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2009年1月

2009年1月31日 (土)

「修羅」:黒と灰のモノクロの情念

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松本俊夫映画回顧展vol.1
監督:松本俊夫
出演:中村賀津雄、三条泰子、唐十郎
日本1971年

原作は鶴谷南北の狂言。それを当時の青年座が改作して上演していたものをさらに映画化したものだそうだ。「四谷怪談」同様、赤穂浪士討ち入りの外伝といえる体裁の物語である。
浪人・源五兵衛は主君の仇討ちに参加したいが、それには大枚百両が必要だ。その工面もならず悶々と酒と女にふける毎日で、特に芸者の小万とは相思相愛、切っても切れぬ仲となったのであったが……。

前半はやっと工面できた百両を源五兵衛が騙し取られてしまう経緯、後半は彼の復讐譚である。元の狂言でも恐らく見せ場は、小万と引き換えに百両を差し出すかどうかの主人公の葛藤と煩悶と、そして血みどろの陰惨な殺戮場面だったろうと思われる。
それを受けてかこの映画では「百両」の場面が3回繰り返される。最初は勢いよく金を叩きつけるヴァージョン、次は金を出さず小万を置いてサッサと帰るヴァージョン、そして最後に逡巡しながらおずおずと百両差し出す「現実」(?)ヴァージョンである。
しかし、そのように逡巡するような人間臭い善人(カッコ良いヒーローではない)だからこそ怒らせると余計に恐ろしいというのが、後半の展開につながるのだろう。

冒頭の日没以外はモノクロ映像だが、それは白黒の鮮烈な映像美……というようなものでなくてむしろ黒と灰色の組合わせであり、ほとんどは黒の闇に覆われていて、かろうじてそれ以外の部分がほの見えるかのような印象だ。
冒頭の主人公の住む長屋は、なにか古い日本家屋特有の湿気た匂いが漂ってくるようだ。また、モノクロでも血まみれ場面は恐ろしい{{(>_<)}} ドローっとした独特の質感がある。

主人公を演じる中村賀津雄は、後半においてはまさに復讐のため悪鬼となった形相。ストーリー上の所業も恐るべきものだが、それ以上に佇まいがもはやいかなる怨霊・妖怪の類いよりも、言語道断な悪人よりも、遥かにコワイのである。しかし、それでいて愛した女への未練を断ち切れないのを仄見えさせるのはお見事。
ヒロイン役の三条泰子は、明るく小粋な美人ですっかり私も主人公同様に騙されちゃいました(^^ゞ 民芸の女優さんだったらしいがこの後あまり映画には出てないらしいのが残念である。
あと、唐十郎はもっと歳食ってからしか知らないので、こんなにニタついた生臭~い色男を演じられる人とはつゆ知らず。おみそれしました<(_ _)> 何やらスクリーンから男のエロ気光線が放射されているような気がするほどだ。

2時間14分という長丁場で、しかも朝一回のみの上映であるが、終わった後は善悪を超越した情念のドドーンとした淀みに「観た~ッ(★-★)」という気分になった。
それからもう一つ思ったのは、最近どの芝居を見ても役者(特に若手)の演技に不満を感じてしまうのが常なのだが、この映画ぐらいのテンションの高さの芝居を生で見てみたいということであった。


さて、何故私が「松本俊夫映画回顧展」という特集上映に出かけていったかというと、これまで日本映画で唯一心から「面白い」と感じたのが、この監督の『ドクラ・マグラ』だったからである。他にも黒澤明の犯罪サスペンスものなど面白いと思ったのはあるが、どれも見ていて今イチ体内時計というかテンポが合わないのだ。何故だろ(?_?;
松本作品では今回の上映会の目玉らしい『薔薇の葬列』も過去に見ているが、こちらはドキュメンタリーっぽい部分をまぜたり、パロディっぽかったり(なにせ淀長さんの「解説」が映画の最後に入る(^^;)という作りだ。これも見たのが××年前なんでもう一度見たいが、どうも時間が取れなくて無理そう……
『アラビアのロレンス』の感想で、昔見た作品を見直さなくては、などと書いたもののこれが悲しい現実なのであ~る。でも、『ドクラ・マグラ』は絶対見るぜい!

ただ、松本俊夫という人は本来は実験映画とかアヴァンギャルド作品の方が本業(?)である。私はそちら部門は守備範囲外なので今回はパスします(^.^;
劇映画は4本しか撮ってないのだが、個人的にはもっと作って欲しいと思う。今の日本の映画状況では無理な話か(+_+)

【関連リンク】
「松本俊夫監督インタビュー」

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あの犯罪ドラマにハネケ登場

--つっても、別に監督本人が出たわけぢゃありませんよ(^-^;
今WOWOWで放映中の『クリミナル・マインド』シーズン3(FBIのプロファイラーたちが主人公のサスペンス・ドラマ)で先日放送された第4話「暗闇の子供たち」という回。なんと冒頭がモロに『ファニーゲーム(U.S.A)』で始まったではあ~りませぬか。ヾ(^^)ゝヾ(^^)ゝ

心地よい音楽流れる平和そうな家族団らんの場に突如、若い男が「この家の前で猫を車で引いてしまった」とやってくる。いつの間にかもう一人の別の男も家に入り込んで来ていて、因縁を付けたかと思うと家の主人の脚をゴルフのクラブでぶん殴るのであった。
ここまで、話が似ている上に主犯の男が白い手袋をはめているに至っては、パクリというよりはもはや「引用」だろう。

ドラマの制作年は2007年でリメイク版と同じ年なので、制作者がどちらを引用したのかは不明。ただ主犯格の男が登場した所の印象はリメイク版の方のマイケル・ピットに似ていた(役者自身は似ていない)んだが……。

もっとも、ドラマの展開は里親による児童虐待という方向へ行ってしまうので、その点は全然異なる。正直、『ファニーゲーム』の犯人たちがそういう悲惨な生い立ちであったとしても、全く同情はできんですね(~_~;)

そういえば、オリジナル版も渋谷でレイトショー限定公開していたらしい。見に行くヒマが作れなくて無念である

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2009年1月30日 (金)

ノーチェックだった新国立劇場で!

