« コープマン危うし?! | トップページ | 「未来を写した子どもたち」:子どもに未来はある。だがそれを選べない。 »

2008年12月28日 (日)

「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによるJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲」:忘れられた歳月を埋めることは可能か

081228
演奏:寺神戸亮
会場:近江楽堂
2008年12月16日

久々に寺神戸氏のスパラ独奏会に行った。前回は目白バロック祭りの時だ。この時は柱の影でなんも見えない状態だったし、まだスパラもできたてのホヤホヤみたいな印象で、弾きこなすので精一杯のようだった。

今回、無伴奏チェロ公演を各地で連続でやるようだったので、松明堂で二日間に分けて全曲演奏するという趣向のコンサートに行こうshineと思っていたら、なんとヘンデル二連チャンと時間まで完全に重なってしまっていることに気づき中止。なんでよ(T_T)
それで近江楽堂の方に行くことにしたのである。

こちらでは、第2・3・6番を演奏。1時間前にプレ・トーク付きだ。職場を早引きできたので、座席確保の目的もあってプレ・トークから行った。

トークの内容はヴィオラ・ダ・ブラッチョ属とヴィオラ・ダ・ガンバ属の違いや作られてきた過程など弦楽器の歴史的な基本解説。それからバッハの時代はどうだったのか、など。さらに実演でチェロよりも無伴奏が弾きやすいことを説明してくれた。
ただ、最後にこれはスパラが「正しい」事を主張するのではなく、バッハの曲の新たな姿がよい所も悪い所も含めて分かるのではないか、という意図だと注釈があった。

30分の休憩後に演奏開始。プレトークの時は人が少なかったが、ここでほぼ満員状態となった。
通して聞いて感じたのは、ガンバに似ているということ。音が似ているのではなく、音のあり方の性質が似ていると言った方がいいだろうか。
音自体はやはりファゴットっぽいが、不安定でこれっnoteと決まった音像を持っていない所がガンバと共通していると思った。音の高低や曲調により聞こえる音のイメージが違うし、演奏者によっても大きく変化するし、ソロかアンサンブルの中にいるかによっても異なってしまう。
そのようなものはまともな楽器ではないと思う人にとっては聞くに耐えないものだろう(現に、今でもガンバの音に拒否反応を示す人もいる)。

しかし、ガンバも一旦は忘れ去られて復活した楽器である。その後数十年かかって現在の域に達しているのだから、ましてや完全消滅してしまったスパラについてはウン十年の単位で見なくては正直評価できないだろう。
十年後に寺神戸さんが全く違った演奏をしているかも知れないし、或いはスパラの新境地を開くような新しい演奏者が出現するも知れない。そして、またすっかり忘れられてしまう可能性も……sandclock

ということで、結論は「まだまだ発展途上」なんである。
それにしても、松明堂で聴いてみたかったなあ(~o~)

【関連リンク】
《エンターテイメント日誌》
大阪での2日間に渡るコンサートの様子。アンコールは東京でも同じく「無伴奏フルート」だったが、そもそもスパラが「木管系」の音なんでピッタリはまっていたのには驚いた。ここら辺にも曲によって表情を変える楽器というのが表れているようだ。

|

« コープマン危うし?! | トップページ | 「未来を写した子どもたち」:子どもに未来はある。だがそれを選べない。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/82416/43552291

この記事へのトラックバック一覧です: 「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによるJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲」:忘れられた歳月を埋めることは可能か:

« コープマン危うし?! | トップページ | 「未来を写した子どもたち」:子どもに未来はある。だがそれを選べない。 »