交じって中年で頑張ってた女優さんと、今年研究生に入ったばかりという大柄な娘さんくらいであった。

こうして演劇サイドの上演を見ると、改めて優れた歌い手が歌う歌というのは名優の演技に匹敵する情動が存在するのだなあ、なんて当然といえば当然なことを感じてしまったのであるよ。

終了後は「40周年記念」のトークショーあり。出演してた中年の女優さんは50代半ばなのにまだ「中堅どころ」なんだという話を聞いて驚き(!o!) 新人研究生なんて下っ端以下の存在みたいだし、こういう劇団も確固としたヒエラルキー社会でキビシそうだなあとヒシと感じ入った。

シアターグリーンは小劇場時代にも一度も行ったことがなくて、今回初めてだった。三つの劇場の入口が並んでて分かりにくい

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2008年12月 5日 (金)

「イギリスバロック~ふたつの愛のかたち」:雨と涙と鼻息と

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びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演vol.2
会場:第一生命ホール
2008年11月24日

このグループについては全く知らず、ネットでたまたま見かけてジョン・ブロウとパーセルの歌劇を演奏会形式でやるらしいというので行ってみた。
会場は平日だったら職場から行きにくいので避けるところだが、休日なんでオッケーよ。
……とは言いつつも、雨の降ってる寒い中、やっぱり時間ギリギリにとびこむ羽目になってしまった(>_<) 係のおねーさんにエラくせかされて席に付くと楽器の方はもう音合わせをやってる最中である。
で、始まってみると音がなんか変 なんだこれは(?_?)とステージ上をよくよく見れば、なんと弦はモダン楽器ぢゃないのさっ(!o!) 「や、やられた~」(と、床にパッタリと倒れ込む)……というか、もっと早く気付よってなもんですか(^^ゞ

前半の「ヴィーナスとアドーニス」はパーセルの先輩であるジョン・ブロウの唯一の舞台作品とのこと。しかも「ディドーとエネアス」の原型作品らしい。途中に言葉遊びの場面が入るのが珍しい。もっとも英語が分からないんで聞いてても私には面白さはよく分からないが。
確かに物語の構造は「ディドー~」とよく似ている。

計16人のびわ湖ホール声楽アンサンブルは平均年齢も若そうでフレッシュな印象。合唱もソロも安定した歌唱を聞かせてくれた。

後半はパーセルの「ディドー~」。魔女役をテノールがやってたが、ありゃ?これはアルトの役じゃなかったっけ(?_?) そのせいか裏声も使って苦しそうなところが余計に魔女っぽくてよかったです

こうして演奏会形式で聴くと、やはり舞台版で見たくなってしまって物足りない。それと歌手の皆さん、安心して聴いていられたが逆に言うと「おおっ(!o!)」と驚くような突出したところがなかったのがやはり物足りなかった。これってワガママかしらん(^^?

さて、そういうこととは一切関係なく腹が立ったのは、近くに座っていた大男の鼻息がうるさかったことだった。鼻息ぐらい--とお思いだろうが、大男でただでさえ肺活量が大きいのに鼻を詰まらせてるんだからヒジョーにうるさくて耳につく。どれぐらいうるさいかというと、歌手が全員で合唱してくれると、ようやくかき消されて聞こえなくなるほどだったのだ。
これだったら、後半始まる前に端っこの空いてる席に移動すればよかったよ。
はっきり言おう。

お前の鼻息聞くためにチケット代払ったんじゃねえぞーっ(*`ε´*)ノ☆

【関連リンク】
《感じない男ブログ》
びわ湖ホールの運営について。いずこも大変なよう。文化予算なんて一番簡単に削れるもんねー。

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