今まで、新国立劇場でのオペラの上演予定なんか発表されても、全く無関心であった。バロックオペラなんかやらないだろうし、やったとしてもどうせモダン楽器使用だろうなんて思っていたのである。ところがなんと5月にモンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』をBCJがやるではないかっ
BCJからハガキが来て初めて知ったぞ

この演目は以前BCJ&二期会の組合せで見たのだが、その時はネローネがテノールだった。だが、今度はレイチェル・ニコルズ……(!o!) かなり濃ゆい感じである。
さらに皇后役は波多野睦美。数年前のコンサートでそのアリアを歌ったのを聴いた時には、あまりの迫力に圧倒されてしまったほど。期待であ~るo(^-^)o ワクワク
もちろん、先行でゲットだぜっ

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2009年1月29日 (木)

「リチャード三世」:古田新太は痩せたと人は言うが--

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いのうえmeetsシェイクスピア
演出:いのうえひでのり
出演:古田新太ほか
会場:赤坂ACTシアター
2009年1月19日~2月1日

劇団新感線のいのうえひでのり演出で、古田新太がリチャード三世をやるという。こりゃ面白そうだ~と意気込んでチケットを取ろうとしたが、最初のプレオーダーで失敗。二回目のプレオーダーで平日のA席を申し込んだらようやく取れた。

で、シェイクスピア劇の中でも希代の悪役古田新太はさぞハマリ役であろうとすごーく期待していったのだが……なんと可もなく不可もなく こ、こんなのありか(-o-;)
ちょっとガッカリしてしまった。
観客の多くは新感線風の乱暴にしてハチャメチャな(ドタバタという意味ではないよ)シェイクスピアを期待していたと思うのだが、意外にも真っ当--真っ当過ぎですっ こんなにマトモとは予想していなかった。
おまけに、中身もあまり端折ったりせずちゃんとやっていたようで、6時半開演で終わった時には10時過ぎていたのである。

衣装は往年のヒッピー風+当時のミリタリー・ファッション系(女性の衣装は違うみたいだが)で決め、舞台装置は大きなモニターが幾つも壁にかかっている倉庫か工場のような感じだ。登場人物の独白は、マイクを通したような音声になって、さらにモニターにも打ち出される。
このモニター群には王権の奪い合いを報ずるEGN(だっけ?)ニュースやワイドショーっぽい映像が流れたり、リチャードが悪意をもって書き込む電子掲示板が映されたりする。
ただ、この設定も今イチ生かされていない。なんか中途半端な印象だ。もっと「電子化」を突き詰めるかメディアへの皮肉を重点を置くかしないとダメなような……。

戦争で剣だけでなく銃やマシンガンを使っているのは、以前、イアン・マッケラン主演で映画化されたのを参考にしているようだ。あの作品は確か英国の舞台(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーか?)での彼の当たり役&当たり演出をそのまま映像化したもので、銃はもちろん戦車やバイクも登場する。冒頭でアンを口説くシーンがモルグになっているのも同じだ。
で、この最初の見せ場であるモルグの場面が今一つパッとしなかったのも、ちとガッカリだった。

役者は若手・中堅よりもベテラン勢の方が断然よかった。特に久々の銀粉蝶と三田和代は台詞回しがス・テ・キッ(*^^*) ウットリと聞いてしまいましたわ。
あと、クラレンスはどっかで見た顔だけどと思い出せずにいたら、若松武史であった。気づかなくってトホホ状態であるよ(x_x) もっとオペラグラスでようく眺めとけばよかった(火暴)

ようやく最後の最後の戦争の場面になって、剣の殺陣場面が登場。新感線風になったが、もうそこでラストなのであった。残念であ~る
今回は観客の期待と制作者側の意図がずれてたってことですかねえ。

赤坂ACTシアターは大昔行った記憶があるようなないような(^^? とにかく、2階は客席が急勾配なんでA席なんかは舞台を覗くとまるで奈落の底へ転がり落ちていくような気分になる。コワイよ~ん(>y<;) しかも、オペラグラス無しではよく見えん。
おまけにロビーも狭くてほとんど無きに等しい。なんとかしてくれー。

折角の赤坂の夜であったが、あまりに遅い時間になってしまったので友人と飲みにも行けずおとなしく帰ったのであった(ToT)

【関連リンク】
《徒然草》
会場について。その他についても同感です。

《正しくも松枝日記》
非常にキビシイ意見。

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2009年1月25日 (日)

『アラビアのロレンス』(完全版・ニュープリント版):かつて映画が「体験」であった頃に

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監督:デヴィッド・リーン
出演:ピーター・オトゥール
イギリス1988年(オリジナル1962年)

実に『アラビアのロレンス』を再見するのはウン十年ぶりである。一体、何歳ぐらいの時に見たのか思い出せず、物置をゴソゴソかき回したら出て来ましたっ! 当時のパンフレットが--
なんと中学生の時に家族と見に行ったのである。有楽座だったかな? さすがに初公開時ではなくて、第1回目のリバイバルの時ですよ(^^ゞ

再び見ようと考えたのはUKオペラ@シネマの『ジュリオ・チェーザレ』を見たせいである。その演出ではローマ時代のエジプトの話を置き換えていたのは、確かちょうどアラビアのロレンスが活躍していた時期の設定だよなあ……と思ったのだが、折りよく新宿のテアトルタイムズスクエアで完全版をリバイバル上映しているではないか。
もっとも、上映時間227分+休憩というヘンデルのオペラ並みの長尺なんで、見るかどうかかなり迷ったのであった。しかし--

 大 正 解 で あ っ た !

まず最初に驚いたのは、結構覚えていた場面が多かったこと(^o^; さすが子どもで記憶力がいい頃に見ただけはある。今なんかもう、半年前に見た作品だってキレイサッパリ忘れちゃうもんね。
冒頭のオートバイ事故の場面、そして葬式でほとんどの人間がロレンスを批判する件り、そして蜃気楼や「砂漠は清潔だ」というセリフなどよーく覚えていた。
当時も子供心に「最初からみんなが口々に主人公をけなすなんて変な映画だなあ」と思ったもんである。

さて、考古学者であったT・E・ロレンスが第一次大戦下のエジプトで情報将校として赴任したのが1914年。当時のアラビア半島はトルコが圧倒的な権勢を振るっていたが、大戦勃発に伴い英国はアラビア人たちに独立のための反乱を起こすよう支援する。と言えば聞こえはいいが、もちろんその背後には中東における権益を狙って欧州各国の思惑がウヨウヨと蠢いているのであった。

映画はロレンスがアラビア人の軍事顧問として華々しい活躍をした後1918年に英国へ去るまでの数年間を描いている。
前半は50人の精鋭を率いて砂漠を横断し、港湾基地のアカバを攻略。まさに英雄的な戦果をあげてドドーン盛り上がったところで休憩に入る。後半はトルコへのゲリラ活動と、部族が集結した反乱軍による首都ダマスカス進軍。この過程でロレンスの理想は挫折しあらゆる面で泥沼へと転がり落ちて行く。

