「未来を写した子どもたち」:子どもに未来はある。だがそれを選べない。
監督:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
出演:売春窟のお子様たち
米国2004年
2004年のアカデミー賞ドキュメンタリー長編部門を取った作品である。原題は「売春窟に生まれて:カルカッタの赤線地帯の子どもたち」というあられもないものだが、内容的にはこちらの方がピッタリだろう。別に未来を写せたわけではないのだから。
恐らくは健全な市民からは忌み嫌われる地域の最下層の子どもたち--周囲の大人はおおよそ生気もなく、代々女は娼婦、男はポン引きかヤク中みたいな世界で希望はない(-_-;) 当の子どもたちも、自分の未来について驚くほど達観している。
取材のためにカルカッタのその街に滞在している米国人カメラマンのザナは、そんな子どもたちのために写真教室をボランティアで開き、自分がやっていることは独善ではないかと自問自答しながらも、さらには海外のコンクールに参加させようとしたり寄宿学校へ入れてやろうと奔走する。
彼女の努力はある子については成功し、ある子については頓挫する。それらの出来事を悲壮感などは一切なく、カメラはただ淡々と追って行くのである。
しかし、これは日本とは縁のない話なのであろうか。確かに日本はインドほど貧富の格差はないが、『教育格差が日本を没落させる』(洋泉社新書y)という本を読んでいたら、高校生がバイトをして授業料を稼いでも親がその金を取りあげてしまう、という話が出てきた。インドの方がまだ学歴信仰が生きている(学校さえ出れば出世できる)だけマシかも知れない。
とはいえ、このドキュメンタリーが内容に関わらずドンヨリしてないのは、やはり肝心の子どもたちの写真が素敵であることや、或いはバスに乗って海に撮影旅行に行った時に初めて触る海に嬉しくてキャーキャー言ってる彼らの姿を見ているとこちらも嬉しくなってしまうからだろう。
それにしてもオランダの写真展に行って堂々と意見を述べるアヴィジット君11歳なかなかできることではありません(;^_^A
ただ、同時にそれはザナという才能を引き出す優れた指導者がいたからでもあろう。指導者の才能というのもあるんだよね……。
だが、教育において一番先に削られてしまうのは芸術関係の授業である。前掲書でも米国で予算がなくて体育や音楽の授業がなくなる(用具が買えないため)話が出てくるが、日本でも芸術科の教師は臨時採用の非正規職員に変えられつつある。まあ、確かに受験には関係ないし、子どもの「芸術力」なんて誰も気にしないのだから。
同系統のテーマのドキュメンタリー『ウォーダンス』も見たかったけど、残念ながら見に行く前に終了してしまった(+_+)
芸術力:9点
未来力:4点
【関連リンク】
《雑誌「スナフキン生活」》
この中で引用されている元の文章が
「売春婦の諦めと、首相の勘違い。」
「売春婦の娘が売春婦に向いているとは限らないのだ」が当然といえば当然過ぎです。
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