その描き方はつかず離れず、そして英国流の辛辣さに満ちている。何重もの利害が絡み合う国際政治の複雑さは、すべてカイロの英国軍司令部の描写に集約されている。なんでもこの時英国は二枚舌どころか「三枚舌外交」だったというのだから大したもんだ。ここにひと癖もふた癖もありそうなベテラン俳優たちを使っているのがうまい。
このような策略渦巻く世界と、遊牧民たちのある意味直球な世界を表象する砂漠を往復する主人公は、結局どちらの世界にも所属できず去り行くしかない。その、後半に至っては異常とも言える心理状態を暴きたてるように迫っていく演出や脚本は見事なものだ。同じように反乱を指揮した人物を描いたソダーバーグの『チェ』のアッサリ味とは対照的。

思うに、ロレンスが砂嵐の中でコンパスを失くしたシーンがさりげなくも転回点となっているようだ。この時、彼は西欧的な「知」を捨てたのだろう。この後、彼は遊牧民たちに肩入れし彼らの側に立つようになるが、同時に自らの力を過信し、作り上げられた英雄像に彼自身も陶酔するようになる。ここに描かれているのは決して英雄の悲劇ではなく、世界を相手にしていながら自己の檻から逃れられなかった者の無残さであろう。

映像はさすが「ああ、大画面で再見できてよかった~(*^^*)」とつくづく幸せに感じられる迫力だった。砂漠と青空、太陽と影の美しさ、大人数のエキストラを駆使したダイナミックな戦闘シーンにはひたすら圧倒される。それから砂漠の中を走る機関車が爆破されてコテンと転がるのをロングで撮った場面も感心。どうやったのかと思うが、なんでもこれはスペインで撮影されたそうで、運転していたのはスペイン国有鉄道の機関士だとか。神技です

しかし、一番印象的なのはなんと言ってもアリが蜃気楼の向こうから登場するシークエンスだろう。ここは3分ほどの長さあるそうだが、別に本筋には関係なく10秒でいきなり現われても構わないような部分である。
その間音楽も流れず、聞こえるのは衣服が風にはためく音ぐらいなものだ。にも関わらず、緊張感で目を離すことができない。アラビア人のガイドだけは何が起こりつつあるのか知っているのだが、ロレンスと観客には全く分からない。その顛末は、この土地が完全に異質な条理によって支配されていることを思い知らせるのである。こればっかりは、小さなTVモニターで見たんでは緊張感半減に違いない。映画史に残る名場面とはこのことだ。
ラストの冒頭へとループするバイクの疾走まで、このようなスタイリッシュな映像に埋め尽くされている。当時の映画青年たちはこういうのを見て萌えたのだろう。

映像同様、モーリス・ジャールの流麗なスコアも素晴らしい……と言いたいところだが、残念ながら音声の方は映像に比べて今イチな復元度で、音楽もややピントがボケて欠けて聞こえた。ノイズのある部分とクリアな部分がモザイク状になってるんだもん。もう少し何とかして欲しい~
ついでながら、テアトルタイムズスクエアの椅子は座ってて尻が痛くなった。『ジュリオ・チェーザレ』のバルト9はそんなことなかったゾ(-゛-メ)

P・オトゥールはこの作品で新人ながら華々しく主役に抜擢されたそうだが、その演技は青い眼と同様に強い印象を残す。そしてアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたが、残念無念ながらグレゴリー・ペックに阻まれ獲得できず。それが祟ったか、以後8回もノミネートされたが(8回目は2006年度)未だ無冠なのであった……(T_T) もっとも、役者関係以外の主要部門は数多く獲得しているから、作品としては結果オーライだったろう。
もう一人、アリ役のオマー・シャリフも強烈な人物を演じて巧みである。その他、アンソニー・クイン、アレック・ギネスなどベテラン勢はもちろん言うに及ばず。
あ、あと忘れてはならないのはラクダ君たちの好演ですね(^^)

それにしても、フ女子という言葉どころか概念すらなかった当時から、この映画はずーっとフ女子の妄想のネタであった。火のない所に煙を見て火事を妄想するのがフ女子の常ではあるが、この映画は既にブスブスとあちこちに炎が起きかけているではないか。
今回改めて見て、最初から最後までいかがわしい記号が画面の至る所に貼り付いているのに驚いたというか、感心したというか(^=^; 
もちろんこれは制作者側の意図的なものだろうが(なにせ物語から女は完全排除されている)、公開時にはあからさまな描写は不可能な時代だったとはいえ、その却って隠蔽され抑圧された描写が妄想をいかがわしく煽るのである。殺戮!SM!!同性愛!!! よくぞこんなモンを作ったものだ。
まあ、これから先もこの映画のロレンスは妄想ネタであり続けるのは確実であろう。

さて、再見するきっかけとなった『ジュリオ・チェーザレ』だが、なんとこの映画の一場面を引用しているのに気づいてビックリした。こりゃ「同じ時代に設定している」どころか下敷きにしているのに間違いなし。詳しいことは向こうの記事に追記しました。


少し前に訳あって『地獄に落ちた勇者ども』をやはり××年ぶりに見たのだが、前回と全く印象が違っていて意外であった(実は昔はそれほど面白く思わなかった)。普通、名作旧作の類いはどうしても「昔一度見たからいいや」と敬遠してしまいがちだが、こうなると片端から見直してみなくてはならないかも。
しかし、新作を追うだけで手一杯なんだよね……。時間が足りん! 長文ブログ書くより映画見ろってか(^^;ゞ

【関連リンク】
《loisir-spaceの日記》
現在の中東情勢と重なる部分を指摘。

《月夜に晩酌》
ロレンス=ヒロイン説!キタ~ むむむ、でも納得です。

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←これが発見された(^o^;パンフ。恐らく私が生まれて初めて買った映画パンフレットだろう。
スタッフ・キャストの紹介文に至るまで恐るべき熱とリキが入りまくりなのがスゴイ。昨今の中身がなくてペラいパンフを比べると腹が立ってくるぞ。

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2009年1月22日 (木)

「チェ 28歳の革命」:少年老い易く革命成り難し

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監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ベニチオ・デル・トロ
米国・フランス・スペイン2008年

チェ・ゲバラが書いた手記を元に作られた伝記映画。2部に分けられていて両方とも130分強あるので時期をずらして公開するという形を取っている。原題はパート1・2とそっけないが、日本では異なる邦題をつけているところがうまいですね。

さて、その前半は1964年の米国での国連本部での演説やインタビュー場面で始まるが、本筋は1957年からのキューバの山間部でのゲリラ活動である。さらに冒頭と終盤に1955年メキシコでのカストロとの出会いのシーンが入る。
それより前の、どうしてゲバラが革命を志すようになったかという描写は一切ない。過去の『モーターサイクル・ダイアリーズ 』(2003年、ガエル・ガルシア・ベルナルがゲバラ役)にすべて任せたぜいっというわけか(?_?)

そのトーンは極めて淡々として地味である。しかも、ゲバラの内面に踏み込むような描写は一切ないので、その時彼が何を思っていたかとか何故そうしたのか--というようなことは観客が推測するしかない。こんな感じである。

○月×日 政府軍と交戦
○月×日 カストロたちと合流
○月×日 仲の悪い部下たちの仲裁をする
○月×日 医者として村人たちを診察
○月×日 敵基地を襲撃

--なんて、まるで再現ドラマと言ってもいいくらいだ。ただし、米国での場面がランダムに挿入されて時制が飛ぶので、そういう意味では分かりやすいとは言えないが、決して詰まらなくはない。もっとも、あまりの地味さに飽きてしまう人もいることだろう。若いカップルが客の半分以上を占めていたが、デート・ムービーには全く向いてないと思いまーす(^^;)/
また、当然あったと思われる冷戦下のパワーゲームのあれやこれやみたいな国際情勢や、イデオロギー対立については全く出て来ない(反政府勢力同士での対立は出てくるが)。つまりは「革命は現場で起こっているんだ!」に終始しているのであった。

終盤は山間部から都市部へと進軍、サンタクララを制圧し次は首都だ~と気炎が上がったところで終わる。
監督の意図では、本来は続編の方が中心のパートだったらしいので、点数は続きを見てからつけようと思う。後半はどうなるかな(^^? (続編の感想はこちら

タイトルロールのB・デル・トロはベルナルみたいな若々しさはないが、頼りになる「兄い」ぶりを十分に発揮。カッコエエです
ところで、これを見た翌日に『アラビアのロレンス』を見たのだが、T・E・ロレンスがトルコ相手にアラビア半島で戦闘を仕掛けてたのも、この時期のゲバラと同じぐらいの年齢のようだ。この若さで世界を揺るがし歴史に残るようなことをしでかすとは大したモンであるよ。( -o-) sigh...
もっとも映画自体のタッチは全く異なるんだが……。

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2009年1月19日 (月)

もう一つの訃報

新聞記事を見逃していたのだが、俳優のパトリック・マクグーハン(マッグーハン)が亡くなっていた。知らなかった(!o!)

なんと言っても、彼は『プリズナーNO.6』の人だと思うが、個人的にはそれよりも前の『秘密諜報員ジョン・ドレーク』ですねっ。30分枠のスパイもののTVドラマだが、すごーく暗くて陰鬱であった(+_+)

それ以外で印象に残っているのはTV放映された映画『闇の狙撃者』(『闇の標的』?1980年)だろう。彼がリー・ヴァン・クリーフと死闘を繰り広げるアクション映画で、出演者平均年齢が55歳ぐらい?--という若いモン無用のオヤヂ萌え映画であった。

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外見が容貌魁偉なんだか超二枚目なんだかよく分からないという、人でもありましたな。
ところで、『プリズナー~』のリメイク映画が作られるという話はどうなったんだろう。

←昔買ったビデオ。定価が一万ナンボだったんで2巻まで購入して挫折した。

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2009年1月18日 (日)

ワイエスの訃報

つい先月まで渋谷で展覧会やってたアンドリュー・ワイエスが16日に亡くなったそうである。享年91歳。

展覧会の会場では今回のために姪ごさんが本人にインタビューした映像を流していて(日本人向けのメッセージなどもあり)、そこでは元気そうだった。まだ現役で作品を描いていたようだ。
生涯現役……大往生と言えるでしょう。ご冥福を祈ります。

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日本インターネット映画大賞外国映画部門・勝手に番外編

恒例の番外編、今回もやりました。
なお、偏見と独断とイヤミに満ちていることを予めお断りしておきます。
抗議・苦情・不平不満の類いは一切受け付けませんっ


【最凶邦題賞】
「僕らのミライへ逆回転」
このタイトルがこの先何十年も流通していくわけですな……
次点:「宮廷画家ゴヤは見た」 いや、確かにその通りの内容なのは確かなんだが。

【最優秀銃撃戦賞】
「エグザイル/絆」
ぶっちぎりです。

【最優秀格闘場面賞】
「イースタン・プロミス」
異議な~し

【最優秀オヤヂ萌え映画賞】
「ダークナイト」
オヤヂというよりはジーサン二人ですね。暗い物語の中でモーガン・フリーマンとマイケル・ケインが登場する場面だけはなごみます。

【最優秀兄貴賞】
残念ながら該当なし。今年は頼りになる兄ぃが登場するのを待望する。

【ロードショーで見損なって残念で賞】
「ゾンビーノ」
レンタルDVDで見た。公開時に行かなくて深~く後悔した。

【最悪トラブル賞】
「靖国 YASUKUNI」の上映中止騒動。

【ちゃぶ台ひっくり返し賞】
【ワースト映画賞】
「ハンティング・パーティ」
「ちゃぶ台ひっくり返し賞」は、見終ってあまりの結末に思わず「なんじゃ、こりゃ~。観客をなめとんのか!」(ノ-o-)ノ ~┻━┻ガシャーン と、ちゃぶ台をひっくり返したくなる気分になる映画に与えられる栄光ある賞である。
これと共に、さらにワースト賞もダブル受賞という近年にない最低の栄誉をゲットしたのがこの映画。思い出すと腹が立つぜい
こんなモンを見てしまったことをひたすら反省するのみである。
あーヤダヤダ( -д-) 、ペッ

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2009年1月17日 (土)

「永遠のこどもたち」:永遠の母親にはなりたくねえなあ

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監督:J・A・バヨナ
出演:ベレン・ルエダ
スペイン・メキシコ2007年

製作がギレルモ・デル・トロの感動系ホラーだということでネット上の評価も高く、見に行ってみた。が、正直かなーり期待はずれだった(x_x)

私がホラーが苦手なのは、いきなりバタンとドアが閉まったり、家具がガシャンと倒れたりして急にでっかい音がするとか、電気もつけずに暗い所へ行ったり--とかそういうのにいちいち反応しなければならないのがイヤだからである。こういうのはまさに「生理的反応」であって、恐怖とは何も関係のないものだ。
ところが、この映画はそういうバタンドシンが長々と続く。終わり近い頃にはいちいち反応するのに疲れてしまった。「反応しなければいいじゃないか」って言っても生理的なモンだからしょうがない。向こうずね叩かれれば足が前に出る、みたいなものだ。

ストーリーは、かつて孤児院にいたヒロインが夫と養子の息子と共に、昔の孤児院の建物に戻ってきて新たに子どものためのホームを作ろうとする所から始まる(どういう子どもを対象にするのかは明示されない)。ところが、息子は姿の見えない「おともだち」を見る子なのであった。

なぜ、ヒロインをこのような設定にしたかというのは謎である。こういう行動をするとは極めて複雑なトラウマがあるのではとしか推測しようがない。既に養子である息子が疑心暗鬼に捕われても仕方ないのだが、彼女は全くそれを省みないのも不思議である。
息子が突然行方不明になってしまってから、その隠された内面が解明されるのかと思いきや、そんなことはないのであった。

ヒロインの不可解描写はそれだけでなくて、映画の初めの方で洞窟の奥へ息子を一人で行かせてしまうのにはビックリした。だーって、幽霊なんかよりもっと恐ろしい変質者のオヂサンが潜んでたらどーすんのよ~(>O<)
それから、夜中に外の納屋で不審な物音がするのを一人で見に行く場面。『ファニーゲーム』みたいな凶悪な若いモン二人組強盗がいたらどーすんの(>y<;) いくら熟睡してたってダンナをたたき起こして二人で行けよ……。

ラストは感動的で泣ける話になっているのだが、さて、この結末はどうだろうか?
私と同年代の子持ちのオバサン(既に子育て卒業)に「永遠に子育てするったら、どう思う?」と尋ねたとしたら、半数以上は「そんなのイヤだー」と答えることであろう。
実際、2歳の子どもがいる同僚は「あー、間飛ばして今すぐ大人になっちゃってくれないかしら」と言ってたぞ(^○^)

まさしく小倉千加子の喝破した
〈女性は単に生物学的母であるだけではもはや許されない。社会にとって理想の母は、「産みの母」ではなく「育ての母」なのである。〉
〈人工子宮ができれば、女性に産んでもらう必要はない。が、それでも女性に育ててはもらいたいのである。〉(『男よりテレビ、女よりテレビ』)
という、そのままの話であった。

疑問に思う方は、この話の「母親」を「父親」と変えて見直してみて欲しい。果たして物語が成り立つかな


主観点:5点
客観点:6点

【関連リンク】
「我が親のバカさ加減に涙が滲む」
されど母親……ですなあ(;_;)

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2009年1月15日 (木)

今年も「日本インターネット映画大賞外国映画部門」へ駆け込み投票

作品賞投票ルール(抄)
 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

詳しいことは《日本インターネット映画大賞ブログ》へ。

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【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ダークナイト」          6点
  「ウォーリー」           5点
  「ファニーゲーム U.S.A.」    5点
  「イースタン・プロミス」      4点
  「宮廷画家ゴヤは見た」       4点
  「ノーカントリー」         2点
  「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」  2点
  「テラビシアにかける橋」      1点
  「ザ・フー:アメイジング・ジャーニー」 1点
【コメント】
本当は見た数が少なくて投票できるようなモンではないんですが……(-_-;)
やはりワタシ的には『ダークナイト』がぶっちぎりでしたな。賛否どちらの意見であっても、とにかくみんな違った事を言っているのが面白い。しかし日本の興行成績は(?_?)
『宮廷画家ゴヤ~』は事前には全く知らなかった作品だが、ネット上での感想を幾つか読んで急きょ見に行った。危うく見逃すところだった。
ドキュメンタリー枠は「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」に決定かと思ってたが、年末にロック魂がメラメラ燃え上がってザ・フーになってしまった。
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【監督賞】              作品名
   [クリストファー・ノーラン] (「ダークナイト」)
【コメント】
三作目も作るんなら是非監督お願いします。

【主演男優賞】
   [ハビエル・バルデム] (「宮廷画家ゴヤは見た」)
【コメント】
ダニエル・デイ=ルイスが本命か。それでは順当過ぎるんでこちらを。主演か助演か微妙な役だが、とにかく上手いのは確か。

【主演女優賞】
   [ナオミ・ワッツ] (「ファニーゲーム U.S.A.」)
【コメント】
鼻水垂らしてものともしない熱演 女優魂に参りました<(_ _)>

【助演男優賞】
   [アーミン・ミューラー=スタール] (「イースタン・プロミス」)
【コメント】
どうせ1位ヒース・レジャー、次点ハビエル・バルデムに決まってるからあえてこうしてみた。老獪の一言。

【助演女優賞】
   [ティルダ・スウィントン] (「フィクサー」
【コメント】
アカデミー賞受賞のご祝儀ということで。

【新人賞】
   [タン・ウェイ] (「ラスト、コーション」
【コメント】
女スパイ時と女学生時が全く別人のようでありながら、強い眼力に引き込まれた。

【音楽賞】
  「ダークナイト」
【コメント】
常に緊張を煽るような低音と打楽器に降参。
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【勝手に○×賞】

【国辱映画賞】
  「ラスト、コーション」
なに、「靖国」? 冗談ではない。いやしくも旧日本軍の将校が異国の地の日本料理屋で今と変らぬ駅前居酒屋バカ騒ぎをやっていたという恐るべき事実を、各所の映画祭でさらしたこの作品こそ国辱ものである。恥ずかしい(><) 断固抗議しる!
アン・リー監督たらイ・ジ・ワ・ル(*^-^*)イヤ~ン

【最凶凶器賞】
  [電動ドリル](「裏切りの闇で眠れ」
ま、普通は「ノーカントリー」のボンベが妥当だろうが、却ってあれは痛みなしに成仏できるんで最凶ではないってことで。これは痛いぞ~、コワイぞ~

【最優秀ボンクラ息子賞】
  [ヴァンサン・カッセル](「イースタン・プロミス」)
「その土曜日、7時58分」のイーサン・ホークの猛追ををかわして見事ボンクラ息子の栄光の座に輝いた。ここまでどうしようもないボンクラを演じられるのはタダ者ではないっ。

【最優秀悪役賞】
   [レイ・リオッタ] (「団塊ボーイズ」
本命ヒース・レジャーに決まっているのを、ここはあえて外して--どうしようもないおバカコメディでマジに観客をビビらせた迫力を誉め称えたい。

これ以外の特別賞はこちらを。
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2009年1月13日 (火)

UKオペラ@シネマ ヘンデル「ジュリオ・チェーザレ」:娯楽度はあの劇団並み

090113
演出:デイヴィッド・マクヴィガー
指揮:ウィリアム・クリスティ
演奏:エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団
グラインドボーン音楽祭(イギリス)2005年上演
*TV放映タイトルは『ジュリアス・シーザー』

最近、映画館で海外オペラ作品の映像の上映が増えてきているようだ。東京でも今期の年末~正月に3か所でやっているもよう。これまで今イチ興味がなかったのだが、それは演目にバロックオペラが入ってなかった(多分)からだ。だが今回新宿バルト9にて4本のオペラを上映、その最後にヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』をやるというではないか。しかも、オケはクリスティ指揮のエイジ・オブ・エンライトメントだっ

よっしゃ~! おいらは行くぜーっ」(なぜか力こぶと共に立ち上がる)

そして「一月は行きたいコンサートがないのう(´・ω・`)ショボーン」となっていたおり、こいつは春から縁起がいいやい \(^o^)/と前売りをゲットし若いアベック(死語)で充満する新宿丸井に突撃したのであった。

さて、この演目は過去に二期会+BCJが上演したのを見たことがある(タイトルロールを確か山下牧子がやってた方)。まあ、この時は歌手や演奏がどうのよりも、演出がひどくて突出して目立っちゃったのが不幸でしたねえ……

このグラインドボーン音楽祭のはそれと同じ年にやったもので、同内容のDVD海外版は既に日本でも発売されている。今回の上映のウリはデジタル映像に日本語字幕が入って、大画面・大音響で楽しめるところだろう。
映像は舞台のみを映し、客席やオケは幕の始めと終わりにしか出て来ない。ただし、観客の拍手や声の音声は入っているという形式だ。
歌手陣については、オペラに疎い私はダニエル・デ・ニースぐらいしか名前を聞いたことがなかった。

ストーリーは、ジュリアス・シーザー--ぢゃなかったチェーザレの艦隊がエジプトに進軍してくる場面から開始。エジプト王トロメーオは逃亡してきていたチェーザレの政敵の将軍の首をちょん切って彼に差し出すが、却って怒りを買ってしまう。王の姉であるクレオパトラは彼に接近して、国内の権力を弟から奪取しようと図る……。

演出では、19世紀末か20世紀初頭、第一次大戦前に時代を設定しているようだ。エジプトはオスマン・トルコの支配下にあり、英国は中東の利権を求めて虎視眈々としていた頃とおぼしい。
従って、チェーザレを始めローマ軍は英国軍の格好をしているし、エジプト宮廷の従者たちはトルコ帽を被ってたりする。

ダニエル・デ・ニースはこの時新人でクレオパトラ役に抜擢されて大評判になったそうだ。当時、25歳(?)だとか。若い、若いぞ! 目や口の造作が大きく舞台向き、しかもハーフということで浅黒い肌がいかにも「エジプトの女王」でハマリ役である。当然、スタイルも余計なお肉は付いてなくてスレンダーな美女だ。
実際、チェーザレが「なんて美しい瞳だ~」なんて歌って一目惚れしても、相手の外見がブヨンとしたオバサンでは今イチ説得力に欠けるが、彼女なら文句なし。おまけに歌の方もド迫力であった。まさに、このクレオパトラは一見一聴の価値あり。
カーテンコールの映像が、ほとんど彼女ばかり映していたのは仕方ないことだろう。

もっとも、個人的には二人のメゾソプラノが印象に残った。タイトルロールのサラ・コノリーは最初登場してきた時に「ありゃ、カウンターテナーがやるんだっけ? 確か主役は女の名前だったはずだけど」と思ってしまうほどに男に見えた。歌い出したらメゾだったので安心したが、傲岸不遜にして恐れを知らぬ偉丈夫に常に成り切って歌っていたのはお見事としか言いようがない。
と、ところでチェーザレとクレオパトラがやたらと長~いブッチュリ・キスをしていたのは演出か(~o~;;;; 言うまでもなく「中の人」は女同士……いかんいかん、こんなことで動揺するとはワシもまだまだ修行が足らんのう。修行に逝ってきます

もう一人のメゾはセスト役のアンゲリカ・キルヒシュラーガー(ソプラノだと思いこんでずっと聴いてました(^^ゞ)。首を切られた将軍の息子で母と共に復讐を誓うという役柄であるが、元々ズボン役として定評のある人らしい。長身だけど小顔なんで少年の役でも遜色なし。第一幕での純粋で血気にはやる少年が、後半にどんどん復讐の妄執に捕われて変貌していく有様は鬼気迫るものがあった。見ごたえ聴きごたえ大いにありだ。
二期会の公演ではこの役はかなりイロモノ扱いであったが(^^;、実はアリアの数は中心のお二人さんの次に多いんだよねえ。ということは結構重要な役で、人気ある実力派がやるものなんだろう。
第一幕の終曲、母コルネリアとの二重唱が感動的で、思わず涙目になってしまった。私だけでなく、隣りの席のおねーさんも「泣けた」と言ってたぞ、念為。

日本だと、ヘンデルやってるメゾを「難曲ぽいけど大丈夫かしらんドキドキ」と思わず心配してしまいたくなる場合が多いが、さすがそんなことはありませんねえ……って当たり前か。水準違い過ぎよ _| ̄|○ガクッ

エジプト宮廷の姉弟権力争いの話は、かなりコミカルで華やかなお遊びっぽい部分を加えている。クレオパトラ(のみならずトロメーオも)しょっちゅうお衣装を変えて登場。コスプレか着せ替え人形かってなもん。おまけにダンサーと共に歌いながら踊っちゃうし、従者の宦官(しっかり右耳ピアス)まで歌い踊る。チェーザレを篭絡するシーンはわざとらしくて爆笑もんだ。
だが、一方コルネリア&セスト母子の復讐譚は完全シリアスモードである。笑いの要素はなく陰惨で救いがたく暴力的で、衣装も変らず血まみれになってたりする。終盤の復讐を遂げた後の場面などは、見ていて悽愴を通り越して痛ましいほどだ。

そして、フィナーレのチェーザレ&クレオパトラの二重唱が歌われる祝宴では、嬉しそうなのは二人だけだ。従者たちは一様に暗い顔で、宦官はとまどった表情をしている。植民地化への道程の全ては為政者の間だけで話が決まり、祝宴気分に民衆の入る余地はないのだ。
さらに、セストだけが殺された者たちの亡霊が祝宴に参加しているのを目撃する。とすれば、これは権力闘争は常に滑稽な様相を示し、しかしその結果は絶望的である--という謂であろうか。

しかし、そういう演出の意図は考えずとも実に面白かった。歌--はあるのが当然だが、踊りあり、アクション・殺陣あり、笑いと涙もあるし、お色気にロマンスあればドロドロした仇討ちもある。エンタテインメント度、興奮度、テンコ盛り度は劇団「新感線」並みと言ってもよい。おまけに歌については新感線の百万倍以上うまいし(火暴)
ついでに照明や装置もよかった。人物の心理状態がうまく表現されてた。

ところでどうでもいいことだが、先日BS放送で見た『セメレ』(2007年)と同様、ヒロインが素肌にシーツ一枚で登場場面と、歌いながらの着替え場面があったのはどういうこと?? もしかして、シーツ巻きと着替えがここ数年のオペラのトレンドなのか
でも、こりゃ男性客向けサービスですなあ。同じ料金払ってんだから、女性客にもサービスしてくれい。

最後に、このように映画館でオペラの映像を見ることについてだが、音量がかなり大き過ぎで驚いた。ピリオド楽器のバロックオペラだったら、最前列に貼り付いて耳ダンボ状態にしてもあれほど大きく聞こえることは絶対にないだろう。おまけにチェンバロの音が左斜め上方から流れてきたりするし……。音がデカ過ぎて却ってAEOの演奏の細部は全く聞き取れなかった。
その点だけでももはや生公演とは違っているが、歌手の表情だってオペラグラスどころか野鳥観察並みの望遠鏡を使わなきゃあんなに間近にみえることはないのだから、そもそも別物と考えて割り切った方がいいかも知れない。(もっとも「ここは引きのカメラで見たいなあ」という不満な部分もあり)

というわけで、前売り料金三千円は完全に元が取れた。また次もバロック物やったら見てみたい。
しかし、休憩2回で4時半開始で8時50分終了というのは、ヘンデル先生!やっぱりあまりにも長過ぎですう(>O<)

【追記】
演出上の時代設定が「確か映画『アラビアのロレンス』と同じ頃だよなあ」とふと思いつき、ちょうど「完全版」が新宿でリバイバル上映されていたので(カットされていたヴァージョンは大昔に見ていた)行ってみた。

で、××年ぶりに見て驚いたのは、なんと冒頭と終盤の場面が映画から引用されていた!ということである。映画の方ではほんの一瞬の場面なので、もし順番を逆に見ていたら気づかなかっただろう。
ということは、同じ時代に設定しているどころか、むしろ『アラビアのロレンス』を下敷きにした演出だと考えた方がいい。そうすれば、なんでセストの復讐譚があんなに陰惨で血まみれなのか合点がいく。まさに映画後半のロレンスの残酷な所業を重ね合わせているのだ。
であれば、ラストの真意は反乱を成し遂げた実動部隊は関係なくただ宮廷(司令部)の思惑によって民族の行く末が決まるという皮肉だろう。

TV放映で再見したら、さらにセストがトロメーオを射殺する場面も『ロレンス』からの引用っぽかったんで驚いた。他にもあるかも……。

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2009年1月12日 (月)

TPT「ウルリーケ メアリー スチュアート」:日本語のせいにしよう

090112
作:エルフリーデ・イェリネク
台本・演出:川村毅
会場:ベニサン・ピット
2008年12月28日~2009年1月10日

「オーストリアで最も憎まれている女性作家」にしてノーベル文学賞受賞者、映画『ピアニスト』の原作者としても知られるエルフリーデ・イェリネクの戯曲を初上演。演出は川村毅……ん?イェリネクに川村毅の組合わせで大丈夫か(?_?;
と、思ったがとりあえず行ってみることにした。

会場はベニサンピットでマジに十ウン年--いや、もしかしたら二十年ぶりぐらいに行ったのかも(-o-;) 知らなかったのだが、一月末で閉鎖してしまうそうである。

さて、内容は……久し振りに難解な芝居を見たなあ~という一言に尽きる。1970年代のドイツ赤軍の二人の女闘士(グードルンとウルリーケ)、英国のエリザベス女王とメアリー・スチュアートの関係を重ね合わせているというのだが、そもそもドイツ赤軍の話自体ほとんど無知なのでそこでつまずいてしまうのであった。
後で調べてみたら、ウルリーケの姓はマインホフで、いわゆる「バーダー・マインホフ・グループ」の片割れなのであった。
で、四人の女が出てくるのかと思ったらさにあらず、エリザベス女王がウルリーケをメアリーに重ね合わせて延々と罵倒しなじるという構図が続く。その怒りはウルリーケが目指した革命や犯した犯罪ではなく、彼女が刑務所で自ら首を吊ったという行為に対して向けられているようだった。
その原因は聞いてても不明、とにかくエリザベスが--というより正確には、作者がとにかく彼女に大きな怒りを抱いているとしか分からないのであった。
そして二人のヒロインの独白は長く、難解で、頭に全く入らず耳の間を通り抜けて行くのである。

で、元の芝居は3時間もあってドイツ人しか知らないような固有名詞が出てくるので、削って代わりに川村毅が付け加えた日本の連合赤軍の話が登場する。若手の役者によるこの部分はハッキリ言ってかなりボルテージが下がる。「余計なお世話」感が大きい。川村毅にはどうせなら単独でこのネタの芝居を書いて欲しいね。
もっとも、下手な事書くと団塊オヤヂ世代にぶん殴られるかもよ

……ということで、何一つ理解できないまま終わったのであった。それは私の脳ミソがボケているせいだろうか、それとも日本語がそもそも論理的なメッセージを伝えるのに向いていないせいだろうか? 私としては、日本語のせいにしたいけどさっ(^○^)

それにしても、革命とは本来人間を解放するためのものではなかったのか? それなのに何故、革命についての言説は硬直し不自由なのか。革命を語れば語るほど苦しく拘束されていくような気分になるのはなぜかね。

老人&「あの方」の役はダブルキャストということで、この日は小林勝也だったが、もう一人の手塚とおるの「あっ、そう」も聞いてみたかったなー、残念無念


私が行ったのは4日だったが、いくら正月の連休とはいえ周囲はまるで死んだように静まり返った町並み。閉まった作業場やら商店ばっかりでほとんど人も歩いていない。何せ、地下鉄の階段に「痴漢が出ました」なんて掲示があるぐらいなんだから、いかに普段から人通りが少ないか、である。町としての東京下町の空洞化をヒシと感じた。

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2009年1月11日 (日)

「ファニーゲーム U.S.A.」:観客の期待に応えて--やるもんか!

090111_2
監督:ミヒャエル・ハネケ
出演:ナオミ・ワッツ、ティム・ロス
米国2007年

不愉快!不愉快!!不愉快!!! 徹頭徹尾不愉快
頭からしっぽの先までどの場面取っても不愉快(>O<)
まるで、不愉快さがムギューッと詰められた飾り巻きずしのよう。
図解するとこうなるだろう。

------------------  ←海苔
不愉快不愉快不愉快不愉快不愉快不愉快
不愉快不愉快不愉快不愉快不愉快不愉快
------------------

いや、それだけじゃない。こうなるか。

-------------------
不愉快嫌がらせ不愉快不愉快不愉快不愉快
不愉快不愉快不愉快不愉快嫌がらせ不愉快
-------------------

時折、監督の嫌がらせ(もちろん、観客への)がまざっている。
オリジナル版(1997年)をカンヌ映画祭に出したそうだが、上映された時観客に殴りかかられなかったのだろうか?
「こんなモン見せるな、バカ~(*`ε´*)ノ☆」とか。

M・ハネケの旧作は渋谷ユーロスペースでのハネケ祭りとCS放送でのハネケ特集やDVDボックスでほとんど網羅されていたのだが、ただ一つ『ファニーゲーム』だけはそのどれにも入っていないので見られなかった。上映権とか契約か何かの関係だろうか?
そのせいか、ハネケが自分自身で米国版をリメイクしたのがこの作品である。役者と舞台は変更したが、それ以外のシナリオやカメラの位置など全て同じままだそうだ。

平和な湖畔の別荘地に休暇でやってきた家族。そこへ「卵を分けてくれ」と若者二人が闖入してくる。そして、繰り広げられる乱暴狼藉--もはやこれは不条理としか言いようがない。

直接的な暴力描写はないが、どの場面も不愉快にして暴力的な感触が覆っている。救いようがない。被害者家族の努力は全て無駄になり、観客の期待は完全に裏切られる。
おまけに、犯人がスクリーンのこちら側の観客に向かって喋るという掟破りな場面まである。こりゃ、明らかに嫌がらせである。
暴力的なエンタテインメント映画とそれにカタルシスを求める観客を風刺する意図があるのだろう。だが、にもかかわらずそれらの娯楽作品よりも群を抜いて暴力的だという始末に負えない作品である。まさに、ハネケお得意の嫌味さバクハツというところだ。
音楽もヘンデルに突然ジョン・ゾーンがかぶさるというイヤミな使い方

一番イヤだったのはラスト近く「伏線」が回収された場面とその後のヒロインの顛末。現実の犯罪においても、このように淡々と「暴力」は成されたのだろうか。そう思うと、ホントに身体全部からエネルギーが抜け落ちて行くような脱力感に襲われた。
あと、なんとなく落ちた卵を片付ける場面も非常に印象に残った……(~_~;) なんだか、モノの撮り方がいかにもハネケっぽい感じ。

観た後もずーっとこの不快感は残り、その夜の夢にまで不快な感触だけが出てきた(映画のシーンとかが出てきたわけではない)。
それにしてもこんな映画を花のクリスマス~正月期間に上映する興行側の蛮勇には恐れ入る。これも観客への嫌がらせですかっ

夫婦役のナオミ・ワッツ&ティム・ロスを始め、役者には文句なし。アクの強いT・ロスが温厚にして平凡なる父親を演じていたのはやや意外か。一方、N・ワッツの鼻水垂らしての熱演には、参りました<(_ _)> おまけにプロデューサーの一人に名を連ねているのだから、かなりこの役に熱が入っていたに違いない。女優魂とはこのことかっ!てなもん。
ただ、若いモン二人については、オリジナルの方はもっとイヤ~な感じなんじゃないかなと思えた。ということで、オリジナルの方も見てみたいが……中古DVDに十倍の値段が付いてるんじゃどうしようもない(´Д`)トホホ

ところで、年齢制限は日本だけが12歳と一番低い(米国ではR指定)。他のネット上の感想を見ていたら、バカな若いモンが真似すると困るから25歳未満お断りにしろという意見があって笑ってしまった(^O^;が、そんなことしなくても客席を見渡したところ25歳以下の客はいなかったようなので安心だろう。

なお、パンフを買ったがハネケとN・ワッツのインタビュー以外は読むべきところはなし。700円ムダにしたぜいっ(~_~メ) 卵持って暴れてやる~。


主観点:9点
客観点:7点(オリジナル見てたらどうかな? 他人には薦めないよ)

【関連リンク】
《我想一個人映画美的女人blog》
オリジナルとの比較(画像付き)あり。

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2009年1月 8日 (木)

「エグザイル/絆」:男たちの熱いプリクラ

090108
監督:ジョニー・トー
出演:アンソニー・ウォンほか「漢」な皆さん
香港2006年

昨年は『エレクション』がやたらと面白かったジョニー・トー。続編の公開がダメならDVDでも出ないかのう~と待っていたが、音沙汰ないまま結局こちらが新たに公開された。

なんでも脚本なしで撮ったそうで、ストーリーはあって無きが如し。熱い友情に突き動かされて男たちが三つ巴四つ巴の銃撃戦をドンパチを繰り広げるだけである。銃撃戦で目立ったのは、照明が壊されて暗いレストランでの「闇」撃ち合い、また医者の家では縦の空間を使って展開するのが珍しい。これはきっと真似するヤツが出て来るかも。ラストのホテルの吹き抜け空間での死闘などテンコ盛りだーっヾ(^^#)ゝヾ(^^#)ゝ
それ以外でも色々と小ネタの撃ち合いが起こる。
また、銃突きつけ合った後で飯食ったりするところも、いかにもトー監督調である。

まあ、難しいことは考えずに、お馴染みの役者たちによるお馴染みの黄金パターンを楽しむ作品だろう。
舞台がマカオで、こぎれいな欧風の街並みが新鮮。


撃って撃って撃ちまくれ度:9点
男たちの友情度:9点

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